(忘れられない思い出がいっぱいの、高崎城趾のお堀)

昔の私を知る人は、
偉そうにこんな文章を書いていることを笑っているかもしれません
いえ、小中学生までの私を知る人は、意外には思わないかもしれませんが、
高校生以降の私を知る人は、笑っていると思います

たぶん、人生で一番「勉強している」現在、もしかしたら一番「勉強」しなくちゃいけなかった時期に全然「勉強」しないで、いわゆる、親を喜ばせてあげられるような出世コースを早々に外れてしまった私が、何を偉そうに、と自分でも笑いながら書きますが…

とにかく、いま、まだ、知りたいことが山ほどあって、勉強したいことも山ほどあって、見聞きしたことは全部記憶したくて、全部考えたくて…でも、見事に忘れるんですね
たとえば、暇さえあれば英語や日本史の本を読み、運転する車の中では「英単語→日本語→英単語→日本語…」と反復される音声をエンドレスで流しているし、生徒が勉強している間、一緒になって英単語や連語をノートにテストしたりして「勉強」していますが…覚えられません
日本史なんて、高校時代、山川の一問一答を10回転以上解いて、机の上に積み上げたら倒れてきて危険なくらいたくさんの問題集をどんどん解いて、センターの過去問でも、どの大学の赤本でも9割はとれていたのに、今見返すと、「初めて見た!」というような項目ばかり
忘れてしまうんです
少しの間は覚えているんです
だから、もし、明日テストだよ、って言われたら、100点を取ることはできるかもしれません
でも、1ヶ月後には忘れています
みなさんはいかがですか?
学生時代に必至に「暗記」したことを、どれくらい、今でも維持して覚えていますか?

逆に、忘れようとしても忘れられないことはなんだろう、と考えてみると、
あんなことやこんなこと…あーあ…恥ずかしい思い出やら、わくわくした思い出やら…やけに心に響いた歌やら…ドラマやら…映画やら…

そして、勉強関連で言うと、なぜか国語の文法なんです
それはなぜかな、と考えると、私がこの仕事を始めて最初に担当したのが進学塾の国語の授業で、その塾の最高峰のクラスの生徒達の頭脳が凄まじく優れていて…私の無能さなんてすぐに見抜かれるわけです

それでも、当時、もう26年も前ですから、若さと美貌で(!!??)…それと、勢いで、なんとか毎日の授業をこなしていたわけなのです
でも、もう、どんな質問が来るのか、怖くて、怖くて、毎日寝ずに授業準備をするのですが、当時、マンツーマンで毎日授業の練習をしてくださった当時の塾長先生(社長)に、「ねぎっちゃん(旧姓に基づく呼称)、授業のために100準備したとして、実際に出せるのは10あればいいほうだよ」と教えられ、ううむ!もったいないけど、そうなのか!!90は出せない覚悟で100準備しておくのか!!とそれはもう、毎日泣きながら、本当に泣きながら、出勤…
深夜に帰宅するとまず入浴して、翌日の服(制服がありました)を着て机に向かい、眠くなったら机につっぷして仮眠し、熟睡しないようベッドに入らず…という毎日でした
その頃必至に勉強していたのが国文法でした
国語の成績に悩んだことはそれまでなかったので、むしろ、最もそれまで勉強していなかった科目といってもいいのが国語でした

進学塾の国語の授業では、現代文や古典の読解はもちろん、漢字や熟語の知識、慣用句や四字熟語などの知識問題、そして、現代語の文法を教えます
全ての項目において、私なりの授業方法を結果的には確立し、国語の授業が最も得意であることは現時点では言えるのですが、そう言えるまでにはどの項目においても、革命的な(自分のやってきた方法や思いこみを全て排除してやりなおすという)勉強法を自分で見つける、という過酷な時期がありました
中でも、最も難解だったのが現代語の文法でした
給料の大半をつぎ込んで、文法書を買いあさり、基礎から全て、解き直し、日本現代語の文法について勉強し直したのです
あの、最高水準クラスのみんなに、…バカにされないように…なめられないように…実は彼らといくつも年齢が違わない私は必至でした

たぶん、今でも日本現代語の文法がほとんど頭に入っていて抜けないのは、当時の私の必至さと、途中からおもしろくなってきてどんどんのめり込んで積極的に勉強し続けた情熱によるものなのでしょう

ここで、エビングハウスの忘却曲線のことを考えてみます
一生懸命暗記したことも、31日後には8割ほど忘れている、というあれです

これが私の日本史の記憶かもしれません
…確かに、日本史の暗記には情熱は注ぎました
ロマンスグレーの日本史の先生が大好きで、テスト後に高得点の場合、名前を呼んでもらえるのが嬉しくて、それはそれはもう、必至に頑張りました(…あれは…恋??)
でも、その不純な動機の(?)せいか、結構な勢いで、…というか、エビングハウスさんのおっしゃる通りの曲線を描いて忘れてしまったようです

そこで、生徒達(中学生達)にもよくこの話をするのです
それはそれは素敵な先生でね……じゃなくて、
日本史の記憶と、国文法の記憶、いったいどこがどう違うんだろう、って

勉強には「暗記」しなければならないことはどうしてもあります
たとえば、英単語のスペルはどう考えても覚えなくては書けません
漢字も同じです
社会は暗記科目ではない!という意見も最近はちらほら聞きますが、じゃあ、人名や地名などを暗記せずにどうやって勉強を進めればいいんでしょうか
確かに最近では「大化の改新」と書く問題より、「大化の改新によって人民の暮らしはどのように変化したか」みたいな問題が入試でも増えています
でも、そもそも「大化の改新」という政治改革による新政は誰によって、なぜ行われて、その後どうなったのか、っていう史実は、自分の脳内で考えて思いつくことではなく、現時点でわかっている史実(中学生の場合は歴史の教科書に載っている史実)をまずは読んで覚えることが第1段階です
本当に暗記科目ではないのは数学くらいなものですが、数学さえ、公式や、解法など、ある程度覚えておかなければ解けない問題がほとんどです
たとえば、座標平面に描かれている2本のグラフを見て「この2本のグラフの交点を求めよ」って聞かれるわけです
そんなの自分で思いつく人はいるのでしょうか
3年間、関数を勉強して、それぞれのグラフの特徴を知って、覚えて、その上で、交点を求めたり、座標上の面積を求めたりする応用問題に発展させていくのです

そんな中学校の勉強に四苦八苦している生徒、そしてまた、楽勝でこなしている生徒、それぞれを見ていると、つくづく、小学校時代の思考の自由度が肝心なんだろうな、と思うのです

特に、低学年時代までに、何かを強いられていなかったか
「覚えなさい」「この通りやりなさい」と強要されてはいなかったか
勉強でも、他の習い事でも生活習慣でも同じ事で、
自由に、どこまでもまずはその脳内のスペースを広げておくべきときに、
ぎゅうぎゅうと、型の決まったことを無理矢理させられ、言われたとおりに従い、
いざ成長してきたら、脳内には余裕のスペースがなくて、ちょっとしたことを覚えておくのも一苦労…という状態に

そもそも、幼い頃から習い事や勉強系の習慣をつけようと大人が一生懸命になる理由は、
いずれやってくる「勉強しなくちゃならない時期」に備えてのことだったでしょうに、それが裏目に出ているパターンがあまりにも多すぎます

それは、あまりにも視野の狭い大人の、間違った導きだったのにも関わらず、いざ、中高生になって子どもの成績が芳しくないとショックを受け、なんなら子どもを叱咤激励し…
いやいや、そもそもあなたの言う通りにしてきたのに!!と子どもは叫ぶことも知らず
だって、自分が努力しないのがいけないんだ、とまた言われた通りに思いこんでいるのです

そんな悲劇はいやだな…

いま、まだ小さいお子さんと暮らしている大人の方はこのことを心にとめておいてください
子どもの自由な思考を広げておけば広げておくほど、暗記だろうが、ひらめきだろうが、難問だろうが、中学生になっても楽しんで解けるようになります
もう、中学生になっちゃった!!(涙)
という大人の方も、悲観することなかれ
ああ、よかれと思ってお子さんの頭脳を高めるためにしてきたことがもしかして裏目に出てしまっている場合は、大いに反省しなくてはならないけど、後悔はしないでいいんです
ただ、もうこれからは子どもを責めるのはやめてください
間違いを犯し続けるのはやめてください

私は中学生が大好きです
小学生までのちいさい子たちも大好きだけど、
中学生が好きなのは、
彼らの、不安定で、ゆらゆらした精神状態だったりとか、
思うようにならない悔しさを無気力という態度であらわす不器用さとか、
高校生のように自立、反発しきれない弱さだとか、
そのくせ、まだまだ子どもらしく素直だったりとか、
親のことが大好きなのに、大嫌いになっちゃうシーズンがあったりとか、
言ってることとやってることが正反対になっちゃうめんどくささとか、
そんな訳のわかんない中学生が、好きなんです

親にももう、どうにもならない年齢です
(私にも中学生の娘がまだ、いましてね…)
どうにかしなくていいんです
ただ、そばにいれば

忘却曲線によれば、31日後には8割の記憶はなくなっている
でも、脳内のどこかには残ってる
より脳内のわかりやすい位置に残すには、どうしたらいいか
いつも生徒達に話しています
くだらない落書きをせよ(小野妹子と書いたらさつまいもの絵を描くとか)
字の大きさを変えよ
わたしの雑談をメモせよ(ロマンスグレーの先生が素敵でね…)
そして、
心を揺さぶるの
心を揺さぶった記憶は消えないみたい
だから、数学でも理科でも、英語でもなんでも、「へえーー!!ほお!!」っていちいち心を動かしてごらん
わからなくても「わかんない」とブレーキをかけずに、「むずっ!!」って変顔してごらん
それでいいから
それだけでいいから

忘れていることが多くて~!!と中1の歴史分野を模試で失点した中3生がぼやいていたので、入試向けの一問一答集を渡すと、しばらくして、「なんだかあれをやっていたら思い出してきたんですけど…」
でしょでしょ!記憶は実は芋づる式
忘れた、といっても、どこかに隠されているだけなんです

とくに、一生懸命一度は覚えたのならば、少し復習しただけでずるずると蘇ってくる可能性は高いのです

だから、テスト前に山をかけるのではなく、テスト範囲のあらゆることをできるだけ脳内にインプットして、テスト後に、何がアウトプットできなかったかを毎回きちんとチェックしていけば、理論上、こぼれ落とすことはなくなるのです

ただし、一度も「一生懸命覚えようとしなかった」場合、そして、どの科目も深く理解しようとせず軽く流していた場合、あとでいくら復習しようと思っても取り返しがつかないことがあるので要注意です

いろんな生徒達と勉強してきて、「努力のしどころ」は人それぞれだなあ、とつくづく感じます
頑張りドキは今でしょう!?って言われても、今が一番大事な時だよ!って言われても、一向にエンジンがかからないんだよね
かけたくないんだよね
キーさえ持っていないんだよね
なんでだかわからないけど、そういう中学生時代も全部ひっくるめて、その子の人生だと私は思います
親としてはやきもきするでしょうけれど、その時点まででそういう成長を遂げた我が子に自分が影響していない、とは言い切れないのではないでしょうか

だから、見守りましょう
彼らが、自分という人間の特徴を自分でわかるように
もう、手出しも口出しもせず、ただ、こっそり後ろで両手を広げて、
彼らが、もし弱って倒れてきたら、「大丈夫だよ」って受けとめてあげましょう
先に「大丈夫?」って聞かないで、いつ倒れてきても大丈夫なように、こちらサイドもがっつり鍛えておきましょう
そうすれば、何があっても、大丈夫

彼らの人生は、これからなのだから
生きるために、忘却が必要
それが、私たちの脳なのだから

間違っても、
子どもの一生の記憶に刻まれてしまうような負の記憶を、
忘却曲線にも当てはまらないような強烈な記憶として、
残すことがありませんように