Chapter 1 「生きやすい子」と「生きづらい子」の違いは何か

(前略)

人間関係は年齢が上がるにつれてこじれやすくなりますし、問題も大きくなりがちです。そういう意味では、苦手だからといって小中学生の段階で〈ことばの力〉をつけることを諦めてしまうと、高校生以上になって重大な問題に発展するリスクが高まるのです。
●文脈や状況を理解できない子が陥る罠●
次に考えていくのが、文脈や状況を正確に理解できない子についてです。
国語の教科には「文脈」や「行間」といった言葉があります。前後の文章の流れで意味を読み取ったり、直接記述されていない著者の思いや登場人物の心理を読み取ったりすることをいいます。人間は、経験や常識と照らし合わせて情緒力や想像力を駆使するからこそ、それができるのです。
対面のコミュニケーションでも同じです。相手を話をする際は、直接語られない言外の意味を察したり、表情やニュアンスから真意を悟ったりしなければなりません。そこでは、文脈や行間を読み解くのと同じ力が必要とされ、それこそが人間がAIよりも秀でている点であると言われています。
ところが、学校の先生達によれば、最近はそれが不得意な子が明らかに増えてきているというのです。
愛知県の中学に勤める女性教員は次のように言います。
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最近の子達は、なんでもひと言で表現しようとします。教員に部活の試合の結果について尋ねられても「まあまあ」と答えたり、傘を持ってきたのかと尋ねられても「大丈夫です」と答えたりする。これでは教員はどういうことなのか全然見当がつかない。子どもたちの間でも同じことが起きていて、言葉不足であるがゆえに会話が通じていないことがあるのです。それで驚くような誤解が毎日のように起きています。
例①修飾語であることに気づかない
クラスメイトの作文に「山頂から見た景色は震えるほど美しかった」とあった。これを読んだ生徒は、書いた人が高所恐怖症なのだと思った。(中略)怖くて震えた、と受けとった
例②状況と意図を読めないケース
受験から帰ってきた生徒に対して先生が「入試の面接はどうだった?」と聞いたところ、その生徒は「女でした」と答えた。
(中略)何を意図して質問されたのかを考えられない
例③会話の流れを読み取れない
授業中に先生が「顔色が悪いな。帰ってもいいからな」と言ったところ、生徒は怒られたと思って泣きだした。
「顔色が悪い」「帰ってもいい」の二つの言葉を相手の意図通りにつなげられないので、「顔色が悪いやつは帰れ」と言われたと思った

なぜ、こういう誤解が生じるのでしょう。先生によれば、子どもたちが幼い頃からきちんと〈ことばの力〉を磨いてこなかった上に、SNSを日常のコミュニケーションのツールとして使っていることが影響しているのではないかと言います。(引用おわり)

最近、私がテレビで見たふたつの場面を思い出しました
ひとつは、昔から見てきたシリーズものの日本のドラマです
ドラマだし、キャラだから仕方ないにしても、見ていて少し気になって、気になりすぎて、見たくなくなってしまいました
それは、初対面の人に「あんた」「おまえ」と言い合っている場面でした
設定は病院で、大人同士です
そんなわけあるかい
と無意味にひとりつっこみをいれ、そっと電源をオフにしました(苦笑)

最近、子ども同士が「おまえ」と呼び合っていることについて茶話会で話題にしてみました
私には、それが正しいのか間違っているのかわかりません
ただ、私の身近には、そういう呼び合いがあまりこれまでなかったのと、生徒同士の場合でも、30年以上塾講師をしてきて、数え切れないほどの子どもたちと知り合ってきましたが、あまり経験がないくらい、とても多く見られるのです

方言や、おもしろおかしくわざと言う感じとか、親しみを込めて、とかではなく、ごく自然に、小学生が相手を「おまえ」と呼び合っています
「別にいいじゃん、自由でしょ」と言われればそれまでで、
茶話会でも、「特に気にならない」というような意見もあったし、「自分も言っちゃう」という人もいたし、「夫(父親)が子どもに言う」という話題にもなりました
男子に多いけど、女子でも言っている子がいて、その子の親はすぐに注意した、と言っていました
ごく自然に言っているから、相手を下に見ている感じでもないし、特に大意はないのはわかります
でも、言葉って、言霊です
「おまえ」の語源は「御前」で、本来は高貴な存在を前に対峙する、とかそもそも目上の者に対して使っていたようですが、現在では目上の者が目下のものを呼ぶ呼び方として浸透したようです
もし、
みなさんが初対面の人に「おまえ」「あんた」と呼ばれたらきっといい気持ちではないと思うし、
私自身、誰かを「おまえ」「あんた」と呼んだことはありません
どちらかというと男性は日常的に使うのかもしれませんが
(訂正。どちらかというと男性の方が、日常的に使う方が多いのかもしれませんが。
→男性は日常的に使う、というのは偏見、とご意見いただき、訂正
 

まあ、本当に、そんなの知る必要も、知るつもりもないまま、子どもたちは使っています
テレビ番組の影響かな、と私が言ったら「今の子はテレビは見ない、動画の影響では」という見解が
なるほど、楽しげにやりとりする動画の先にいる、タレントさんの先輩が後輩の方をおまえ、と呼んでいたり、テレビタレントでもなんでもない仲間同士が、親しみを込めてそう呼び合っているのを手本にしている可能性は高いです
それが学校でも当たり前になって、動画などほとんど見ないどんぐりっこたちにも浸透しているのでしょうか

まだ声変わりもしていない小さな小学生たちが「おまえ」と呼び合っているのを見ると、
なんだか違和感を覚えます
気にしすぎ~と笑われるかもしれないけれど

もうひとつの場面は、
とある陸上大会の予選会のあとのインタビューでした
1位になったのは留学生選手で、日本語は話せているけれど、そんなに流暢ではありません
インタビューしているアナウンサーさんが、
「本戦ではどんな走りをしたいですか」と聞いたときでした
それまでの受け答えでも日本語で答えることに必死さが見えて、
言葉を選んでいる、というより、探している感じが表情から見えたので、
私はドキドキしながら彼がなんと答えるか待っていました
内心、「なんて漠然とした質問なんだ」と思いながら
案の定、彼は言葉を詰まらせていたようでした
その後の細かいやりとりは覚えていませんが、私は、インタビューの仕方に工夫がもう少し必要だったんじゃないか、とせっかく1位になったヒーローなのに、少し気の毒に見えてきました
これも、気にしすぎ~と笑って頂いていいくらいの小さなことですが

スマホでのテキストメッセージのやりとりは、
できるだけ短く、端的に、スマートに、というのが常識のようで、
長文や、句読点を使うことが好かれないようです

長文や句読点は中高年のテキストメッセージとして若者にバカにされ、
なるほどねえ、とは思いますが、
それはそれ、
そうじゃないときは別、と使い分けられる方が若者もかっこいいぞ、とは思います

少なくとも小学生までは、
そんなやりとりが全てだと勘違いさせたらあとが大変です
上記の勘違い例のようなことは私の周囲でもよくあり、
なんなら子どもではなく、大人の方にも見受けられます

「ことばで伝える」ができないと、
「ことばを読み取る」ももちろんできなくて、
そういった誤解が生じるのはもちろんですが、
これからたくさんの言葉と生きていく(少なくとも座学をあと何年か続ける義務がある)子どもたちは苦労します

そういうやりとりを家庭で大事にしてこなかったのに、
「勉強ができるようになってほしい」
「なんでこんな問題も解けないんでしょう」と言われても、
まずは日常会話だし、ことばの力でしょう、と思うのです
ましてや、
「今からは英語でしょう」と早くから英語教室に入れるのは自由ですが、
その何倍も日本語力を磨かないと、英語だって使えません
「英語が話せる」のと「英語で話せる」の違いが出てきます

各家庭が何を尊重しているか、という違いが子ども同士のやりとりでも顕著で、
子ども同士の言い合いなどを聞いていても、
拙いけど一生懸命いろいろな言葉を使って相手に伝えようとする子と、
は?なんで?うざ!みたいな言葉を投げつけて終わらせようとする子といるなあ、と感じます
知らない、わかんない、でその場を抜け出そうとする子もいます

たとえば上記の勘違いの例で、入試の面接について先生と話すケースでは、
「入試の面接はどうだった?」と問われて、「何を聞かれたんだろう」と思ったならば、
「何を聞かれたか、ですか?」とか「人数とか、ですか?」とか、こちらから質問を砕けばいいのです

そんな大人っぽいやりとりは先生とは難しい、と思うかもしれないけど、そういうことの練習って、子ども同士、または親子、きょうだいの中での言葉のやりとり、誤解した、誤解されたの経験からできていきます

もし、昔の家族みたいにみんなで同じテレビ番組をワイワイ見ているとしたら、その場でいろんな話ができるのに、今は、子どもがひとりで見ている、それを、家族で共有はしないから、家庭内で別の文化が流れている、という感じなのでしょうか
それは違うぞ、というのも、言いづらいし、気づきづらいかもしれませんね

とにかくなんだって使わなきゃ使えるようにならないさ、っていうシンプルな話でした
そして、子どもに使いこなしてもらいたいなら大人がその手本を見せなきゃね、っていう話でした