私が教室をよそに借りて塾を開いていた頃
ある晩、中学生の授業のあと、
1人の生徒のお迎えの親御さんが遅れていて、なかなか来なくて、
私が道路に一緒に立って待っていると、
自転車で来ていた別の子が私の隣で一緒に待っていました
「もう帰りな~」と言うと、「はい」と言いながら、
とりとめのないおしゃべりをし続けるのです
迎えを待っていた子の親御さんの車が来て、その子を乗せると、
私は自分の車があるところまで自転車の子と歩きました
私が車のところに着くと、
「じゃあ、おやすみなさい」と自転車の子も帰っていきました
そんなことが何回かあり、
気づいたのです
その子は、
私を道路でひとりにしないよう、一緒に待っていてくれたのだと
そう気づいて意識して見ると、その子は、いつでも私を思いやってくれていました

また別の子

雨の日、
おしゃべりしながら教室を一緒に出ると、
「雨が…」と私に傘をさしかけてくれる子がいました
自分が濡れてしまうのに

またまた別の子

ドアを開けて自分が先に出ると、
私が靴を履くまでドアをおさえて待っていてくれる子がいました
いかにも待っています、という風じゃなく、空なんか見上げて

またまたまた、別の子

ゲームをしよう、と色のコマを「好きなのとって」と言うと、
我先に、とほとんどの子が競ってとるのに、
「先生は何色がいい?」と自分はとらずに、待っていてくれる子がいました


子どもの優しさは、
どこから来るのでしょう

親御さんが「こういう時はこうしなさい」と教えるのでしょうか

教えられていつでも、できるものでしょうか

それでも、優しい子は時に、自己主張の強い、激しいタイプの子に傷つけられます
先生に勘違いされることもあるでしょう

最初の「自転車の子」はもう20年も前の生徒で、
当時、親御さんはその子の真意が理解できず、信頼もできず、相当悩んでいました
確かに勉強はあまり得意じゃなくて、本人も苦しんでいるところはあったけれど、
本当に優しくて、あたたかな心を持った子でした
ふとしたきっかけでその子の通う中学校の教師と知り合いになり、
なんとなく話題がその子に及ぶと、
その人はその子を「どうしようもない生徒」と言ったのです
反抗的で、どうしようもなく出来が悪い問題児だ、と

私は衝撃を受けましたが、何も言えませんでした
その人にその子を理解してもらうのには、時間がかかると思ったし、
その人の言い方が、私なんかに何を言われても動じないほどの自信に満ちていたからです
私の知らない一面がその子にあるのかしら…ほんの少し、疑ったのも事実です
(今なら言っちゃうかも…当時はまだ、若かったのです…)

それからその子を気をつけて見ていました
学校での様子もそれとなく聞いてみたりしました
親御さんは、よく、「学校の先生から呼び出されたり、注意を受けたりしている」と言って困っていました
ふたりでゆっくり話せる機会があり、それとなく色々と聞き出すと、
どうやらその子は、
ひとをかばったり、自分が我慢したりして、そのまま、先生にも、親にも、誤解され続けているようだと気づきました
もちろん、そんなことをはっきりと打ち明けてはくれません
自分は悪くない、という主張さえしないのです

私は、せめて親御さんには、とその子の本当の部分を伝え続けました
私と一緒に待っていてくれること、
荷物を持ってくれること、
気の強い他の生徒に何か言われても、動じないこと(でも時々耳が赤い…我慢しているんです)
伝えながら、泣いてしまったこともありました

無事に進学を決めて、その子は卒業しましたが、
親御さんに伝わったのかどうかわかりません
信じてもらえず、それが謙遜なのかどうかも、最後までわかりませんでした
ただ、祖父母にとても可愛がられていたようだったのが救いでした

あとで、たまたま会った同級生に聞くと、
大人になった彼が、穏やかに暮らしている様子だとわかって安心しました
小さい子どもと楽しそうに歩いていたという話も
彼の、子どもでしょうか


子どもは本当は優しくて、賢くて、思いやりがあります
小さければ小さいほど、びっくりするような衝動性がありますが、
それが本来のその子ではないことがほとんどです

その子の優しい一面を知っているなら、
どんなことがあっても、いつでも、そのことを思い出してください