JAMBOREE下見にて
この水の流れが
この流れを見て、流れる音を聞くことが
子どもの何に悪影響を及ぼすだろう
子どもの何を妨げるだろう
同じ小さな目と、小さな耳に入るもの
同じ視覚と聴覚で得るもの
そして触覚で触れるもの
何がどう違うか、
あらためて考えてみたことはありますか?
先日、
どんぐりを始めようと思ってます、という方からメールをいただきました
そのメールには
「どんぐりでは宿題制限やメディア制限といった環境設定が必須であると聞いています。我が家の環境では宿題制限はともかく、メディア制限はいきなりは難しく、少しずつでも工夫して減らしていけたらいいと思っています。」と書いてありました
小学生ですが、すでにスマートフォンを持っていて、
中学生の兄がいるので、その子もスマホを持っているので、
兄弟で遊ぶ時には互いにスマホを使っているとのことでした
一緒に動画を見て楽しんだり、
仲良くゲームで対戦してる姿を見ると、
「子どもの楽しみを奪うのもよくないかと思い」と親御さんは考えているようでした
しかも
「兄弟の絆を深めるアイテムになっているから」と
最終的には「宿題も、本人がやりたがっているし、たいした量でもないので、それならやらせていても問題はないですか?」と質問がありました
ええと、
この場合、私はなんと答えたらいいのでしょうか
どんぐりはやってみたい、
でも、環境設定とやらは急には難しい
だから自己流でいいでしょ?って宣言のように感じました
ラーメン屋さんに入って(またラーメン屋かいっ)、「このラーメン美味しそうですね!」と店主に声をかけることから始まって、その次に「でも、パスタも美味しいんですよ、パスタを食べててもいいですよね?」って急に言い出して、「ラーメンもいいけど、やっぱりパスタが食べたいから、ラーメンを食べる前にパスタを食べに行ってきますね」とわざわざ宣言して店を後にする、または、ラーメン店の中にいながらUberでパスタを頼んで食べる、といったたとえで合っているでしょうか(合ってませんね、きっと・笑)
どんぐりをやりたい、どんぐりで育てたい、と何かしらの情報を得て思ったのに、
環境設定があることも知っているのに、
「徐々に減らせばいい」「そうはいってもスマホ、ゲームは必須」「宿題もやりたがるならOK」という考えを変える気持ちがないのなら…
…どんぐりはやらなくていいんです
…どんぐりは、やるべきじゃないんです
…どんぐりをやっても意味がないんです
…そんな中途半端ではどんぐりをやっても進化はしないのに、結局あとで「どんぐりはダメだった」とか言われるのいやなんです…
どうして「やっぱりパスタの方が美味しかったからラーメンじゃなかった」って言われないといけないんですか?
言わなくていいんですよ
選んでいいんですよ
私たちは無理に勧誘などしていないんですよ
ただ、
知っているだけ
知っているし、見てきたし、経験してしまっているから、
伝えてるだけ
子どもの思考力がどんな風に育つのか、守られるのか、伸びていくのか
そんな子どもが中学生になり、高校生になり、大人になってどうなっていくのか
知っているから伝えてるだけ
人間史上誰も結果を知らないデジタル機器の成長期への介入に
人体実験として我が子を差し出すのが怖いから、
やっていないだけ
知ってしまって、即日、子どもからそれらを遠ざけて頑張った人たちや、
最初からないものとして時代に逆行するような子育てを丁寧に頑張ってしてきた人たちと、
少数派だけど励まし合いながら大切にどんぐりライフを楽しんでるだけ
それなのに、
「そうはいっても」と、わざわざ反論するためにこちらの世界へ足を踏み込むのは、
何の意味もないのです
お互い疲れるだけですよ
私は
時代がどんなに変わろうと
どんなに科学技術が進もうと
人類史上誰も知らない、例を見ないデジタルワールドが、
太古の昔から成長、発達の仕方なんかほとんど変わっていない人間の赤ん坊や子どもにとってどうなのか?っていうのを、疑問に思うことや、意図的に避けることは「ごく自然」なことだと本気で思っているんです
立ち止まって考えないことはホントに怖いことですよ、って
ときどき、
デジタルネイティブでも健全な脳が育ってますよ!
幼少期からゲームしてたけど、偏差値高いですよ!高学歴ですよ!
って方の主張もちゃんと読みますが、
やっぱり心は震えないんです
だって、
見たことがない、会ったことがないんですから
デジタルネイティブでも、幼少期からゲームしてても、
人間的に豊かな子、いろんな意味でダイジョーブな人に
私だけの意見じゃないですよ
私だって「これまで出会ってきた子ども」の数は普通の人より多いかもしれないけど、
私の友人、知人たち、子ども相手の仕事をしている教員や塾講師のそういう人たちに聞いても、同じことを言います
そんなの、見たことない、会ったことない
って
健全な脳って?高偏差値?高学歴?
勉強がものすごくできる子には会ったことありますよ
勉強がものすごくできたんだな、っていう大人にも
そういう人が「子どもの頃からゲーム漬け」っていう例だって知ってます
だからなに?って私は思うんですよ
勉強ができたら偉いんですか
勉強ができたら勝ち組なんですか
勉強ができれば他者を傷つけてもいいんですか
なにか、それで優先されるんでしょうか
だから、
ゲームをやってても、スマホをしてても、「勉強はできるんですよ」って主張されても、へえ、そうですか、くらいにしか本当に思わないんです
中にはいるんですよ、影響を受けない、むしろ、それらの刺激さえ取り込んで豊かな思考力に繋げていくような天才のような人が
そういう人も知らなくはないですが、本当に珍しいです
全く一般的なケースではないんです
だから、お手本にはできないんです
それなのに、デジタル機器を与えてしまっている親御さんたちはそういう人を手本にしがちです
じゃあ、うちの子も大丈夫だな、って
でも、実際にはそんなことはないんです
それはとても危ないことなんです
その価値観がズレていたら、
きっと、どんぐりの意義も伝わりません
塗り漢字教材を買ってくださったのはいいけど、「100点取れないんですけど」と苦情…というか、連絡を寄越す人がいらっしゃるように、
勉強そのものの意味をはき違えていて、私の伝えていることを素直にまずは読んでみよう、素直にまずは考えてみよう、っていうお気持ちがないのであれば、きっと歩み寄りはないんです
ゲームもスマホも動画視聴も、
子どもの生活の一部になってしまって、
子どもの心のよりどころになるまで習慣化させてしまってから取り上げるなんて酷です
でも、
買い与えたことに後悔しているなら、今すぐに子どもに謝罪して生活スタイルを改善すればいい
子どもの禁断症状や拒否反応に親御さんは苦しむでしょうけど、それだけのことを子どもにしでかしたことを、自覚するためには仕方のないことです
宿題も、
「言われたことだけをやればいい」という習慣づけをさせたいならどうぞ毎日しっかりやらせればいい
ところが、中学生になればどうなるか知っていますか?
「言われたことだけやっていても伸びません」と言われるんです
そして、実際に、課題だけやっていたって伸びません
ただ問題集を埋めればいい、と作業のように提出物を片づけていても、学力に動きは一切ありません
難度はどんどん上がるのですから、そんな勉強法で伸びるわけがない
いいえ、それが「勉強」だと勘違いしたままでは何も変わらないんです
でも、大人が率先して、反復練習や、類題演習でノートを埋めることを「勉強」だと教え込んでいる、それが「宿題」です
それでも「やりたがるからやらせる」のであれば、そのことを理解したうえでさせればいいです
ちなみに「やりたがる」のは楽だからです
反復なんて誰にだってできます
類題演習だってほとんど頭を使わずにできます
なんなら、学校では自分で考え方を思いついて解くことなどよりも、
これはこういう風に解きなさい、と導かれる教材を使い、そのような教材で授業を進め、
その通りなぞることができる子が「優秀」とされています
反復学習もスピード学習もパターン学習も、
理解して解いている子には苦痛でしかないし、
理解が追いついていない子にも苦痛でしかありません
でも、何も考えずにできるので、「楽だ」という子が時々います
ときどき、「計算問題はできるけど文章問題が苦手です」という相談も来ますが、
算数は複雑な計算問題か、文章問題しか本当の思考力を使わないので、その時点で思考力が育っていないことはわかります
どんぐりを始めてすぐの子は、解くのを嫌がったり、面倒くさがったりするのですが、それも同じです
進化が始まると、今度は、単純な計算練習や反復学習を嫌がるようになります
つまらない、それこそ面倒くさい、と
ヒントは出さないで!自分で考えさせて!と自然になってくるのです
そういう状態で中学生になったらあとはもう、親のすることはないのです
宿題制限をしようにも、状況からなかなか難しかった御家庭からの報告をひとつご紹介します
学童で宿題をしている時間は、
放課後、子どもを学童保育に預けている御家庭です
学童では保護者からの要望もあり、「宿題をする時間」を設けているところがとても多いので、家ではやらせないようにしても、学童で「みんなが一斉にやっているのだから」と子どもが自分でやってきてしまう、という例は多くあります
でも、どんぐりをちゃんとやってみよう、と決意した保護者さんたちの中には、学童の先生にこうして連絡して、「宿題をする時間」に代わりのことをさせることをお願いする方もいます
指導員の先生の方針や、他に宿題をやっている子の邪魔はしないから、と丁寧にお願いすれば、こうしたことが可能なんです
それからもうひとつ
どんぐり学舎保護者座談会のあと、
勇気を出して担任の先生に電話したお母さんからの連絡です
宿題制限の承諾を得て、そのことを子どもに報告した後の変化です
宿題から解放された息子ですが、その後、
また、「このドリルは授業でやったものだから、
一日一枚ずつ進めている塗り漢字も、この頃は、
ドリルを前に、1時間以上も仰向けにひっくり返って「
あとは私が毒親にならないようにと、
宿題そのものに、勉強を好きになる効果、学ぶ意欲を高める効果や、自主的に学ぶ気持ちになれる効果があるなら、宿題を制限したことで表れた変化はいったいなんなのでしょうか
これが子どもの本当の状態
本物の反応だと思うんです
それでも、ときどき教室で子どもたちがぼやきます
「あーあ、帰ったら宿題やらされる」
「あー、明日○○(習いごと)だ、嫌だな、休みたいな」
どんぐりやってるのになあ…
なんでかなあ
子どもと私とではよく話しますが、
親の前で子どもは本音を言えないようです
それも、
なんでかなあ
と、どんぐり以前の課題なのでは…と思うしかなかったりするのでした
デジタル機器、
宿題、
習いごと
…どんぐりの環境設定にある項目のすべて
子どもへの影響力を危惧しています
それらが生活のほんの脇役で、
その他、たっぷりと子どもが自由に、自発的に、知的に、そして、ほどよく不便で力づくな生活ができているならば、本当にたいした影響はないのかもしれません
でも、現代社会ではそのような生活環境はわざわざ作らなければ実現不可能です
かつて可能だった偶然の準備学習が、
今はほとんど望めないんです
それなのに、形ばっかり、「計算が速くできるように」「英語がわかるように」「漢字が読めるように」「たくさんの本を読めるように」「テストでいい点数が取れるように」と、私から見たら「あとまわしでいい」と思うようなこと、それよりずっと大切なこと、子どもの頃にやっておいたもの勝ちだよ、って思うようなことも知らず、周囲からわかりやすく評価されることの対象に我が子を押し上げようと必死になっている親御さんが多すぎて
あとになって「自分から勉強しないんです」と相談されても、子どもの頃に不足していたこと、なんてまた言わなくちゃならないの?もう取り返しがつかないのに…と言いたいけど言えない複雑な気持ちを抱くことになるのです
あとになって、
「だからあの時言ったでしょ」
って言われても、悲しくなってしまうだけでしょう?
だから、
私はそれを言いたいけど言わず、中学生のことだって、なんとか支えたい、とあの手この手で工夫しているんです
でも、高望みはしないでね、って正直思ってしまいます
そんな虫のいい話はありませんよ、って思ってしまいます
幼少期から丁寧に真剣に生活改善をしてまで努力してきた御家庭と、
子育てを楽にするためにメディアをフル活用し、何も考えず流行のものを買い与えてきて、学校の先生と交渉するのなんてゴメンだわ、って避けてきた御家庭とで、結果が同じはずはないのです
そろそろ真剣に、
いましか真剣になるべき時はないのだから本気で真剣に、
子どもが何に影響を受け、
この先どうなっていくのか、
考えてみてはいかがでしょうか