(泳いでけ キハダマグロよ どこまでも♪を見ている図)
どんぐり学舎では保護者さん座談会を定期的に行っています
とっても素敵なイベントスペースが市内にあって、
いつもそこを利用しています
(中居町きっさこ)
子どもたちの長期休みの時には、子どもたちが遊んでいる間に座談会ができるよう、提案しています
あえて、私が主催するのではなく、保護者様のどなたかの声掛けで、都合のつく方が自由に参加できる仕組みです
私はできるだけ、最初から最後までいるようにしています
どんぐり学舎では自然遊びのイベントなどがあるので、お子さんが違う曜日に通ってきていても、お互いに顔見知りであることが珍しくありません
それに、初対面の保護者様同士でも、みなさん、とにかく優しくて、穏やかな方ばかりなので、いつのまにかとっても仲良しになっていくのが特徴的です
できれば、お父さんがもっと参加できるような座談会をこれからは企画してほしいなあ~って思っています
子どもと一緒の座談会でも話せなくはないのですが、やはり、大人だけで話し合える時間はとても貴重です
何気ない雑談から、深刻な話まで、それぞれが、信頼できるメンバーで打ち明けあう時間は、とても大切な時間に思えます
さて、先週も集まって色々しゃべりましたね
とっても繊細で、プライバシーに関わる内容でもあるので、詳細をここに書くことはできませんが、今回、座談会を通じて私が確信したこと、座談会後2日間、考え続けていることをこの日曜の午後に、ここに書いてみようと思い立ちました
(だってひとりぼっちなんですもの!)
今回も、メディア接触、お小遣い制度など、色々な話題が飛び交い、他の家の方針を聞いてなるほど~と参考にしたり、一緒に悩んだり、考えたり、みんなで意見を出し合ったりしました
私から見て、(私は子どもたちのどんぐり作品を毎週見ているので、子どもさんの進化の度合いや、集中力・情緒の安定度など、その特徴がわかっているのですが)どんぐり問題をフル活用して絶対学力を確保しつつある(最終形に近付いている)と思われるお子さんの保護者様の「覚悟」は、やはり相当な強さであると確認できました
たとえば、お小遣いについて
ある日、子どもが友達と約束して遊びに出掛けましたが、友達のお金の使い方が、小学生らしからぬもので、お札がどんどんなくなるようなものであった、と
もちろん、小銭しか持って行かなかったその子は見ているだけでしたが
帰宅してそのことを何気なく親に報告した子に対し、親は、「そのお金の使い方は、私たちとしては認められない」と両親の考えを告げました
その上で、お金をどう使っていくか、真剣に話し合い、一緒に考えたそうです
案の定、その子はまた同じ友達に誘われたわけですが、同様にお金を使うような遊びであれば行かない、と断ることができたそうです
(これが、我が家でも全く同じ経験がありまして…)
お金や、ものを、必要なだけいつも充分に与えられている子どもは、私の経験では「ろくなことになりません」と断言できます
びっくりするほど、中学生以降の勉強への意欲と関連しています
足りなくて、買ってもらえなくて、どうしようかな、って工夫できる状態が、子どもを賢くします
もちろん、何の理由も話さず、家の方針も伝えずにただ「だめ!!」って禁止したり、厳しく管理したりするのでは逆効果です
困ったら、親に相談できる状態、そして、話し合える関係がとても大事です
別の話題では、毎回出るメディア接触について
「覚悟」が決まっている親御さんの言動一致の方法とは
とにかく、「これが我が家の方針」ということを、納得させています
テレビはお気に入りを録画して、30分ずつごくたまに見る(子どもが自分からそうする)
ゲームは「やるだけ損」と思いこんでいる
インターネットは「恐怖」とすり込まれていて(学校のセミナーなどの影響)親がメールチェックしていても「大丈夫?」と心配してくれるほど
低学年の頃は、迷いも悩みもあったはずのそれらの保護者様たちが、年々、堂々として見えるのは、間違いなく子どもたちの進化が裏付けていると言えます
とにかく、子どもとよく話し合っている、信頼関係が構築されていて、親が言っていることを信じている、という共通点が見えました
そして、今回私が実は泣きそうなのを堪えて聞いていたのが、「うちは実は、どんぐりに入るまではゲームをさせていました」という告白でした
私は、もちろんその事実を覚えています
御両親で面接に来て、具体的にどうしていこうか、という覚悟を決める話をしたのです
たとえば、友達同士の家族で集まる時も、子どもたちは自分のゲーム機を持ってきていて、みんなでゲームをして過ごしている、その状況をどうしよう
家でこれまでゲームに費やしていた時間を、どうしよう
ひとつ、ひとつ、解決策を探り、なにしろ、夫婦でよく話し合っていたのだと思います
まだ幼かったので、「ゲームはどこかになくしてしまった」とかなんとか、ごまかしごまかし、「それよりこれやろう」って楽しいことを家族でするなど、数日間、努力を続けたそうです
いつのまにか、「ゲームはどこ?」と言わなくなり、探さなくなり、それから数年たった今、「オレはゲームをやってなくてよかった」と自分から言うそうです
こういった実例を読んで、きっと、「かわいそうに、親の偏った考え方で、子どもは自由を奪われ、やりたいことも止められてしまって、まるきり人権侵害だな」と思う方もいるかもしれません
でも、私は全くそうは思わないのです
座談会で、私は話しました
(話が下手なので、その時言いきれなかった文言も付け加えます)
もしかしたら、私の子も含めて、この方達のお子さん達は、「親が嫌がるゲームをやりたいなんて言えないな」って親への気遣いからゲームを避けたり、インターネットを怖がったり、テレビの時間を自分から制限したりしているのかもしれない
それは、一方から見れば、「子どものやりたいことを制限していてかわいそう」と見えるのかもしれません
でも、わたしは「それのどこがいけないの?」と本気で思うんです
「かわいそう」なのは、親が許しすぎてゲームやネットに依存するほど没頭してしまう子どもの行く末です
それどころか、その子たちは、お母さんとお父さんとの約束だから、お母さんとお父さんが好きで、嫌われたくないから、そうしているんです
もしそれが、親の強すぎる誘導であったり、偏った考えだと非難されるとしても、子どもの脳や、思考力に最も大事な成長の時期を、それで乗り越えられるなら、それのどこが悪く、どこがかわいそうなのか?と思うのです
いずれ、自分の選択でメディア接触をすることになります
それでも、絶対学力と、思考力、人生を楽しむ力を身につけた子どもたちは、恐らくゲームやネットに依存することなく、楽しく有意義に活用することができる大人になっていくでしょう
それに、その事を通じて何でも話し合えた家族の絆は、ずっとずっと、深いままだと思うんです
ゲームが悪いとか、インターネットが悪いとか、そういうことを言っているんじゃないんです、使いこなせる頭脳と、なくてもやっていける力、依存せず自分で考え、楽しめる力を身につけるために、大切な期間を、大切に過ごしたい
家族との絆、親子の信頼関係のために、原始的で、基本的な心のつながりを大切にしたい
そして、何度も引用しますが、人気YouTuberは書いていました
「YouTuberになりたいならYouTubeばかり見てちゃだめだ。外で遊べ!人と会え!」
天才プログラマーは言いました
「すごいプログラミングをする人は、プログラミングを小さい頃から勉強してきた人とは違う。多方面からの発想力だから。技術だけじゃないんだ。」
どんぐり学舎では、
テレビ視聴の制限・ゲームの不保持・スマホ等電子機器の不保持
を約束してもらっているはずです
中学生でも、そこにそんなに差はありません
スマホはもちろん持ちません
小学生は、親の機器を使うこともよくないことなんです
「一切、触らせません」とある保護者は言いました(我が家もそうでした)
私は、子どもの前で操作することも徹底してしませんでした
ちょっとだけなら…
という緩みが、親子の強い信頼関係が成り立った上でなら支障がないこともあります
でも、親のファジーな対応は、子どもを迷わせるだけなんです
ある一定の時期まで、「ダメなものはダメ」と毅然とした態度を見せることで、子どもは多くを感じ、学びとります
だって、大好きな親御さんの言葉なんですから
そう、ぐんぐん伸びている子たち、情緒が安定していて意欲的な子たちの親御さんの共通点は、
毅然とした態度
これに尽きるのです
ぜひぜひ、参考に
そして、子どもを迷わせることのないよう、しっかりとした方針を、ご家庭で築いてみてください
「たまにはいいよね」ができるのは、「仕上がってから」って思っていた方がいいかもしれませんよ
※注意※
いろいろご意見がありそうなので、覚悟して書きますが、親の毅然とした対応にはわが子の名前に「ちゃん」「くん」付けするのはあまり適切ではないことを加筆しておきます。長年様々な親子を見てきて、相談に応じてきて確信している私の持論です