どんぐり学舎
塾生保護者さんたちとの「青空座談会」をしました

高崎観音様に見守られる観音山公園の一角、
ケルナー広場にて

春休みなので、
子どもたちはこの広い丘にある公園で自由に思い切り遊べます

お茶とお菓子を用意していただき、
たくさんの保護者のみなさんとおしゃべりができました

今回の提案者のテーマは
「友達の家でゲームをする件」でした

わたし自身は、それぞれの塾生さんのご家庭の事情や、
ゲームとのつき合い方、方針など、ほとんどよく知っている状態で、
みなさんの意見を聞いていました

どんぐり実践者や指導者の間でいつも議論になる「環境設定」について、とか、
もし糸山先生がこの場にいらっしゃったら…ということをひたすら想像しながら、
慎重に私なりの回答をしていましたが、
途中で目眩がしてきて、
ロッタさんのコーヒーショップに行って休んだりもしました

話が下手な私は、いつも、家に帰ってから
ああ、もっとこう言えばよかった、
こんな話題を出せばよかった、
とあれこれ悔やむのが日常…

朝から日の光を浴び続け、目眩と闘いながら、帰宅して、夜はDKの授業
中学生に新学期のオリエンテーションをしながら、また、ぐるぐる思考の始まり…

中学生になれば急に、
自主的に勉強せよ、と周囲の目は厳しくなる
そして、定期的に「お前さんの位置はココ」と成績表を突きつけられる
親子でそんなの笑い飛ばすほどの強い生き方ができる場合はいいけど、
大抵の親子はいちいちどんよりしたり小躍りしたりと一喜一憂させられる
塾を変えようか…?通信講座を受けようか…?
…ただの、3次データだけを見て…

普段の彼らを見ている私は思う
なにより1次データだけをとことん見つめている私

「そりゃそうだよ」って

そして、子ども時代からの彼らを知っているとまた思う

「そりゃ、そうだよ…」って

どんな小学生時代を過ごしても、
親御さんが意図してそうしたのなら、
どんな中学生になっても文句は言いっこなしで。

私に言えるのは、それだけです

環境や、地域、家庭の事情、自分(親)の体力、性格、意志の強さ、
その他いろいろな条件はそれぞれで、
それでも、「よかれ」と思って選んで生きているなら、
子どもはその環境でそのように育つのです

もし、改善したいと思っているなら、いくらでもリスタートできるのに、
そうしないなら、それも選択なのでしょう
それでも、精一杯の努力を、何度もくじけそうになりながらも続けている人もいる
家族と衝突しながらも、説得を続け、子どものための環境を一生懸命作る努力をしている人もいる
メディア依存からの排除、子どもの禁断症状の苦しみを乗り越えた人も、
子どもの自由と、遊びを確保するために、引っ越した人だって何人も知っています

でも、改善せよなんて私は言えない
私の教室を選んで来てくれている人ばかりだから、
そんなこと言わなくても当然だと私は思っています
これはエゴでも独裁でもなんでもない
ただ、選ばなければいいだけ
どんぐり学舎にどうしても通わなくちゃならないなんて強制は、
誰もしていないのですから

考えたことをひとつひとつ、
話が下手な私はここで書いていこうと決めました

参加した保護者の方も、
参加したくてもできなかった保護者の方も、
高みの見物の方も(笑)
リアルな子どもたちの現状と、悩む親御さんたちの実態と、私の考えを、
ちょいと垣間見てください

今日は、
「遊んでもらうことに慣れている子ども」について

はじまりは、やはり「テレビ」なんだと思います
赤ちゃんの頃から、ほとんどの家庭で、家の真ん中にテレビはあって、
なんの疑いも躊躇もなく、スイッチをオンにしてあったことかと思います

子ども向けの楽しいテレビ番組はもちろんのこと、
今や、大人向けと思われるような番組でも、子どもたちがよく見ているようです
赤ちゃんの頃ほど、「どうせわからないだろう」と何も気にせずつけっぱなしにしていたり、
大人が見る傍らに寝かせたりしていたかもしれません

幼児期に、テレビやビデオを見て楽しむことを覚えると、
結局、「何にもしなくても面白い」ということを学習することになります

大人が仕事から帰って何も考えずテレビのスイッチを入れ、
ぼーっとついつい見入ってしまうように
テレビならただスイッチを入れるだけで、体も動かさず、何も考えず、楽しませてもらえます

脳科学者の川島隆太さんの講演でも聞きましたが、
テレビや動画を見ている時の脳は完全に「休んで」いるそうです
よくいえばリラックスしている
悪く言えば、怠けている
怠けていても、楽しめる
笑ったり、興奮したりできるんです

笑ったり、興奮したり…
主体的に遊ばなくても、受け身の状態でそのような経験ができる
そんな幼少期を過ごせば、
小学生になっても、やはり受け身の遊びを求める習慣は抜けません

「遊んでもらう」のが当たり前
自分で遊びを作り出すことや、
自分で考えて工夫して遊ぶこと、
遊ぶ仲間を自分で見つけることなど、する気になれないでしょう

以前、相談を受けて、とある子どもを見たことがあります
新生児期からテレビ漬け
園児時代はDSをいつも持ち歩いていました
その時は小学校低学年でしたが、
我が家にはテレビもゲームもないので、
私は自分の子どもも一緒に、
家にあるもので色々な遊びを作って一緒に過ごしていました

たとえば布をたくさん使って、ドレスに見立ててお姫様に変身したり、
紙でいろいろなモノを折ったり貼ったりして作ったり、
積み木と紙を組み合わせて家を作ったり…

ふと、気づいたのです

スパンが短い!!

「なにか作って!」って子どもらしい満面の笑みで私にはりついてきて、
一緒に作って笑って、思い切り楽しむのですが、
一瞬で飽きます

「また何か作って!」ってまた満面の笑み
放っておくと「つまんない」「つかれた」

あちゃーー…
その隣で、うちの子どもは最初に作ったものでまだ遊んでいる…いつまでも…
飽きないのかなあ…って心配になるほど…

その相談者に何をアドバイスしたかはお察しの通りで…

テレビをよく見ている子は、人の話を平気で聞き流せます
テレビの中で人が喋ったり、歌ったりしていても、
こちらサイドには関係ないですから
それに、CMでちゃっちゃか画面が切り替わったり、
手元のリモコンでぱっぱと好きな場面を選んだりもできます

ゲームはさらに自分でコントロールして、画面上で反応がある、という
実体験とはほど遠いバーチャル体験を楽しむことができます
寝転がっていても闘えるし、1秒以内に反応しないとミスをしますが、
何度でもリセットできるのです

インターネットの動画サイトなども、同様です

遊びは、ものすごくパーソナルになって、ひたすら受け身
学校の先生は、
「まず前を向いて人の話を聞こうって姿勢がないところからのスタート」と嘆いています
私の教室ですら、たかが5~6人までの授業でも、
私の話を「誰の話かな」と上の空で聞いている子もいます

さあ、でも、「外遊びが大事」と子どもと外に出たとしましょう

「遊んでもらう」のが当たり前の子どもと一緒に外に出るのは大変かもしれませんね
家の中で遊ぶ場合も同様ですが…

テレビそのもの、ゲームそのものが悪いとかそういうことじゃなく、
「遊んでもらう」遊びに慣れすぎるのがあとあと大変なんじゃないかなあ、と
まず思ったので書きました
それはいずれ、「主体的に学ぶ」ことにももちろん通じてくるわけです

「放課後どんぐり」で塾生達と遊んでいた時も、
「つぎ、なにするの?」「なにすればいいの?」と私に詰め寄る子がいつもいました
そういう子は、中学生になって勉強の場面においても、
「つぎ、なにするの?」「なにすればいいの?」と
いつまでも指示を待つのだろうな…と想像してしまいました

一方、野に放たれたウサギのように自由に走り回り、
風を全身で受けて、木に登り、想像力を働かせ、もうそれだけで楽しい、と
鬼ごっこやリレーを子どもたちだけで満喫する子もいました
大人になんか近寄るもんか、と言わんばかりに

今や、学校や地域でも思い切り遊べる場所が減って、
体力が有り余っている、という子が多いのに、
いざ、外遊びをしても「疲れた」「帰りたい」「つまんない」を連発するのは、
やはり、「遊んでもらう受け身の遊び」に慣れすぎているからではないかな

体力が有り余っているなら疲れるわけはないのに、
集団遊びで周囲の子とコミュニケーションをとるのが疲れるのかな

一方、永遠に遊んでいられるよ!という子たちを見ていると、
どうやって遊べばいいかなんて聞いてこないし、
大人に近寄ったら「そろそろ帰るよ」って言われちゃうから近寄っても来ない

その違いは、
大人が与えすぎている可能性がやはり大きいのではないか

感想を持ちました

次回は、やっと、核心に触れます
「友達の家でゲームをする件」

ひとまず、その前段階として、
ゲームに夢中になる子と、そうでもない子との違いについての
ヒントになるのではないか、という思いも込めて今回は書きました

「みんなゲームを好きになるに決まってる」
と思っている方に、
そうではないんだよ、と言いたい人が昨日もいたけれど、
なかなか議論にはならないよね

みんな、どっちを向いているのだろう
少なくともどんぐりで知り合った仲間なら、
建設的な話をしたいな

「ゲームありきでもしょうがないよね」
なんて結論には、どうしてもたどり着きたくはないな


今回の最後に、
2017年7月に行われた糸山先生の長野県での講演会の質疑応答の一問をご紹介

Q ゲームは現代の子どもにとってコミュニケーションツールのひとつなのでは?

A 不要です
  ツールとしてゲームが要らない仲間を探す
  それを見つけるのは親の役目です
  子どもの順応性の高さは、善方向にも悪方向にも向きます
  家庭のルールとして「うちはナシ。」で問題ない
  中学生からは携帯もPCも親と共有
  自室に持ち込ませないこと