
糸山先生の中3限定塾ワンゼミ
8年前に長野で限定開講されたときの私のメモです
先日、
DKオンライン(どんぐり学舎中学部 独学支援室の通信講座)の受講生から、
こんな質問が来ました
「なぜ僕たちは英語を学ぶ必要があるのでしょうか
DKオンライン(どんぐり学舎中学部 独学支援室の通信講座)の受講生から、
こんな質問が来ました
「なぜ僕たちは英語を学ぶ必要があるのでしょうか
将来、 人生という分野で使うようなこともあまり考えられないのですがそ れが疑問です」
私が書いた返信がこちらです
私が書いた返信がこちらです
なぜ英語を学ぶ必要があるのか
人生で英語を使う機会はなさそうなのに、なんでだろう、とね
私が正解を知っているわけではないので、
私なりの考えを書きますから、 それについてまた(名前)くんは自分の頭で考えてみてください
また質問を重ねてもいいですよ
楽しみにしてます
中学校で学ぶすべての科目は、英語に限らず、 日常生活にどうしても必要な物は少ないですね
小学校の科目やその内容は、わりと生活に直結していて、 知らないままだと困るようなことも多かったですね
たとえば理科でも、水に溶けるとか溶けないとか、 小学生のころはそこまでは実験したかもしれないけど、 中学校ではそれをさらに細かく分類したり、理由を考えたり、 その特徴によってどんなことが起こるのか、 あまり身近じゃない物質についても勉強しますよね
日常生活で、そこまで知っていなくてもいいし、それこそ、 将来どんな役に立つのか、 っていったら無関係で生きていく人も多いことがたくさん教科書に ありますね
特に英語は、日本で生活しているとすごく遠い分野ですね
なんで英語なんか勉強するんだろう
私は、英語に限らずすべての科目、 中学校ではダイジェストのように経験し、 自分がどんなことに興味を持っていて、どんなことが好きで、 どんなことが好きじゃないか、判別する3年間だと思っています
さらに、興味がないことや好きでもないことでも、 ミッションを与えられたらとりあえず乗り越える努力はしてみる、 という練習をするのにうってつけの期間だと
社会に出て役立つとしたら、自分の人生に生かせるとしたら、
この先関わらないかもしれないたとえば英語、 という世界の一部を、無理矢理体験させられている今こそ、「 ほー、なるほどね」 と概略だけでも見ておくという経験そのものなんだと
大人になると、
好きなこと、 興味のあることだけを選んで生きていくことはできない可能性もあ ります
ただ、好きなことが得意なこととは限らないし、 好きでもないのになんだか他人から評価されたり、 仕事に生かせちゃったりすることもあります
10数年しか生きていない中学生が、 自分で自分のすべてを知っているとは言えず、自分の好きなこと、 と今思っていることも、未来永劫好きかどうか保証はありません
私は中学校の全教科の教科書を30年以上見てきて、 最近特にそう思うようになりました
ああ、 これは人生のスタートの選択肢を広げるダイジェストなんだ、と
すべてを専門的に深く掘り下げるのではなく、 まんべんなくいろいろなことを勉強することで、 世の中にはいろいろな学問や仕事がある、 という目次のようなものを見ている感覚です
中身については、それぞれこれから専門分野を研究する方向、 専門分野を仕事にする方向を自分で選んでいけばいいのです
中学校まではなにを学びたいか、選べないのはそのためです
語学は、その国の文化のひとつです
英語を学ぶということは、英語を追究する、というよりは、 母語以外の言語について学ぶ、 ということそのものを体験しているだけなんです
英語の達人になるため、全員が英語を得意にならねばならない、 という意味ではないんです
英語を通して日本語以外の言語の存在を知り、 英語以外の外国語の存在も意識する機会を与えられているだけなん です
だから、 中学校の勉強やテストはゲーム感覚でちゃっちゃと挑んでください
私は、そうしていました
テストは毎回楽しくて、 自分の欠点を明らかにされることにワクワクしました
ただ、人に言われるといやだよねえ(苦笑)
自分で自分に厳しく、自分を鍛えることを楽しんでみてください
中学英語はすべての基礎になります
正直、高校に進んでも英語からは逃げられません(笑)
文系に進んでも理系に進んでも、英語は必須です
「型」を覚える必要がある、中学英語(基礎の英語)よりも、
高校以降の英語の方が自由で楽しめるかもしれないなあ
でも、基礎がないと高校英語はキツいです
DONGLISHをやっておくとたいそう楽みたいですよ
英語を学ぶ意味、私の考えはこんな感じです
ここまでです
糸山先生の「教育年表」というものがあります
ご存じでしょうか

「子育ては12年間で終える」という部分をまずよく見ていただき…
中学生の時期、12歳から15歳までのところをよく見てみてください
感情教育の「聴覚」の横線ではこの時期「アドバイス期…人間らしい判断を下せるように助言を与える」とあります
思考教育の「心」の横線では「知育の最適期」とあり、
「頭」の横線では「思考力の養成・鍛錬」視覚イメージを自在に操作する練習
自己確立、心と体の統合期の「全体・心」の横線には「操作した視覚イメージを通出する準備」(判断保留も含む)
とあります
またこの次のページの説明では
●12歳は第二次臨界期(抽象思考の臨界期・人間的な判断力を含む思考力が完成される)
この時期までに、「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」考えることを学んでいる子どもたちだけが、多量の学習内容を効率的に消化し、自分の栄養としていくことができます。知識を消化吸収する術(抽象思考)を持っているからです。中学の3年間は絶好の知識習得期間となります。
12~15歳(知的系統的教育)…多量の知識を消化したり、スピードをつける練習をするのがこの時期です。また、問題形式別のパターン学習を考え方のひとつとして消化しますので高校受験などには効果的です。ただし、この時期までに視覚イメージ操作力(視考力)の養成ができていない場合は、視考力養成を優先します。
と、あります
現在1年生の中学生たちは、まだまだ戸惑いや迷いの中にいる子も多いです
体も心もまだ小学生の域を出きっていないし、変わったのは学校と、先生と、その辺の雰囲気だけ
中学生の時期、12歳から15歳までのところをよく見てみてください
感情教育の「聴覚」の横線ではこの時期「アドバイス期…人間らしい判断を下せるように助言を与える」とあります
思考教育の「心」の横線では「知育の最適期」とあり、
「頭」の横線では「思考力の養成・鍛錬」視覚イメージを自在に操作する練習
自己確立、心と体の統合期の「全体・心」の横線には「操作した視覚イメージを通出する準備」(判断保留も含む)
とあります
またこの次のページの説明では
●12歳は第二次臨界期(抽象思考の臨界期・人間的な判断力を含む思考力が完成される)
この時期までに、「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」考えることを学んでいる子どもたちだけが、多量の学習内容を効率的に消化し、自分の栄養としていくことができます。知識を消化吸収する術(抽象思考)を持っているからです。中学の3年間は絶好の知識習得期間となります。
12~15歳(知的系統的教育)…多量の知識を消化したり、スピードをつける練習をするのがこの時期です。また、問題形式別のパターン学習を考え方のひとつとして消化しますので高校受験などには効果的です。ただし、この時期までに視覚イメージ操作力(視考力)の養成ができていない場合は、視考力養成を優先します。
と、あります
現在1年生の中学生たちは、まだまだ戸惑いや迷いの中にいる子も多いです
体も心もまだ小学生の域を出きっていないし、変わったのは学校と、先生と、その辺の雰囲気だけ
急に勉強しなきゃならないとか、宿題だって自分ですることとか、テストがありますよ、って言われても、どうしたらいいかわからない…と頭を抱えている子も多いかと思います
DK実教室でもDKオンラインでも、
どんぐり時代に学校の宿題はもちろん、どんぐり以外の家庭学習を何もしていなかった子達が、
私の教材を手にすると「えっ」となることがあります
こんなにたくさんあるの?
こんなにたくさんしなくちゃいけないの?
小学校の時、何もしていなかったのに、無理だよ…
まだ何も始まっていない時からそんな弱音を吐くこともあります
いずれにせよ、私は淡々と添削をする、解説を要求されたらとことんする、という姿勢を保ちます
そしてこれまでも、たくさんの中学生たちをそうやって見つめ続けてきました
「どうしたらいいかわからない」のまま止まっている子は、
いつまでも挑戦すらせず、誰かが何かしてくれるのを待っています
はじめて自分の好きに進めていい教材を手にした子の中には、
私が制止するほど猛烈に取り組んでしまう子もいます
ある子は学校の課題とDKの教材でいっぱいいっぱいなのに、
ある子はすべて終わってしまって、他の教材を要求してきたりします
DK実教室でもDKオンラインでも、
どんぐり時代に学校の宿題はもちろん、どんぐり以外の家庭学習を何もしていなかった子達が、
私の教材を手にすると「えっ」となることがあります
こんなにたくさんあるの?
こんなにたくさんしなくちゃいけないの?
小学校の時、何もしていなかったのに、無理だよ…
まだ何も始まっていない時からそんな弱音を吐くこともあります
いずれにせよ、私は淡々と添削をする、解説を要求されたらとことんする、という姿勢を保ちます
そしてこれまでも、たくさんの中学生たちをそうやって見つめ続けてきました
「どうしたらいいかわからない」のまま止まっている子は、
いつまでも挑戦すらせず、誰かが何かしてくれるのを待っています
はじめて自分の好きに進めていい教材を手にした子の中には、
私が制止するほど猛烈に取り組んでしまう子もいます
ある子は学校の課題とDKの教材でいっぱいいっぱいなのに、
ある子はすべて終わってしまって、他の教材を要求してきたりします
どの子も、「それでいい」って私は思っています
大人として脅して、罰でも与えて、ルールを強いて、やらせれば、
大人として脅して、罰でも与えて、ルールを強いて、やらせれば、
やるのかもしれません
1年生ならまだ小学生みたいな大きさで、精神的にもまだ子どもです
1年生ならまだ小学生みたいな大きさで、精神的にもまだ子どもです
1年生のうちに強制的にルールを守らせるように仕向ければ、
3年の高校受験までなんとかそのまま進めるかもしれません
3年の高校受験までなんとかそのまま進めるかもしれません
でも、
高校生になったら?大学生になったら?社会人になったら?
やらさせて伸ばされた子達のその後は?
具体的には書きづらいので書けませんが、
みなさんが想像するとおりの人間が育っていきます
自分の好きも嫌いも得意も苦手も、問答無用でただ勉強さえしていればいい、と育てられた子達の未来を
想像してみてください
嫌いでも、苦手でもいいじゃん
と、私はずっと話しています
今回書いた返信は、これまで多くの中学生から同様の質問を受けたときに答えた内容と何も変わっていません
本当にそう思っているから
心からそう思っているから
私はどんぐり指導者として、年長~6年生までのどんぐりライフの応援をする仕事をしています
でも、私の専門は高校入試です
その対象は中学生です
はじめて塾の教壇に立ったとき、そこは中3のクラスで、
その後数年間で、いろんな中学生を見て、考える機会を得ました
勉強できるけど性格がよくなくてみんなに嫌がられている子…
勉強はできないけど人間的な厚みがあって大人の私も安心できるような存在の子…
勉強という物差しだけで測ると、AなのにB、みたいな判断になる自分にも気づきました
その数年後に、私はどんぐり理論に出会いました
糸山先生はよく言っていました
中学校までは全国共通の基準で作られた教科書を平等に使っている
文科省の指導要領をもとに、全員が同じことを同じタイミングで学んでいる
だから、自分の状態がわかる
一斉に同じことをしている中で、自分が理解できることできないことが明確にわかると
逆算して、中学校3年間で学ぶ内容など、なんてことないようにどんぐり問題は設計されています
でも、
もちろん、その差は出てきます
できる、できない
点数がとれる、とれない、の差です
それは以前も何度も書いているけど、
走るのが速い、歌うのが上手い、踊るのが…と同じことで、
大事なのはそういう自分を知ることです
そういう自分で堂々と生きる準備をすることです
なんのために中学校の勉強はあるのか
私が書いた返信の通り、私は人生の目次を一覧するようなものだと考えています
専門的に掘り下げる前に、
いったい世界はどうなっているんだ
いったいこの先はどうなっているんだ
と、
その入り口をちらっと覗くような
そして、
この先、掘り下げようと思ったときに、そこに書いてある文章が読めたり、図解を理解したりできるように
まっすぐな線をたどっていけるように
線が引いてあるのに線じゃない方へひっぱられないように
そういう素直な読み取り方も、
誰に言われるでもなく、自分から読み取ろうとする意欲があれば、できるはずなんです
だから、
どんぐり時代は「視覚イメージの再現」ができるかどうか、
ゆっくり・ジックリ・丁寧に、取り組む時期なんです
3匹、って言ってるのに5匹描いちゃうような、
2列、って言ってるのにぐちゃぐちゃに適当に描いちゃうような、
まずはそこから、子どもが見せてくれるその状況から、
環境を整える大人の役目がわかります
そういう描き方をする子どもを責めてしまう方がいるようですが、
おかしな話です
そういう状況にしたのは環境なのです
子ども自身のせいではないのです
ゆっくり・ジックリ・丁寧な小学生時代を経て、
模索の中学生時代に突入します
でも、私の専門は高校入試です
その対象は中学生です
はじめて塾の教壇に立ったとき、そこは中3のクラスで、
その後数年間で、いろんな中学生を見て、考える機会を得ました
勉強できるけど性格がよくなくてみんなに嫌がられている子…
勉強はできないけど人間的な厚みがあって大人の私も安心できるような存在の子…
勉強という物差しだけで測ると、AなのにB、みたいな判断になる自分にも気づきました
その数年後に、私はどんぐり理論に出会いました
糸山先生はよく言っていました
中学校までは全国共通の基準で作られた教科書を平等に使っている
文科省の指導要領をもとに、全員が同じことを同じタイミングで学んでいる
だから、自分の状態がわかる
一斉に同じことをしている中で、自分が理解できることできないことが明確にわかると
逆算して、中学校3年間で学ぶ内容など、なんてことないようにどんぐり問題は設計されています
でも、
もちろん、その差は出てきます
できる、できない
点数がとれる、とれない、の差です
それは以前も何度も書いているけど、
走るのが速い、歌うのが上手い、踊るのが…と同じことで、
大事なのはそういう自分を知ることです
そういう自分で堂々と生きる準備をすることです
なんのために中学校の勉強はあるのか
私が書いた返信の通り、私は人生の目次を一覧するようなものだと考えています
専門的に掘り下げる前に、
いったい世界はどうなっているんだ
いったいこの先はどうなっているんだ
と、
その入り口をちらっと覗くような
そして、
この先、掘り下げようと思ったときに、そこに書いてある文章が読めたり、図解を理解したりできるように
まっすぐな線をたどっていけるように
線が引いてあるのに線じゃない方へひっぱられないように
そういう素直な読み取り方も、
誰に言われるでもなく、自分から読み取ろうとする意欲があれば、できるはずなんです
だから、
どんぐり時代は「視覚イメージの再現」ができるかどうか、
ゆっくり・ジックリ・丁寧に、取り組む時期なんです
3匹、って言ってるのに5匹描いちゃうような、
2列、って言ってるのにぐちゃぐちゃに適当に描いちゃうような、
まずはそこから、子どもが見せてくれるその状況から、
環境を整える大人の役目がわかります
そういう描き方をする子どもを責めてしまう方がいるようですが、
おかしな話です
そういう状況にしたのは環境なのです
子ども自身のせいではないのです
ゆっくり・ジックリ・丁寧な小学生時代を経て、
模索の中学生時代に突入します
じゅうぶんに模索させてください
目次を見ただけで嫌悪感を示すようなことになるなら、
まだ視考力が備わっていない可能性があります
目次を見ればその本の内容にわくわくする、
まだ読んでいないその先を想像して、楽しみになる
それが、中学時代の勉強です
目次を見ただけで嫌悪感を示すようなことになるなら、
まだ視考力が備わっていない可能性があります
目次を見ればその本の内容にわくわくする、
まだ読んでいないその先を想像して、楽しみになる
それが、中学時代の勉強です
数値化される学業成績を、
我が子の人間としての評価だと勘違いしないでください
我が子の「勉強分野」での指針のひとつに過ぎません
勉強しているのは子ども自身なので、
それを見てどうするかは子ども次第です
どうしたらいいのかわからなくて、
どうしよう、と相談されたら話し合ってください
相談もされてない、困ってもいないのに助言する必要はありません
困りなさい、と強制するのも変な話です
ただ、何に対しても意欲がない、心を動かしていない…となると、
それは、
糸山先生の言う「30%の力で生きている」状態かもしれません
それでも生きていけるから
でも、
自分の人生を楽しんで生きるためには、そのエネルギー量では足りません
だからといって、やっぱり親がずっとそばで支えてあげることはできません
本当ならそうならないよう、12歳までになんとかするのが一番ですが、
もしその時期を過ぎているなら…
やっぱり教育年表にあるように、
何度でも大事なところに回帰するのです
だって、すべきときにすべきことをせず、すべきでないことをしてしまったのですから
何度でも、親の元に子どもがいてくれる間に
子どもが親をまっすぐと見つめ返してくれている間に
抜かしてしまったことを取り戻すのです
他でもない、あなたと暮らした日々で、子どもたちは今のようになったのですから
我が子の人間としての評価だと勘違いしないでください
我が子の「勉強分野」での指針のひとつに過ぎません
勉強しているのは子ども自身なので、
それを見てどうするかは子ども次第です
どうしたらいいのかわからなくて、
どうしよう、と相談されたら話し合ってください
相談もされてない、困ってもいないのに助言する必要はありません
困りなさい、と強制するのも変な話です
ただ、何に対しても意欲がない、心を動かしていない…となると、
それは、
糸山先生の言う「30%の力で生きている」状態かもしれません
それでも生きていけるから
でも、
自分の人生を楽しんで生きるためには、そのエネルギー量では足りません
だからといって、やっぱり親がずっとそばで支えてあげることはできません
本当ならそうならないよう、12歳までになんとかするのが一番ですが、
もしその時期を過ぎているなら…
やっぱり教育年表にあるように、
何度でも大事なところに回帰するのです
だって、すべきときにすべきことをせず、すべきでないことをしてしまったのですから
何度でも、親の元に子どもがいてくれる間に
子どもが親をまっすぐと見つめ返してくれている間に
抜かしてしまったことを取り戻すのです
他でもない、あなたと暮らした日々で、子どもたちは今のようになったのですから
中学生の模索の時期は人生に役立ちます
その内容よりも、自分がどうもがいて、どう抜け出したかが経験になります
親もまた、
模索の時期です
悩んでも、もがいても、子どものことを諦めず、真剣に向き合ってください
その内容よりも、自分がどうもがいて、どう抜け出したかが経験になります
親もまた、
模索の時期です
悩んでも、もがいても、子どものことを諦めず、真剣に向き合ってください
子育て期は終わっているので、
その結果の最初の1ページを見せつけられ、ショックを受けたりしている人もいるのかもしれません
でも目をそむけることはできません
向き合うことが、この先の親子関係、家族関係にも大きく影響してきます
それこそ、人生に役立つ日々になります
その結果の最初の1ページを見せつけられ、ショックを受けたりしている人もいるのかもしれません
でも目をそむけることはできません
向き合うことが、この先の親子関係、家族関係にも大きく影響してきます
それこそ、人生に役立つ日々になります