長い記事を2時間かけて書いたのに、
PCの操作ミスで一瞬で消えてしまってからショックで書くのが怖くなっていたイズミです
30年近く愛用している相棒の「一太郎」で書いてからコピーする、という斬新な(笑)方法を今日から試します

今日は「小学生以下の習い事」について、みなさんからの質問や、メッセージ、私が以前に書いた相談メールへの返信などから、まとめて意見を書いてみようと思います

まずは、2020年10月29日の私のFacebook投稿から

ちなみに、どんぐりでは習い事は「週1日・子どもが自分の小遣いでもやりたいこと1つだけ」という原則があります
小学生は、週に6日は暇を持て余すのがいいのです
習い事をしていない子を探す方が大変な習い事大流行期が続いている現在、それでも、「思考力養成になるから」とそろばんや計算教室に低学年から通っていて中学生になって「数学とか理科が得意」って子にほとんど会ったことないし、英会話を幼少期からやっていて中学生になって「英語が得意」って子に会ったことない(双方とも、深く理解せずに進んでしまうのが原因と思われ)し、いじめ相談を受け、調べてみると、いじめの首謀者が習い事でスケジュールがパンパンになっている子が少なくないのもよくある話
※100%当てはまるわけではありません そういうケースが「少なくない」という私の経験上の勝手な分析です
でも、カツオやのび太のように放課後ランドセル放り出してグローブをバットに差して空き地に草野球をしに行く子は皆無に等しく、体を動かすことが好きな子や、スポーツ好きな子は、どこかしらのクラブに所属しないとできない…と思う方が多いのも現実
まあ、そもそも「体を動かす=特定のスポーツ」って思っていない私には、その思いがわからないんだけど…
習い事はどれも魅力、体験レッスンに行けば優しい先生が出迎えてくれて、仲間もたくさんいて、そりゃあ子どもは「やりたい」っていうよね
そして、オトナは必死だよね
どっちもね
習い事主催者は少子化の昨今、低年齢化も正当化し、利益のため、生活のため、普及のためにどんどん誘い込みたい
子どもの親たちは「他の子より早く、上手に、強く…」と先手を打つような、保険をかけるような気持ちも隠せない
そして、習い事を頑張る子どもに涙して、ますます入れ込む
自分が子どもの頃にやっていた習い事をそんな理由でさせたい親御さんも多いし、子どもを使って自己実現を(なんて表現ではないけど)ってあからさまに言ってしまう人も増えました
何にも習い事をしない小学生時代なんて想像できないのでしょう
私の周囲には、たくさんいるけれど…
糸山先生はおっしゃいます
子どもの持つエネルギーについて
子どもは、小さいです
大人よりも逞しく、しなやかで、元気だけど、
子どもは、子どもです
エネルギー量は、大人よりもずっと少ないのです
大人目線で「まだ頑張れるはず」という見方をするのは、危ないなあ、とこれまで何度も思ったことがありますよ
だから「小児科」があるのだ、と糸山先生はおっしゃいます
親も子も必死
だからこそ、禁断の習い事談義
禁断の話題ばかりの、どんぐり理論(笑)
でも、私はなんにも疑問に思わない
夫さんとも今朝、そのことについて話していて、
夫婦して、全く疑問に思っていないことがすがすがしく
結論は出てる
でも、みんなに考えてほしい
考えてほしいから、書こうと思っています
(何度も書いているけどさ)

この投稿の前後で、
まるでシンクロしたように(これはよくあることで…)
方々から似たような相談が届き、私は、その都度同じようなことを書いて返信していました

あるケースでは、相談されて、私が実際に会った子どもさんの様子が明らかにおかしくて、その子の背景、環境を聞くと、原因はひとつではないだろうけど、厳しすぎる習い事が何かしら影響している可能性はなくもないのかなあ、なんて親御さんと話したりした例もありました

投稿の後も、あちこちからメッセージが届きました
(要約、編集しています)

Aさん
どんぐりに出会うまで、習い事三昧で彷徨いまくった私ですが、改めて、今回のコロナでのステイホームで、持て余すほどの暇がどんなに子供に良いことだということを痛感しました。ほんと、子供を忙しくさせてよいことってないですね。
イズミ
子どもと「暇を持て余す」ことに罪悪感すら抱きそうな近頃の親御さんたちに、Aさんの実体験を届けたいです
顔が変わるでしょう
穏やかで、優しくなるんですよね
そして、勉強やスポーツは後付けできても、性格や基盤となる思考力は、後付けできない、ということを、親御さんはもっと知るべきですよね
Aさん
泉先生、本当にそうです。
本当の子どもの姿を目にする事なく、子育てを終えていく親御さんはとても多いと思いますし、子ども自身も本当の自分に出会わずに大人になってしまうのかなぁと思うと、苦しくなります。
イズミ
子どもに、信頼される親でいたいですよね
ずっと、この手で抱きかかえてはいられないのだから、強く、逞しく、そして、できれば周囲の人に愛される人に育ってほしいですしね
そのために私たちがすべきことと、すべきでないことは、自ずと見えてきますね

Bさん
どんぐりを知る前から習い事には余り興味が無い方でしたが、今の時代は学校で泳ぎ方を習わないと知ってからスイミングを週1で通わせていました。それも子供から辞めたいと申告され、先月辞めました。

何もやってないと知ると周りの方にはやっぱり驚かれますね。
ただ、習い事を複数やっている息子の周囲の子供達も、時間が無いなりに工夫して遊ぶ時間を作って遊んでいるのを見ます。
習い事がどんな風にその子に影響しているのか、していくのかは今の私には分かりません。
みんなどんな中学生、高校生になるのか出来れば見続けてみたいなと思っています。
イズミ
我が家は、川と海でおむつ時代から遊びまくって、勝手に泳げるようになりました(笑)夏に市営プールなどで一度だけフォームを見せるとクロールも平泳ぎも1時間で習得しました
山や木に登り、崖で遊ぶことで、バランスも鍛えられたと思います
別に山奥に住んでいるわけではなく、近場でそういう遊び場を中心に過ごしてきただけですけども…
基本的には、生きるため、怪我をしないで自分の体のサイズや重みを自分自身で知り、思うとおりに動かすことができる武井壮理論で、ほとんどのスポーツの基本はできると思っています
身体能力も、学力も、余裕というか、キャパシティは人それぞれで、時間の使い方にも個人差があるように思います
同じ事をしていても、余裕があってニコニコの子もいれば、いつも苛ついている子もいます
私は長年、いろいろな子どもたちが大人になっていくのを見守ってきて、「いま大事なのはそれじゃないよ」というアドバイスを老婆心で伝え続ける覚悟をしています
断言できるのは、生まれてから低学年まで(9歳まで)は少なくともなんの予定もない日が多ければ多いほど心も体も頭も強く賢く育つ、ということかな
一番大事なのは、心身ですからね

Cさん
習い事をしていなかった私は、
習い事は1つまでというのは、違和感ないです。
子供を育ててびっくりの今の塾や習い事事情。
低学年から塾にいくのが当たり前なんて不思議な世界。
「みんなが塾に行くから、塾に行かないと学校の勉強についていけなくなる。」
という不思議な地域性があることを聞きました。
これが、一地域の問題ではないですね。
習い事に行かないと遊ぶ相手がいない・・・
学童に行かないと遊ぶ相手がいない・・・
「習い事は一つだけ。」
安易に習いごとを増やさずに済む魔法の言葉 。
いつでもやめれるという状況での習い事。
習い事は、お金のかかるただの遊び。
そんな視点は、何かをさせたくなる親に対して、
安全標識です。
忙しくしている子供たちは、
友達と遊んでいてもせわしない。
めったにない遊び時間を、あれもこれもと詰め込んで遊ぶ。
のんびりとすごしている子供たちは、
大人にはわからない時間の感覚をただよっている。
いつまでも飽きることなく不思議時間を過ごしている。
子育てをする中で、私のわずかな経験でも、
習い事を詰め込む危険性。
意識しないと、
習い事を詰め込むことになる現代社会を
学びました。
英語を学ばせたくなるのは、英語に自信がない大人。
運動の習い事をさせたくなるのは、運動に自信がない大人。
自信のないものを持つ大人は、
その部分を自分が鍛えたらいい。
私自身が足りないことだらけの大人だけど、
今でも、少しづつできることが増えている。
子供は子供の人生を選ぶから、
子供の後ろからついていけばいいと思います。
Dさん
我が子も以前は習い事を7〜8つしていました。
教育産業に踊らされていた親です。
誰かが、これいいよと言われれば体験してそのまま教室通い
安心していたように思います。

私に軸が無かったからの一言です。
みんなと同じ!安心、、、
今は分かるのですが、不安だったな〜と
軸が出来れば、何にも動じなくなる
強いですね

子どもの変化は
毎日忙しくこなすだけ
考えなくしていました
時間に追われ気持ちもキリキリしていました

今は、以前より穏やかになりゆっくり考えるようになりました
例えば、以前は水筒を学校に忘れていたらぎゃーぎゃー怒っていましたが、今日は他の水筒持って行けばいいね、と(私がそうさせていたのですが)
そんな感じで穏やかに毎日を過ごせるようになりました
子どもが安定するのを感じます。

忙しいに良いことはないです。
と今だから言えます!

他、寄せられたメッセージに多かったことや気になったこと

●習い事のある日は帰宅後の子どもの機嫌が悪く、親子共にイライラしていることに気づいて、習い事をやめてみたら、平和な家庭に戻った
●習い事の先での親同士の人間関係や、子ども同士のマウンティング(何級まで進んだとか、そういう)に疲れているが、始めたからにはやめられない、と思い込んでいる自分たちがまた怖い
いつでもやめられる、と思っていたけど、やめるのは今かもしれない、とみなさんのコメントを読んでいて思った
●夫がその習い事で大成している(と思っている)のもあって、妻の自分には権限もなければ意見を言うことも許されない。ただ、送迎するのも、指導者や他の保護者とつきあうのも私で、行くのを嫌がったり、帰りに不機嫌だったりするのをなだめるのも私の役目。夫の方針に従うしかない状況に疲れている
自分が「うまくやった」という成功体験を持っている人は、やっかいだし、子どもは自分のコピーで、同じ事をさせれば同じようになると思い込んでいるのがどんぐり的にも無知すぎて怖い
●昇級式の計算教室で、どんぐりを知ってから、「○○レベルまで進んだらやめよう」と子どもと約束している。実際、まだ小学生なのに中学生の計算問題が解けるのはすごいと思う。でも、どんぐり問題は年長さん問題から全く解けません。評判の塾(都内)では、最難関クラスでどんぐり問題を使用しているようですが、中学レベルの計算ができても、園児向けのどんぐり問題が解けないのはどうしてですか?
●平日は共働きで帰宅も遅いので、幼稚園からメンバーになっているスポーツチームへの送迎は祖父母に任せている。自分が送迎できる週末に別の習い事を入れている。スポーツの試合では、スタメンに選ばれるためには欠席することもできないし、技術的に高く、試合に出してもらえる子も、家族の都合でよく休む子の場合、親たちからの不満が指導者に届くようで、絶対に休めない。習い事と宿題とスポーツの両立で、小学生なのに多忙な日々だと改めてびっくりするが、周囲もそういう子が多く、うちの子だけではない、と自分に言い聞かせている。でも、親子でリビングにいるときは疲れてついテレビを長時間見たり、私たち両親が留守の時間はずっとゲームをしているようです
どんぐりに興味を持ち、「頭の健康診断」をプリントしてやらせてみたら1問も解けないし、怒りだしました。もうすぐ中学生になりますが、大丈夫でしょうか?


みなさん、悩んでます
習い事の渦に巻き込まれています
これでいいんだ、と言い聞かせるも、これでいいんだろうか、と葛藤しています
ひとりひとりに会って、話を聞いてみたいなあ……と心から思っています

それが不可能なので、ここで私の考えをできるだけ書いてみようと思います

おおかた、最初のFacebook投稿に書いた通りです

そして、四半世紀以上、教育業界の隅っこで定点観察してきた私の結論は、
子育てを、誰かに任せているとうまいこといかないぞ、
ということです
当事者意識、ってやつです
親として、ひとり(ふたり)で全責任を負って、誰にも手助けを求めるな!なんてみじんも思っていません
いろいろな人の手を借り、アイディアを借りながら、親として責任を持って自分の子の成長を見届けるのが役目です
親だけの手ではどうにもならない日も多々あるでしょう
むしろ、親以外の大人が関わることで、子どもがより健全に育つことも多いです
「子育てを誰かに任せる」とは、そういう意味ではありません
一緒に生活する大人(親)として、その影響力を自覚することです
習い事に関していえば、
「あの習い事をさせたからこうなった」と、良くも悪くも委ねすぎることは、ちょっと視点がずれているぞ、と指摘せざるを得ません
確かに、習い事の指導者や仲間との出会い、技術の鍛錬など、習い事を通して出会うことや知ることで、子どもが成長する事実はあります
特に、のちにプロのスポーツ選手になったり、突出して能力を伸ばして名を上げたりすると、幼少期の習い事がクローズアップされることがあるので、「これをやっておけばあんな風になれるのか」と思う方が増えるのかもしれません
でも、冷静に見ると、いくら、習い事の日数や時間が多いとしても、子どもが最も多くの時間を過ごし、最も基本的な生活を重ね、無防備に過ごすのは家庭です
いくら長時間、指導者から指導を受けているとしても、親の方がずっと長い時間一緒に過ごしているはずです
衣食住の基本、言葉づかい、ものの考え方や文化など、家庭で基盤が作られているということは、おわかりいただけるかと思います

たとえば塾などお勉強系の習い事でいうと、見尾美保子先生の『お母さんは勉強を教えないで』を読んでいただくとその存在意義と家庭での生活の大切さがわかると思います
いくらよい授業をしても、いくらわかりやすい方法で教えても、「その教室に入ってさえいれば誰でもできるようになる」なんてことはありません
どんなに日数が多く、長時間授業をする塾であっても、やはり、勉強はひとりで考えて進めなければならない時間がほとんどで、その時間をいかに充実させるかが、学力向上には関わってくるのです
※だからどんぐり学舎中学部・独学支援室D→K Roomは、週に1日、2時間しか授業時間はありません
いくら、週5日授業をしたとしても、家で自分で考えて行動しない子は絶対に伸びないと知っているからです
そして、塾で授業や課題でがんじがらめにして、まやかしの学力をつけて進学する子達の苦悩を知っているから、そういう指導はしないのです

「プロ選手を多く輩出している」と言われるスポーツチームでも、当然ながら、「プロになどとてもじゃないけどなれなかった」人の方が圧倒的に多いのです
もっといえば、「○○学校受験コースから△△人合格!」と謳っている塾のそのコースの分母数を想像すれば、合格できた人数を高らかに発表することの意味のなさがわかります

でも、多くの保護者が、そういった文句に惹きつけられます
「プロ」や「難関校合格」だけが目標ではない、といいつつも、そういう実績で塾や習い事を選んでしまう方は多いはずです
「これさえやっておけば大丈夫」と、できるだけ簡単な方法にも魅力を感じます

親が子どもの暮らす環境を整え、自らの言動に留意し、他力本願では絶対に成功しない「どんぐり理論」がなぜ爆発的にヒットしないのか、というカギはそこです(笑)

でも、逆に、親が子どもの暮らす環境を特に気にせずに放置し、親が自らの言動に留意することもなく親の価値観をぶつけ、感情をぶつけて日々暮らしつつ、評判のよい習い事にだけはせっせと送迎したり、月謝を払ったりする、それで、子どもは心身共に健全に育つのでしょうか

やはりカギはそこにあると思います

どんなに評判のよい塾や習い事に入れても、どんなチームに所属しても、親としての責務を放棄してはいけない、どんな立派な指導者に出会っても、よい仲間に出会っても、小学生にとって最も近い人物は親であるという自覚
逆にいえば、
親が、親として家庭生活・親子の信頼関係をしっかりと紡いでいる場合、家庭外でどんな影響を受けても動じない子に成長します

自信がないから習い事に頼る、というご意見、
不安だからみんなと同じことをさせていなければ…というお気持ち、
ひとりひとりに会って、ケースバイケースの話をしたいです

でもやっぱり、答えはみなさんの心の中にそれぞれある気がしてなりません
私に問いかけながら、これを読みながら、実はもう、答えを見つけているのではないでしょうか

親にばかり責任をおしつけて…
親の負担…
親としての苦労!
親にだって人生がある!

巷では、そんな「親論争」が時々起こります

親は大変で、負担が多くて、苦労ばかりで、自分の人生を犠牲にしている…
子どもが、そんな風に親が思っていることを知ったら、
それこそ、どんな風に育っていくのでしょう
その子もいずれ親になるかもしれないのに
「親って大変なことばかり」=「あなた(子ども)の存在が、私(親)にとって負担」
という式が成り立ってしまうのに
それは、「あなた(子ども)が生まれてこなければよかったのに」と伝えているのと同じなのに

「すべての悩みは対人関係の悩みである」byアドラー

親が子どものことで悩むのは、
他の子との成長・習熟の差異、調和、子どもを通して再突入する学校生活…等々、親子だけで向き合って起こることが起因する悩みは少ないのです
(もちろん、子ども自身の先天的な健康面などで悩みや問題を抱えている保護者の方もいます
ここでは、健康的に問題がないケースを書きます)
親子だけで向き合って、他の誰とも比較せずに我が子をよく見ていると、昨日できなかったことが今日できるようになったこと、この間まで知らなかったことをよく知っていること、急に興味を持つこと、失うこと、くるくる変わる表情、おもいきりぶつけてくる愛情、どれもこれも、そんじょそこらの映画を見るより退屈せず、楽しく、幸せなものです

でも、そして、そんな日々は永遠には続きません

親は、子どもの出発点であり、長い人生の中の最初のたった数年だけの大きな存在です
親が、子どもの人生の中でずっと、長年、主人公であり続けることはおかしなことです
私たちが、
親以外に愛する人を見つけて、子どもを授かって、家庭を築いているように、
子どもたちも私たちよりも愛する人をいつか見つけてこの家を出て行きます

子どもにそんな自覚はないけれど、私たちが彼らの見ている世界の主人公でいる間に、すべきことをし、すべきでないことはしない
ただそれだけのことです

こんなに短く、貴重な日々に、他の誰かに主人公を譲り、その人に責任を委ねるなんて、もったいないです

やっかいなことに、親はそんなことを本気でできるはずもなく、主人公を委ねつつも、責任も転嫁するつもり満々なのです
習い事で子どもをなんとかしようと信じて送り込む反面、なにかあったらその習い事のせいにしてしまう方も多いのです

何があっても我が子を守る
それは、特に危険を感じないマイルドな刺激であっても同じです
全責任は親にある
学校や習い事のせいにしない
そういう心づもりで子育てをしている人は、
逆に学校や習い事に左右されないのです

そういう心づもりがないのに、「じゃあ」と習い事を一掃したとしても、
何も変わらないかもしれないのです
それは「どんぐりやる、やらない」でも同じことです

生活そのものをまるっと見直してみてください
必ず、ヒントはあります

子どもは本来、穏やかで、優しく、賢いです
どの子も、みんな

私の前で、親御さんがそばにいないとき、子どもは素の表情を見せます
「穏やかで、優しく、賢い」とは言えない言動を激しく見せる子もいます
私を試しているのです

そんなとき、
その子の背景を思います
それとなく親御さんと話してみると、
ああ、やっぱり…と思うことがほとんどです

長い付き合いになる場合、または真剣に相談された場合、
私は、親御さんに真剣に伝えます
親御さんが気づき、生活そのものをまるっと見直し、
親としての責務を果たしはじめると、
子どもは変わります

本来の穏やかで優しくて、賢い子に戻るのです

子どもと向き合えるほんの少しの時間を、
どうか大切になさってください
他の人に委ねるなんてもったいないです

どうせなら、楽しみましょう
そして、後悔だけはしないようにしましょう