図のxの角度は何度でしょうか。
ぜひ、あたまの体操を楽しんでください

どんぐり問題で最も重要な「視考力」
中学生になっても、もちろん、ずっとずっと必須の力です
DKには、小さなころからどんぐりをやっていた子もいるけれど、
ほんの1~2年だけ高学年からどんぐりをやって、中学生になった子もいます
全くどんぐり問題の経験がない子もいます
普通考えたら、どんぐり問題の経験者、つまり、どんぐりっこの方が視考力を使いこなしていると簡単にグループ分けできそうですが、これが、そういうわけでもないんだなあ、と日々生徒達を見ていると思います

もちろん、小学部時代に、どんぐり問題を解く時にただ「絵」を描いて、それから数式で計算して答えを出していたなあ、とか、考えるための絵図を活用していないなあ、とか、そういう片鱗は見えていたのですが、中学生になると、その辺りの差が段々と開いて、目立つようになってくるのです

どんぐり問題の経験が豊富でなくても、自然と絵図で考える習慣のあった子もいて、そういう子は中学数学もかなり楽しんで取り組んでいるし、絵を描いて考えることに抵抗がないように見えます

私が小学生の頃は、糸山先生もまだ学生さんでしたから、糸山先生の脳内にはあっても、世にどんぐり問題やどんぐり理論は出ていませんでしたが、わたし自身は、なんでも絵図にして考える習慣を持っていました
今思えばどんぐり的なことをしていたんだなあ~と思い出すことがあります

とにかく、どんぐりっこであろうとなかろうと、私はDKの数学ではもう、何度も、何度もしつこく言うのです

「図形と関数の問題は必ず絵を描くこと」

図形と関数の問題でも、図や座標平面の描いていない文字と数値だけの問題もあります
たとえば、
「中心角が120度で半径が5センチの扇形の面積を求めなさい」とか
「関数y=-2x二乗でxの変域が-5以上6以下のときのyの変域を求めなさい」
などという問題です

最初から問題集に絵が描いてある場合もあります

いずれにしても、「必ず自分のノートに絵図を描く」と言っているのですが、
これが…なかなか厳守できません

学校のワークなどはほとんど書き込み式で、ノートにすることがないので、わざわざ自分で別のノートに絵図を描く、という一手間が加えられないのかもしれません
でも、その手間をかけるかどうかで、随分違ってくるんだけどな…と話しているのです

抽象思考に切り替わると、文字だけを見て視覚イメージを脳内で再現して動かすことは容易になるかもしれません
でも、中学生になって入ってくる-の世界、関数の座標の世界、xやyなどの文字など、日常の算数からは離れてしまう数学の世界に、一気にやる気を失う子も少なくありません

だから描こう、って言っているんだけどな…

どんぐり時代はかろうじて描いていた子も、数学になると描かなくなり、描かないからわからないまま、私の解説を見れば「なるほど!」とか言うのだけれど、それもまた、文字データ?数字データ?として脳内に入っていくだけで、視覚でとらえてはいません
だから応用が利きません

認知力には個人差があって、同じ図形、同じものを見ても、私と同じようには見えていないのかもしれない、ということには、この仕事を始めてすぐに気が付きました
最初に勤務した進学塾では、Sクラスという、全員がトップ校に合格するようなクラスから、3段階ほど下のCクラスというようなクラスまでありました
新人塾講師の私の板書ミスを誰よりも早く見つけては解説をしてくれちゃうようなSクラスの精鋭達の前で緊張して授業をしたと思ったら、次の授業ではCクラスの、自分の名前の漢字さえ正確に書けないような子たちとの時間があったりしました
今も、図形の問題を考えさせる時に、「同じ図が描けるだろうか」という部分を最初にチェックすることにしています
もしかしたら、この図を見ても、隣に置いて、ゆっくり正確に同じのを描いてごらん、っていう作業さえ、とても困難な子がいるのかもしれません
当時、私は国語の担当だったので、Cクラスの子には、文が正しく読めているかどうかを丁寧にチェックしていました
たとえば「今日は朝から雪が降っていて、少し積もりはじめています。」というような文を「正確に書き写してください」と言った場合、一読してささっと書ける子もいれば、「今日は」「朝から」「雪が」…と文節ごとに書き写しては手本を見、また書いては見て、と書く子、それから、「今」「日」「は」…と、一文字づつやっとのことで書き写す子もいました
できるかぎり、ひとりひとりの認知力を知り、その子によって目標設定を私なりに定めてはいました
たとえば「今」「日」「は」…という子には、せめて、「今日は」と文節で読み取れるようになれるよう、少しずつ、サポートしていました
図形に関しては、以前、「直線」と「曲線」を見分けることができない生徒がいて驚いたことがあります
その子は空間図形(立体の見取り図)が全く見えないようで、数学では大変苦労していました
どんぐり経験はなく、中学生になってから出会って、私にできることは限られていましたが、少しずつ話を聞いていくと、ふとした会話の中で、「折紙」をしたことがない、と話しているのが気になりました
関係があるのかどうか、私にはわかりませんが、他にも、幼稚園から反復計算塾に通っていて、かなりのハイレベルまで計算だけは進んでいるのに、全く意味を理解していないことなどもあわせ、「遊びが足りなかったんかなあ…」と思う部分があり、もしかして象徴的ではありますが、「折紙」も関係しているのかもしれない…とは感じました

さて、正確に図形が描き写せても、その先もまた、認知力の差なのか、慣れていないせいなのか、なかなか困難なことが待ち受けています
それは、図形の中にヒントを見つけて探っていく、という作業のようなものですが、絵図を描いたら、その中に明らかになった数値を描き込んでいく、ということさえ、何度言ってもしないで、図形のとなりにちょこちょこと計算して答えを出そうとする子もまだまだいます

「こうしなさい」と命じることはほとんどありませんが、「こうしたほうがいいよ」とアドバイスすることはよくあります
もちろん、その子がまずどうしたいのか、じっくり見た上でですし、「どうしたらよい?」と尋ねられたら、の話ですが

図形や関数の問題では、必ず自分のノートに絵図を描くこと
初めて問題を解く時も、わからん帳(Qノート)で質問を描く時も

私は1年中、どこかの入試問題を全教科、解いていますが、今は県内の私立高校の問題を解いています
これは、生徒に見せるためではなく、自分が解いている自分しか見ないノートです

たぶん、理系頭脳の方や、数学専門の方から見たら、随分と稚拙なノートに見えることでしょう
実際、解いたあと模範解答の解説を見ると、解き方、全然違うじゃん!ってことが多いです
でも、詳細はともかく、同じ問題でも何回も同じ図形を描き、座標平面とグラフを描き、いちいち、場面転換して考える習慣が子どものころからずっと変わらずあり、このノートを見ればその事が一目瞭然かと思われます

わからなくなったら大きく拡大して描き直してみてごらん、
「絵図を描く」ことを徹底して守っているDK生には時々私のこのようなノートを見せてそう言います
その子は、ノート1ページいっぱいに図形を描き写し、わかった数値を描き込み、ずんずんと考えて正解を導き出します
もちろん、そういうこは安定した数学力を自らの手でどんどん獲得していくのです

描けば描けるのに、どうしても描こうとしない理由が私にはわからないし、
ここまで言っても描かないならできないままでもしょうがないな…と正直思うこともあるけれど、実際には、あの手この手でなんとか描かせようと工夫している日々です

言われなくても描く子は描く…どんぐりと同じです

やはり、動画など、自分で描く必要のない受け身の視覚情報を浴びすぎて、その力が奪われてしまっているか、その意欲がわき起こらないか、また、慣れていないだけなのか…
いずれにせよ、中学生に図形や関数の問題の楽しさを伝えていこうと思うことは止まりません

最初の問題の私の解法はこちらです

まず48+92=140
次に140÷2=70
最後に92-70=22°です


最初に見いだすのは赤い三角形の外角です
次に、青い三角形の外角の定理を使います

「三角形の一つの外角は、それと隣り合わない二つの内角の和に等しい」という小学生のころから出てきている定理です
…定理っていっても…これを、自分で見つける子もいますから、そろそろ使いこなしておくれ~と思うのですが、赤い三角形の内角の和180°からアプローチする子がほとんどでした

外角をさがせっ!って意識してじーっと見て御覧、って言いながら、次の問題に取り組むと、今度は「あった!!!!」「超はやい!!」などと、喜んでいたので、こうやって、少しずつ、少しずつかな…って思います

元々…ですね、進学塾に勤務し、こうした「中学生の抱える学習困難」に直面してしまったばっかりに、「どうしたらいいんだろう…」と悩み、悩んだ末に出会ったどんぐりだったのです

だから、手は打てるんです

そのための、どんぐりでもあるのです

認知力の差
アドバイスに従って試してみようという(素直な?)気持ち

それらが、中学の勉強を有意義に経験できるかどうかにかかっている気がします
そして、それらは、幼い頃から見いだせるもの
適切な導きで、その子に合った学び方が必ず見つかるということ
こういう子どもの特性を無視して、親や先生が、思うとおりの理想像に近づけようとすることが、
いかに無駄で、子どもを追い詰める行為かということを、どうか多くの方にわかってほしいです