これまでの、どんぐり学舎保護者たちの奮闘記や私の意見がブログにまとまっています
ブログをカテゴリー別に読めるので、
まだの方はぜひ、読んでみてください
https://donguri-gakusha.net/category/homework
新しい学年、新しいクラス、新しい担任の先生になり、
さあ、どんな1年になるかしら、と
お子さんも親御さんもいろんな意味で胸を高鳴らせていらっしゃる頃かと思います
どんぐりの環境設定で最も重要で、最も難関だと言われている「宿題制限」ですが、
もうご準備は整っているでしょうか
なぜか、禁忌とも言えるような表情をされ、敬遠されがちな「宿題制限」の話題
特に、真面目で一生懸命ルールに従って生きてこられた方には難問のようです
でも、
そんな方にこそ、考えてみてほしいのです
子どもの脳にとって、子どもの子ども時代にとって、
現代の宿題管理がどれだけ悪影響を及ぼすのかを
あー
はっきり言っちゃった
ついに言っちゃった
だって本当なんですもの
学校の先生だってわかっているんですもの
それなのに、「出さなきゃいけないから出して」「取り締まらなきゃいけないから取り締まって」いるんですもの
意味がある内容や、出し方ではないんです
まず第一に、
個々の習熟度は違うのに、一律に同じ内容、同じ分量で出されているところから間違っています
昔からそうじゃないかって思うでしょう
昔と今とでは、子どもを取り巻く環境が違いすぎます
先日、養老孟司先生がお話しなさっているのを聞きました
昔は子どもなんかほったらかしで、
学校という場所でだけは、みんな同じことをする、みんな規則を守る、みんなで行動する、
そういう意味で学校の必要性があった
そうやって社会の基盤を支える国民性も育った
でも、一歩学校を出れば、誰にも管理されず、誰にも干渉されない子どもだけの自由があった
今は、
学校の外でも子どもの行動は制限されている
それで、
学校は相変わらずである
だから、学校に行かない選択をする子どもが史上最高の数いる状態なんじゃないか
社会の環境を戻せないなら、
学校が変わればいいだけなんじゃないか
学校が子どもを緩める場所で子どもが子どもでいられる場所であれば
言葉は違いますが、私の解釈ではこのようなことでした
10年以上前、私は我が子の通う小学校のボランティアの会議で、
似たようなことを発言して校長先生に眉をひそめられました
「子どもは学校の外でも窮屈すぎて、心身共に追い込まれている。学校には安全な広い校庭、図書館やプールまであって、子どもたちが自由に幸せに過ごすには最高の場所、そして、プロの教育者が揃っている。今こそ、学校が子どもを伸び伸び大きく育てるために手法や環境を変えるべきでは。学校が子どもを緩め、リラックスさせ、締め上げてしまうような親の手法を、間違っている、と指導してもいいではないか」
こういうようなことを言いました
校長先生は首を大きく横に振って言いました
「それは学校の役割ではありません!」
他の管理職や教員は黙ってうつむいていました
他のボランティアの方々も、意味がわからない、といった表情でした
学校は緩めない、
そんな学校が規則通りだといって一律に出す宿題を、
親も緩めずにやらせる
宿題はやらなきゃならない
習い事もたくさんしなきゃ
テストの点数のために勉強をさせなきゃ
子どもが子どもらしく堂々と伸び伸びと生きる場所はどこに?
ひとむかしまえとは全然違う、今の環境で
許可をいただいたので、
私に提供して頂いているかずある学校との宿題交渉の記録の中から、
ある保護者の学校あてのお手紙を紹介させて頂きます
いつもお世話になっております
○年生の生活にもだいぶ慣れてきた様子です
担任の先生が男の先生だったので、Aもうれしかったみたいです
突然の手紙でおどろかれたと思いますが、
宿題についてのお願いがあります
我が家の方針として、家庭での勉強は
家庭にまかせていただきたいと思っているので、
今後学校から出される宿題は
一切やらせないつもりです
勉強をさせたくないのではありません
勉強を嫌いにさせたくないからです
1年生のひらがなの書き取りの宿題では、
お手本通りにきれいに書けていないと花丸がもえらえず、
毎日1時間かけてやっておりました
ですから、今でも国語は嫌いだと言っています
学校でたくさんのエネルギーを使って帰ってきたら、
もうくたくたなんです
元気に回復させるには外でたくさん遊ぶのが一番です
ゲーム、テレビ、ユーチューブは見ません
親も一緒になって全力で遊びます
遊びだけではなく、自分の知りたいことがあればしらべたりして学びます
家ではゆっくり過ごさせてあげたいのです
そして、次の日の朝にはリセットされて、
学校で学ぶ準備ができていて、
毎日学校で新しく学ぶことにワクワクしてもらいたいのです
学校にいる間は、先生の指導に従います
でも、家庭での学習は家庭にまかせて頂きたいのです
その結果、習熟に遅れをとるようなことがあっても、
一切先生の責任は問いません
家庭が責任を負います
ですので、よろしくお願いします
今日から宿題をやらせないつもりでいるので、
ご理解ください
ちょっと変わった親がだいぶ変わったことを言い出して、
困惑されているとは思いますが、
すべては子どもを思ってのことですので、
よろしくお願い致します
面談でもお話をできたらと思っています
教室の送迎時の保護者さんとの立ち話でも、
この時期、宿題についての話題がよく出ています
特に、新しく入室した生徒さんの親御さんには興味深いようで、
どんぐり先輩保護者さんたちの方法をいろいろ聞いては学んでいるようです
先日、「うちはもう交渉しないので」と軽やかに言っている保護者さんがいました
どういう意味かわかりますか?
もう、以前に1度交渉をしてあるので、学年が変わってもその内容が見事に引き継ぎされているのです
担任の先生には、連絡帳にひとこと書くだけで、すでに伝わっているのだそう
他の保護者さんも「うちも、そう」と言っていました
いろんな学校がありますよね
いろんな先生がいます
例を挙げればキリがないほど、
「それって誰のためですか?」という謎の規則を強制する人だってまだまだいます
子どもが集団で過ごすことは学校で経験できるよいことではあります
でも、集団で過ごして学ぶことは、
集団だからみんな揃って同じじゃなきゃいけない、ということではなく、
ひとりとひとりがいっぱい集まって集団ができている
似ている人もいれば、まるきり逆の人もいる
いろんな人が集まって集団生活をする、それぞれが違う考えのとき、どうしたらいいのか
そういうことを、
子どもの社会ならではの体験と、衝突と、乗り越え方で、いろいろ経験できるでことではないですか
それを、近くで見守るのが先生達の役目ではないですか
家で話を聞く、親御さんの役目ではないですか
みんなと同じことをしなきゃダメですよ、って教える時代ではないんです
違う考えの人は排除すべきですよ、って教えることもないんです
すべては、子どもを思ってのこと
お手紙の中の、この言葉は先生に伝わったと信じたいです
子どもは、ずっと子どもじゃないんです
でも、子ども時代にどう扱われたか、どう過ごしたかが、
大人になっても、ずっと心身に刻まれて残っていきます
私たちは子どもたちのそばにいる大人として、
いつか大人になる子どもたちに、どんな環境を用意してあげられるでしょうか