『親がやったら、あかん』
棚原安子さん著

どんぐり図書室にあります

昨日はどんぐり学舎茶話会でした
zoomでは初出席の方、
実教室には県外からの常連メンバーも来てくれて、
とってもいい時間を過ごせました
それぞれが自分の抱えているいろいろなこと、
気づきについて話しました

その中で、今日になってむくむくと、
みんなにも伝えたい、というエピソードがあったのでご紹介します

1つめは、
中学生になったお子さんについて
中学生になって、宿題やテストも本人任せ
塾にも行っていないし、
DKオンラインも登録していない
親としてはさとちゃんに連絡して色々聞いてみればいい、ってずっと思ってて、
でも、本人に何気なく聞いてみると、
「わからないことはないから大丈夫」の繰り返し
1年生の1年間のちょうど半分が過ぎた昨今、
2学期の中間テストの結果が返却されてきた
すると不意に「Qノート(わからん帳)作ってみる」と言い出した
どうして、なんで急に?色々問いただしたい気持ちを抑えて、
理由だけ少し聞いてみると、
「授業を受けて、先生の説明を聞いているときは『わかった』って思ってた。でも、本当はわかってなかったんだ、ってわかった」

2つめは、
小学生のお母さん
毎朝、学校へ持っていく水筒を用意してあげる日課だった
その日は、他のことで手が離せず、水筒を用意してあげられなかった
子どもが、遅れちゃう、とあたふたする様子はわかったけれど、
手が空き、子どもの元へ行ってみると子どもはぽたぽた涙を流している
聞いてみると、水筒の用意が間に合わず、学校に遅れてしまうから行きたくない…と落ち込んでいる
なんとかなだめて水筒を持たせ、学校には間に合ったとのこと

みんなで「うん、うん」と聞きながら、
それぞれの話になんだか私も感動してしまいました
全然違う話に思えますか?
私には、同じテーマに思えます

1つめの中学生の話では、
「依存型学習のきっかけ」について私は話しました
次から次へと指示されて、それをこなすうちに力がついていく方式です
授業を長時間して、課題を山ほど出す塾がそれをしています
私もそういう塾で働いていたことがあるので、いろいろな例を見てきました
その方式で本当に力がつく子もいるけれど、
大半は指示待ち人間になってしまいます
本当に力がつけられる子は、なんならその方式でなくても力をつけられる子です
それなのに、
なぜか塾の成功例として目立たせるので、みんながそうなれると信じて塾を選びます
学校の授業や、塾の授業、または解説動画視聴などで、そのときは、「なるほど!わかった!」と思います
そのままの気持ちを切り取れば「勉強がわかった」ということになります
わからないことを説明してもらったから
でも、動かしているのは誰の頭か、っていうと、
生徒たちの頭はほぼ動いていないに等しいのです
前述したような、1を聞いて10を知るようなタイプの子は別
何を聞いても糧にしてしまう子も本当にいることはいます(レア)
怖いのは、
授業を受けただけで、解説を聞いただけで、なんとなくできてしまって、
そのまま試験をクリアしてしまうことです
え、試験をクリアできるならいいじゃない、
生き方とか生き様とか、そういうのについては試験をクリアした後、
たとえば、大学に入ってから考えればいいじゃない?と
思う人が多いのかもしれません
でも、
そんな年齢からあらためて育て直すのは不可能な部分が、
人間にはあります
三つ子の魂なんとやら…と同じで、
あとで再度プログラミングできるなら、更新してリフレッシュできるなら、
そんな簡単なことはありません
でも、
それは不可能である、と糸山先生はもちろん、多くの人が断言しています
私は糸山先生のその気づきを、海外ドラマ『フリンジ』の最終回で再確認しました

そして、いつからでしょうか
親御さんからの相談で、やりとりしていると、
もしかして…とよぎるようになったのは
そして、自己分析できるタイプの方は気づくのです
「私自身が、指示待ち人間で、詰め込み受験で大学までなんとなく進んでしまった」と
仕事はなんとなくこなせたけれど、
結婚して子どもを授かってみると、そこに上司も先輩もいない
自分で考えてやりくりする
意思疎通をはかり、連携すべきパートナーもいるのに、
その関係を良好に構築するためのマニュアルがない
その間にどんどん子どもは育っていく
わけもわからないまま、みんなが持っている、みんなが買っている、ネットで流れてきた、という理由で子どもの環境を作っていったら、あれ?なんか変だ、と気づく
「わたし、自分の頭で考えてないかも」

…話が大きく逸れました
つまり、
その子は自分で自分の「わかっていない」ことに気づけた
だから自分でなんとかしなくては、と思った
そんな中学生、なかなかいません
私は、その段階までじっと待った親御さんに拍手を送りました

2つめの水筒のケースです
個人的な見解ですが、その子は何をしても上手にこなせる、身体能力の高い子です
親御さんも家族のこと、子どものことをいつも全力で
しかも、なんだか楽しんでこなしているようにも見える、主婦、母の手本となるような素敵な人です
そのふたりの間に起こったことだから、なんだか感動してしまったのです

水筒に水を入れて準備することなど、
その子にとったら簡単にできることだったと思います
でも、
幼い頃からのルーティンできっと、親御さんが毎日準備をする、という習慣が続いていた
家事、育児には無数の、無意識の習慣があります
月齢、年齢とともに、きっかりと「はい、今日でこれはおしまい、明日からこうです」と全てのことに区切りをつけることはできません
なんとなく、いつのまにか…
そう、
毎日何回もおむつを替えていたのに、
いつの間にか自分でトイレに行き、失敗することもなくなっていく
その過程のように

でも、その日、その子は用意してあるはずの水筒が用意されていなかったことに
もしかしたらショックを受けたのかもしれません
そのことひとつだけじゃなくて、朝のバタバタの忙しい時間の中で、
親御さんが自分以外のものに集中していることに不安や寂しさを覚えたのかもしれません

子ども本人は辛かっただろうし、
朝から大粒の涙を見た親御さんも切なかったでしょう
でも、
いい事件だったな、と私は思いました



親子で少なからずこういった段階を踏み越えていくのだと思います
中学生なら勉強のこと、
小学生なら生活習慣のこと、
それらは全部つながっていて、
切り離すことはできません

こういう教育法がいい
ああいう方針がいい

巷では色々な情報が溢れて流れています
でも、いちばん大事な情報は家庭の中で、
親子の間に流れています

何かが起こったら、はっと、考えてみればいい
自分たちがいま、どうなっているのか
子どもがいま、どの段階まで成長しているのか

何も考えず、与え続けていたら、
受け手側は何も考えずに受けとり続けるでしょう
常に指示をされ、
常に完璧な準備をされ、
それが当たり前になってしまっていたら、
自ら工夫するチャンスもないでしょう

小さな事件をたくさん一緒に乗り越えて、
どんどん素敵な親子になっていくのではないかと

そのために、
親御さんが考えるために、仲間がいるのだと
話を聞いてくれる誰かがいて、
共感したり、なるほど、とそこから学んでくれる、自分ごとのように頷いてくれる仲間が必要なのだと

前者の中学生の親御さんからは中学入学時頃、メールが届いていました
「DK登録してほしい、でも、本人が希望しないとなんですよね?」
「そうですよ、親に言われて仕方なくはじめても意味がないんですよ」

普通の塾や家庭教師の会社だったら、問い合わせしてきただけの人も手放すまいと必死で営業を続けます
もちろん親だけの意志でも大歓迎
でも、DKはそうではありません
どんぐりは親だけの意志で始められる(親次第)けど、DKは違うのです
もやもやしていたと思います
大人だから、「本当にわかっているかどうかチェックする」という方法もわかっています
子どもなりの試行錯誤や工夫を、知らんふりして見過ごすのは、難しいかもしれません
どんぐりのルールと同じですね

親がやったら、あかん

のですよ

親はむしろ、子どもが自分でやってみて失敗したとき、そばにいてあげるだけでいいのでは
失敗したって、間違ったって、あなたがわが子であることに変わりはない
唯一無二の大切な存在であることに変わりはない、と心の中から伝え続けるだけでいいのでは

そんなことを考えてこの文章を書き始めていたら、
別の保護者さんからのメール
(茶話会出席者ではありません)
中学生の保護者さんです
いろいろ気になることはあったけど、わたし(さと)に言われてぐっと堪えている
そうしたら…

ここにもまた、
自分で自分の頭脳を切り拓いている中学生がいる

がんじがらめで伸びる子の数倍伸びるこの方式
名前もないけど、ただただ、親は土台をこしらえ、あとは待っているだけ
土台造りは生まれてから10年でほぼ完成、12年がリミット
昔は当たり前にそうなっていた,名もなき偶然教育
でも、糸山先生が名づけてくれて、方法論をたくさん遺してくださいました

土台が育ち上がったら、あとはなんにもすることはないんです
待っているだけ

たった1回のできごとで親子関係がぐっと進化することがあります
たった1回、やりすぎてしまっただけで退化することもあります
退化する前に、停止します
停止している、と気づいたら動かなくては
子どもの環境を作っている大人たちが

あちゃー
12歳まででできなかったかも、と思われる方もいるかもしれません
でも、それが親子の歴史
それをこれからもまるっと抱えて生きていく
子どものせいにせず、自分ごととして考え続ける、生き続ける
子どもは逞しいです
手放せば、羽ばたいていきます
親が自分の人生を生きる姿を見せるだけです