中学校に入学して、
小学校とは全く異なるタイプのペーパーテストを受けて、
いざ、返却されてびっくりする親子は多いようです

私も長年中学校のテストを客観的に見続けてきましたが、
最近の問題量の多さは異常ではないかと感じます

特に1年生のテストは、授業の進行の早さを物語っています
英語も数学も、彼らが初めて学びだしたことであるにも関わらず、
全く容赦のない難度と分量のテスト

果たして、学校の授業はこれだけの内容を網羅して、生徒たちの理解度を正確に測っているのでしょうか
まさか、進学塾に通う生徒を基準に、テストを作成してはいないでしょうか

私は保護者として、参観日などでわが子の中学校に訪れ、
この耳で「これはもう塾で習ったかもしれないけど」という言葉を何回か聞いたことがあります
わが子も含め、塾に通っていない子はこの言葉をどのように受けとめたのでしょうか

心底、心配になりました

またある時は、入試が近付いてきた冬のある日、その中学校は急遽臨時の保護者会を開き、その場で校長先生が言いました
「申し訳ないが、入試までに範囲を教え終わりそうにないので、残りは塾で教わって間に合うようにしてください。」

これは、わが子の中学校ではなく、塾生の中学校でした
耳を疑いました

*ちなみに、DKでは学校の先取り授業や、私がテスト対策を考えたりする授業は致しません
 独学で先取りしたい子はしています、自分で決めたことをしているだけです

ただ、それらの中学校の様子を知った時には、
いったい、DKの子や、塾に通っていない子たちは中学校でどのような扱いを受けているのだろう…と正直、心配になりました

もう一度書きますが、
まさか中学校は、「塾ありき」の授業などはしていないことと信じたいです


とはいえ、普通の思考力を備えていれば、中学校の勉強は小学校より格段に難しくなるというわけではありません
教科書には全て書いてあるし、みなまで書いていないことで有名な理科の教科書なども、必要なら参考書を一冊書店で買ってきて、教科書と並行して読んでいけば、中学生の頭脳でしっかりと理解できるはずなのです

英語も、まず、日本では日常的に使わない文字と言葉ですから、文字を覚えて、それから言葉を覚えて、それから文を作っていく、という過程を踏めばよいだけなのですが、どうやら年々アクティブになっていく英語の授業が、意外にも基本的なことをすっかりと落としながら進んでいる印象も、なくはない昨今です

英語の歌を歌い、英語で寸劇をし、英語でゲームをする…
小学校の延長のような英語の授業で、それはそれで悪くはないのですが、実際のペーパーテストは最初から、かなり細い枠線の中にどんどん書かせるような中学校が多く、正直、これでは劣等感を抱いてしまう子は少なくないだろう…と不安に思うのです

学校の授業を基準として、日々、しっかりと学んでいけばそうそう遅れをとることはないはずです
わからなくなったら、読めばいい、教科書(参考書)には全て書いてあるのですから
もちろん、自分で考える、という当たり前の思考力・行動力が、身についている場合の話ですが…


そんな中、読んでもわからないことが出てきたら、そこで初めて「師」の登場だと思うのです
とっても特殊で、難解で、解釈なしでは理解にたどりつけないような内容なら最初から案内人が必要ですが、そこまでではない内容ですから、まずは自分で読んでみて、って思うのです

その上で、「これはなんだ」というところで、「師」に案内を求めればよいのです

「勉強のやり方がわからない」
子ども本人からも、親御さんからも、相談者さんからもよく聞くことばです

「勉強のやり方」なんて、細かく言えば、科目ごと、単元ごとに違っています
たとえば理科の場合、生物や地学など、2分野ならまずは暗記しなければならない用語が多いですが、化学・物理の1分野は用語を覚えたら数学のように式を立てて計算することが多いのですから、数学の応用問題を解くような練習方法が必要です

だから、
「勉強のやり方がわからない」という言葉は、
乱暴なようですが、
「勉強にとりかかってもいない」と告白しているようなものだ、といつも思っています

「英語が全然わからない」という生徒は、だいたい、英単語を覚えていません
英単語を覚えなければ、教科書を見ながら解けるわけもないテストでは、問題に答えることなど不可能です
確かに英単語がわからなければ、英文を読むことも、書くこともできるはずはありません
でも、英単語を覚える努力は自分でするしかありません
覚え方の手本はあるものの、全ては自分の努力なしでは覚え続けていることはできません

「数学が全然わからない」という生徒は、教科書にある例題を見ることも、真似て書いてみることもしません
そこに全ての解き方が書いてあるのに、書き写してみて、それを手で覆ってもう一度解いてみよう、なんていう単純な練習さえ、自分からすることはありません

このように、勉強にとりかかってもいない状態の生徒を、
いくら評判のよい塾にいれても、優秀な家庭教師をつけても、「勉強法」の本を読ませても、
本当の力がついていく可能性はとても少ないし、
付け焼き刃の成績がなんとなくとれたとしても、その先の人生も結局、
いつまでも誰かのサポートを必要とし、いつまでも学ぶ喜びなど経験できないままなのです


昨夜、たまたま見ていたテレビ番組で、
高校時代、天才と呼ばれた野球の投手が、ドラフト1位でプロ入りしたものの、
プロでは1勝もできずに引退するしかなかった、という出来事を特集していました
それはなぜなのか、現在、他の仕事をしている元野球選手本人にインタビューすると、
彼は、「自分のフォームがわからなくなってしまった」と話していました
プロ球団にはたくさんのコーチがいて、
高校生からプロになったばかりの彼に、よかれと思ってそれぞれがアドバイスをくれるそうなのですが、素直で真面目な彼は、それらのアドバイスを全て試してみようと思ううちに、自分自身のフォームがわからなくなってしまい、では、高校時代のフォームに戻そうと努力したものの、もう、取り戻すことはできなくなっていた、というのです

彼は現在の仕事で成功しているようですし、それが宿命だったし、それでよかったのだ、と今は思うとしても、せっかく憧れのプロ野球選手になったものの、一度も活躍できずに引退するしかなかった元天才球児が乗り越えなければならなかった世間の荒波は、想像もつかないほど厳しいものだったと思います
プロに入ってから彼を指導しようとした指導者たちは、いったいどう感じているのだろう…と想像しました
どうして、失敗して彼が悩むまで、まずは自分の力を試させなかったのでしょうか

もちろん、彼のメンタルの問題もあったのだと思います
誰に何を言われようと、自分を曲げない人も、いますから…

プロとしては失敗は許されないのか?私にはわからない世界なので、そこまでは知らないのですが…

中学生になったら、小学校とは違い、定期テストで実力を確かめながら自分の力を高めていくのです
最初から、誰かに勉強を仕方を細かに指導されることは必要なく、自分はどこまでできるのか、どこまでやればどうなるのか、ということを、1回1回、確かめていくのです

そして、必要になったら「師」を使うのです
学校の先生であったり、塾の先生であったり、自分の不足部分をそこで補っていけばいいのです


写真はDKのQノート(わからん帳)です
彼の勉強の仕方は独特ですが、
私がこうして書く解説をくまなく読んで、納得するまで何度も質問してきます

本気で問題を解けば、答え合わせしたあとに、解けなかった部分や、間違えた部分が「どうして!?」って気になるはずなのです

気になったら、調べたり、誰かに質問したり、したくなるはずなのです

もしお子さんが「勉強のやり方がわからない」と言い出したら、
「むむ?」と察知してください

それは、「助けて」のサインかもしれないけれど、
逃げているだけかもしれません
そこはよく見極めて、適確なアドバイスを

そして親御さんも、「うちの子はやればできる、ただ、勉強のやり方がわからないだけだ」なんて言わないでくださいね
やればできる=てことは、今はやっていない、という式はもはや有名なロジックです
やはりその言葉も、「勉強にとりかかってもいない状態」を告白しているのと同じになってしまいます

教科書を読み、学校の先生の授業を聞いても「わからない」のだとしたら、
基本的な思考力、理解力が欠如している可能性があります

もちろん、前述したように、学校の授業自体に問題がなければの話ですが

でも、やっぱり、高校入試までは独学でもなんとかなります

「塾ありき」って考えているのが、中学校の先生に限らず、親御さん、引いては生徒本人までも…なんてことでなければよいのですが…