子どもが机に向かい、頭を抱えています
うーん、うーんとうなっています
かわいそうに…子どもなんだから自由に外で遊ばせて、好きなことをさせておけばいいのに
こんな風に机に縛りつけるなんて…………

えーと、縛りつけていません
机に向かい、静かに勉強しなさい、って命じてもいません
どんぐり学舎のいつもの光景で、
教室に集まってきてしばらく、好きな本を読んだり、図書室やくらでゴロゴロしたり、みんなでアナログゲームをしたりしてから、「さ、どんぐり始めよか」って私が言ったり言わなかったり…すると、自然にそれぞれが準備を始め、こうして小学校低学年の生徒でさえも、私が注意したり、促したりしなくても自分で自分の問題を選び、急に集中して考え始めます
これがいつもの光景です
(親に言われて嫌でも仕方なく…、他の習い事同様、入れておけばいい、と親御さんが思っている…などのケースは除きます)

なんやらブツブツ言っていましたが、1度、私の机に持ってきて、私が通し読みしていると「あああ!!ちょっと待った!!」ともう一度自分の机に戻ってブツブツブツブツ…
そしてまた持ってきたのがこれ

1MX95 今日は満開の桜の下でお花見です。御馳走は超長金太郎飴と超長銀太郎飴の柔煮です。超長金太郎飴は超長銀太郎飴の3倍の長さがあります。みんなで午前中に金太郎飴と銀太郎飴を丁度半分ずつ食べたところ、残りの長さを合わせると12cmでした。では、超長金太郎飴はもともと何cmだったのでしょうか。

桜の木、木の下でお花見してる人、そして謎の御馳走、金太郎飴と銀太郎飴
「3倍の長さ」も絵になっています
半分ずつ食べた残りが見えます
半分ずつ食べて、半分ずつ残っているということは、最初は12cmが2個分の24cmあったんだ、と気づいています
で、自分の描いた飴の絵から、24cmを4等分すると銀太郎飴の長さが6cmだとわかりました
右上の部分が、24cmを4等分するこの子の考え方です
ここです

24cmを、かたまりで書いてから、あ、ちょうど1cmは4つあるな、あとは10cmの2つのかたまりを2つに分ければ、4つずつ分けられて…
それで、1かたまりは6cm、つまり、短い方の銀太郎飴は6cmだとわかったようです
そこから、6cmが3つで金太郎飴は18cmと正解するまで、紆余曲折ありましたが、一生懸命線でつないで、私の机に持ってきてからは、「ちょっといいですか、説明すると~」と自分の考えた道筋を話してくれました
その前の、この姿勢だったわけです
頭を抱え、苦悩する姿
に、見えますが、これは、自分の頭を一生懸命動かして、脳を目一杯活動させて、考えている姿なんです

「全部絵にする」がどんぐりのルールで、
頭の中でわかったから、とか、計算でできるから、とか、そう思ったとしても全部描くことがルールなので、どんぐり学舎の子は全部描くのです
この生徒はまだ「割り算」を習っていないので、24cmを4つに分ける、という方法は自分で考え出した上の絵図のような方法でした
でも、高学年にさしかかってくると、四則を全て知っているので、計算すれば即答できるような問題に出会うと、計算したくなってしまうこともあるようです
それでも、全部描いてその過程を記す習慣が教室ではできています

2XM17 クジラのマッコ君、ザット君、シロナガ君が宝探しをしています。どの宝箱にも2個の宝が入っています。今回は3個の宝箱を見つけたら1度ゴールに戻ります。今、マッコ君が2回、ザット君が4回、シロナガ君が3回ゴールに来ました。では、皆で100個の宝を集めるには、宝をあと何個集めなければならないでしょうか。

計算すればすぐに答えは出ます
でも、描きます
それがどんぐりのルールだから
面倒がらず、当たり前に描きます


2MX28 今日はヒカルぴょんの誕生日です。カラスさんからは高級クモを5匹、モグラさんからは柔らかミミズを8匹貰いました。クモはミミズの4倍の値段がします。クモ1匹の値段が80円なら、皆で何円分のプレゼントを貰ったことになりますか。


2MX46  ある所にゴキブリのグループが2グループありました。ある時、その2つのグループが食べ物のことで戦いました。勝った方は負けた方より20匹多くいたそうです。また、両方では100匹いたそうです。では、勝った方は何匹だったのでしょう。


2MX56   メエメエさんがメソメソくんに同じ値段のお菓子を2個と、そのお菓子1個の丁度3倍の値段のするアイスクリームを買ってあげます。皆で400円だそうです。では、お菓子1個の値段とアイスクリーム1個の値段を考えてみましょう。

3倍の値段、と言葉で書いているので、これも絵にしなくちゃ、と思いながら見ていると、左に400円を絵図にしているところがあり、そこに、アイスクリームがお菓子の3倍の値段であることがわかるように囲いが描いてありました
「3倍の値段」という言葉だけでは見えないことが、絵にすると見えた、という例です


4MX06  サブちゃんは、今日も世界一のサブレを求めて食べ歩きを続けています。今日は、大カメサブレ6枚と小カメサブレ2枚を320970円で買いました。大は小の4倍の値段です。さて、大サブレは1枚何円なのでしょうか。

この子は「4倍の値段」という言葉を書かず、「4倍の値段」とわかるよう絵図にしています
その後、そのことを全体図に反映させているので、あとは数えるだけ
絵が描けているので計算が使えるのですが、「26」で割っているのがポイントです
なぜ26で割っているか、おわかりですよね
(1度計算ミスをしていますが、この画像外で計算し直して正解しています)
でも、この「26」が見えないことがほとんどです
それは、「全部絵にする」というどんぐりのルールを忘れてしまっているからです

子どもたちがこんな風に、誰にも何も教わらなくても自分で考えた方法でこのような文章問題(どんぐり倶楽部良質の算数文章問題)を解くことができるのは、お子さん達を育てている御家庭が、親御さんが、子どもの脳が生き生きと活発に動くよう、日々の生活で意識して、注意して、いろいろなことを心がけてくださっているからです
中には発達のデコボコを抱えている子もいます
でも、どんぐり問題の場合、同年齢で同じ問題を同じように解くべし、というルールはもちろんないので、その子なりの成長に応じて、思考力は養成される仕掛けがあります

大人がこのような解き方を見れば、「なに、簡単だよ、これくらい。教えればうちの子だってすぐにできるはず。」と思うでしょう
でも、それでは何の意味もないどころか、子どもの思考力の成長を妨げてしまうのです
「教えればできる」なんて、実は、正直、当たり前で…むしろ、「教えてもできない」ことの方が課題があるわけで
だから、「教えればできる」を試す必要など私は感じないんです
教えなくてもこんな風に解いていく子どもたちを毎日見ていると、各ご家庭の努力と工夫、子どもの脳を守るためのほんのいっときのがんばりが、向こう側に見えて泣けてくるのです

でも、そんなどんぐりの子どもたちでも、「全部絵にする」ができない日があります
最初に書いたような、ゲームや読書の時間が終わっても、ずっとそわそわしていてなかなか取りかからなかったり、いつまでも仲間にちょっかいを出していたり、引き出しを開けたり閉めたりしていたり…やっと問題に取りかかった、と思ったら、計算式だけ書いて数秒で持ってきたり
そんなときは、答えが合っていても、もちろん合格にはしないのですが、そうなると今度はヘソを曲げて落ち込んだり、怒ったり…そんな様子を見せる子も中にはいます
毎週会っていると、「そんな日もあるさ」とスルーできる場合と、「ちょっと変だな」と気になる場合と直感でわかります
それで、「ちょっと変だな」と思うと親御さんにそっと様子を伝えるのです

まあ、子どもたちはみんな、どんぐりのルールも、教室でのルールも、お友だちにちょっかい出しちゃいけないこともわかっているんです
よくないことを自分はしてるんだ、ってわかっているから、私の声かけには注意が必要なんです
全て容認することはできない
でも、立ち直るチャンスは残しておかなくちゃならない
まあ、だから、絶対にしてはいけないこと以外に関しては、大抵「放っておく」作戦をとります
どんな態度をされても、ただ淡々と
「全部絵にする」が守れていなければ合格スタンプは押さず、お宝スタンプを押すし、仲間にちょっかい出す以外の悪さなら放置です
そうすると、教室が終わる頃にはいつもの状態に戻っていて、みんなが集まっている場所にしれ~っと入っていったり、私の作業している机に来て頬杖をついてニコニコ眺めていたり

ところが、最後まで態度がおかしい場合、いつまでも攻撃的だったり、周囲に影響するほどの音を立てたり声を出したり、いつもとあまりにも違うなあ、と感じる異変の場合、親御さんに伝えています

それで発覚するのは、これまで、まあいろいろありますが、
たとえば
○教室に送ってくる直前になんらかのことで親御さんが怒鳴ってしまった
○学校でなにかあったらしい
○おやつにカップ麺、スナック菓子、チョコレートなどを結構たくさん食べた
などなど、なるほどねえ、だったらそうなるわなあ~と思われるケース
そして最近多いのが
○学校のタブレットを持ち帰って、長い時間操作していて、制止しようとすると怒る
というケースです

きょうだい喧嘩や、よからぬことが発覚して怒ることもあるでしょう
学校で何かあってもその日の放課後に全てが判明することもあまりないでしょう
小さな子どもの、加工食品やスナック菓子や砂糖の摂取しすぎが発達や脳に影響するのは私はよく知っていますが、知らない親御さんには勉強してほしい、と思っています
とにかく、そういうおやつを食べている子の「落ち着きのなさ」はもう、はっきりと体感しています
そしてタブレットです

全国でも小学校によって、持ち帰らせたり持ち帰らせなかったりと対応はバラバラで、使わせ方もバラバラなようですが、生徒たちに聞くと、
○連絡帳は書かずに撮影する
○音読や笛の練習は録画して提出する
○計算や漢字練習も撮影して提出する
など、「宿題」に関わってくる使い方が増えているので、持ち帰りが必須になっているようです
それでも、どんぐりの保護者さんたちは「持ち帰らせても使わない」あるいは、「持ち帰らない」という方法で乗り切っている方が多いようです
なんで?学校で配布して使わせているのに、それを阻止するなんて、どういうこと?学校で使わせているんだから良いもので良いことなんじゃないの?と思われる方は、ちょっとまた別室でお話を
タブレット問題は別に書いているし、これからも何回も書くことになるでしょうから今回は置いておいて、どんぐりっこでタブレットのことで親子でこんな話をした、というエピソードを最後にご紹介します

この子は学校から配布されたタブレットの影響で、大げさなようですが別人のようになってしまったことがありました
親御さんが子どもと話し合い、理由も伝え、「持ち帰ってこないこと」と本人に伝え、担任の先生にもその旨伝えたそうで、その数ヶ月後の出来事です

昨日の夜のことなのですが夕飯を食べた後、Aが「学校の日直でスピーチをするんだけどテーマが『自分の好きなこと、得意なこと』でタブレットで写真を撮って見せながらスピーチしないといけないから撮っていい?」と言われたので「いいよ」と言ったら、20分くらい家で画用紙で作った立体の恐竜などを写真に撮ったり送ったりしていました。

そして夜、もう寝るので電気も消して布団に入ってウツウツとしていたらAが…

A「お母さん、脳って壊れたらもう戻らないの?」
私「戻らないよ」
A「今日タブレットやったくらいだとどのくらい壊れちゃうの?」
私「今日くらいならそんなには壊れないよ」
A「良かったー!」
私「でも今日くらいの時間でも毎日やってたら少しずつ
  壊れていっちゃうんだよ。Aは学校でもたくさん
  タブレット使ってるから家では使わないようにしないとね」
A「うん。」
私「逆に脳を育てるのがどんぐり問題と外遊びなんだよ。
  キャンプ(子どもだけで参加させた)の時、暇だなーと思ったでしょ?」
A「うん。」
私「その時に、暇だから何しようかなーって考えるでしょ?」
A「うん。」
私「そうやって考えることが脳を育てていくんだよ。
  だからこれからも外でいっぱい遊んでキャンプにも行こうね。」
A「うん!」

Aがタブレットを持ち帰らなくなった時、
もし忘れているというか関心が薄れているのであれば
思い出させたくないなと思って
「なんで最近タブレット持って帰って来ないの?」
と聞けずにいたのですが、Aなりに理解というか
私の話を信じてくれて、持って帰らないようになったみたいです

自分の子なのに何ですが、このやり取りの後
感動しちゃってしばらく寝られなかったんです
タブレットでチャットみたいなこともできて、
食い入るように画面を見ながら操作していて
私が何を言っても睨みつけるくらいのめり込んでいたのに、
そんな気持ちとどうやって折り合いをつけていったんだろうか
と思うと泣けてきちゃって。。。

子供ってすごいですね。
私も本当に頑張らないと、と思います。

「タブレットを使うと脳が壊れる」と、そんな根拠もないことを子どもに信じ込ませて騙すなんて!と思いますか?
それなら、
転んで泣いている子に「痛いの飛んでけ~」というのも子どもを信じ込ませて騙す悪いことでしょうか
私はタブレットそのものが悪いものだ、なんて言っていません
必要な人に、必要な時期に使われるべきアイテムであり、全国一斉に目や耳や脳の成長期の子どもたちに有無を言わせず使わせるものではないと言っているのです
私自身、「脳が壊れる」ことが「根拠のないこと」とは思っていません
それは、30年子どもを見続けてきて知っていることです
『スマホ脳』のハンセンさんが言うように、人類の歴史を24時間、丸1日とすると、デジタル端末が現れたのは間もなく日付が変わろうとする夜中の12時ちょっと前
つまり、これまでの人類の歴史上、存在しなかったものに、子どもたちを触れさせているのです
どうなるかわからないものに
これまでの子どもの育ちには、一切関わりなかった、存在しなかったものに、何の疑いもなく

どんぐり問題に向き合い、子どもの脳が生き生きと動くのを毎日見ている私には、それを妨げる流れが手に取るようにわかります
それを伝える私の言葉を信じ、自らも勉強し、どんぐり学舎の親御さんたちは日々努力を続けています
ずっと努力を続け、ずっと防ぎ続けなければならないわけではないのです
何があってもへっちゃらで、どんな世界になっても生き抜ける思考力が子どもにしっかりと身につくまでの数年間だけの話なんです
本当に大事なとき、そこでぎゅっと頑張れたかどうかなんです
そして、気づいた時にやりなおそう、って思っても、
簡単にはいかない時期にあっという間に突入してしまいます
成長していく子どもとの関係は、
こんなに小さく、素直な子どもとの関係と、全然違ってくるのですから