どんぐり学舎においてある「あやとり」の絵本です
中身はこんな感じです

私が小学生の頃、買ってもらったものと同じ、3冊セットの絵本です
あやとりの糸を強調したイラストで図解されています

一方、
「あやとり 動画」と検索すると、254000件、と出てきました
サムネイル画像を見ると、もちろん、本物のあやとりの様子を撮影したものだとわかります

さて、
私は毎日家族のための食事を作っているので、
献立を考えるのが日課です
好きな料理人さんのレシピ本を何冊も愛用していて、
ボロボロになるまでヘビロテしている本もありますが、
最近ではネットでレシピを検索することだってあります

便利な時代ですね

メモ書きのようなレシピだけではなく、今は、手元を大きく写す料理動画が盛況です

かく言う私も、英文法解説書等は手元を撮影しながらマイクで解説しています
中学生にはその動画をいつでも見られるように提供しているのです

いまや、どんなことに関しても、「解説動画」を見つけることができるようになっているのではないでしょうか

便利に使いこなせば、時短になるし、いろいろな人の工夫やアイディアを取り入れることができるし、よい点はたくさんありますね

でも、
子どもたちに見せるときには少しだけ、いやかなり、注意が必要です

以前、あやとりがクラスで流行している、と小学生たちが言い出した時期がありました
(不思議なもので、昔の遊び、みたいな、こういうものって、流行が何度も波のように押しては退くものですね)

流行すると、子どもたちは競って難しい技を身につけようとし始めます
これは、一輪車や、けん玉が流行するときも同じでした
ゲームソフトやなんかも同じなんでしょうね、それが子どもの心理なのでしょう

我先に、と技を身につけたいばかりに、学校のクラスの何人かが「あやとり動画」を発見して見始めました

どんぐり学舎の子は、動画を視聴しない約束になっているので、(…というか、約束をしているわけではありませんが、どんぐり理論を理解している保護者の方なら見せるはずはない、と信じています)ある保護者さんは私に尋ねてきました

「子どもが、わかりやすいあやとりの動画を見たい、と言っているんですけど、あやとりの動画だけなら構わないでしょうか?」

当時の私、なんとこたえたと思いますか?

「わかりやすい動画ですか?それなら、見せない方がいいと思いますよ~」

動画を見せてよいかどうか、私の許可は要りません
保護者の方の判断で決めてほしいと内心は思っています

でも、わからなかったら質問してほしい
質問してくれたら、議論もできます
私の言っていることが世界一の正論ではありません
私の持論に過ぎません

なぜ、私は「わかりやすい動画」を見せない方がいい、と言ったのか、説明します

大人が忙しい生活の中で、料理動画や解説動画、修理動画などを検索して活用するのと、
子どもが遊びのために(勉強のために、でも同じですが)わかりやすい動画を見るのとでは、
全く種類や影響が違っているからです

大人でも、解説動画やネット検索に依存しすぎる人が多いなあ、と感じることはありますが、それでも、これから新しいことをどんどん吸収して成長していく段階ではないため、まあ、仕方ないのかな、とは思います
きっと、そういうものに依存することで疲れを軽減させている、少しでも生活を楽にしようとする、現代的な、能力や体力の節約の一種なんだと思います
…でも、若いうちからあんまり節約しすぎて自分の能力や体力を使わなすぎたら、老化が早まるし、高齢になってからいろいろと支障が出てくるんじゃないかなあ…とは思いますが…それはまた別の話

さて、子どもが「能力や体力を節約する」なんて…
必要ない、って思いますよね、普通
でも、「わかりやすい動画を見る」ってそういうことに繋がるのです

最初にご紹介した、「あやとりいととり」の図解は、私には子どもの頃からなじみがあって、とてもわかりやすいです



でも、子どもによっては(大人でも)「なにこれ、全然、意味がわからない」と放り投げる人もこれまで何人もいました
図解ですから、完全なる2D画像です
手指のイラストも描かれていますが、デフォルメというか、アウトラインだけくっきりと描かれていて、自分の指と見比べて、そう似ているものでもありません
私には同じ手指に見えますが、3D動画を見慣れていると、そうは見えないようです

どうしてこれらの図解が「わからない」のか
それは、そう詳しくない情報から自分の想像力を働かせて読み取る「力」がついていないから、または、奪われてしまったからです

この現象は、子どもたちと過ごしていると随所に現れてきます
これまた動画の影響なのか、不要な部分はたたたっと飛ばすことができます
じっと待つ必要がありません
大人の方も身に覚えがあるかと思います

まず、子どもたちが、目の前に書いてあるのに自分から読み取ろうとしません
そして、遊びのルールなどであっても、説明を始めているそばから、「わかんない」「早く教えて」と口を挟みます
動画ならたたたっと早送りして必要なところだけを見て要領を得ることができます
でも、そんなことに慣れてしまったら、
「待つ」ことも、「自分で考える」ことも、「自分で読み取る」ことも、
全部できなくなってしまいます

そういう意味で、
「テレビはまだよかったなあ…」と、遠い目をして思い出すことさえあります
録画したものなら動画とたいして変わりませんが、普通にテレビを見ていると、待つ時間があります
不要な情報も見せられます

以前、ゲームの危険性について糸山先生や、子どもとメディア研究所の清川先生が同じことをおっしゃっていました
画面上のものを、コントローラーで操作できることの危険性
今や、当たり前のことでしょうけれど、たとえば、剣を持って戦うゲームだとしても、自分の手が握っているのはコントローラーであって剣ではない、それを、画面の中で自在に操作できることの危険性を

手元で操作できる
思い通りにできる
不要な部分は見ずに済む
わかりやすく編集された動画を、さらに自分好みにカスタマイズできる
私から見ると、こんな「危険」なことが他にあろうか、というくらい、
子どもにとってよくないことばかりなのです

…もちろん、脳を老化させたくない、いつまでも生き生きとした脳を維持したい大人の方にとっても、
よくないことが多いのです

私たちの脳は、わかりづらくて、不十分な情報を見ると、自動的に補って理解する能力を持っています
たとえば、看板の文字が一部分欠けていても、本当はなんと書いてあるのか、想像して補うことができます

パラパラ漫画の、達人ではなく、素人が粗めに作った、教科書の隅に描かれた棒人間のようなのをパラパラやっても、絵はアニメーションのように滑らかに動いて見えます
でもこれは人間の脳の特技であり、コンピュータにはアニメーションには見えないのだ、と何かで読みました

私たちの脳の「補う力」はとても重要です

かつては普通に暮らしていても、今よりずっと不便で、それが当たり前だったので、日常生活で「補う力」は身につけることができました

でも、今や、生活用品や世の中がどんどん便利になり、それが当たり前になり、ただでさえ、私たちの「補う力」は不要になってきています

世の中が進化して、変わっていくんだから、人間だって順応していけばいいんじゃないの?と思う方もいるでしょうし、つい数日前にとても頭のいい方がそのような話をしているのを聞きました

そう、いつか、人間の中で、順応できる高い能力を持った人だけが、生き残り、命をつないでいくのでしょう

そうやって、全ての生物は生き延びてきたのです

じゃあ、
私たちの子どもたちは、
この進んだ文明の中でどんな生活をしようと、どんな風に過ごさせようと、動じない脳を持った特殊な子がいたとして、
その子だけが未来の人類のために生き残り、その他は淘汰される
それでいいでしょうか

あなたの子が淘汰される
かもしれない

それでいいのでしょうか

動画をいつも見ていても、とても賢くて、優しくて、いい子がいます
と、以前、連絡をいただいたことがあります
そりゃあ、いるでしょう!

うちの子は、ゲームもテレビも制限しませんでしたが、東大に合格しました
そりゃあ、いるでしょう!

でもね、
簡単に言うと、
そんな子はほとんどいません
数の問題だけ言います
動画をいつも見ている、ゲームをしている、それでも、
賢くて、優しくて、いい子で、東大に合格するような学力も備える
そういう子は少ないです

…と、割と経験のある塾講師である私が断言します

我が子と、親戚の子と、近所の子と、本で読んだりブログで見たような知らない子しか見ていない一般の方と、私との違いはなんでしょう

それは、
たくさんの本物の子どもたち(とその親)を30年近く見てきたことです

うちの子は淘汰されない!
その、少ない可能性に賭けてみるのもひとつかもしれません
選択は自由です

でも、私はそんな賭けをしたくありません
だから、知っていることを書いています

親の手で、アレンジできることだから
どうにも抗えないことではないから

わかりやすい動画を見せるかどうか?

見せない方がいいのです

子ども時代だけでいいのです

親になるということは、子どもの、子ども時代のプロデューサーになったということです
ほんの少しの間です
子どもはびっくりするほどすぐに成長してしまうのですから

ある時期、子どもの脳を守ることができれば、
その後はもう大丈夫です
何を見ても、何を使っても、もう、大丈夫なんです

でも、最初から子どもの力を奪うような、成長させないようなことをしてしまったら、
伸びるものも伸びず、できるはずのこともできず、結局、プロデューサーの堪忍袋の緒が切れます

わかりやすく切れるのは、中学校で学業成績が数値化される頃です
「こんなはずじゃなかった」「やればできるはず」と、子どもの尻を叩き始めます
「自主的に勉強しない」と嘆き始めます
そりゃそうです
小学校の教科書やテストと違って、中学校のそれらは突然変わるのです
思考力のない子には難解に感じる内容になるでしょうし、さらに、テスト結果は数値化されて、親御さんの目の前に突きつけられます
「補う力」のない子にはついていけない内容にどんどんなっていきます

ちょっと待って、プロデューサーがプロデュースした環境で育ってきたのに、
今更非難します?

そんな理不尽なことはない、
でも、
あちこちからそんな声を聞きます

自分の子は特殊な子で、淘汰されない、
そう確信しているならそのように

私は、特殊な子を真ん中に据えて話をしているわけではないので、
もしそういう子育てでいい、と思っている方には私の話は読んでも意味がないのです

さて、「ある時期」っていつ?
いつまで気をつけたらいいの?
という方のために、
明日はそのタイミングについてのことを、書こうと思います