我が家で「しゃらんこ」と呼んでいるこのおもちゃ
正式名称は「シロフォンつき玉の塔」っていうんですって
ドイツ・Beck社のロングセラーおもちゃで、我が家には長女が赤ん坊のころからあります
小さな木の玉は、赤ん坊が誤って飲みこんでしまっても事故に至らないサイズ
…彼女たちの名誉のため、どっちの娘かは明記しませんが、我が家の娘のどっちかは、
この玉を飲みこんで、体内を通過させたことがあります(笑)

一番上に、ちいさな穴が空いていて、その穴に玉を入れると、スロープを下っていって、最後に鉄琴を鳴らします
どんどん、どんどん連続で玉を入れたり、1個だけある大きな玉を使ってせき止めて、一気に流すと鉄琴はにぎやかに鳴ります

しゃらんこ~しゃららんこ~って

こういうおもちゃの素敵なところは、こうして、子どもが成長しても家のどこかに出しておいてもかわいくて、懐かしむことができるところ
今でも時々、誰かが「しゃらんこ~しゃららんこ~」ってしている音が家の中で響きます

単純な仕組みのおもちゃですが、わが子の成長とともにこのおもちゃを見てきて、そして、娘たちが赤ん坊の頃所属していた子育て支援のNPOで保育の専門家の話を聞いて勉強する機会が多々あったので、その頃に感じたことがあります

この小さな穴に、小さな木の玉を入れるということが、
赤ちゃんにとって結構難しい、ってこと
子育て支援の場でもこのおもちゃが出ていて、いろんな赤ちゃんを観察していると、確かにその通りでした
月齢によって、遊び方も変わってくるのですが、「この穴に入れるのか」と気づいた赤ちゃんの悪戦苦闘ぶりったら可愛くてたまらなかったのです

その時、保育の専門家から聞いた話です

人間は、5本指を全部思うように使えるようになるまでに時間がかかる
赤ちゃんを見ていると、自分の意志で手を動かすようになって、目の前のなにかをつかもうとする時、5本の指とてのひら全体を使ってわしっと包み込むようにつかもうとする、次の段階では、指だけを使うようになる、それから1本ずつ指が減っていって…最後は、親指と人差し指の2本でつまめるようになる

確かにそうでした
この「しゃらんこ」で遊んでいる赤ちゃん達を見ていると、玉をわしっとつかんで、穴の近くに持って行き、穴の上でわちゃっと玉を握った手を開き、むぎゅうっと押しつけるのですが、全部の玉が穴に入るわけじゃないからこぼれてしまう、でも、いくつか入って、コロコロと転がっていく、で、しゃらんこ~って音がなって嬉しい、また挑戦

月齢が上がってくると、つかんだ玉をわりと多く穴に入れることができるようになってきます
つかんだ玉を少しずつ出す工夫をしていたり
さらに進んでくると、片方の手で玉をいっぱい持って、もう片方の手の指を使って正確に穴に入れていきます
全く別の遊び方を思いつく子もいました

人間は、最初はてのひら全体を、徐々に器用になってきて、最終的には2本の指を器用に使って、ものを作ったりするような細かい仕事ができるようになった、その進化の過程をいっぺんに見ているかのようでした

それでも赤ちゃんたちの表情を見ていると、音が鳴るのが嬉しくて、楽しくて、飽きもせずにぼろぼろこぼしながらも玉を投入しようとするのですが、回を重ねるごとに、赤ちゃんは赤ちゃんなりに工夫をしているのがわかりました
さっきはむぎゅうっとたくさん握ったけれど、少しずつにしてみよう、とか
穴の位置をちゃんと確認してみよう、って覗き込んでみたりとか

スタッフとしてそこにいる私はもちろんですが、一緒にいるお母さんお父さんたちも、
「ほら、こぼしていないでちゃんとこの穴に正確に玉をいれなさい」なんて指導しないし、ちゃんとできるようになるまで練習させる人もいません

「そんなのいるわけないでしょ~」って思うでしょ

でも、同じなんです
子どもがその後獲得するちから、も、これと同じなんですよね

嬉しいから試したくて、
失敗しても楽しいからまたやってみて、
もっとうまくいく方法はないかな、って勝手に工夫して、
何度も、何度も試してみて、気づく
成長とともに、できる技が増えてきて、
また工夫を重ねる
そうやって獲得していくんです

失敗しても、誰にも注意されないし、恥ずかしくもない
だから、何度でも挑戦できる
そして、楽しめる

「勉強」の最初の段階もそんな風であったなら…

人間が長い年月をかけて獲得してきたちからは、
赤ちゃんが成長する時に獲得するちからになぞらえることができますよね
今となっては最新機器を使いこなす私たち人類ですが、
タイムマシーンで猿人のところへ行って、「そんな無駄なことしてないでこれを使いなさい」って最新機器を置いてきたとしても、きっと役に立つことはないですよね

でも、もしかしたら、するはずの進化をせず、私たちの存在が消えてしまうかも…

不便があったから便利が生まれた
失敗があったから工夫を重ねた
たくさん試すチャンスと、楽しめる環境があれば、
人は進化していきます

それでも学校へ入ったなら、教科書に沿って学ぶことや、規則に従うこと、時には、考え方や工夫の仕方さえも模範的なものに従うよう導かれることもあります

もちろん
人を育てるプロである学校教育の現場にいる先生方が、子ども本来の育ちをなによりも優先する形で導いてくださればそれに越したことはないのですが、どうやらそれが許される環境ではない場合があったり、そもそも、教科については専門的でも、それ以外の部分で、特に子ども本来の特徴について誤解なさっている先生方が多いと感じてしまう昨今、家庭でできることはなんだろう?と考えている方も多くなってきたように思えます

じゃあ、そもそも、学校に入る前に、親としてどこまで子どもたちにちからを獲得させて(この言い方イヤだけど…)こられたのか?とふり返ると、もしかしたら、間違った導き方をしてしまっている方も多いのではないかと思うのですがどうでしょうか

生まれてからたったの6年間であっても、子どもたちはたくさんのちからを「自分で」獲得して成長していきます
その時点で、「準備学習」が豊富なら、学校に入ってからのあれこれは、全て「整理学習」となり、ひとつひとつが生かされていきます

自然の中で大いに走り、泳ぎ、転がり、大きな声を出し、小さな声でささやき、小鳥や虫の声を聞き、小さな生き物を手にのせ、大きな生き物におびえ、親と話し、友と過ごし、目にする文化を気にし始め、疑問を持ち、なぜなんだろう、と考え、答えがそこで出なくても、すぐに忘れてしまってまた走り出したとしても、頭の中に「なぜなんだろう」は残り…
そんな日々を6年間過ごしたとしたら、
学校に入って数式を習った時、ダンスを習った時、走ることや泳ぐことを習った時、文字を書く時、理科や社会の教科書を開いた時、全てが繋がってくるのです
もうすっかり忘れているはずの、小さな頃の経験や、一度だけ考えたことがあるけどなんだったのか親も覚えていないほどの話題や、山で見たあれや、海で見たあれ、公園の砂場の端で見たあれ、空に浮かんでたあれ、全部が、もくもくと浮き上がってくるのです

何が詰まっているのかよくわからなくても、体と心にたくさん「詰まってる」
そんな豊かな幼少期が、学童期の子どもたちの成長に繋がると私は考えています

それでも、先日、未就学児のお母さんに相談を受けました
3歳から英語塾に、4歳から学習教室に通わせています
他に何をしておけば、小学校で困らないでしょうか?

私がなんてこたえたかは、ご想像にお任せします…