昨夜、
この本を原作としたテレビドラマが放映されました
24時間テレビの中でのドラマで、
人気アイドルが主演とあって多くの方に見やすいドラマになっていたと感じました
短い時間のドラマに編集したために、大事な部分がたくさん端折られていたけれど、
それでも、これが実話なんだ、と思いながら見ると、心が震えたかと思います
この本の帯にあるように
「小・中学校ではうまくいかなかった子どもたち」
が、高校でその後の人生のみちしるべを得るという実話
実際には、
「そんな態度なのになんで学校に来るの?」
「何をしに来ているの?」
と、初任の先生は頭を抱え、思い悩み、荒れた生徒たちからの洗礼を受け、異動願いを出したくなってしまうようなはじまり
でも、
校長先生と教頭先生は先生たちを励まし、鼓舞し、チームを組んで子どもたちを導いていく方法を探す
若い先生たちのアイディアも採用し、失敗もあたたかくうけとめ、フォローし、全員で真剣勝負
木村泰子元校長先生の「みんなの学校」や工藤勇一校長先生の中学校を思い出す
結局、
管理職の先生にかかってる…
こういうのを、全国の管理職の先生や、管理職を目指す先生たちが必ず読んで参考にしてくれたら、小中学校も、高校も、それぞれの受け皿で、子どもたちを受け止め、社会に送り出すことができるのに
ドラマの余韻のなかで、そして、夏休み中も頭の中から離れないこれからのどんぐりのこと、
私自身にできること、子どもたちが迎える新学期のこと、考え続けていました
授業は休みにしていた1週間でしたが、毎日添削は送られてくるので、毎日添削と相談メールに返信はしていました
ありがたいことです
子どもたちの作品を見ながら、私はまた考えるチャンスをもらいます
考えるために私はいて、
私は考えるために生きている
答えがわからないから考え続けることができる
そんな私が今日書いた返信メールの一部をご紹介します
【添削問題】
0MX53
げんきな げんごろうが、そらをとぶ れんしゅうを しています。 1かいめは たんぽぽ1かいぶん 2かいめは たんぽぽ2かいぶん 3かいめは たんぽぽ3かいぶんを とびました。では 3かいぜんぶを あわせると どれくらい とんだでしょう。
【メールの一部】
そうなんですよ
この問題、言葉の意味が謎ですよね
でもこれもしかけです
「しかけ」???
半信半疑だった当初の私は、
何人もの子どもが鼻歌交じりで解いていくのを何度も見て、
今は心から納得しています
1かい?
1回?
1階?
解釈は自由なんです
とにかくげんきなげんごろうのとびこえるたんぽぽが、「だんだん増えている」ということが描写できるかどうかなんだと思います
いま、学校教育の弊害についてあらためて考えています
コロナ禍で、まるで戦時下の国民のように思考力を奪われた大人たちを見ていて、
つくづく、
自分たちの世代もとっくに、教わったとおり、決められたとおり、集団行動をすることを当たり前だと教育されてきたんだな、と実感しています
でも、今の子どもたちは違う
それは嫌だ、と表現する子が出てきている
だから、
嫌だ、って言わない、従順で、我慢している子どもたちにこそ、
私たちは目を向けないといけません
理解できないとき、どうするか
わからない、とさじを投げるのか
自分ならこう考える、もしかしたらこういう意味じゃないか?と試行錯誤し、工夫するのか
それが見えるのがどんぐりです
参考になさってください
【メール引用終わり】
どんぐり問題の中には、「これってどういう意味なの?」と尋ねたくなるような言葉や描写が含まれているものがたくさんあります
どんぐり先生になるための修行中だった私は、何度か糸山先生に質問してしまったことがあります
そのたび、糸山先生はおっしゃいました
「これも仕掛けです」
何度か質問して何度もおなじように糸山先生に答えさせてしまってから、
同時にこれらの問題を解く子どもたちの様子を見て、気づいたのです
大人が「はて…??」と思うような表現が含まれていても、
鼻歌交じりで自由に絵を描いて解こうとする子がいたと思うと、
少しでも自分にとって難しい言葉が出てくるとみるみる顔色が曇ってきて、
イライラしたり、わからない!というNGワードを連発したりする子もいました
もちろん、そんな状態で絵は描けないし、描いたとしても殴り描きだったり数字の羅列だったり
この差はなんだ?
私は、見事にこれらの問題の「仕掛け」にひっかかり、
子どもたちを観察する目を鍛えることができました
ただでさえ、同じ解き方などする子がいないどんぐり問題
誰もがひっかかる問題でも、その引っかかり方、乗り越え方が子どもによって違っている
そう、仕掛けは子どものためではなく、
私たち大人のためにあるのです
私たちが、「いま」の子どもの状態を知るために、どんぐり問題の仕掛けがあるのです
そしてこれは、どんぐり問題に限った話ではありません
子どもの毎日の生活の中で、
何かしらの問題に直面したときのことを想像してみてください
その問題をその子はどう乗り越えていくか
自分であれこれ試行錯誤して工夫して乗り越えようとする子もいるでしょう
なんなら、乗り越えるための試行錯誤を楽しむかのように
すぐに助けを求めて、挑戦することを避け、逃げ腰になる子もいるでしょう
そんなとき、私たちはどうしたらいいのか
私たちはやはり、その時も、子どもたちが問題に直面する、という手前にある仕掛けに、
見事にかかって、試されていることになるのです
助けを求める子どもに手を差し伸べるのは簡単です
大人なら対処法を子どもより数多く知っていて、経験もあるかもしれません
お金も使えるし、足もあります
交渉する術も知っています
でも、もう一歩、大人ができることは、
それらをどこまで使って、どこまで子どもを助けるのか
そのことによって子どもがどうその先生きていくのか
立ち止まってしっかりと考えること
そして、
親になる、と決意した大人であれば、
子育ての最初の最初から、
いずれ来るそのことを知って一緒に過ごすこと
それらができるはずなのです
大げさなようですが、どんぐり問題の仕掛けは、
子どもの人生を見通す仕掛けも兼ねている気がしています
「小・中学校でうまくいかなかった」県立槙尾高校の高校生たち
ヤングケアラーだったり、ネグレクトだったり…結局は大人の事情で、
衣食住もままならず、妊娠したり、頑張れなかったり
中学受験のために管理教育を強いられた子が多い、という麹町中学校の生徒さんたち
自分で考えていいんだよ、自分がどうしたいか言っていいんだよ、というところからのリスタート
1年生の間はリハビリ期間、と工藤先生もおっしゃっていました
受験や塾によって、リセット期間やリハビリ期間が必要な状態になってしまっている子どもたち
これも大人のしたことの結果
大空小学校の児童のみなさんたちも、槙尾高校の生徒たちと似たような家庭環境が多く、木村先生はそれでも、学校においで、毎日おいで、と連れてくるし、学校に来たら来たで、いろんな問題を起こす子どもたちについて、問題を起こさない子どもたちと一緒に「どう一緒に過ごすか」考える
自分たちさえよければいい、なんて考えを、そんな手本を見せない
それも大人次第
子ども自身は知っている
どうしたら生きていけるのか
どうしたら心を壊さずに生き続けられるのか
息抜きの場を求めてネットにすがる、ゲームにすがる
愛してくれる(と思い込んで)異性にすがる
校則を派手に破って大人たちを翻弄する
気づいてほしくて
心のまんなかに、自分を置いてほしくて
親にできないなら他の誰でもいい
上記の学校の先生たちのような
素晴らしい大人たちに出会えたら、救われる子もいる
でも、
子どものそばには必ず親がいる
親に準ずる誰かがいる
その人たちひとりひとりが、
上記の先生たちのような意識の1/10でも持ち合わせてくれていたら
多くの他人の子どものために心血を注ぐ努力よりは、
きっとずっとささやかでいい、家族への努力
自分でのりこえることができる子どもは、きっと、
のりこえる大人の姿をどこかで見ているんだろうな
子どもにあれこれ重石や飾りをつける姿ではなく、
大人自身が試行錯誤して人生を楽しむ姿を、どこかで見ているんだろうな
どんぐり問題の仕掛け
ぜひ、大人への課題だと思って受けとめてみてください
その意識だけで、きっと、子どもは変わるはず
大人が乗り越える姿を見せられるはず
そうしたら子どもは、
自分で乗り越えようとするはず
お試しください