これは私の教室の中学生の独学支援室で使う、DONGLISH専用ノートです
通信生もほとんどこのノートを使います
見つけるまで何種類ものノートを買い集めて試して選んだノートです
中身はこんな感じです

本当は縦書きの国語用のノートです
それを横に使います
英語罫ではないので、
去年までは1年生の最初は、私が作った英語罫の用紙を貼り付けて使っていました
でも、今年は敢えてそのまま手渡しています

数日前、
中1英語の壁についてSNSでぼやいたばかりでした

こんなにたくさんの情報量を、中1に一気に浴びせるのはどうかと思う!!と
ここ数年同じ時期にぼやくのですが、今年もやっぱり、教科書を見て思いました
来年は中学校の教科書改訂だと思われます
さて、どうなるのでしょうか…
こんな状況を聞けば多くの親御さんが、
「英語は中1からじゃ遅い!早く手を打たないと!!」と焦ってしまいます
でも、
中学英語って、早く学んでおいた方がいいの?
小学生の間に、中学校で習うことを勉強しておかないと、ついていけなくなるの?

結論から言うと、
私はそんなことはないと確信しています

英語の先取りをするくらいなら、
全科目に通用する思考力、本物の学力を身につけておくのが優先だとやっぱり思っています

小学生の間にそれも、これも、両方、全部!なんて、
不可能なんです
それを可能にしようとすれば、
小学生の間に健全に発達させておくべきところが、
中途半端なまま中学生になってしまいます
大事な部分が育ち上がっていない中学生をたくさん見てきました
どんぐりに出会う前です
その話は何度も書きました

具体的に言えば、
十分な自由遊び、自分で工夫して考えて暮らし、遊ぶこと、
言葉を使うこと(母語を読み、母語で会話し、母語で書き伝えること)
決まっていない方法で問題を解き、深く考える習慣
思い切り体も心も揺さぶって生き生きと生きる日々
小学生にとってこれらより優先すべきことはありません

これに加えて、やっぱり英語だけは…というのが、
ちょっと違うんじゃないかなあ、って思っています
それは、
やっぱりサッカーだけは、とか、やっぱりプログラミングくらいは…などという習いごと関係のことと同じです
まずは子どもの基礎の部分がちゃんと育っているのかどうか、
そっちが最も大事だ、ということです
これらが十分に備わった状態で、英語など外国語を学ぶこと、スポーツや芸術を習うこと、それは、とても興味深く視野が広がる素敵なことだと思います

だから、
小学生時代に伸び伸び過ごしてきたどんぐりっこたちに、
中学英語を嫌ってほしくないな、ってずっと考えていました
英語を中1から始めるために、小学生の間に日本語でのどんぐりっしゅ講座も開きました
それでも実はそのどんぐりっしゅ講座の最後の最後に、
英語の文字を書いたり、スペルをどのように覚えていくか、話し合ったり何回かしてみたりもしました
中1英語の壁に、誰にもぶつかってほしくなくて

でも、
中1になったら、先生は容赦せず、どんどん英単語を書く宿題を出し、教科書の英文を暗唱させる仕掛けを作り、生徒たちは必死にその課題をこなし始めました

あーあ、始まっちゃった…
小学生の頃は宿題をすることがなかったどんぐりっこたちも、
中1からは自分で全部するわけです
週に1回しかないDKに、宿題を持ってきて見せながら、愚痴ったりもするのですが、ふと気づきました
なんだかんだで、ちゃんとやってるじゃん、って

書かされ、読まされ、容赦ない宿題にちゃんと立ち向かっています
ほほー
と、感心しつつ、やっぱり例年通り、私は私で英語のほんとのところを話してあげればいいんだ、って再確認したのです
学校の先生の出す宿題の量や内容は、
やっぱりちょっと的外れだと感じることはあるけれど、
ちゃんと立ち向かっている子どもたちは負けないはずだと感じたのです

どーせ書くならさ、
と、
昨日、学校の宿題の単語練習の量について話している生徒たちに言いました

どうせ、提出しなきゃいけない、そのために何回も同じ単語を書かなきゃならないのだとしたら、少しだけ頭を揺さぶりながら書くといいよ
ほんとに揺さぶるんじゃなくて、中身のことなんだけど、
それは、
「覚えよう」として書くのではなく、
「思い出そう」として書くってことだよ、
と、いつも話すことを話しました

思い出そう…

生徒たちはきょとんとしていました

テストのときは、「覚える」作業はしないでしょう
「思い出す」ことしかしないでしょう
だから、普段から「思い出す」練習をしておけばいいだけのことだよ

そう言うと納得した顔をしていました
「おもいだす、おもいだす…」とブツブツ言っている子もいました(笑)

これで、ただの単語練習にも少しは楽しさが増すでしょうか

さて、
DKのDONGLISH専用ノートの使い方を説明を終えて、
じゃあ、時間まで教科書の本文を書き写しておこうか
と言うと、

「楽しい!!こういうのほんとに楽しい!!」
と、
突然言い出したのです

「ね!わかる!!」

共感した子もいて、
はてな?って顔をしてる子達もその子たちを見て、何か感じているようでした

何が楽しいんだ?

私も、ちょっとはてな?な顔をしてしまいました

でも、学校のノートを見せられてわかりました



「この、単語をなぞるのが本当にいやなの…」

ある生徒が言いました

「わかる…」

他の子も言いました

四角の中に品詞を書くところがあり、
何個か、なぞり書きの箇所があり、
右側の英語罫にはご親切にドットがついています
文字の置き場所も決められているのでしょう

高校生の娘に聞いてみると、自分の頃からもあったそうで、
「予習」と称して、授業の前に調べていくんだよ、と言っていました

そうか、私の頃も予習せよ、とは言われていたけど、するもしないも個人の自由だし、こういった既製のノートや書式はなく、市販のノートに自分で単語調べをしたらそのように囲み記事のようにしたり、または、単語専用のノートと本文専用のノートに分けていた時もあったっけ

そんな工夫は要らないんだな

楽になったな……

じゃないですよね???

娘が小学生の頃の、計算ドリル専用ノートのことをまた思い出しました
最初の数問はなぞり書き用の薄文字が印刷してあり、
何段で計算するのか、枠がピッタリ決まっていました
見ているだけで体がぎゅうってなりそうないや~なノートで、
その前の年まで方眼ノートだったから、
なんでこのノートになったんですか?って先生に質問しようとした矢先、
他の保護者が「素晴らしいノートですよね!!」と絶賛したのでした

何度も何度も書いているけど、このとき、ああ、家庭でもこうなんだ、って冷静に思いました
すでに、学校の授業は板書をまっさらなノートに書き写すのではなく、
プリント穴埋め式だったり、問題集書き込み型だったりと、
自分でレイアウトや字の大きさを考える機会などなくなっていました
中学生もそうなってきていて、
解答の冊子は問題集と同じレイアウトに赤字で解答が書いてあるものになっており、それは、問題番号だけだと自分で答え合わせをするのにまずどこに答えが書いてあるのか探すのに苦労するから、という事情から普及したものだということでした

小学生には巨大な白紙のクロッキー帳で、
中学生には英語罫でもないこんなノートで、
数学なんかできれば白紙で罫線のないのがいいよって薦めてしまう私のしていることは、
学校とまるで逆なんだなとわかります
書き慣れていない子どもたちは、
どんぐり初心者さんもどうしたらいいか、白紙の前で唖然としちゃうこともあるし、
中学生もどうやって工夫したらいいか迷ってしまう子も多く、
数学の途中式の書き方から番号の書き方まで、最初は私の助言が入ってしまうことも多々あるのです
見づらいノートは見かえす気持ちにならないので、あとで無駄になってしまう、だから中学生には助言するんです
学校なら書くところが決まっていて、注意されることもないのかもなあ、と

それでもまあ、私はそのことに意味があると思っているし、
それでこそ身につく基礎の力があると確信しているので、私の中では揺るぎないものなのですが、
昨日の生徒たちの

「楽しい!こういうのほんとに楽しい!!」

という言葉で、
ちょっとだけ悲観していた気持ち、生徒たちを気の毒に思う気持ち、
ずっと抗ってこんな風にやっている自分を見つめ直ししょんぼりする気持ち、
それらが一気に払拭されたのです

そうだ、
楽しくなくちゃダメなのに

ちゃんと覚えたかとか、
ちゃんと理解したかとか、
ちゃんと正解したかとかじゃなく、
まず楽しく取り組んでいるかどうかなのに

どんぐりと同じで
中学生になっても全く同じで
宿題を自分でやることだって、
英語を勉強することだって、
自分の中で楽しみに変換できることが
何よりも強いのに
って
思い出させられて
そんなこと毎日思っているのに、
キラキラした目でそんなことを言われて、
そりゃあもう、ハートを射ぬかれて、
もっともっと、頑張っていこうって思ったのでした

ああ、こういうのが通信生のみんなにも伝えられたら…
実教室の何倍もの人数、全国にいるDK通信生のみんなとも、
こんな風にやりとりができたらなあ、と
また空を見るわけですが
(メールで、こんなやりとりができている子も多数います)

ところで、
このノートのどこが楽しいのか、わかりますか?
自由だからだと思われます
DONGLISH訳と方言訳を書くために、空ける行数は決まっていますが、
その他は自分で工夫して書くことになっているからではないかと
タイトルはできるだけデコってね
といいました
自分が見かえしたいノートにするんだから、と

楽しいなんて言ってくれるのは最初だけかもしれないけど、
これが、
象徴的なんじゃないかな、って思ったんです

全部決められて、
指示されて、
従っていれば楽で、整ってて、無駄はないかもしれません
指示通りできれば、叱られることも、直されることもない
でも、それって楽しいの?って
でも、それって心に残るの?って
そういうことに気づいてよ、っていう、
子どもたちからのメッセージなんじゃないかな、って

学校も、もしかしたら家庭も、
そんな風に子どもを整えようとしてはいませんか?っていう