どんぐり開始前、図書室で読書にいそしむ子どもたち(笑)
日が短くなってきました

さて、昨日、NPO法人時をつむぐ会主催の(株)ゆう地域支援事業團代表取締役/保健師 町村純子先生の講演会に行ってきました


町村先生の身体調和体操については以前から知っていましたが、お話を直接聞くのは初めてでした

姿勢が悪い
猫背
椅子によりかかる
お箸の持ち方が上手でない
口をいつも開いている
滑舌が悪い
寝付きが悪い
表情が変わらない
手を振って歩かない
のんびりしすぎている
怒りやすい
噛まずに飲み込む
…といった子どもの気になる状態と、
育てづらい…育ちづらい…という現状を身体調和から見て、
なんと、治してしまう先生なのです

上記のような状態は乳幼児や園児さんくらいの月齢の子たちを例示していましたが、私が直接見続けている小中学生の年代になっても、もちろん幼少期のそういった特徴をそのまま治せずにいる子もたくさんいるわけで

こういった幼少期の特徴が学童期、中高生になり、大人になっても影響して出ている面として、椅子にじっと座っていられない、手元の作業、勉強に集中できない、お箸の持ち方から鉛筆、ペンに持ち帰ると、持ち方が悪いので長く持ち続けられない
疲れやすい
綺麗に食べられない、偏食
動作に時間がかかりすぎて遅れる
等々、あるということでした

保健師としての経験から、その年、その年で突如、「特徴のある子どもの傾向」が現れることに気づき、これは、親の育て方の問題ではなく、社会全体の問題なのだ、と気づいた町村先生が、どうしたらそういう子どもたちを健全な状態に、親が育てやすい状態に、子どもが育ちやすい状態にしてあげられるのか、考えたそうです

それで、現在の事業を立ち上げることになったのだと思われます

『生きていく力』の基礎は新生児から
子どもは「日常生活」で脳や身体能力を発達させていく

それが、
大人の都合で子どもが「自然に育む」はずだった能力を、育たなくしてしまっている…

これは………
糸山先生がどんぐりを開発した動機と同じなのではないか…
町村先生のお話を聞いていて、常にそれが脳内をぐるぐるしていました
町村先生のどんな言葉からも、糸山先生の言葉が思い出されました

新しい傾向の子どもが増えると、自ずと「育児グッズ」が変化してきます
洋服やバッグの流行と同じように、売れない物は売り場に並びませんから、親たちは自然とその時の売れ筋に注目し、購入します

子どもがいつでも水分補給できて、持ち歩けて、落としても倒してもこぼれない「ストローマグ」
腰の据わっていない子でも固定できるお座りのサポートのクッションや座椅子的なもの(これは、乳児にテレビを見せ続けていた親戚の家で見ました…)
子どもをすっぽり包み込む「安全重視」の抱っこひも
寝返り防止クッション…パンツ型のおむつ…離乳食用の硬いエプロン…
お箸が上手に持てない子のための矯正箸
矯正鉛筆もあるし…
そして、最近では、母乳を飲む力が不足している子のために、吸わなくてもポタポタとミルクが出てくる吸引力が弱くても大丈夫な哺乳瓶が出ているそうです

そういうものを、「使ってはいけない」「悪いものだ」と言っているのではないんです、と町村先生は何度も念を押すようにおっしゃっていました
そして、たぶん、会場にいた赤ちゃん連れの親御さんの多くはそれらのうちのいくつかを既に使用しているからというお気遣いからなのか、その辺りの情報や画像はかなり速めに飛ばしているようにも感じられました(笑)

「使ってはいけない」「悪いものだ」というのではなく、そういうものを安易に取り入れることにより、子どもが本来持っているはずの育つ力、そして、育ちながら、この部分が育ちづらいんだよ、ここが不足しているんだよ、という子どもの行動からの訴えに気づいてあげることができなくなることを危惧していらっしゃいました

ねんねさせるだけでわかる子どもの身体のバランスや、はいはいで骨盤を動かさず、上半身でひっぱるような動きをしていること、よく噛まないこと、偏食、口を閉じられないこと、そういった行動を見て、親は、子どもが本来育つはずの部分が育っていないかも、と気づき、その時点で何らかのケアをすれば改善し、順調にもっと楽に育っていくかもしれないことを知らなければならない、と

……これは、
小学校からの学習面でも全く同じことが言えます
学校に入る前に5年間ありますから、小学校入学の時点で急に気づいて矯正しようとしても難しい点は多々あるのですが、それでも、幼児期はのんびりと自然派で、って言ってた親御さんたちが急に我が子の学習面で不安を募らせるのもよくある話
園児時代は好き放題で、子育て便利グッズで無理矢理うまくできるようなんとか補正して、子ども本来の育ちや能力を確認することもせずに急に、「字が丁寧に書けない」「ちゃんと座っていられない」「人の話が聞けない」「立ってもぐにゃぐにゃしてる」などと、問題点が急に見えてくるとびっくりしてしまう人も少なくないようです
じゃあ、早くから字を練習させたり、早くから椅子に長時間座る訓練をすればよいのか、というと全くそういうことではなく、その時、その時、日常生活や遊びの中で獲得すべき力があって、それが繋がって、繋がって、いずれ、椅子にちゃんと座っていられる、じっと立っていられる、人の話に顔を向け、耳を傾ける、鉛筆をちゃんと持ってしっかりと字を書く、ということになっていくわけです
段階があるのに、その初期の部分を丁寧に過ごさずに、最終段階を急にしつけようとしても身につけたり矯正したりするのは不可能なのです

でも、
小学校ではノートにちゃんと書けない子があまりにも増えたために、計算がもともと書いてあるようなドリル専用の方眼ノートが配布されたりしました
図工や家庭科の制作では、最初から時間をかけて作るのは不可能だから、キットを組み立てたり、数カ所縫ったりするだけで完成するものが増えました
そして、
現在では、タブレット端末で「連絡帳を正しく書き写せない子がいるから写真で撮らせる」「教科書を読むより聞いた方が理解できる子がいるから」と、「苦手な子どもたちが増えてきた」ということで新しい教材がどんどんそこを補填して、「全員に強制的に」使わせる、という相変わらずのスタイルで、そういうものが不要な子にも、必要な子にも、一緒くたに与えられているのが現状です
わからない問題があると、タブレット端末が教えてくれるので「自分で考えなくていいのですごく楽しいです」と文科省の動画の中でインタビューに答えていた子がいたのも印象的です
学校では、限られた時間、限られたスペースで数十人の子どもに同じことを同じペースでさせなければならない、という前提があるので、どうしてもそうなってしまうのでしょう

本当にそれら、便利な育児グッズや、工夫された学習サポート教材がその子の力を補い、上手に活用できることもあります
それがなかったらできるようにはならなかった、本当に助けになった、という事例ももちろん多くあるのだと思います
でも、本来、必要なかったはずの子たちもみんな、当たり前のように使っていて、今、当たり前のように、昔の子がみんなできていたことがほとんどできない、なんてことが実際に起きています
生まれつきどうしても育ちづらい部分がある子と、本当なら育つはずだったのに、育つ機会を奪われた子とが、混在している昨今なんだと思います
本来なら補い、補われ、共存していくのが社会のはずです

昭和初期と今との日常生活の動きの比較、という説明もありました
水の使い方ひとつとっても、
井戸水を汲んでいた昭和初期と、水道の下に手をかざせば水が出る現在
あとは挙げたらキリがないほど、私たちは自分の体や脳を使わずに日常生活ができるようになってきています
今、井戸掘りメーカーが一生懸命井戸の宣伝をしても、新築一戸建てに取り入れる方はいないでしょう
売れない物は消えていく
多くの人が買う物が主流として残っていく
20年前に子育てを始めた私でも、布おむつのカバーを買うのは一苦労でした
※布おむつは、布の部分はおむつが外れるまで買い足したり買い直したりする必要はないのですが、カバーは子どもの身体の成長によって買い換えていきます

それでも、
水道が悪いのではない
紙おむつが悪いのではないんです
水道がない生活に戻るべきだと言っているわけではないんです
ただ、
昔なら「当たり前」に日常生活で鍛えられ、育った子どもの「脳」と「体」が、明らかに、放っておいたら育たないし、主流で販売されているグッズを使ったら育たない、ということが言えるのです

五感を頼りにしていた生活が一変してしまった今、それでは、本来育ったはずの部分をどうやって補っていくのか、
それを、町村先生は研究して、身体調和体操を開発したり、全国の保育園などに指導に行ったり、カウンセリングのように個別指導をしてくださっているのです

そして私にはやっぱり最後まで、町村先生の言葉と糸山先生の言葉が重なって聞こえました

糸山先生は、かつては「偶然教育」ではあるけれど、日常生活で当たり前に育った子どもの能力が、そのままにしておいては育たなくなっている、それを補うためにどんぐり問題を作った、とおっしゃっています

でも、座っているのも大変な子たちが、机に向かって勉強するのはたとえどんぐりであっても大変なんだろうな、と感じます
座っているのも大変で、体のバランスが崩れていて姿勢が悪く、どこか痛かったりするのに、自由に絵を描いて考える、なんて、できるんだろうか、と
そして中学生になり、手先に集中し、目標に向かって何時間でも自分で決めた勉強を意欲的にしている生徒たちを見ていると、時間の長短に関わらず、ぐっと集中して勉強できる子たちは身体の調和がとれているのだろう、と確かにわかるのです
脳は、体の一番上にのっかっている臓器です
当たり前ですが、思考は脳内で行われますから、体のバランスが悪ければ脳は正常に機能しないのだと思います
もちろん、体が不自由でも脳が正常に機能したり、並外れた脳の力をお持ちの方もいますから、例外はありますが、一見、健康な体を持った人の場合、その一番てっぺんに脳がのっかっている、ということを考えてみると、しっかりと座っているかどうか、どこかにひずみがないかどうか、というのはとても重要なことに思えます

ちょっと考えて、「わかんない」って言う子
1度間違えただけなのに、「できない」と泣いたり怒ったりする子
そういう子たちは、もしかして、机に向かって絵を描いて考えることが「精一杯」の努力の賜なのではないか
精一杯の限界だから、すぐに正解したい、早く解放されたいんじゃないか、と
どんぐりは、正解しなくても、問題文を全部絵にしながら、どうやったら質問に答えられるのかな~ってあれこれ自由に考える問題なのに、できるだけ早く机から逃れたくて、一応、言われた通りに座って取り組んではいるけれど、実は、体が限界で、じっくり楽しく考える余裕なんてないんじゃないか
ふと、そんな風に思ったりもしました

「楽しく」取り組む、なんて、心も、体も、軽々としていなければ無理だと思います
大人が自分に置き換えてみればわかることです
じゃあ、どうしたらいいのか
「楽しくしなさい!」「楽しいと思いなさい!」って叱りつけたって暗示をかけたってもちろん無意味ですよね
じゃあ、いっそのこと何もしなくていい、と放っておくのか
そうはいきませんよね

これまでの生徒たちや、自分の子どもたちを思い浮かべてみると、
やはり、体力との相関はあるのではないかと思います

学校でやなことあった
でも、ま、たいしたことないけど
「脳」と「体」の「体力」のある子たちは、たとえばそんな感じで、日常をやり過ごしていきます
イヤだったことも、なんだか、全部栄養にしていくような勢いで
まさに、生きる力がある、という風に見えます

でも、体力がなかったらやり過ごすことはできません
それが、身体不調和を原因としていたのだとしたら
いくら頑張らせようとしても、
いくら言葉で説得しても、
だって、足が重いし、腰が痛いし、お腹も頭もなんだかズンズンするんだもん…と、
子どもはちゃんとヘルプサインを出しているわけです
ぐにゃぐにゃしたり、ダラダラしたり、いろいろな、サインを

だから、体を鍛えようとか、水泳をさせようとか、そういう対処は個々には成功することもあるのでしょうけれど、もっと大切なのは、毎日の衣食住の中で、なんてことない日常生活の中で、大人が意識して、丁寧に、しっかりと自分の体を自分で扱えるように育てることなのではないかと思うのです

まちむら式身体調和体操、必要とされる方は多いのではないかと思います
昨日の講演会で隣り合わせた若いお母さんは、数日前に4歳のお子さんが町村先生のマッサージを受けて、劇的に変わった、と教えてくれました

気になる方は、ぜひ、調べてみてください
そしてやっぱり、
どんぐりも、
身体調和と同じで、
子どもが本来持っているはずのちから、いま、ここで育てるべき力、というものを大切にしていくべきなんだな、と確信したのでした

育児便利グッズ、手取足取りの学習補助教材、恐るべし、です

子ども本来の育ちが見えにくくなる現象、それは、
企業が企業努力として「売れ筋」を研究して新製品を開発することと、
親御さんが「売られているから買う」「人気商品だから買う」と選ぶことから起こります

どちらも悪気はありません

でも、「売れ筋」を追究せず、子ども本来の育ちをしっかり研究して売れなくても頑張って売っている企業もあります
私もおむつカバーや昔ながらのおんぶひもを探して探して、まだかろうじて生産しているメーカーから取り寄せていました
当時20代の、新米母になる準備中だった私は、身体調和など知りませんでしたが、10代から子どもの発達に興味を持ち憧れていた育児方法は「昔ながら」の方法でしたから、自然と、周囲が誰も使っていない布おむつや、ばってんおんぶひもや、兵児帯やスリングを探したり作ったりしました
ストロー付きマグも周囲のママはほぼ全員持っていましたが、私は最初から(離乳食と同時に)湯飲みを使っていました
何にも意識はしていませんでしたが、今思うと、「バランス遊び」をかなりたくさんしていました
私のももの上に立たせて揺らしたり、一本橋を渡ったり、それに、歩き出してすぐから草履を履かせていました
指でしっかりと鼻緒をつかまないと上手に歩けないのです
そんなこんなで、それだけが理由ではないでしょうけれど、脳も心身も頑丈にバランスよく育ちました

当時も勉強会などで、若い親たちはみんな…と言われると、昭和みたいな子育てを好んでしている自分が逆に肩身の狭い思いをしたものです
別に周囲に布教活動などしていなかったし、自分が好きでやってるのに、「意識が高いよねえ」「私には無理無理」「そこまでしなくても~」と嫌みを言われたことも何度もあります

結局、どんぐりも同じですが、流行や主力商品に惑わされず、自分なりの方法を選択することが、今は、本当に苦しい時代なんだな、ということなんだと思います
多様性なんて、どこで認めてもらえるんでしょうね
結局、本当によいものが主流、というわけではなく、多くの人が選ぶものが主流、という流れは、いつになっても変わらず…
それでも選択をしている私たちは、別に、他者を攻撃したり、他者に無理強いしているわけでもない私たちは、やっぱり、子どもや、自分自身が健全であること、自分の人生を楽しむことでしか、周囲に優しい目で見てもらうことはできないのかもしれませんね
もう、そんなことは求めていないけど(笑)せめて意地悪だけはされたくないですね(笑)