今月も茶話会を開催しました
これは終わり頃に話していたのですが、
かつてより随分、「誰かと子育てのことを話したい」という人が減ってきたのかも、という感想がこぼれました
茶話会では子育ての話、どんぐりの話、日頃の子どもたちのこと、自分がこれからしていきたいことなど、とりとめもないおしゃべりが展開します
でも、いつのまにか同じメンバーが繰り返してきてくれる状態に
送迎などで顔を合わせても、みんなと話そうとしない、私と話そうとしない?方が以前より増えたかもしれない…とふと思い、寂しくなりました

かつては多すぎて、ひとりひとりがなかなか発言できないくらいでした
宿題のこと、どんぐりのこと、子どもの人間関係のこと、ママ友のこと、旦那さんのこと…
いろんな話題の中で、自分のことも話して、ああ、なるほどって思ったり、ああ、うちとは違うけど、みんな頑張ってるな、って励まされたり…

いつからか、あまり人とそういう話をしなくなったのかな、って感じます

みんな忙しいのかもしれない
でも、どんぐり学舎に子どもが通っていて、普段、どんな感じなのかな、ってみんな本当は興味を持っている、どんな仲間と一緒にやってるのかな、って知りたいと思ってる、気にはなっている…と信じたいです

平日ばっかりで、
午後ばっかりで、
出られません!っていう意見もあるのですが、
以前は日程を決めるのは保護者さんたちでした
私の都合を聞いて、
あとは言い出しっぺが好きな日程に決めて募集をかけました
だからいつだって開催できるんです

来月も開催します
来月はあんこ作りをしながらおしゃべりです
そうだ、と思って、徒歩圏内の公民館の調理室の空き状況を聞きにいってみたら、
先約があり、断念
やっぱり学舎ですることになりました
冬は焚き火か薪ストーブを囲もうかな…
でも、ニーズがあれば…にしようと思います

さて今月は私がいつも作り置きしている、リップクリームと万能クリームを作りました
オンライン参加の方には退屈な思いをさせてしまったかもしれません
申し訳ありません
あんこ作りもだけど…(涙)

前半ほとんど自己紹介やおしゃべりで終わって、最後の1時間でばたばたと作りました
今回はティーツリーとミントの製油で、風邪予防にもいい感じです

クリームにはシアバターもブレンドしたので、
柔らかに完成しました


リップクリームは材料費分程度の金額(200円)で教室でお分けしています
お子さんがDKオンラインの通信生の場合は教材に同封できますので、
もし、欲しい方がいらしたらいつでも連絡くださいね
わざわざ送料をかけて送るほどのものではないので…
いつか教室にいらしたら、お買い求めくださいませ

茶話会では、
宿題について、
どんぐりを身近な人に伝えるための方法について、
群れ遊びのこと、
どんぐり問題の進め方などについて話題になりました

事前に質問があったのに話題にできなかったこともありました

●おうちどんぐりで、きょうだいの年齢が近い場合はどのように実践しているか

▶私個人の意見ですが、できれば別々のときに取り組むのがいいです。子どもの特性にもよりますが、お互いを気にしないようなら別々の問題を手渡して、スムースに進められる場合もあります◀

●「学ぶ」とはなんなのか、教科学習と日常生活で得られる知識とを活かすためにどうしたらいいのか

▶私の意見。子どものまわりはすべて「学び」で、アプローチ方法は「遊び」です。どんなことも「楽しみ」に変換できれば楽に習得できます。
「さとこ先生のお子さんが小学生くらいだった頃はどうでしたか?」とあるので、思い出してみると、日常生活でも、室内に置くものでも、外に出てなにかするにしても、いったいどんなことが将来の何につながるか私にはわからないなあ、って思ったので、ありとあらゆる可能性のかけらを散りばめるようにしていました
何にも意識せず、適当に過ごしていたとは言えません
いろんなものにちいさいうちに出会わせたい、という希望はありました
私の知っている限りの小さな世界ではなく、一緒に見る景色の中で、その子が見つけ出す、私には見えないものを一緒に楽しむような気持ちでした
だから、ひとつの楽器や、ひとつのスポーツの習い事などに集中させたいと考えたこともありませんでした
音楽ならあらゆる音楽に触れて、感じて、味わう
スポーツなら、あとで(部活や趣味で)なんらかのスポーツに没頭するとしても、筋力や瞬発力、持久力が自然と備わっていればなんでも楽しめるだろうな、と思っていました
親の私たちが比較的得意だったり、経験があったりすることの範疇に限らず、出会いを大切にしました
でも、基本的には、「自然遊び」が芸術にせよ、スポーツにせよ、すべての基盤になるのだな、という確信を後日持ちました
たくさん自然の中で遊んでよかったな、と
徐々に学校で教わってくる科学的事実や、言語化など、子どもが自身の経験と結びつけて心を震わせていることがでてきます
私は質問されれば答えたり、一緒に考えたりはしましたが、知識を押しつけるようなことはしなかったと思います
むしろ、説明したい子には説明をしてもらって、それを聞いているのが楽しかったです

いつ、どんなきっかけで何に出会うかは親にもわかりません
子ども自身ももちろん知りません
神様だって知らないかも
出会った!と思ったら違った!なんてこともあるかもしれません
それは人との出会いも同じです
こういう人に出会ってほしい、と願っても、いいタイミングで理想的な出会いが整っているわけではありません
なんでこんな人と出会ったの…って悩むこともあると思います
それも含めて、学びなんだろうな、って今はわかります
親子で悩んだことも、話し合ったことも、すべて

勉強に関しても、子どもがいつか自分の興味の向く方向へ自分の足で歩いていくとき、
子ども時代、児童生徒時代のなんらかの教科学習の基礎が役に立つかもしれません
でも、教科学習の目的はすべてを形に残すことではなく、そのとき、そのとき、新しいことを知る楽しさを味わうことでいいと私は思っています

赤ん坊時代、初めて出会うものに目をくるくるさせて不思議そうに、でも、一生懸命触ろうとしたり、口に入れたりしてふがふが試していたあの好奇心が、形を変えて継続しているだけだなあ、と

あ、これに興味があるのね、ではこちらの方向へ…と、案内などできません
その先に何が待っているのか、私にもわからないのです
だから、
安心して、子どもの好奇心のかけらの輝きを楽しんで見守っていてほしいです◀

●不登校支援の場で、学校に通っていなくて、勉強についてほとんど何もやっていない子について、これだけはやっておいた方が後々その子のためになる、ということがあれば知りたい

▶糸山先生は「教科書の音読、合わせ読み」は必須だと不登校の親子さんに伝えていました。私も伝えています。オルタナティブスクールや、ホームスクールをしている方々から嫌われがちな教科書ですが、糸山先生曰く「教科書は同年の人間同士の共通言語である」といい、確かにその通りだと私も思います
教科書を軽視している方によくよく話を聞いてみると、実際は教科書のことを深くご存じないし、あまり見たことがない、という方もいたりします
私は小中学校の全教科の学校の教科書をずっと教材研究の基本として見続けてきましたので、教科書の中身がどのように変わってきているのか、その変遷もわかりますが、そんなことより、なにより、やっぱり教科書に書いてあることはとても重要なことばかりだという事実も知っています
最近、中1英語で躓く子が本当に多く、スタートから遅れをとってしまい、とても困惑している生徒さんが多くいるのは事実なのですが、実際に中学1年生の英語の教科書を開くと、最初に、アルファベットの書き方、英語罫のノートにどのように英文字や英文を書いたらいいのか、など、基本的なことが丁寧に大きく図解してあります
それでも、中学1年生の書く英文を見ると、文頭が大文字ではなかったり、アルファベットがままならなかったり、単語と単語の間が空いていなくて全部つながっていたりと、「どのように書くか」の基本からできていない子がとても多いのですが、でも、それは、教科書の巻頭にしっかり書いてあることばかりです
つまり、書いてあるのに読んでいない
書いてあるのに、学校の授業で先生がそこを読まないと「教わっていない」と思ってしまう
そこが問題なのです
書いてあることを自分で読めて、読んだ上で、わからないことを誰かに質問できる、
学校に行っていても、行っていなくても、それができれば将来困らないと思います

正直、学校の授業では教科書を読みあげているだけの先生もいますし、(それは私自身も小中学生の頃感じていたし、私は教科書が大好きで、もらってすぐに全部読んでしまうような子どもだったので)「授業で習ったからわかる」「習っていないからわからない」というのは、小中学生時代の私自身も「そんなことはない」と思っていたくらいですから、関係ないのです
先生はきっかけを与えてくださっているに過ぎず、学びを深めるのは自分自身です
塾で先取りしている子が早く答えを言えたり、計算塾に通っている子が計算が速かったりするのも子ども時代から感じていたけど、自分が必要なとき、自分が必要なだけ鍛錬すれば先取りや計算だけ速い子なんてライバルにもなりませんでしたから、脅威に感じもしませんでした
それは、教科書を読んでいたからかもしれないし、点数のため、成績のために勉強しようとしていなかったからかもしれません

そんなわけで、教科書は低学年時代は絵本で、高学年からは読み物として、楽しんで読み、味わっておくといいです…というより、学校に通っていないならそれは必須だと私は思います
学校に行っている子は、うわのそらであっても、授業中、それらに嫌でも触れていますから、集中はしてなくてもリスニングしていたり、目には入っていたりするわけですから


茶話会に集まってくれた教室のみなさん、
オンラインで全国各地、また海外からつながってくださったみなさん

ありがとうございました!
またお話しできる日を楽しみにしています

これを書いていて、思い出しました
先週の座談会について、記録として書いておこうと思っていたのに書いていませんでした!
来週から少しずつ、書いていきます