私は最近やたら目にする言葉の
共通する内容を思い出していました
“10年後はどんな世界になっているのか”
最近やたら、いろんな人から私に向けてのメッセージか?というように、
この言葉が差し向けられている気がしています
そして私は言いました
「10年後の自分はどんな風に生きていると思う?」
中学生にとって、
「将来の職業」は具体的ではないかもしれません
でも、学校で、家庭で、「将来」の話が「進路」の話にからめて
小学生の頃より少しだけ具体的に、「考えてみなさい」という風に、
話題に出てくるようになっているのではないでしょうか
彼らにとって具体的に目に見えている「職業」とは、
親の仕事と、学校の先生達、それから、かかりつけのお医者さんとか、よく行くお店の店員さんとか、工事現場で働く人とか、警察官や消防士さんとか…そんなところでしょうか
テレビやインターネットで、他にも、目立つ職業を知ることはあっても、
たとえば、そのテレビやインターネットはどんな風に作られているのかとか、
食卓に並ぶ料理のひとつひとつの食材や調味料の向こう側に、
たくさんの「職業」があることさえ、いちいち深く考えたことはないかもしれません
彼らに選択はできるでしょうか
彼らどころか、私たち大人は、これから職業を選択する彼らに、
「これが一番いいよ」ってどの職業を薦められるでしょうか
かつて「安泰だ」と思われていた大企業が、
倒産する時代がありました
倒産する、なんて誰も思いもしなかった規模や、ジャンルの会社が、
あっけなく消えてしまいました
かと思えば、今、世の中を動かしているのは、
20年前には誰も知らなかった業種の人たち…
まさかこんなにインターネットが必須の時代が来るなんて
一般人の私には想像できませんでした
(とっくに知っていた人たちももちろんいたのですけれどね)
では、この先10年、20年、現在の子どもたちが大人になる頃には、
どんな世の中になっているのでしょうか
誰か、わかる方!いますか!?
どんなスキルを身につけて、どんな準備をしておけば、
子どもたちは大人になって暮らしていけるのでしょうか?
偏差値の高い高校にとりあえず入って、
偏差値の高い大学に進んで、
誰もが知っている大企業に就職したら、安泰でしょうか!?
手に職をつけておけば、大丈夫でしょうか!?
やっぱり公務員が一番でしょうか!?
今の仕事に満足していて、幸せに暮らしている親御さんなら、
わが子にぜひ、同じ職業に就いてほしい!と願っているでしょうか
でも、
10年後は…
20年後は…
30年後は?
今の中学生と私の年齢差は約30年
彼らが私の年齢になった時、彼らは働きながら子育てをしていることでしょう
その世界はどんなだろう!
さて、30年前
私が中学生の頃、世界はどんなだったでしょう
みなさんの30年前は?
今と同じでしたか?
それならば、子どもたちの30年後は…
誰にもわからない
誰にも予測できないのに、子どもたちをどう導くのでしょうか
とりあえずいい高校に行っておきなさい、
そのために勉強しなさい、
「はい、わかりました」と素直に勉強し、順調に成績を上げて、
きちんとステップを踏む子もいないことはないでしょう
でも、私たちに、彼らの30年後を保証できる力はありません
だから、「絶対大丈夫」って無理強いはできないはずなんです
その時、私は中学生に話しました
どうなるかわからないこれからの世の中を、
みんなはどう生き抜いけばいいんだと思う?
目指していたはずの職業が、就職する頃にはなくなっているかもしれない
そしたら生きるのを諦めるのか?
すごく立派な会社に就職して、喜んでいたら、倒産してしまうかもしれない
そしたら生きるのを諦めるの?
生きていくのって、そんなことなの?
彼らは神妙な顔つきで、聞いているのか、聞いていないのか…
なんだよ、期末テストの勉強について話があるっていうからさ…
関係あるんかいな…的な…(笑)
私は続けました
じゃあ、なんのために勉強するんだろ
いい学校に進むためだけに勉強して、それでも将来の保証がないなんて、
なんか、犠牲にしてないかい?って思わない?
じゃあ、なんのために勉強するんだろ
…簡単だよ、どんな世の中でも生きていける、生きる希望が見つけられる大人に
そういう強い大人になるためなんだよ
英単語を覚えるのがなにさ
計算を正確にできるようになるのがなにさ
それくらいの努力ができないまま、大人になったら大変だぞ
いい?結果的に、完璧に覚えることができなくても、だよ、
結果的に、テストの点数がよくなくても、だよ、
自分がどういう風に努力や工夫をしたら、
「テスト」ってやつでどういう「評価」をされるのかっていうことを
知ることが目的なんだよ
私はわかるよ、いつも答案分析をするでしょう?
点数なんか見てないよ、答案に書いた、みんなの字を見てる
どんな覚悟でテストを受けたのかが見えるから
こないだ話したように、勉強はスポーツより平等かもしれない
でも、やはり個人差はあるんだ
同じ分量の努力をしても、同じ点数がとれるわけじゃないんだ
だけど、自分がなにをしたらどうなるか、っていう、そういうのを試すチャンスなんだ
そうやって、自分を知っていくんだよ
自分を知ると、人は強くなれるんだよ
職業で人は決まらないんだよ
職業のために生きるのではないんだよ、生きるために仕事をするんだよ
会社に入ることだけが仕事じゃない
家の仕事も仕事だよ
食べるものを全部自分で作って、お金をほとんど使わない暮らしをしている人だっている
どんなことをしても「生きる」ことはできるんだよ
どんなことがあっても、「生きる」ことが何より大切なんだよ
しかも、幸せに生きることがね
まわりが何と言おうと、自分が幸せに生きているならいいんだよ
私は、30年後にみんなが幸せに「生きている」ことが望みなんだよ
だから、どういう高校だとか、大学だとか、就職先だとか、
そういう小さな単位でものごとを考えなくていいんだよ
自分が、そういうものを活用して、強く賢い大人になっていくんだよ
幸せに生き続けるために、どんなことが起こっても、前向きに生きるために
30年後を予測できない私たち大人に、
彼らの人生のレールを敷く権利はあるのでしょうか
学校の先生も、親も、
ただ、目先の進路について厳しく指導するけれど、
世界はもっと広くて、無限の可能性があって、いいことばかりじゃないけど、
何があっても生きることだけはやめちゃいけないんだ、ってことを
それを大前提に、子どもたちの将来を真剣に想像してみてほしいのです
どうか彼らの可能性を、
古く、凝り固まった大人の価値観で、狭めないでください
中学生になって、成績表が出てくるからって、彼らを数字で判断しないでください
迷い、立ち止まっているのかもしれません
目の前に大きな壁を感じて、途方にくれているのかもしれません
でも、必ず乗り越えます
乗り越えて成長していくのです
数字が先じゃないんです
数字はあとからついてくるんです
子どもを見てください
幸せに生き抜ける大人になるための基盤を、
私たちは基盤だけを、作っているんです
生きていくのは、本人なのですから
「心へと続く道」
糸山先生の詩です
大好きな詩です
「舗装はしていないから
歩きにくいかもしれない
でも、作り物じゃないから絶対に壊れたりしない」
これがどんぐり道
この道を見つけたなら、
子どもたちは、
わたしたちは、
ずっと、幸せに生き抜ける
だって、絶対に壊れない、そう断言できる唯一の道なんですから