前回に引き続き、
どんぐり学舎保護者さんとの青空座談会、テーマは
「友達の家でゲームをする件」について

いよいよ核心にせまるわけなのですが…

実は前回の投稿のあと、
あちこちから反響をいただいたのです

そして、私がでかけた先でも、何回か話題にのぼりました

そもそも、「どうしたらいいのだろう…」と悩んでいる親御さんたちって、
かなり真面目で、素直で、一生懸命なんとかしようと頑張っているわけなのです

子どもをもっと普通に、ごく自然に、伸び伸びと育てたい
大人が関わりすぎずに、自分で遊び相手も、遊びそのものも見つけて、
生き生きとした放課後や週末を過ごしてほしい、
その願いは、ひとつなのです

ところが、
子どもたちの遊びの内容や、質は、年々変わってきていて、
大人が思いも寄らない方向へ…ある一部の大人は意図しているのでしょうけれど…
子どもたちは誘われていっています

誰が、心身共にまだ成長期まっただ中の子どもたちが、
小さな電子画面をのぞき込んで手足も動かさずに数時間も遊ぶことを
想像したでしょうか

まだ見なくちゃならないものがこの世界にはたくさんあるのに、
既にその目は、電子画面を読み取ることに長けているだけでなく、
いつのまにか本来の素質を失い、動かないモノをじっと見つめて想像する力さえ奪われている

誰がそんな「子ども」を想像したでしょうか

ある知人は初対面の時に言いました
どんぐりの「ど」の字もない、どんぐりとは無関係な人です
我が家がテレビもゲームもない子育てをしている、と誰かが話題に出した時、
「うちも、そう」と
とても珍しく思えたので、その理由を聞いてみると
「子どもが、テレビやゲームの画面に釘付けになっている目が好きじゃないから」
とさっぱりと言いました

ああ、そういう人もいるんだ!となんだかほっとしたのを覚えています
私も原点はそこなのですが

さて、
座談会の時に出た話題や、その後に寄せられた体験談、意見などをご紹介しようと思います

ある人は、
放課後に楽しい予定を詰め込んでいます
今はやりの「ボルダリング」が無料で(?)できるところを見つけて、家族で挑戦しているようです
週末は近場の川原でしょっちゅうキャンプをしているようです

それでも、何の予定もない日は友達の家にゲームをしに行ってしまうようです
「ダメ」って言わないでゲーム遊びから遠ざける方法を模索しているのがよくわかりました

ある人は、
子どもだけで自由に遊ばせたいけれど、市街地に住んでいるため、ちょっと心配、と悩んでいました
それは、以前、東京都心にお住まいの方からの相談メールにもありました
あまりにも子どもが自由に過ごしづらい環境である、と
私の住んでいる地域は田舎で、幹線道路ばかりが盛んな交通量、住宅地に入ると一軒一軒の敷地面積が大きいため、庭先に家人の方が出ていてもひとけがないように見えるほどの環境です
要するに、ひとけがない…だから、やはり、子どもひとりでの行動が心配なこともあります
市街地なら人がたくさんいて、安心できると思いきや、そうでもないという事実があるのですね

それでやはり、ゲームができるお宅に遊びに行っては、興じている様子
家での約束と違う、と御家族がその家庭に迎えに行くこともあったそうです
御家族協力して、「なんとかしたい」と努力していることがよくわかりました

このようなケースを書いていると(読んでいる方も)
何もそこまでしなくても!!って思われてきます

友達の家でゲームをすることを、そんなに避けさせる必要があるのか?と

ここで一度私の考えを挟みます

どんぐり問題と、中学生の勉強を見続けている私の立場から言うと、
正直、小学校時代のゲームは避けるのがなによりです
友達の家では特別、家にないんだからそれはそれ、で済むならそれでいいです
でも、脳内がゲームでいっぱいになってしまって、
思考力にも影響している子が少なくありません

それはテレビでも、ネットでも同じです

相談者の初対面の子と、好きなものの話などをしていて、
次から次へとテレビ番組のことや、ゲームのキャラクターのことが溢れるように出てきて、止まらなくなってしまうことがよくありました
きっとこの子の脳内はテレビとゲームで満たされているんだな…と感じました
子どものキャパシティは、無限ではなく、エネルギーの量も限られています
刺激的な情報でそれを満たせば、必要な情報を取捨選択する余地も、落ち着いて静かに思考する余地も、残されることはありません
時々私のPCも「メモリー不足で処理できません」というエラー表示が出ます…

その状態で、学校の授業を受け、大人の話を聞いて、テレビもゲームもない場所で、
子どもは学び、友達と過ごします

相手が何を考えているのか、何を感じているのか、想像するキャパは残っているでしょうか
与えられた課題に対し、自分ならどうしようか、自分なりに工夫してみようか、考える余地が、残っているでしょうか

どんぐり問題を「よっこらしょ」とでも聞こえてきそうな足取り(?)でやっとこさ描き終えて、
「…つかれた…」とつぶやく子どもたちを見ていると、
「そりゃそうだろうなあ…」と思います
1時間で1問がやっとこさ

かたや、「あと5分かっ!!もう一問やって帰るぞ!!」と「もう終わりにしたら~」という私の言葉も遮ってノリノリで何問でも取り組む子もいます

ゲームがどうの、学校がどうの、と、ひとつひとつに原因があるのではなく、
これは、子どものキャパシティに関わることなんだと思うのです

同じ学校の、同じクラスに通っていても、
負担が変わってくるのです

ゲームが悪い、テレビが悪い、学校が悪い…のではなく、
子ども自身のキャパシティと、エネルギーに、負担をかけている可能性があるのです

難しい話になってきました
戻します

ゲームを友達の家でちょっとしようが、
テレビをちょっと見ようが、
全く影響を受けない子もいました

「それはそれ」とさっぱり

そういう子たちの共通する特徴は、
「キャパシティが大きい」ことと、「エネルギーに満ちている」ことでした

私の知る限り、
幼少期にそれらは育まれ、大きく成長します

そのためにはどうしたらいいの?という話はまた別の機会に

とにかく、手法がわからないなら、「それらを減少させる恐れのあるもの」を
思いっきり避けてしまうのが一番手っ取り早いと私は考えます

体験談に戻ります

ある人は
同居の祖父母のテレビ・宿題干渉に悩んでいました
テレビくらい見せないといじめられる、宿題は徹底的に反復させる勢いでやらせる
祖父母は言い張っていました
どんぐりを知り、テレビを四六時中つけている環境に子どもを置くことを避けようと決意した親御さんは、祖父母にも協力を頼みましたが、方針を変えることはなかったそうです

その両親は、子どもを説得しました
テレビがついている限り、祖父母の部屋に行かないことを約束させました
その時点では「やりすぎ!!」という声が方々から聞こえてくるような、非難を浴びそうな行動に見えることでしょう
ところが数年後、その家の子どもたちはぐんと成長しました
祖父母も、孫が寄りつかないのは寂しい、とテレビのスイッチを切るようになりました

今では、祖父の得意な書道や将棋、畑仕事などに孫は喜んで付き合うようになり、
その孫たちはというと…
高学年になり、飛躍的にいろいろな面で伸びています
どんぐりはもちろん、学校での活動でも先生に一目置かれるようになってきたそうです
当初は全く、目立たない子だったようですが…

祖父母は、若い親たちの育て方を見直したようでした

一時的に祖父母から避けさせるような、非難を浴びるような手段を選んだように見えた家族ですが、結果的には、無理に勉強させようとしなくても自分から調べたり学んだりするような賢い孫に育ったことを誇りに思っている祖父母です
家族崩壊になど、至るわけもなく
このままいけば、中学生になっても、心配は少ないはずです

ある人は、
子どもが友達を家に連れてきた時に、ゲームを持ってきているのを知ると、
「この家はゲームをしない家だから、ここで遊ぶならゲーム以外で遊んでね」とはっきりと言ったそうです
素直な子どもたちは、もちろんそれからそうしましたし、その家の子が出掛けていった場合にも、ゲームで遊ぶことはほとんどなかったようです
そして、わが子にはしっかりと話したそうです
「わたしたちは、あなたの脳を守りたい。だから、ゲームをしてほしくない。」と
いつも、何ごともよく話し合っている御家族です
子どもは納得し、「そうだね!」と前向きにとらえたようです
高学年になり、最近ではさすがに友達が他で集まると、ゲームを持ってくる子もいるようです
その子は、家に帰ってくると親御さんに話すのです
「今日は○○君がゲームを持ってきてやっていたよ~」
「見ていたけどよくわからなかったなあ~」
と正直に
もし、ゲームはダメ!!と頭ごなしに、納得させることもなくただ禁じていたら、
隠れてこそこそやるようになっていたのかなあ、とその親御さんは話していました
正直に話してくれることが何より嬉しい、と

その子本人に、私は聞きました
「ゲームを持ってなくて、いじめられたり、バカにされたりしたことはある?」
その子は笑いながら答えました
「そういうこともあったかもしれません、でも、今はないな~、それに、別に気にしません」

高学年男子、逞しいどんぐりっこあるあるでした

他にも色々なケースを私は見てきました
幼稚園時代からゲームを与えてしまって、その後、排除したご家庭の例
話し合うこともなく、ただ禁止しすぎたせいで、隠れてこそこそゲームをしていた例
たった一度、人に預けた際にゲームをして、その後、1ヶ月間、ゲームの話しかしなくなった例

成功例も、失敗例も、
色々見てきました

今回の結論として書こうと思うのは、
やはり、子どもにも納得のいくような説明を、話し合いをすべきだということです

それには、親御さん自身が、「どうしてもこうしたい」という強い思いと方針を持っている必要があるように感じます

親御さん自身が納得していないのに、子どもに納得してもらうのは、難しいです

それはパン屋さんで、パンを触ろうとするわが子に
「おじさんに叱られるからやめなさい」と注意するようなものです
そうではなく、親として、それはよくないから注意すべきなのに、
誰かが言っているからやめなさい、なんて、説得力もなければ、子どもとしても心から聞く気持ちになどなれません

どんぐりの先生がダメって言うからダメ
なんて説得は効果がないということです

糸山先生の研究、
私の経験、
ただそれだけでも読んでいただけていたら、
「いまは避けた方がよさそうだ」という結論にも、
納得してもらえるんじゃないかなあ…と
思うのですが、いかがでしょうか

子どもは、テレビやゲームで「埋めようとしている」と児童精神科医の先生が話していました
子どもが「埋めたい」穴ってなんでしょう
大人も、
お酒やたばこ、薬で穴を「埋めようとする」ことがあるように、
子どももそこに依存することがあるのだと

子どもは自分の自由に動きたい、考えたい、遊びたい
だから、テレビやゲームで知らず知らずのうちに、「遊ばされている」状態が重なると、
「遊んでもらう」のが普通になり、自分で考え出すことをしなくなります
つまり、自分自身が成長して大きくなるというより、
浴びれば浴びるほど、依存していき、自分の一部をすり減らすような状態になっていく
だから、さらに浴び、依存し、その穴を埋め続ける

そして、テレビやゲームを取り除けばそこに、穴が空くのです
もともとなかったはずの場所に、穴が空くのです

その穴を埋めるには、テレビとゲームしかないのでしょうか

でも、ゲームを早々に排除して順調にいっているケースを見ると、
補填するものは、テレビやゲームではなく、それはそれは親御さんの弛まぬ努力の成果ではあるのですが、今や、跡形もなく穴は消え、心身共にかなり健全に、プラス、どんぐり問題で飛躍的に伸びている子も、現在、私の近くにいるのです

弛まぬ努力?
そんなのつらすぎる?
いいえ、
全くつらくないですよ
だって、一瞬のことですから
それに、
与えたのは親御さんご自身、
「遊んでもらう」受け身の子どもに育っていたとしたら、
…子どもが好きでそうなったのではないのです

子どもが中高生になっても、悩み続けることよりは
(実際、その方が壮絶かと…)その一瞬の努力など、それで済むならむしろ!!

せっかくなので、たった12年間の親時代を満喫しませんか

私はこの春から「中高生の親」になってしまって、
親業としては大変暇になってしまい、かなり退屈しています

意識して、努力していたことは、産後すぐから保育園入園までぐぐぐっと増加し…小学校3年生くらいまでがピークを維持、あとは減少していきました
正直、小学校高学年では親として努力しなければならないことはとても少なかったし、中学校3年間はいわずもがな、親に口出しする権利などもうありません
…というか、口出しする気持ちにあまりなりませんでした
だって、心身の頑丈なベースは育っているし、あとは子ども自身の人生だから

高校生に至っては………


どんぐり式子育て(←?)は「楽だ!」って言われますが、
本当にその通りなんですよ

本当に、おすすめなんですよ

そのためなら、今だけぎゅっと、がんばれるかもしれませんよね
応援しています

塾生さんの保護者さんたちとの座談会、これからも回を重ねていきたいです
塾生さん以外の保護者さんたちとも、話してみたいな

子どもと遊び
まだまだみんなで考えたい、話したいことは山ほどあるので、
また次の機会に、思いついたことを書こうと思います