昔、
心理学を学んでいたとき、
incantation
という言葉と心理学実験を知りました
当時、インターネットなどなかったので調べたことはなかったのですが、
いま、調べると、インカンテーション、というのはスポーツや学業、人格形成など、いろいろな場面で前向きに使われているようです
直訳は「呪文」「おまじないを唱えること」です

私が聞いた最初の心理学実験は、
文献を探したのですが見つからなくて、うろ覚えなのですが、
アメリカの大学での、
1人以外全員仕掛け人、という大がかりな実験でした
その1人に対して、すれ違う知人、一緒に過ごす友人、全ての人に、
「顔色が悪いけど、体調が優れないの?」
「大丈夫?」「疲れているの?」と、健康面を心配する言葉を次々にかけていきます
本人は実験であることをもちろん知りませんし、健康状態も良好です
ところが、
口々にそんな健康面を心配する言葉をかけられるうち、
実際に、その人の体調は崩れていきます
最終的には熱が出たり、お腹の調子も悪くなったりして、本当に健康状態が悪くなってしまう、という結果になります

この実験は前向きではなく、むしろ、インカンテーションの逆効果を証明するものでした

この実験のことが忘れられなかった私は、就職して、進学塾の講師になったときも、子どもに対してかなりかける言葉には気をつけていたし、面談などで保護者の方と話すと、「なんで子どもの前でそんな言葉を発するんだ、やめたほうがいい…」と本気で思いました
20代前半、独身の私でしたが、何度も何度も、保護者説明会などで本当にこのインカンテーションの実験の話をした記憶があります

聞いた直後はみなさん頷き、メモなんかして、納得した様子なのですが、なかなか実生活で気をつけられる方は多くなかった記憶があります

かれこれ30年以上も前に学んだ心理学の言葉、そして、新人社会人だった頃の経験です

その後、私より少し前に結婚して出産、子育て中の友人が遊びに来てくれたときのエピソードです

群馬に遊びに来るのは初めてだったので、大自然の中に友人と友人の子(幼児)を案内しました
真夏だったので、幻想的で涼しい森の中です
高い梢からは小鳥の声がして、私の大好きな場所だったのですが、ひとけがなくて、とても静かな場所だったので、街の喧騒に慣れた都会の子どもにはちょっと不安で怖いかな、と思い、思わず口にだしました
「ちょっと怖いよね。大丈夫?」と
私は幼児にそう言ったのです
するとすかさず友人は私に聞こえる程度の小さな声で言いました
「うん、そういうこと言わなければ大丈夫。」と

どういう意味だろう?
と、私は瞬間的には理解できませんでした
でも、すぐに思い出したのです
ああ、そうだ、私はインカンテーションをかけてしまった
だから、
すかさず話題を変えました
「おーい、こんにちは!!」(ぴっぴっぴ←小鳥の声)
「あ、お返事してるよ、呼んでみてごらん」
私のインカンテーションの言葉に少し不安な表情をしてしまったその子は、
はっと意識を切り替えて、「おーい、こんにちは!」と私の真似をして梢を見上げました
ぴっぴっぴー!!
小鳥が答えました
(たぶん、小鳥も私のミスをフォローしてくれたのです・笑)
子どもは嬉しそうに満面の笑顔になって、何度も「おーい、おーい」と上に向かって呼んでいました
友人も嬉しそうに一緒に呼んでいました
その2人の姿を見て、私は、自分のミスを一生忘れない、と誓いました
一緒に心理学を学んだ仲間でもあるので、彼女が覚えていて実践していたのかどうかは確認していません
でも、
私は彼女の小さなささやきによって、2度と同じミスはしない、と胸に焼き付けることができたのです
今でも心から感謝しています

それから数年後、私も母親になり、そして、どんぐりにも出会いました

母親としてはもちろん新人で、未熟で、失敗もたくさんしてきました
常に理想的な親でいられたわけなんかないし、インカンテーションだって悪用したことさえあります
どうにも自分に余裕がなくて、毒を吐きまくってしまった時期だってあります
それでも、ことあるごとにはっと、思い出させられました
子どもが怖がるのも、疲れるのも、体調を崩すのも、
もしかしたら親次第かもしれない、と
親としてのありかたを我が子に教わりながら、我が子も、教室の子どもたちのことも、
保護者さんたちのことも冷静に見られるようになりました

すると、
やっぱり多いんだな…インカンテーションをかけてしまっている例が…
進学塾の時みたいに、この話、みんなにしていなかったな…と思って今回書いていますが、もしかしたらブログには何回も書いているかもしれませんね…

たとえば自然遊びの時も、
親御さんはいろいろと子どもに言葉をかけています

●疲れた?
●お腹空いた?
●痛くない?
●寒くない?
●暑くない?

そんなことに気づきもせずに夢中で遊んだり歩いていたりした子どもが、
その言葉で一気に我に返るのを何度も見てきました
ああ、いま、自分で頑張ってたとこなのに…
私やスタッフは実はちょっとがっかりしていたりします(笑)
その声かけで、さっきまで堂々と歩いていた子が、
「もう、歩けない…つかれた…」なんて言い出して、最後尾の大人の列に加わってきたりすることもあります

歩きだしたり、遊び出したりする前にわざわざ、

●たぶん、この子、途中で疲れちゃうと思うので

と子どもの前でスタッフに言う保護者の方もいます
それは、教室に連れてくるとき、

●さっきまで寝てたので、たぶん眠いと思います
●今日はちょっと疲れているのでどんぐり解けないかもしれません

って、わざわざ子どもの前で私に告げるのと同じ(よくあります)です

うわーーーー
やめてやめて!呪文をかけないで~~って私は心の奥底でお願いしているのですが、
子どもの前でそれを指摘することもできません

その後、その子はどうなるかというと、
親御さんの呪文通りになります
それか、
私が必死で呪文を解くためにあがいているうちに時間がきます
帰る頃にやっと本来の子どもの姿に戻るときもあります

ああ、なんで親御さんが自ら呪文を…と悩ましいのですが、
これが母性で、
そして、昔よりもっとプレッシャーに追い込まれているお母さん達の、
如何ともしがたい習性なのかもしれない…と思うこともあります

子どもは悪くないんです、疲れてるだけなんです
さっきまで寝ていたから眠いかも、って言っておけば、先生も覚悟してくれる
学校でいろいろあって疲れているから、どんぐりが解けなくてもしょうがないって思ってもらおう、
歩く姿に元気が感じられないな、だから、声をかけなくちゃ
親として心配してあげなくちゃ
この子が悪いんじゃない、って説明してあげなくちゃ

そんな心理かなあ、と想像しています
なんて切ないんだろう…と妄想しています
痛いほどわかるよ~と共感もします

男女差ではなく、個々の性分なのかもしれませんが、お父さんが自然遊びなどに付き添うとき、
ほとんど言葉はかけず、なにかあったときに駆け寄る程度なのを見ると、
うーむ
とまた考えさせられます
お母さんが付き添いのときには靴紐まで結ばせていた子が、
お父さんが付き添いの時には全部自分でやっている、なんて姿もよく見るのですが、
これは完全に、子どもがうわてだということがわかると思います

子どもにとっては、「お父さんはお母さんほど手を焼いてくれないし、助けてくれないのさ」という諦めみたいなのもあると思うけど、お母さんには「世話をさせてあげよう」みたいな深層心理が働くのかなあと感じることさえあります
だって、お母さんがそばにいるかいないかで、別人級に人がかわる子があまりにも多いので

自分でできるけど、やらない
お母さんにやらせてあげる
そんなとこかな、って

自分はそんなネガティブな声かけなんかしてないよ、って方も、1度、自分の声を録音したり、1日か2日間だけでも意識して自分が子どもにどんな言葉をかけているか、調べてみるといいですよ

そして、
私に引き渡すとき「疲れていると思う」「眠いと思う」と保険をかけたい気持ちはわかるので、どうか、子どもの前で言わず、私だけにこっそりメモを渡すとか、メールで伝えるとか、そんな風にしたらいいと思います
わたしは、でも、そのことを聞いたとしても「ああ、疲れているのね、じゃあ、それなりの対応をしましょう」などと対応を変えるつもりはありません
本当に体調が悪ければ教室には来ないはずですし、親御さんからのそういう言葉は、「私に伝えたい心理」だと受けとめます
それ以上でも以下でもありません
親として子どもの様子が心配なのはよくわかるので、
そんなこと思っても言ってもいけません!なんて言いません
気持ちはちゃんと形にして出した方があとあとのためです
むしろ、「さとちゃん、わたしってこういうのすぐ心配になっちゃうの。聞いて聞いて」って言われたら、大人面談でとことん聞きますよ
ね、そうしている人たくさんいるよね
でも、
子どもの前で子どもに聞こえるように言うということが、
どれだけ子どもの自立や成長の妨げになるかは、
知っておいてください

山登りのとき、自然遊びのとき、
前回の集合のとき、私は保護者の方に言いました

子どもが転んだり、困ったり、泣いたりしたときは、親御さんはできるだけ離れてください、と

普通逆ですよね

でも、
DSSに来てくれる親御さんたちはそのことがよくわかってきています
もちろん、
本当に親の手が必要な時は近くに来てもらいます
スタッフ以外の誰の手も借りません、という意味でもありません
親以外の大人、そして、子ども同士、できるだけ、解決できる問題はその範囲で解決させてみよう、という試みのひとつです
どうしても親だけは、違う対処をしてしまう
子どもを自立させるんじゃなく、簡単に言えば甘やかし、守るだけの対処をしてしまうんです
一緒に暮らし、日常生活の中ではどうしても親しか助ける人がいませんから、
そんな日常の中で、子どもは親にどこまでしてもらえるのか、測っています
だから、外に出ても、親にそれを求めてくることでしょう
でも、
そのままでは子どもは成長しないと私は考えます
一緒に暮らしていても、
いくらでも手助けできても、
子ども自身に考えさせ、対処させるべきときがあります
困ったり、本当に疲れたり悩んだりしたら、
親から問われなくても、子どもから助けを求めるような自然な関係ができていることが理想です

親の見ていない(ほんとはこっそり遠巻きで見ているのだとしても)ところでたとえば転んで泣いて、それでも、すぐに立ち直って歩き出した子どものエピソードを、私は、今度はわざと、その子に聞こえるように伝えることがあります

転んでかなり痛がったけど、それがね、すぐに泣き止んで立ち上がったのよ、立派だったよ!

子どもは聞こえないふりをしているけど、ちょっと鼻の穴が膨らんでいたりもします
それもインカンテーションです

※もちろん、怪我をしたり、体調が本当に悪いのなら放っておかず、しかるべき処置をする必要があります
でも最近では、本当にお医者さんに見せるべき症例なのか、わからなくなってしまっている親御さんが多い、と友人の医師は言っていました…

最後に、
何度も書いていますが、
子どもは「疲れません」

子どもが「疲れた」と定義し始めたのは大人です

いまから20年ほど前の調査で、
子どもの「疲れた」に関する以下のような論文の概要がありました

最近の子どもが「疲れた」ということばを様々な意味をもって頻繁に使っている。子どもの「疲れた」ということばに隠された子どもの生活を見るために幼稚園25園、大阪府下の幼稚園の先生23名の合計136名を対象に「子どもの疲れ」に対する自由記述のアンケート調査を行い次のような結果を得た。
子どもの「疲れた」は心疲れ型・体疲れ型・満足型・口癖型の4種類に分類できた。
その中で体疲れ型が1番高い割合を占めた。
次に心疲れ型の子どもは4歳児の全体に対する心疲れ型の占める割合が5歳児のそれよりも少し高いが、子どもの「疲れた」は単に体の疲れのみならず「したくない」という気持ちをもち、「疲れた」という言葉で代弁する子どもの存在がわかった。十分活動して満足したときにも「疲れた」を言う子どももいる。
また、口癖型の 占める割合は他のどの型より低く、わずか3%にとどまった。
また、男児の事例が109例と、女児よりも多いという結果になった。
(2005年 大阪教育大学幼児教育学研究室)

心疲れ型、体疲れ型は当時から生活様式、子どもが体の成長を伸び伸びとするはずの時期に必要な環境がなくなってしまっていることは指摘されていました
大人にとっては無駄なようなこと、外遊びや外歩きが自由にできることが、子ども時代にとても重要なのは、園児さんたちでさえ「疲れた」という大人の言葉を真似て言い出していることから当時もかなり深刻な問題でした
満足型も口癖型も、大人がどう「疲れた」を発しているかによると思います
子どもは親から言葉を学びますから、どんなときにどんな言葉を使うかは、親が決めているようなものなのです

だから、
「あなたのその状態は疲れている、ということなのです」と定義することはいろいろな影響を考えるととても難しいことです

理屈を求める子どもに、皆まで説明する親御さんも少なくありません
でも、
子どもは大人が思うより柔軟で、回復力も本来なら早いです
教室や自然遊びの中でちょっとしたトラブルが起こったとき、拗ねたり泣いたりした方の子が立ち直るのにかかる時間は、その子が「本当はすぐに立ち直りたい」という気持ちに比例します
いつも誰かがずっと慰めてくれるから
いつも誰かがずっと機嫌を取ってくれるから
いつも誰かがずっと特別扱いをしてくれるから
そして、
自分のこの、なんともいえないモヤモヤした気持ちを、
いつも誰かが代弁してくれて、保証してくれるから
それを待っているのさ、と言わんばかりの頑固さで、
ずっと機嫌を直さない子もいますが、
長いこと子どもたちを見ていると、そういう子が将来、比較的生きづらさを抱えてしまうことも実はわかってしまいます

我が子にそんな未来を…
誰しも望んでいないはずです

いざとなったら駆けつけて、すぐにぎゅっと抱き留めてあげられる今だから、
冒険させていいんじゃないかな
失敗させていいんじゃないかな
取り返しのつかないことでなければ、
思い切り、自分の限界まで試させていいんじゃないかな
ヘンな保険をかけず、
呪文もかけず、
自分のできることも、できないことも、それもまるっと自分なんだよ、って気づくまで、
見守ることが一番、成長を促すんじゃないかな、って思うのです