残念ながら、
このような思考体験はできないんです
普通の学校の授業や、
普通の塾や、
普通の問題集や、
普通の指導法では
もう、はっきり言うことにしたんです
どんぐりではとうの昔から当たり前にあるけど、
糸山先生は最初からずっと言っているけど、
世の中、世の教育法が全然違う方へ行っていて、
それで、
子どもたちに異変がおき、
子どもたちが学校を避け、
子どもたちが悲鳴を上げている
私が塾講師になった年に生まれた子はもう30歳を超えていて、
私の最初の教え子たちはもう40歳を超えていて、
当時から「なんか変だぞ…」って思ってたことがどんどん、どんどんひどくなっていて、
先進国の中で、彼らの年代までの若年層の自殺率が最も高いこの国で、
子どもたちが私の前を通過していく
親御さんたちも通過していく
私は定点でずっと同じことを訴えている
通過するだけの人には見えないことが見えているから
そのままじゃまずいよ、って伝えてる
知ったかぶってるわけじゃなく、
偉そうに言いたいわけでもなく、
ただただ、
子どもたちが大人になったときに、
幸せであってほしいから
自分の人生を楽しんでいてほしいから
どんな世界になっても決して絶望せず、
自分の頭で工夫して、
自分の体を使って乗り越えていってほしいから
ずっとそばにいてあげられないから
ずっと助けてあげられないから
だから、
嫌われても言い続ける、って決めたんだ
どうして目の前の点数とか、評価とか、そういうことで子どもを比較して、
どうしてそれを基準に我が子を育てようとするんだろう
そんなことよりずっと大切なことがあるのに
そんなことより前にやっておくべきことがあるのに
どんぐりが解けるとか解けないとかでもなくて、
楽しんでいるかどうか、それだけなのに
できない、進まないから堂々とできないとか
進化しないからいまいち信用しきれないとか
なんで子どもの状態だけを見て、
子ども本人や、子どもがしていることそのものを評価しようとするのか
その背景がどうなのか、
自分はどうなのか
親としてどうなのか
まず考えてみたらその方がずっと楽なのに
子どもをどうこうしようとせず、
まず自分を省みる方が、実はずっと楽なのに
そして私は何度も目撃してきたんです
親が呪縛から逃れると、
親が手放すと、
とんでもなく飛躍する子どもたちを
毎日子どもたちのどんぐりを見ていると、
ああ、これだけでじゅうぶんだ
これだけ思考体験があれば大丈夫だ
ってまっすぐに思うのです
これができないんだよ
これがさせてやれないんだよ
これがどんぐりの素晴らしさ
これを楽しんで描いて解いちゃうような子は、
この先色んな難関に同じように立ち向かうんだ
この春、大学生になる卒業生の手紙を読んでいて、
この思考習慣が人生に影響してる、って書いてあるのを読んで、
心がガクガク震えたんです
そういうことなんだよ
そういうことなんです
そんな体験、
させてあげられていますか?
「させてあげる」なんて偉そうな使役動詞使いたくない
でも、
させてあげないとできない世の中なんです
世の流れに任せていたら、
どんどん低年齢化しているデジタル機器を手渡すタイミングとか、
身近じゃなくなっちゃった自然体験とか、
家事や生活の中で当たり前にできたはずの数量体験や言語体験すら、
親が相当意識しないとわからなくなってしまっているし、できなくなってしまっているから
だから、使いたくないけど、使うのです
体験させる、という言葉を
親御さん向けに
そう、親御さんが意識するしかないから
負担に思わないで
意識することはそんなに難しいことじゃないんです
ある時期だけぎゅっと意識してしまえば、
あとはこんなに楽な方法はないんです
私の前を通過していったたくさんの親子が、
そんな言葉を残してます
大変で、苦労の方が多いのなら、私も同じ母親として紹介するのをためらいます
でも、
私が幸せな子育てをしたから
私が我が子の成長にわくわくさせられっぱなしで、楽しんでいるから
だから、思い切り、おすすめしちゃうんです
だから、
堂々と、はっきりと、きっぱりと、
言うことにします
絶対に必要な思考体験ですよ、って