少しだけ、用事があって旅に出ていました
旅から帰って最初の仕事は、
どんぐりをこれから始めようかどうか、迷っている、という保護者さんとのオンライン面談でした
1時間の面談を終えた私は、なんだかとてもすっきりとした気持ちになっていました
それは、とっても正直で、率直で、純粋な、そのご両親の姿勢が伝わってきたからなのだとずっと今も噛みしめています
ちょっとしたきっかけでどんぐりを知り、
夫婦で共有した結果、「とてもいいね」という感じになったものの、
果たして、「環境設定」がうまくいくかどうか、そしてそもそも、それは本当に子どものためにどうなんだろう、となかなか踏み出せずにいる、とのことでした
ここから、
面談の内容についてできるだけ詳しく紹介してみます
個人の特定はできないので、承諾は得ていませんが、どうか、ご容赦ください
お母様は、比較的、積極的にどんぐりを実践しようとなさっていて、
これまで特に意識していなかったメディア制限についても、
やはり、画面がついていると見過ぎてしまう様子などを見てきて、
これは…と痛感していたようで、できればどんぐりを始めたい、という感じ
お父様は、ご自身がゲーム好きだった子ども時代、学校の勉強は好きじゃないし、宿題もしなかったけど、学校に行って、友達とゲームの話をするのが楽しくて「学校に行きたくない」なんて思ったことは一度もない、むしろ、ゲームがあったから友達と仲良くしてこられた、という経験から、もし、我が子がゲームをしなかった場合、学校で仲間はずれにされたりするのではないか、そして、今の日本の状態からして、少数派に属することになるどんぐりのような教育法で育てて、本当に大丈夫なんだろうか、みんなが選んでいる他の方法が主流なら、そちらの方が風当たりが強くなくて生きやすいのではないか、とのご意見でした
その話を聞いて私は……
ごもっとも!と思いました
以前にも、このお父様と同じ意見を聞いたことがありました
何度も、あります
私は、無理して選ばなくてもいい、って思っています
ご両親が納得した上で、選択すればいい、と思っています
不安な気持ちのまま実践できる教育法ではありません
そして、家族の協力、理解なくしては実践は難しいです
それに、どんぐりを選択することでご両親の仲が悪くなってしまったりしたら本末転倒です
こんな教育法は(こんな面倒くさい方法は)他にないので、
だから流行しないんだとわかっています
でも、
私は知っています
この方法がとても確かな方法であることを
子どもの本来持ち合わせている良さを失わずに、
親子関係も崩壊させずに、
かなり高度な思考力を身につけることができる方法であることを
お母様は真面目で、一生懸命で、少しどんぐり問題を読んだことがある、というだけなのに、神髄を理解なさっていて、すごい!!と思ったのですが、より興味が惹かれたのはお父様のほうでした
素直に、ゲームをやらせていないと不安だ、とおっしゃる
宿題も、以前担任の先生に言ったら、「規則だから」「みんなやってるから」と言われて、言いなりになってやらせていたものの、「宿題ができていないから学校に行きたくない、先生に怒られるから学校に行きたくない」という我が子を、どうしたものかと思っていた、とおっしゃる
自分は、というと、ゲームが大好きで、勉強は好きじゃなくて、宿題もやっていかなくて、先生にいつも怒られていた、と
でも、学校に行きたくないと思ったことなどない、と
さて、
なぜなんでしょう
皆さんにはおわかりでしょうか
私は、たぶんそうなんだろうな、って思ったので、お父様に聞いたんです
「親御さんはどんな様子でしたか?」
と
すると、
ゲームをしていても、勉強が苦手でも、宿題をやっていなくて先生に怒られても、
一度もそのことで叱られたことはなかった、と
大人になって聞いてみたら、実は先生などに頭を下げて謝ったりしていたみたいだけど、当時、自分には何も言わず、何も注意しなかった、と
学校の授業中もゲームのことばかり考えていて、
帰宅するとすぐにゲームに取りかかり、
親が仕事から帰ってくるまで楽しんでいた、と
そして、親御さんが帰宅するとゲームをやめて、食事をしてお風呂に入って、夜更かしせず寝ていた、と
「それが答えなんじゃないですか?」と私は言いました
お父様の話にはいろいろなヒントが隠されています
まず、どんな状態でも親御さんが何も言わず、見守っていたこと
ゲームが好きで、勉強が嫌いで、宿題もしてなかったのに、何も言わなかった
それから、
ゲームが大好きなのに、親御さんが帰宅すると、ゲームをやめて団らんを楽しんでいたこと
それに、
家族で食事してお風呂に入るとさっさと眠っていたこと
イマドキのゲーム好きの少年とは随分違う生活や環境だと私には思えるのですが、
どうでしょうか
今のゲームはオンラインだったり、人気のゲームが多様化していたり、で、ゲームしてないと話が合わない、と言われても、どのゲームに揃えればいいのやら、という状態からスタート、と聞いたことがあります
そして、昔のゲームならどのステージまで進んだとか、どのレベルまで上がったとかで競っていたのが、どれだけ課金して強くなったか、何時間プレイして進んだか、というような比較になってきて、寝ずにゲームをし続けたり、お金をどうにかしちゃったり…なんて問題も少なくないようです
ある小学生が、どうしても学校の友達の話題についていきたいから、とやっとゲームを買ってもらったけど、買ってもらっただけでは話についていけなくて、やっと慣れた頃には違うゲームに話が移っていて、次から次へと新しいのが必要で…
嘆いている親御さんからの相談もありました
昭和とはもちろんだけど、平成の小学生のゲーム状況とも随分違ってきているんですね
そんなわけで、まだどんぐりも、ゲームも始めていないその御家庭の迷いをひとしきり伺ったところで、私は最後にお伝えしたのです
もしゲームを持っていなくて学校で嫌な思いをすることがあれば、
その時にご両親がお子さんからちゃんと「嫌な思いをした」と正直に打ち明けてもらえる関係であることと、その時どうするかは、そこから家族で考えて乗り越えること、と
もしかしたらこうなるんじゃないか、こうならないようにこうしておいたほうがいいのではないか、と大人が先手を打つ必要はなく、何かことがおこったら、その時が家族で考えるチャンスになるんですよ、と
そもそもお二人の素直な気持ちを、初対面で画面越しの私にこんなに話してくださったこと、そして、一般的にはなかなか例が少ない、ご両親揃っての面談と、お父様も積極的に率直な思いを打ち明けてくださったこと、それだけでもう、答えは出ている気がします、と
お父様が、親御さんにまるっと受けとめられながら育ってきたこと、
お母様が勤勉に真面目にしっかりと慎重に生きてこられたこと、
お子さんは幸せなことに、その両方をお手本にして、成長することができます
どちらもとても素敵なこと
こうして、どんぐり、どうしよう、っておふたりで悩むことも、
とっても素敵なこと
どんぐりを選ぶかどうかなんてこと以前に、
こんな風に話し合えるご両親であることが一番素敵なことです
だから私は面談の後、とっても清々しい気持ちに勝手になっていました
先方がどうお感じになっていたかはわかりません
でも、
私は、なんとなく、あのご両親なら大丈夫だろうな、って思いました
いま、
放っておいても大丈夫
世の中の流れに合わせていれば大丈夫
とは全然、言い切れません
子どもたちが、いま、どれだけひどい環境に置かれているか、
表れている数字だけでも、どんどん、悪くなっているのは明らかです
たとえば若年層の自殺者割合、
たとえば不登校児童生徒の数…
高校や大学の先生達に聞けば、
小中学校で何をしてきたんだろう…と呆れるような基礎学力のなさ
みんな、言われた通り頑張ってきたのにね
宿題を守って、三点セットを毎日こなしてきたのにね
お金をかけて塾まで通って、
上の学校へ、上の学校へ、と努力してきたはずなのにね
みんながやっているから大丈夫、と安心してはいられないんです
でも、そんなこと子どもに言わなくていいです
大人だけ、子どものそばにいる大人だけは、危機感を持っていてほしい、それだけです
子どもには、いつでもなんでも楽しめる力が本来備わっています
お出かけの日に雨だと残念がるのは大人の方です
大人が残念がるから、子どももそれを覚えるんです
英語ができないとまずい、と先手を打とうとするのは大人です
子どもはそれを察して、英語に恐怖心を覚えます
みんなと一緒じゃなきゃ、と教えているのは大人です
本当は、一緒のことをしていたって全員が違う人
それを認めた上で、知った上で、一緒に生きていく
共に生きていく
共に生きていけるヒトが、人間です
子どもを人間に育てよう
個々の能力は打っても出てくる杭です
糸山先生は昔から言っています
いもにいも、宮本先生も言ってます
大人が想定して子どもにつけようとする力や知識などたかが知れてる
大人が描いてる未来など子どもの未来を限定してしまうものに過ぎない
出る杭は出る
無理に引き出そうとしなくても、出るときに出る
私たちにできることは、
出ようとしたときに出られるよう、
そのエネルギーを大切にしておいてあげること
浪費させないよう、現代の刺激過ぎる刺激から守ること
なにかを足し算するのじゃなくて、引き算すること
これでもか、これでもか、とのしかかってくるもの(ほぼビジネス!)を、
できるだけ排除すること
それだけなんです
新鮮な気持ちになり、
実は私にとっても、母としての門出の日、だったので、
この保護者さまには心から感謝申し上げたい気分になったのでした