半年近く前の新聞連載から
2回目は、
東北大学加齢医学研究所 瀧教授のお話からの抜粋です

脳は順次発達 習い事には適齢期

脳は後ろから前に向かって発達し、脳の加齢は前から進むと言われています。生後すぐは、ものを見る機能を担う頭の後ろ「後頭葉」が発達します。同じころに音を聞く能力に関わる「側頭葉」も発達し、次に「頭頂葉」が発達します。ここには触感をつかさどる「感覚野」や、体の動きをつかさどる「運動野」があります。
最後に発達するのが「前頭葉」。その中でも考えたり、判断したり、コミュニケーションを取ったりする「高次認知機能」を担っている「前頭前野」は最後に発達することが分かっています。

(脳が成長する順序を知ることで、子育てに生かせることはあるのでしょうか)

子どもの才能を伸ばすため、取り組むのによい効率的な時期があると言えます。習い事で言えば、視覚や聴覚が発達する0歳児は図鑑や絵本、音楽に触れさせ始めるのに適していると言えます。運動野が発達のピークを迎える3歳~5歳ごろは、スポーツに加え、音楽にもよい時期です。演奏するためには、指や手首などを細かく動かす必要があるからです。
一方、英語は脳科学の視点から言うと、早ければ早い方がいいとは必ずしも言えない可能性があり、第二言語の獲得は10歳ごろまでに始めるのが効率的だという報告もあり、結論を出すのは難しいです。

(早期教育の利点、欠点をどう考えますか)

十分な睡眠・遊び時間確保 前提

早期教育のメリットは、幼い頃からその分野にたくさん触れることで、知的好奇心、興味関心が育ちやすいということでしょう。
ただ、子どもに対して過度な期待をかけたり、睡眠や親子の会話時間、体を動かす時間が削られたりするのは、脳の発達にとってもよいことはありません。十分な睡眠や遊びの時間などを確保したうえで、本人が好きであれば習い事もよいと思います。

好奇心を刺激 「知ること」が楽しく 力も伸びる

私は伸びる子に育てるには、早くから子どもの好奇心を育ててあげることが重要だと考えます。それが習い事である必要はなく、我が家の場合は早期教育の代わりに、自然に触れることを大切にしてきました。現在小学生の息子とは幼いころ、一緒によく虫捕りに公園に出かけました。


瀧先生は『賢い子に育てる究極のコツ』など、著書でも子育て、教育についての意見を書かれています
清川輝基先生(子どもとメディア研究所)も前頭前野の発達については講演で何度か話されていますが、「一番最後に成熟して、一番最初に老化が始まる」と言われている脳の部分、機能です

瀧先生も所属する、東北大加齢医学研究所の元所長、川島隆太先生のブログから引用します

「前頭前野」は、「考える」「記憶する」「アイデアを出す」「感情をコントロールする」「判断する」「応用する」など、人間にとって重要な働きを担っているため、人間が人間らしくあるためにもっとも必要な存在といえます。

逆に「前頭前野」が衰えるということは、もの忘れが増えたり、考えることができなくなったり、キレたり、感情的になったり、やる気の低下などにつながります。

前頭前野の働き図

「前頭前野」を鍛えて働きをよくすることは、「計算が早い」「記憶力がよい」などの脳の処理のハイスペックさだけでなく、日々の生活や仕事、学習などに、前向きでいい影響を及ぼすことにつながります。毎日を充実させ豊かに生きていくためには、「前頭前野」がよく働く状態をつくることが大切なのです。

と、まあ、子どもにとっても、年齢を重ねていく上でも、とても大事な部分で、大事な機能だということはわかります
いわゆる「ゲーム脳」というのは、この前頭前野の活動低下が慢性化した状態だと言われています
子どもにとっても、年齢を重ねていく上でも、デジタル画面が脳によい影響を及ぼさないのは脳科学の観点からはとっくにわかっていることです(川島先生のブログは2018年のものです)
まあ、ゲーム脳の話は今回の主題ではないので、また別のときに

こんな風に、脳の研究者である瀧先生は子どもの脳の発達に合わせて子どもの好奇心を失わないような習い事をするのであれば、と書かれています
「時期を見極めると、子どもの能力は効率的に伸ばすことができる」と

ここで
問題が生じます

瀧先生も途中で書かれていますが、
この部分
みなさんはどうお考えになりますか

子どもに対して過度な期待をかけたり、睡眠や親子の会話時間、体を動かす時間が削られたりするのは、脳の発達にとってもよいことはありません。十分な睡眠や遊びの時間などを確保したうえで、本人が好きであれば習い事もよい


できるんでしょうか
習い事をさせつつ、
「過度な期待をしない」
「睡眠や親子の会話時間の確保」
「体を動かす時間の確保」
そんなことが、
持続、両立が可能でしょうか

習い事の指導者や、その企業なり教室なりの方針によりますが、
たいていは、優劣を判断し、選抜したり昇段したり、なんらかの評価が伴います
上手にできるかどうか
選ばれるかどうか
レベルやランクが上がっていくかどうか
そういうものがつきまとうのに、
親は、
「過度な期待をしない」でいられるでしょうか

いいえ、「過度な期待」なんてしませんよ、ちょっとは期待するかもしれないけど…

と、多くの方は思うかもしれませんが、
「過度」の基準ってなんでしょう

子どもマニアの私には、
日々、親御さんがお子さんにかけている言葉の端々に、
子どもへのプレッシャーを感じられたりもしますから、
ホンモノの子どもの方はもっとなんじゃないかな、って思うんです

子どもたちに、親に言われて嫌だったこと、なんていうのを聞いたアンケートを見たことがあります
小学生のと、高校生のを最近見ました
それらのほとんどが、親はそんなつもりで言ってないんだろうな…という些細なことでした
なんなら、成績表を見たときの親の表情のことだとか、
親の読んでいる本などからプレッシャーを感じている子もいるようでした

それに、
習い事のための練習や、課題をこなすことで、
また、その習い事に連れていくための準備や往復、待ち時間などで、
他の自由な時間が奪われるのも確かです
そして、
ありがちですが、習い事側の企業努力として、
レベルが上がっているから、と通う日数を増やすことを提案されたり、
コース変更を提案されたりすることで戸惑う親子も多く見てきました
週に1日だったはずなのに…と
子どもは、
レベルが上がった、と評価されるのが嬉しいし、
親だって嫌な気はしません

自由な時間が減ってしまって…とわかっていながらも、
抜け出せないループのような状態になっている
そんな相談もよく受けますが、
みなさんおっしゃるのは、
「子どもが楽しんで通っているので」
「子どもがやめたくないって言っているので」

ここはとても難しいですね
子どもをその状態に押し上げたのは他でもない親御さんであり、
習い事側にいる大人であり
子どもがそのように言うことが、子どもの本心だと、
思い込みたい大人たちの言葉であり…
習い事側は、もちろん、やめさせたくないから必死でしょう

たとえばそういう子がどんぐり問題を解いてみると、
なんというか、ゆとりのない、
答えを出すためにできるだけ省いたような、
遊び心のない作品に仕上がることが多いです

評価されることが基本になっているので、
完成形を思い描けるからでしょう

そこで、瀧先生のお話につながっていきます

「好奇心を育てる」とは?

私はたくさんの子どもたちと長年接してきましたが、
幼い子どもで、「好奇心のない子」に出会ったことはないです
赤ちゃんともたくさん遊んできたけど、
「好奇心のない赤ちゃん」は見たことがありません
(生まれつき、脳の病気などを持った子は例外です
それでも、『クシュラの奇跡』は起こったのだけれど)

だから、
「好奇心を育てる」という言葉より、
「好奇心を失わせない」という言葉の方が、しっくりきます

早期教育のメリットは確かにあるかもしれません
でも、瀧先生の掲げた条件が全てクリアできるだけの、
親の度量が必須です

評価をしない
期待もしない
親子の会話、自由な遊びの時間を確保する

でもね、
十分な遊びの時間、ってどれくらいだか、わかりますか?

大人と子どもで全然基準が違うこと、わかりますか?

十分な親子の会話はどうですか?
どのくらい会話すればいいか、わかりますか?

十分に体を動かすってどれくらい?
園庭や学校で外遊びしているはずだから、と
帰宅してから一切外に出ない御家庭も多くなっているようです
暑いから、寒いから、危ないから…
理由をつければいろいろありますが、
そういった悪条件をなんとかしてでも確保すべきものだと私は思います

大人が決めた基準や、大人の感覚を押しつけている限り、
子どもの好奇心は刻一刻と削られていく
そう思います

忘れてしまっている子どもの頃の感覚を、
多くの大人が思い出してくれればいい
そう願います

第3回へ続きます