スキーを通して、自分の身体と斜面との関係から、
逃れられないバランス感覚を伝え、そこからいろいろなことを学べると悟った私ですが、
今年は竹でイカダを作って試行錯誤している子どもたちを見て、
SUPを買ってみました
子どもたちみんなでSUPに乗ると、
ひとりひとり勝手には動けません
相手の動きに影響されます
自分の動きも相手に影響されます
これはまた、いろいろなことが体感できそう
そう思ったのでした

最近、
子どもたちの個性や、人権、学び方、育ち方の多様性の話になると、
それぞれの、個の能力を伸ばすこととか、その子の個性を尊重してじゃましないこととか、
すごく、大切なことで、もちろん、そこは軽視しちゃいけない、というのはわかるのですが、
それ以上に、
それ以前に…?
その子は、一生自分の個性を生かして、個性を頼って、個の能力を最大限活用して、
ひとりで生きていくわけじゃないよね?って思うことがあります

テレビで有名になった「さかなクン」が、どんな風に育てられたのか、
すでに有名な話で、私も何度か紹介してきました

さかなクンが子どもの頃、宿題も勉強もしないで、魚の観察や魚を絵を描くことばかりしていて、先生に注意されても、「この子はこれがあるからいいんです」と言ったり、
水槽があると思って吹奏楽部に入ってしまったさかなクンに貯金をはたいて楽器を買ってあげたり、
高校生になっても、笑顔がかわいいんだから笑っていればいいのよ、って褒め続けたり
そして、大人になったら「自由に泳がせていたら本当にお魚になっちゃったね」って言ったり
おおらかで、子どもの頃からさかなクンの個性を大事にして、誰にも妨害されないように一生懸命だったお母様の様子を想像すると微笑ましいし、とても逞しいと思います
さかなクン自身も、そんなお母さんの態度のおかげで、
「自分の性格を恥ずかしいなどとは思いませんでした」と言っています

でも、さかなクンのお母様の子育てでとても大事だと思うのは、これだけではないんです

さかなクンのお母さんは、「礼儀」や「言葉遣い」「思いやりの心」に対しては厳しかったそうです
私は、
個性的な子、特性のある子には特に、ここが大事なんじゃないかな、と
個性的で、他者の意見を受け入れるのが難しい子にとってここが一番の課題なんじゃないかな、っていつも思います

私もずいぶん、個性的なお子さんと出会ってきました
個性的すぎて、友達が作りづらい子、学校の先生に誤解されちゃう子、周囲に馴染めず、集団生活が難しい子、その他いろいろ

学校の先生が困ってしまうポイントもわからないでもないです
指示通り、一糸乱れぬ集団行動を常にさせる必要はないと思うし、
そんな指示を拒みたくなる子どもの気持ちもわかります
でも、
じゃあ、次は○○しましょう、と言った時に、
いいえ、やりたくないので、好きなことをしています
と言われたら、そりゃ、困るでしょう

それを、「子どもの個性を尊重する」ということとして、許してしまいすぎて、
我慢ができない子どもが増えているのは事実です

お父さんでもあるテレビタレントさんがラジオで、我が子の授業参観に行ったら、出歩いている子が何人もいて、先生も、参観に来ている親御さんも何にも注意しないことを不思議に思った、と話していましたが、それも「いま、その子は歩き回りたいのだから、それでいいんです」という意見があるのでしょうか

学校でなくても、
オルタナティブな学校や、遊びの集団、私の教室のような小さな集まりでもやっぱり、
「みんなで○○しよう」というときに、「したくないからしない」と個別行動をする子はいます
たとえば集まって最初は、絵本の読み聞かせをしよう、としても、
「あ、それはもう知ってるからいい」と別室に行ったり、
自分の知っている結末を大声で言ってしまう子もいます
「自分は知っているし、読んだことがあるから読み聞かせの必要はない」という意思表示のようです

ひとむかし前は、
読んだことがあるからこそ読んでほしい(お気に入りの本だから)みたいな子や、
自分が知っているからこそ、みんなにも知ってほしい、という顔でわくわくしながら聞いている子などがいましたが、今は、知っている子は「いい」って言う子が増えました

カラオケで、昔は十八番を歌ったものだけど、今は、同じ曲を何度も歌わないという文化になったのと同じなんでしょうか(笑)

特性があるから、個性的だから、
個性を重んじる、その子のしたいようにさせる、という「時間」はとても大切だと思います
目立った特性が見えなくても、どの子もみんな尊重されるべきです
でも、
その逆も言えるのではないでしょうか
自分の個性だけが大切にされるのではなく、
誰の個性もみな、大切にされるべきである、という当然のことを、
子どもながらに知りながら成長する方が大事なのではないでしょうか

さかなクンはお母さんの「礼儀」「言葉遣い」「思いやり」についての厳しい教育のおかげで、「人と人とのつながりを深め、世界を広げてくれました」と言っています

ちょっと人と違っているからって、仲間はずれにされたり、後ろ指さされたりして、その子が傷ついて、将来の進路選択も阻まれて、世の中も他人も信用できなくなってしまう…という事実もあります
そこを懸念して、異才発掘プロジェクトが立ち上げられたこともあります

でも、さかなクンは周囲にバカにされても、先生に注意されても、自由に泳ぎ続けたのです
そして、周囲の大人たちに認められ、多くの仲間たちと共に生きる道を見つけました
ひとりだったらできないことも、仲間、協力者のおかげでできているのは、
礼儀や思いやり、言葉遣いを大切に育てられてきたからではないでしょうか

そんな表面的なことは関係ないのでは、と思う方もいるかもしれません
でも、
私はそう確信しています

ここで、もう一度確認しておきます

さかなクンのお母さんのそうした(礼儀などに厳しいなど)一面がさかなクンにちゃんと響いたのはなぜでしょうか

うちの子は何度言っても聞いてくれない、
注意しても直らない、
ちっとも言うことなんか聞かない、と悩んでいる親御さんはとても多いです

注意されすぎて、親の前でだけ豹変する子もたくさんいます

それでは意味がありません
厳しい先生の前でだけ従順なことに意味がないのと同じです

さかなクンのお母さんの場合、バランスが保たれていたのではないでしょうか
個性を重んじること、他者の誰からも守ることが最優先で、
常に、さかなクンはお母さんに愛され、尊重されていることを実感していたでしょうし、
でも、
これだけはいけません、これは絶対に守るべきことです、という部分に妥協はなかったのでは

だから、
聞く耳を持ったのでは

子どもを愛し、尊重していることを、
子どもの要求を呑むことで表そうとする親御さんもいます
何か買ってあげるとか、なにか許してあげるとか
さかなクンのお母さんが勉強しないことを容認したり、楽器を買ってあげたりしたこと、それだけを真似ても、違うのです

ひとりで生きているんじゃないんだよね、
って
みんながいるから自分がいるんだよねって、我が子に伝え、見せながら育てたいですね

子どもはいつか、ひとりだちします
親元を離れ、親以外の誰かと生きていきます
新しい家族を作る場合もあるし、
新しい仲間と働くこともあるし、
新しい隣人と暮らすこともあるでしょう
誰かに助けてもらいながら生きるかもしれないし、
誰かを助けながら生きるかもしれません
いずれにせよ、
自分の人生を楽しんで選択して生き続けてくれたら、
それが親にとって一番幸せな子育ての結論ではないでしょうか


SUPでふたりで向かい合って、
できるだけ長く立っている、というのをやってみました
ひとりがバランスを崩しかけると、向かい合う子も崩れます
共に崩れて川にどぼん!となることもあるのですが、
一方が崩しても他方がより力を込めてバランスを保ち、
落ちずに維持することもありました
ふたりとも川に落ちずに乗っていられるのです

そんな様子を思い出し、
子どもたちにこういう経験をもっといろいろしてもらえたらなあ、って思いました