最近書いたメールから

はじめまして
どんぐり学舎の泉聡子と申します
 
おうちどんぐりを始めようとなさっているのですね
心から応援します
 
2年生の男の子さんですね
健康診断の問題、絵図を描くことができず、大丈夫かしら、と思われたのですね
 
まず、大丈夫なんですよ
お子さんは「慣れていない」だけです
小学校では「絵に描いてから計算式を作りなさい」なんて言わないのです
それどころか、絵や図がすでに描いてあって、それを参考に、先生が目標、理想とする式を作る練習をしているのですから
 
それだけやっていても、算数の力はもちろん、読解力も思考力も身につかない、という危機感は、どんぐり関係者でなくても、広く知られはじめています
 
2年生ならまだまだ、最初から丁寧にやり直せますよ
心配無用です
 
私の通信添削は、おうちどんぐりの先生である親御さんのサポートを主としています
書いてくださった通り、お子さんの作品の写真を送っていただき、添削をして、メールに分析や導き方のヒントを書きます
添削画像はお子さんに見せても問題がないように落書きする程度ですが、メールの内容は親御さんに留めていただいています
 
〔中略〕
 
どんぐり問題は、
どんぐり書房で購入してください
冊子版とデータ版とありますが、
データ版がおすすめです
 
初めてどんぐりを取り組む場合、何年生であっても、0mxをおすすめしています
お子さんが描いて解いている間、親御さんも隣で同じように描いて解くので、そのために2mx
か3mxも一緒に購入してください
いずれお子さんも使えるので、損はないと思います
 
解く時に使うノート、筆記具、初歩的なルール等、糸山先生の書籍やサイトなどを読んでいればご存じかと思うのですが、いかがですか?
もし、ご存じなければ、わからないことは説明しますので、遠慮なく連絡くださいね
絶版になっているので、図書館や中古書店などでしか見られないかもしれませんが、糸山先生の著作、『絶対学力』や、『子育てと教育の大原則』は、ぜひ、1度読んでいただきたいです
 
それでは、またご不明な点があれば、連絡くださいね
楽しいどんぐりタイムを、早く一緒に始めましょう!
 
私のブログから「はじめてのおうちどんぐり」


また、ある日のメールから

糸山先生の著書もお読みになっているということで、基本的なことはおわかりになっているかもしれませんが、何か、気になることやわからないことがあればなんでも聞いてください
 
私は、実験的に(…なんて言ったら娘に悪いけど)自分の娘たちを「どんぐりオンリー」で育ててみました
糸山先生のどんぐり理論を実践し、生活そのものがどんぐりライフでした
家庭学習は週に1回のどんぐりのみ、学校の宿題はせず、習い事もなしです
テレビもゲームもスマホもなし
遊ぶのは自然の中ばかりでした
 
私がどんぐりライフを実践していたころは、糸山先生以外のどんぐり先生を知らなかったので、直接アドバイスをいただきながら、元々塾講師でしたので、どんぐり指導者になるための勉強をしながら子どもたちを育てまし
娘たちの通う地域の公立小中学校でも、周囲は塾や通信講座などにお金をかけ、必死に勉強をさせているご家庭が多かったのですが、なんにもしていない娘たちが勉強で躓くことはなく、テレビを見ていないからといじめられることもありませんでした
 
現在、長女が高校3年生で大学受験の最中
次女が中学2年生です
 
とても逞しく、賢く、優しい娘たちに成長しています
常に機嫌がよく、心身共に健康です
そして、なにより、自分の人生を楽しもうとしている
私の子育ての目標は、
子どもが自分の人生を楽しんで生きていくことでしたから、
来月から家を出ていく長女には特に、「これでよかったんだな」と心から納得させて貰っています
 
子育ての目標って、なんでしょうね
私たち親は、いち哺乳類として、子孫を残しました
それが子どもたちですよね
子どもが成長していくのを、そばで見守る親は、子どもにどこまですべきなのでしょうか
親は、子どもを「人間」に育てるのが仕事です
「人間」は、ヒトという生物の中で、社会性を持ち、自分の頭で考えて、ヒトとヒトの中で調和して生きていく者です
ヒトの命を奪ったり、ヒトの心を傷つけても平気だったりするヒトは、人間ではないと私は思っています
 
親は、我が子がどんな子でもかわいいし、大切ですし、世界中を敵に回しても我が子を守るものです
も、我が子が、他人様の大切な家族を傷つけたり、他の人の命を奪ったりするようなことがあれば、親としてそんな悲しいことはありませんよね
大げさな話になってしまいましたが、つまり、私たちは、子どもに「学力」を身につけさせるために存在するのではないということです
いくら素晴らしい学力を身につけたとしても、その学力を他人を傷つけたりおとしめたりするために使うヒトに育ってしまったら、それは、人間に育てたとは言えません
 
子どもは、親を信頼し、親を尊敬して真似して成長していきます
優しく育てられれば優しい子に育ちます
笑って育てられれば、笑って成長します
 
いま、A君の表面に見えているさまざまな問題は、おわかりの通り、親御さんや、その他、周囲の大人の方がみんなして作り上げてしまったものです
でも、中身は変わっていません
まだ2年生ですから
間違えることは恥ずかしくなくて、できなくても楽しくて、できないから勉強を続けるんだってこと、もっともっと経験させてあげてください
そうすれば、A君の中にある、子どもらしい部分、優しくて、賢くて、好奇心旺盛な部分が、どんどん蘇ってくると思います
 
次からは真っ白でもっと大きなクロッキー帳で解けるんですよね
そこからが再スタートですね
 
しばらくは「文字と数字を書くこと&計算をすること」を「禁止」にしてみてください
それも、ダメ!!って厳しく伝えるのではなく、さとちゃんからの挑戦状!って感じで、遊び感覚でゲーム感覚で、言ってみてください
 
数字は記号です
リンゴが三個あることを「3」と書いても、3個あることを実感できません
「○○○」とリンゴを3つ描くことで初めて、3個ある、ということを確認できます
 
さあ、次の作品が楽しみだな
 
問題文にあることは全て絵にする
下手でもいいの、自分の描きたい絵でいいの、数えやすい絵を描けばいいの
文字、数字、計算禁止です
それでやってみよう!でっきるっかな~!?
って伝えてください
あ、まずは0MXでお願いしますね

またまた、その数日後のメールで

どんぐりはそもそも習い事は自分の小遣いでも通いたいものひとつ、ということですから、子どもが習いたい、といってもかなり厳選することになります
親が「やらせたい」と思うものをやらせるのは、とても危険です
親が理想を描いているので、習い始めると、ちゃんとやらないことや、練習しないこと、上達しないことに対して不満を持つようになるからです
まして、好きになってほしい、と願っていた場合、子どもが好きになるかどうか保証はありませんから、そうでない方向に向かうと、思うようにならない、とやはり不満を持ちます
 
つまり、全てにおいて、親が、子どもを自分の理想に近づけようとするのは、とても危険なことなんです
 
ごく一部の成功例や、たまたま近くにいる成功例だけを参考にして、きっとそうなるだろう、そうなってほしい、と子どもに期待を寄せることが、逆効果になるのです
 
〔中略〕
 
もう少し添削をしてみないとなんとも言えませんが、
しばらく、考えてみてほしいことがあります
 
B社の教材で、学校の勉強以上の内容もできるようになるとします
C算数教室で教わることも
でも、いま、A君は学ぶこと、考えることを楽しんでいるように見えないんですよね
雑になったり、面倒がったりするんですよね
外遊びに誘うと、喜んで外に出ることは少ないんですよね
 
ちなみに、「公園に行く?」ではなく、「公園に行くよ。」が正解です
子どもの意思ではなく、1日1回は無理にでも外遊びに連れ出します
自分から行きたがらない子は特に
この話をすると、多くの親御さんが子どもに「○○する?」「○○食べる?」などと、疑問形で話しかけていることに気づきます
低学年までの子どもには、疑問形で誘いません
選択を見せるのが親の役目です
選ばせすぎてはいけないのです
選ばせすぎて育っていると、選ばせてもらえないときに反抗するでしょう
「行きたくない!!」と
それは、それまで選ばせてきてしまったのだから仕方ありません
悪いのは子どもではありません
親が反省し、態度を変え、関係をリセットするしかありません
ただ、その状態を続けると、後で大変になる、ということは確かです
 
小学校2年生で、その状態で、今後、A君が、学ぶこと、考えることを楽しみ、自主的に学び取ろうとする意欲溢れる子に成長するでしょうか
 
言われたことはやる、出された課題は出す、でも、勉強はちっとも楽しくない
そんな状態になることは想像できませんか
 
それでもまあ、低学年でも、英語教室やら、サッカー教室やら、公文やら、毎日スケジュールいっぱいの子も珍しくない中、A君の習い事履歴なんてかなり健全な方だと思いますよ
私個人的には、B社教材だけが気になるけど…
閉じ込めちゃうんですよね
思考力を
型にはめて、型どおりならできる、という子が育つんです
低学年の教材はまだいいんですけど、
どんどん、高度になり、まあ、学校のテストの点数はとれますけどね
でも、それだけではまずいんです
中学生くらいからなら、いい教材だと思うんです
低学年では必要ないと断言できます
それに、C算数やどんぐりとの両立はとても厳しいと思います
でもまあ、理社だけにするのでしたね…それも、もう少し後でいいんじゃないかなあ、と思うのですが…
 
B社教材が解けても、どんぐりができない、という子はたくさんいて、東京の幼児向け進学塾ではどんぐり問題が教材になっているところもあるそうです
そういうことに使うには注意が必要ですが、でも、指導者次第なので…
 
ゲームもゲーセンも、刺激が強いので、小さな子どもには中毒性があります
でも、月に一回のお父さんとのお楽しみなら、普通は特に問題ないと思います
影響を受けやすい子の場合、脳内がゲーセンの音と画像でパンパンになりますけど、A君がそういう子がどうか、私にはまだわかりません
 
私は、9歳、10歳までは(シュタイナーでは7歳ですが)できるだけ、現代的な刺激から遠ざけていたので、ゲーセンはもちろんですが、カーステレオやデジタル機器の音さえ、子どものいる時にはオフにしました
いくらオーケストラやピアノの音だとしても、CDやスマホから流れる音はデジタル音ですから、その時期まではしっかりと遮断しました
シュタイナー系の幼稚園では、そのような教えはなかったですか?
私の娘たちは保育園で、シュタイナーとは無縁ですが、テレビも、ゲームも、電子音も、ディズニーランドさえも、避けるように先生たちが一生懸命勉強して伝えてくれました
私はシュタイナー教育もどんぐり理論も勉強していたので、先生たちの話に納得できましたが、周囲のママたちはいつもその話になると顔をしかめていました(笑)
 
「影響を受けやすい子」はよく相談に来るのですが、たとえば、たった1回だけ、なにかの動画を見てしまっただけなのに、その後1ヶ月ほど、そのことしか頭にない、といった会話や行動をするので親御さんがびっくりして、困って、連れてきた、という例がありました
その動画が頭にはり付いている間は、他の何を見ても心が動きませんし、ましてや、勉強など身になるはずがありません
でもなぜか、そういう特徴の子を持った親御さんに限って、「喜ぶから」「求めるから」と許しがちなので、なかなか改善が見られません
あと多いのが、「相手をしなくて済むから」「静かにしていてくれるから」
これは完全に大人の事情ですよね
 
ある時期を過ぎれば、じゅうぶん、楽しめる余裕ができます
それはそれ、これはこれ、として大人のように働くときは働く、楽しむときは楽しむ、とメリハリをつけることができるようになります
 
それは、小さい頃にご飯を食べる前にお菓子や果物を目の前に出しておけば、御飯を食べずにそっちが食べたい、または、先に食べてしまって御飯が食べられない、という事態を招くのと同じです
私たちはそんなことをしないで済みますよね
考えればわかるし、何を優先すべきか、知っているから、そして、制御できるからです
制御できるようになれば、ゲームをしようと、スマホを使おうと、大丈夫なのです
でも、今は、子どもをまるで小さい大人みたいに、大人と同じもの、大人と同じ刺激を与え、大丈夫だろう、と思い込んでいるのが問題になっています
結局、子どもたちは自分ではどうにもならない脳内の錯乱を抱えたまま学校に行き、集中できないのに集中しろと言われ、なんにも興味を持てず、退屈したり、拒否したり…
 
子どもの心身の成長のスピードは、太古の昔と変わっていません
子どもの頃に受けるべき刺激と、受けるべきでない刺激があります
私よりずっとお若いDさんご夫妻の子どもの頃と今とを比較しても、
当時なら考えられない…というような環境に、子どもは置かれていませんか
 
どんぐりはずっと、そのことに警鐘をならし、
子ども本来のスピードでゆっくりと確実に自分で力を獲得しながら育っていくサポートをする大人のための勉強もすすめています
 
〔中略〕
 
週1日、どんぐり、他は、遊びか、暇か、そして、みんな早寝です
 
親たちは私と勉強会をしていますから、上記のような約束を守ってくれます

(DKで)
ただ、期末テスト前には逆に「勉強しないで」って言いたくなる、と相談がきました
勉強が楽しくて、止まらない、という中学生が多いのです
あまりに勉強しすぎていて、もういいんじゃない?って言いたくなるんだけど、どうしよう、って相談されました
それでも放っておいて、と私は言います
たとえば無理をしすぎて体を壊したら、それも、自分で学ぶこと
失敗をするために挑戦するんだから、そういう失敗も今しないとなんだよ、と
親に誘導されなくちゃ自分の限界にも気づかないなんてこの先どうやって生きていくの?と
 
我慢できなくなると、子どもではなく、私に訴えてきてくれる親たちなので、助かります
 
またその数日後

「今のAは外遊びが不得意で、自分の頭で考えることができていません。それを変えたいと私は思ってしまっています。」
このことについて、
「自由に外を駆け回ってほしいし、自分の頭で考えて行動してほしいと思ってしまう」
それは
「自分の理想に近づけようとしているのでしょうか」とのことですが、
元々、
A君が外遊びができず、自分の頭で考えて行動できない資質を持って生まれたということはないはずです
今は、どんぐりや、どんぐり的なものに行き着いたDさんが、生活を変えて、A君を変えたいと思っているかもしれませんが、少し前までは、宿題や、通信教材をきちんとさせて、お勉強をちゃんとさせるのがいいことだ、と思っていらしたでしょう
急に方針を変えても、子どもはすぐには変わりません
親が方針を(もし、間違っていたと気づいたり、別の方法でやっていこうと決意したりした場合)変えようと思ったなら、そのことを子どもに伝え、それまでのことを謝罪し、しっかりとリセット期間を設けることが必要なんです
 
子どもは、親のことが大好きで、優しいので、絶対に許してくれます
「じゃ、今日から外遊びが好きになるね!」ってことはないのですが、おそらく、今の時点では、外で遊ぶエネルギーが残っていないのだと思います
外で遊ぶのは、インドアで1人で遊ぶよりもエネルギーを要します
でも、本来なら、小さな子どもは外遊びのほうが楽しいはずです
成長とともに、アウトドア派、インドア派、と分かれていくのでしょうけれど、むかーしむかし、「子どもは風の子」なんていって、木枯らしの冬でも外に放り出されたように、子どもは外がどんな環境であっても、外で遊ぶものですし、外で楽しめるものです
なんだかんだいって、やはり、成長期に外遊びをするのとしないのとでは、その絶対量とその後の心身の強さ、賢さなどに、相関があるとしか思えない状況を私は見てきています
どうしても、必須なんです
外の空気、外で遊ぶこと、できれば、遊具などない自然の中がいいけど、それは、日常では無理だとすれば、そういうことは家族で週末に出かけるなど工夫すればできます
ある一定の、大切な時期だけです
 
それを、インドア派の大人が「子どもだってインドアが好きな子もいる」とかなんとか、室内でずっとゲームをしているような子どもや、暑いから、寒いから、と外に出たがらない子どもがいても、不自然だと感じなくなっているのもあります
 
だから、Dさんが「変えたい」と思うのは、自分の理想に近づけようとしているのではなく、「戻したい」という願望なのだと思って大丈夫です
本来のAくんに戻すこと
それが目標になっているのだと思います
 
子育てをしていると、自分の問題に行き着くこと
それは、誰しも経験していることです
真剣に考えている人ほど、気づいていることです
だから、それに気づいたDさんは、それでよかったんだと思います
 
私もそうでした
 
でもね、私たちは運良く、母になれたんです
もし、自分の子ども時代の宿題をまだやり残しているのなら、
A君と一緒に自分のことも育ててしまえばいいんです
自分で自分を育て直せばいいんです
本当の自分の親に頼る必要がありません
私たちはお母さんなんだから
また別の日

(外遊びをどうやって誘導したらよいかという話題から)

遊び方は、公園だと考えてしまいますよね
 
私も、我が子や、塾生たちといろんな場所で遊びましたが、
たくさん遊んでみてわかったことがあります
 
公園では子どもは遊び方で揉めます
喧嘩になることも多いです
そして、怪我が痛々しいです
遊具が固いですからね
 
自然の中で、子どもは、あまり揉めません
喧嘩になったこともほとんどありません
そして、怪我をしても擦り傷程度です
下手をすれば命にかかわる自然遊びですが、
実は自然の中で遊ぶことが、どんなに「自然」で、
人工的なものの中で遊ぶことが、どんなに「不自然」かが、
両方たくさんやってみるとわかります
 
仲間とも行きましたが、私も我が子とだけ、家族だけで自然遊びをたくさん楽しみました
友達がいるのもとっても楽しいけど、家族だけで過ごすのもとっても楽しかったようです
特に、遊ぼうよ、って誘ったりしないですし、何して遊ぶ、なんて相談もしませんが、夫は生き物を見つけるのが好きだったり、石を動かしたりするのが好きで、よく熱中していました
子どもたちも、川のよどみを見つけると、この流れをスムースにして綺麗な水にしよう、なんてプロジェクトを思いつくと、暗くなるまで熱中していました
川遊びではそんな感じです
 
それから、「どんぐりだけでいいんでしょうか」に関しては、確かによくある質問なので、ブログ記事にしてみようと思います
ネタをいただけて、嬉しいです
 
簡単に言うと、おっしゃるとおりで、学校に行っている子なら、教科書で順序通り、習得すべきことを目にするはずです
先生の話も聞くはずです
どんぐりは、それ以前の思考力の養成なので、あとから身につけるそういった知識系のものは、思考力さえあれば読み取り、聞き取ることができます
算数だけでなく国語も理科も社会も同じことで、私はここ数年で、小学生時代どんぐり問題を正確に読み取れて絵図化できていた子たちが言語能力に秀でていて、それが中学生からの英語力に直結していることもわかってきました
 
英語の勉強を先取りしていたわけでもないのに、英語を学ぶことに抵抗がないというか、当たり前のように教科書程度の英語は授業が進むにつれて、普通に理解できるようになっています
 
宿題についての説明ですが、私の過去のブログに、私の教室の保護者の武勇伝の特集があったと思うので、それらも参考にしてください
私自身の話をすると、宿題の害について、学校の先生や我が子に話したことはありません
「有害なのでやらせません」と言ったことはないのです
そうではなく、
どんぐりと両立ができない、と子どもには伝えました
先生にもそのように説明してあるから、宿題のかわりにどんぐりをすることになっている、と話していました
先生との約束を破っているわけでもないし、先生に逆らうべきだとも思っていない、学校での先生のお話はちゃんと聞いて、教えてくださることにもちゃんと耳を傾け、一生懸命勉強するんだよ、と話してきました
 
そして先生にも、そのように子どもに話していることを伝え、どうか、家庭学習の管理は家庭の方針に任せていただきたい、とお願いしました
80%以上の先生が「ご家庭の方針でどうぞ」と笑顔で承諾してくださいましたよ
 
なぜ両立できないのかという詳しい説明は、低学年の頃は、DさんがA君に説明しているようなことと似たようなことを言っていたと思います(両方やると疲れちゃうから、というような)
高学年ではもう少し立ち入った説明をしました
どんぐりによって複雑な思考回路を構築しようとしていること
学校の授業中にする大量で、簡単な計算問題を家でも続けていると、複雑な思考回路の構築の妨げになること、学校でじゅうぶんやっているのだから、家ではしない方がいいこと、もしかしたら、それによってどんぐり効果が減退してしまうかもしれないなど、話していたと思います
 
低学年から進学塾に通ってお受験を目標にする家庭があるように、
その逆で、できるだけゆっくりと思考力を確実に育てるための方法を実践する家庭があってもいいと思っています
宿題を増やしてほしい、という要望を先生方は聞くことができるのに、宿題をなくしてほしい、という要望には批判的です
おかしなことですよね
どちらも受け入れて、それぞれの好きにさせればいいだけなのに、ひとつに揃えようとするからおかしなことになりますね
 
A君は必ずよい方に向かっていきますよ
心配は要りません
Dさんがすぐに行動に移しているところ、自分自身が努力をしているところが、とても素晴らしいと思うのですよ
 
ずっとは続きません
ほんのいっときです
だから、
今を楽しんでください

我ながら〔中略〕したってあまりにも長すぎるメールに自分で読み返して呆れています
ごめんなさいね、メール相談をしてくださっているみなさん…
そして、いま、Dさんに一言送った後、こうして、私が書いたメールのみ公開しています

短い間のやりとりではありますが、おうちどんぐりを始めて間もない方が、少しずつ、考え方、子どもとの接し方、言葉のかけ方などを変え、その、親御さんの観点からお子さんの様子を伝えてもらうと、あきらかに変化が現れてきているようで、嬉しく思います

親が行動に移すことです
そして、
途中に書きましたが、メールに書く代わりにブログに書きますね、と約束したので、最後に書こうと思います

「どんぐりだけでいいんでしょうか」について

結論として、「いいんですよ」とまずお伝えしておきます
不安ですよね
巷にはたくさんの勉強法、子どもの可能性を伸ばすという理論、そして、そういった方針のお教室があり、毎日看板や広告、DMを目にしますよね
別に、必要ない、って思っていた方も、「うちの子だけやらない、っていう状況は…」と段々と不安になりますよね
一時期、パペットや育児ビデオの言うことしか聞かない幼児を「しまじろう症候群」という現象として問題視したことがありましたが、私はあの当時、「症候群」に罹っているのは子どもではなく、親でしょう、と思っていました
幼児向け通信講座も、そこが作っているかわいいパペットも、ビデオも、いち企業が社の利益のために知恵を絞って販売促進していたツールであり、それを家庭で購入して育児に活用することは個人の自由ですし、買って上手に使いこなせた人もいるでしょうし、「症候群」と名付けられるほどの状態に我が子を追い込んでしまった親御さんも確かにいたでしょう
いずれにせよ、買って、使ったのは子ども自身ではない、ということをお忘れなく、と言いたいのです
話を戻します
「みんながやっているから…」と始める学習法があるとします
それは、学習塾だったり、進学塾だったり、通信教材だったり、色々あると思います
どんぐりだってそのひとつと思われているのでしょう

確かに、しまじろう世代の子どもたちが自分で自分の学習法を選択するのは困難です
だから、親が選ぶことになります
子どもの育つ環境は親が作るのです

どんぐりだって、子どもが自分から見つけてきて「これやりたい!」っていうことはまずないと思います

だから、選択するのは親で、責任も重大ですね

だから、選ぶときに親御さんは一生懸命勉強する必要があるのです
ただ買って与えるだけで「賢くなる」なんて、飲めば「痩せる」薬が存在しないように、
そんな教材はどこにもないのです

表面的な「できる」ことがつかみ取れたとしても、その子がその後生きていく人生で生かされる本物の自分の力になっているのかはわかりません

私がただ、わかっているのは、「どんぐり」は、子どもを人間に育てるために必要なことしかやらない、ということです

いつか、子ども自身が、「もっとできるようになりたい」と思ったとき
「もっとこういう生き方をしたい」と思ったときに、必ず原動力になる教育法だと信じているのです

そう、私は信じているのです

子どもに何かを「できるようにさせる」教室や、教材は他にもあると思います
でも、どんぐりは、「できる」ための教材ではなく、「わかる」ための教材であり、
それには、独自の取扱説明書が付属しています
どんぐり始めよう、と思った方がまず最初にぶちあたる、「環境設定」もそのひとつです
環境設定がネック?
でも、親が生活環境を作る子ども時代なのに、その親本人が生活環境を設定し直せないとしたら、やっぱり、子どもの生きる力や、賢さ、優しさをこの厳しい現代社会で丁寧に大切に育んでいくのは、余計に困難なのではないでしょうか
 
家の中がどうであれ、外に出れば自由に遊べて、たくさんの人がいて、自然も豊かだった、そして、子どもが育つために必須ではない余計なものが、今ほどたくさんなかった時代とは、比較にならないほど、家庭の外は過酷なのです
 
だからこそ、の家庭生活の環境設定なのです
家の中に取り入れさえしなければ、子どもの環境は守れます
 
「どんぐりだけでいいんでしょうか」答えはYESです
どんぐりは、生活そのものだから
子どもが自分で考えて、自分で生きていくための学習法の基礎だから
その上に、もっと知識をつけたい、もっと強くなりたい、という子どもの願望が重なってくるかもしれない、そんなときのために、地頭と底力を鍛えておける方法です

でも、それには親の努力が必要です
私みたいに昔話みたいな生活が好きな人間にとって、それは努力でも苦労でもありませんでした
もしかしたらその「親の努力」が、苦しくて仕方がない、つらくてしょうがない、って人もいるのかもしれません

そういう方は、どんぐりを始めて、やってみたとしても、なかなか理解できず、信頼できずに離れていくことでしょう

親がどんぐりを信じていなければ、子どもも信じないことでしょう

でもそれは、他の学習法もほとんど同じことです

上手に活用するには、よく知り、よく信じ、依存と責任転嫁をしないことが大切
そうでないと、一方では効果的に、他方では症候群になってしまうのですから

自分の生活は変えたくない、面倒なことはしたくない、
でも、子どもには頑張ってほしい、「できる」ようになってほしい
それでは、どんな方法でもうまくいかないことだけは、お伝えしておきます
そんな旨い話が、あるわけないですよね(笑)
同じことを、進学塾講師だった時にも口にしましたよ

算数と国語をできるようにさせる、
理科は、社会は?英語は?
そんな単純なものではありません

どんな科目も理解できる、どんなものを読んでも、聞いても、それを自分の中に取り込んで、自分の頭で考えることができる、その基盤を構築するための方法なのです

最強でしょ
そして、全ての基本でしょ
それがどんぐりです
だから、大丈夫、なのです