0MX46
りすの作った薬はよく効くそうです

いつもは1つぶ20円ですが、
今日はその薬が2つぶで30円です
6つぶ買うと何円になるでしょうか

昨日、と今日、をそれぞれ描いて、りすの薬屋さんが「風邪によく効く薬だよ-」と声をあげて販売しています

昨日と今日とで、価格が違っています
今日買うとお得ですね

こんな問題を週に1問か2問ゆっくり解くだけで、
本当に思考力が身につくの?
こんなことより、たくさんの計算問題を解いたり、
難しい問題の解き方を教えて練習したりした方がずっと力がつくんじゃない?

そう思うのはごもっとも
今の親御さん世代は頑張って勉強してきた世代ですからね
一生懸命勉強して、仕事して、今があるんですものね
ゆっくり自分なりの解き方で工夫して問題を解く、なんて経験、ご自身でもないんですものね

上記のような質問を受けると、どこからどう説明しようかな、っていつも考えてしまうんです
どんぐりは、どんぐり問題を解くことが主ではあるんですけど、
どんぐり問題を市販の問題集のようにただ最初から最後まで解くことが「目的」ではなく、
本当の「目的」に辿り着くまでの「手段」のひとつであり、「全て」ではないからです

でも、あまりにものんびり、ゆっくりしている子どもを見ると、
焦ってしまうのが現代の大人ですよね
視線の先にはいつも子どもがあって、なんか、大人の視線は子どもに注がれているんですけど、なんでか、子どもは昔のように自然には育たなくなってしまっています
適度に親や先生が目を離し、子どもたち同士で育ち合う機会も減ってしまっています
親も、
子どもも、
忙しくて、スケジュールパンパンで、
いろんなことをやらせているのに、
ひとりでは何にもできない大人がたくさん育ってしまっています

なんでだろうなあ
成長するにつれ、余計面倒なことになるのになあ
と、
子どもが子どもの頃、いつも暇を持て余していたなあ、って思い出す私です

かつては暇だから遊ぼう、って誘うと、たくさんの仲間が集まったものでした
でも、今は、突然誘っても「用事がある」と言ってなかなか集まらなくなりました
仲間を選び分けているのも特徴的です
家族だけの方が落ち着くから、お父さんが他の人と一緒は嫌がるから、という例も多くなってきました
町内会活動や子供会活動から距離をおきたい、PTAは無駄だ、いろいろな生き方がある以上、みんな揃ってどこまですべきかはいろいろな意見があって当然ですが、明らかに、大人の選択によって子どもたちの暮らしは変化してきています
昔は選択の余地もなく、子どもたちは自然と巻き込まれて逞しく育てました
子どものための活動だけでなく、地域のための、大人のための活動に、我慢しながら巻き込まれていたのもいい経験だったはずです

私が子どもの頃、いつも遊んでいる友達の家に行って「今日は友達が来てるから遊べない」と断られて帰ってきたのに、別の日、別の友達と遊んでいるところにその子が来たら一緒に遊んで新しい仲間をこしらえてしまった、と母が懐かしそうに話してくれたことがあります
わたしを挟んで、別々の友達が新しい友達になるなんて、こんな幸せなことはない!と今も思いますが、今は、そんな風に思う人は少ないようです

頭も、
心も、
ゆさゆさと、ゆさぶられる機会が減り、子どもたちはどんどん不器用になっている気がします
問題を解くときは1種類か2種類の解き方を教わり、そのいずれかを使って解くように指示されます
どんぐりのように、無限に解き方があり、誰にも教わらずに自分で解くなんて、解き方を教わって解いてきた子には恐怖だし、苦痛でしょうがないのでしょうけれど、そういう経験を子ども時代にせずに大人になったらどうなってしまうでしょう
いつも同じメンバーとしか遊ばず、
いつも家族としか出かけず、
知らない人と関わりたくない、慣れた人とじゃないと遊べない、ということを貫いた結果、どんな社会人になるでしょうか
学びも、遊びも、そういうところで共通の弱点が見えてきます

もうそうなりつつある人にはそれなりの手を差し伸べるしかありません
でも、防げるなら、備えられるなら備えてあげたいと思うのです
子ども時代の過ごし方、
遊び方、学び方が、大人になってからの生き方に通じているなんて、
知らずに子どもと過ごしている大人に、私はここで、伝え続けているのです