漢字は
何度も練習して暗記するものだと思っている人がいるけれど、
そんなことをしなくても日常生活に溢れているので、
周囲に関心があれば自然と覚えます
そんな馬鹿な、と思う方がいるのもわかります
だって自分たちだって一生懸命漢字練習をしてきたんだもんね
特に学校の先生達は、
自分が子ども時代、真面目に一生懸命命じられたままの漢字練習をしてきたんでしょう
だから、
疑問も持たずに漢字練習をさせるのでしょう

でも、どうでしょう
漢字練習をして、漢字が好きになり、やがて得意になる可能性は、どれほどのものでしょうか
私の手元にその正確な資料はないけれど、少なくとも、
日本国民のほとんどが小中学生の頃漢字練習をさせられてきたはずで、
それで、みんな、漢字が好きで得意になっているかというとそうでもなかったりすることや、
どんぐりの子で、小学生時代、宿題免除や宿題アレンジのおかげで漢字練習をしていないのにも関わらず、中高生になっても漢字が得意な子が多いのは、事実です
「練習しない、宿題しない」から「漢字が得意」なのではないのは言うまでもありませんが
学び取ることが自然にできる、好奇心、向学心と思考力が備わっていれば、単調な練習はそう大量に必要としないのです

なんだか、苦労して鍛錬したものほど価値がある、と思い込む傾向は、段々と少なくなってきている、と思っていたんだけれど、最近では、どんぐりの環境設定で宿題制限を頑張ろうとしているお母さんに、頑張って組織で働くお父さんたちから、「命じられた宿題はこなすべき」「漢字練習は真面目にとりくむべき」といった圧がかけられることが多いみたいで、時代は変わっても、若い人たちからも、そんな声が出るんだなあ、と時々驚いてしまいます
それがいわゆる社畜的発言であることに、気づいていないお父さんたちが多いのです

子ども時代は、
何を学び取るためにも「楽しさ」が必要です
時には苦痛に感じる練習や、鍛錬も織り込まれるんだけれど、
「楽しい」時間が多ければ、ちょっとくらい乗り越えます

それが、たとえば昭和時代の子どもたちだったのかもしれません
団塊ジュニアの私の小学生時代は、
宿題はたぶん毎日たくさん出されていたし、
中高校生時代は、受験戦争、偏差値教育のまっただ中で嵐のようだったみたいだけど、
なにしろ子どもの数が多すぎるので、大人の目も手も行き届かず、放っておかれた、だから、
締め付けられて変な教育を受けたかもしれないけど、わりと子どもが勝手に、自由にできる時間や空間も多かったかもしれません
もっと昔はもっともっと多かったでしょうけれど

便利で洗練されているはずの今、
無駄がなく、なんでも瞬時に個人で解決でき、
課金すれば全てのサービスが即座に受けられる今、
実は子どもにとっては、
豊かに賢く育つために必要な要素がどんどんなくなってしまっているのです
大人のために洗練された環境を、そのまま子どもにも享受させてしまったら、
子どもを賢く豊かに伸びやかに育てることはとても難しくなるのです

大人になると、
子どもの頃見えていたはずの物が見えなくなります

見えなくなっていることを知らない大人は、
子どもに平気で命じます
子どもの道草や、無駄の多い生き様を、不快に思ったり、惜しいと思ったりしてしまうのでしょう
無駄を省いて、できるだけ手っ取り早く結果を出したい、と、
大人の働き方のように子どもの学びや遊びを選択していきます

そんな大人の近くで育つ子どもが、
豊かに賢く伸びやかに育つことはありません
残念ですが
一見、順当に育っているように見えても、いつか破綻してしまうのです
必要な時期に、必要な栄養を取り込むことができなかった子どもは

漢字は苦しく退屈な思いをして練習して身につけるものではありません
使いたいから使う
伝えたいから伝えるために使う
スタートはそこです
それから、
漢字の構造や熟語の起源に興味を持ち、どんどん知識を増やそうとする子もいるでしょう
もっと画数の多い難しい漢字を知りたい、と学び続ける子もいるでしょう
そんなことは大人が設定することではありません
大人が身近で、漢字を便利に使っていたり、漢字を使って伝えていれば、
子どもは勝手に真似るのです
そう、大人が楽しく便利に使っていれば、です

子どもに練習をさせつつ、
自分も楽しんで漢字を使いこなしているか考えてみてください

子どもに本を読ませたいのに大人は読書しない、なんてよく聞く話です

楽しくなくちゃ始まらない
小学生時代は全ての学びの「はじまり」を、
大切に育んでください