(とにかくうちのどんぐりっこさんが「黄金タコ焼き」を描く度に、
どんな味なのか、気になってしまう…美味しそう…)

大好きな林先生の番組の対談コーナーに、マーケターの森岡毅さんという方が出演なさっていました
マーケターとは、マーケティングをする人のことで、
マーケティングとは売れる、儲かる仕組みを作ること

知り合い方がお店を出すと検討しているとき、
出店場所やタイミングについて自分の判断ではなく、マーケティングのプロに依頼したら、地域の人気店になり、それから長年経た現在も人気店であり続けている様子を見ていて、
やっぱりプロってすごいんだな、偶然じゃないんだな、とその店の前を通る度に感心し続けています

その店の出店当時、「マーケティング」という言葉を知ったのですが…

森岡さんという方は、マーケターの中では今、日本で一番注目されている有名な方なのだそうです

ビジネスには「勝敗」という言葉がつきものなので、全てを教育に置き換えることはできないのですが、私は、ビジネスで成功している方の論理的思考にとても興味があります
森岡さんも、
「数学を勉強する意味は、将来、論理的思考を使うための練習のため」と断言していました
「計算力ではなく、答えにどうやってたどり着くかを試行錯誤することが練習になる」と

そうそう、そうなんですよ!と1人で相づちを打ちながら、聞いていたのです
(まあ、実際には、朝の日課のヨガをしながら斜めになって頷いていたのですが)

USJの収益をV字回復させたり、丸亀製麺もV字回復させたり、西武園ゆうえんちや、倒産寸前だった観光施設を大人気の施設に変貌させたりと、森岡さんの実績は確かに数字に表れていて、確実に「勝ち」をとっている方です

ビジネスの手法や、詳しい過程や結果について私にはわからないのですが、林先生の対談では、一般視聴者である私たちに響くような言葉を拾い上げてインタビューしてくれていました

その中で、私が日頃考えている子どもたちについてのこと、教育に関することに共通する考え方があったので、紹介しようと思います

森岡さんは、「弱みを克服する必要はない」と断言していました
それはなぜか、「弱みを強みに変えた例を見たことがないから」ということでした
今の日本の教育についても「全てできるように、という平均を目指そうとして、弱点を克服させようとするけれど、どう頑張っても克服できない場合もある。そうなると、もうダメなんだ、と思いがち」
林先生も、日頃、「苦手なことは頑張らなくていい」と言っているので、かなり共感していました
私も、苦手なことに最初に着目して、苦しいだろうから、とそこをなんとかしてあげようとしてうまくいかなかった過去の経験から、そういったアプローチ法が間違っていることは知っていました

最近ではドラマ『二月の勝者』でも、算数が苦手な生徒につきっきりで教えても効果はなく、いつも窓の外をボーッと見ているところから電車好きに気づき、電車の話題でまず目を輝かせ、それをきっかけに電車の部活のある中学校のパンフレットを見せて受験への意欲に誘導する、という場面がありました
そこで着目してほしいのは「そうか、鉄研のある学校のパンフレットをニンジンにすればいいのか!」じゃなくて、その前のシーン、いくらつきっきりで教え込んでも、前には進まないんだ、という場面だったんです
『ドラゴン桜』でも、虫に夢中で勉強は苦手な生徒に、虫の研究の英語で書かれた原書を渡し、夢中にさせて一気に英語の知識を増やさせた場面がありました(これはドラマすぎるけど…)

林先生が共感して、話題は「学校教育は…」と繋がっていきました
弱点を補強して平均値を上げることを目標としていて、それぞれが得意な部分を伸ばすチャンスがない
森岡さんは「本来なら学校の先生や親が、子どもそれぞれの良さを引き出すことができるはず」と
「なすびはなすびであって、きゅうりにはなれないんだから」と
なすびは、まるくて、紫色で、光ってて、なすびの良さはあるのに、
きゅうりになりなさい!タマネギになりなさい!っていくら言ったところで、そんなんじゃしなびたなすびになってしまう
何か得意なことや、好きなことを見つけてあげて、その可能性を伸ばしてあげるのが教育では、と

ああ、まずは、公教育の現場に、全国の小中学校に、できるだけ、見学に行ってみてほしい、と最初に思いはしました
マーケターの方が見たら、学校そのものの問題点や先生方が抱えている案件の多さを、きっと、即座に指摘してくれることでしょう

それから、「平均値を上げる」「弱点を平均点くらいまでにはあげる」ことなんかにこだわらず、「苦手科目はやらなくていい」「得意なことだけを伸ばす」と言われても、彼らの前に控えている高校入試の試験問題と、その合格基準を見れば、できないことをできるようにさせてあげなくては、と先生や親たちが思うのも普通のこと

もし、目の前に何の試験もなくて、国語が苦手な子は国語を勉強しなくてよくて、理科が好きな子は理科だけをやっていていいのだったら、先生たちもそれぞれの専門家として自分の好きに飾った専門教室で待機していて、それを学びたい生徒だけがやってくる、とかいう方式にすればきっと楽しいでしょう(大学の先生みたい)

でも、小中学校はそうはいかないんだよなあ…
「教育は選ぶもの」としている(学校がいっぱいある)都会の方や、裕福な方、子どものスケジュール優先で送迎や付き添いができる方は理想の学校を探して入れることができるかもしれない
でも、
多くの子どもたちの環境は、そうはいかないわけです

小中学校で「学校を選んで」いるのは、多数派ではありません

日本の多くの子が、公立の小中学校に通っていて、日本の多くの先生が、公立の先生をしています

いま、私は国内外、全国の小中学生とオンライン授業や通信講座で繋がっていますが、
公立学校に行っている子のほとんどが、全国共通の学校生活を過ごしています
地域差はあまりなく、どこも同じなんだな、という印象を受けます

政府も注目するマーケーターの方が、教育に関してこんな風に発言しても、
それなら、公教育も見直しましょう、なんてことになるのはいつになることでしょう
私と同世代の森岡さん、お子さんはまだ小さいようなので、これから実際、子どもさんの受ける教育を通して、現実を知っていくのでしょうか
それとも学校を選んで、「理想の学校」に子どもを入学させているのでしょうか
そうしたらいつまでたっても、公教育の実態はわかってもらえないんだろうな
(と、私が中学校までは我が子は地元の公立小中学校で学校生活を送る、と最初から揺るぎなく決めていた理由はここにあるわけなのですが)



(これがすばらしき論理的思考。どんぐり問題では読解力を駆使して思考を視覚イメージ化するので、「問題文を読む」→「視覚化する」→「段取りをする」→「組み合わせたり、組み替えたりしながら試行錯誤する」等といろいろなことをこの紙面で行うため、たった1問解くだけで相当な論理的思考力を鍛えていることになります)

子どもたちも、親たちも、先生たちもみんな、頑張ってる
自分たちで決めたんじゃなく、えらい人が決めた仕組みの中で、
えらい人たちの決めたことを信じて、頑張ってるんです
そのことを、えらい人たちはわかってくれているのかなあ

なすびをタマネギにしようと一生懸命になることについて、
学校の先生はそれでも、そうせざるを得ない立場だったりするわけで
だから、親だったら、なすびをなすびとしてせっせと磨き上げることはできるんじゃないかな、って
それなのに、親も先生の立場と同じところに立って「もっと頑張りなさい、タマネギになりなさい」って引っ張り上げようとすると、結局逆効果なんじゃないかな、って思うんです

絶対にタマネギになれないのに、なすびをなすびとして認めず、どうしてもタマネギにさせようとするような教育が、横行しているんだな、とわかるのです

じゃあ、どんぐりは?と自分に問いかけました
ことあるごとに、何度も問いかけてきたことです
これも、現代人は忘れてしまっていて、そんな経験も子どもにさせていなかったのか、と驚愕する事実がどんぐり誕生の秘密に含まれているのですが

それはたとえば私たちが数字の「2」を理解するとき、
「に」という音からでも「2」という数字からでもなく「●●」と何かが2個ある状態を目で見て、(目の見えない方なら触って)「ああ、これが2ということ」と認識するところからスタートしているのは間違いないわけで

その「●●」をいっぱい見て、触って味わいつくす経験をほぼしないまま、子どもたちが「2」「に」を知ってしまうことの弊害といったら、そんな、2とか3とかいう数字だったら大抵の子は問題なく何の疑問も持たず通過してしまうので、ほとんどの人は全然、気づかないのです、そんなことに弊害があるなんて

教育のための動画教材などでリンゴの絵を2つ見せられて、「これが2」といくら目で見て、耳で聞いたとしても、それは受け身でしかありません

文字も同じです
日本語だったら生活圏のそこらじゅうに書いてあるし、毎日起きている間中リスニングしているわけです
それなのに、「漢字練習」しないと「漢字」は書けない、と思い込んでいる大人が多すぎて、子どもたちもまんまとそのように育ってしまっています
それでも、漢字を覚えるためのアプリとか、画面に書いて音が出るからやる気になる教材とか、人気が出ているようです

そういうツールはどんどん充実する一方、子どもたちが勝手に自由に獲得することができる準備学習の材料は激減しているのです
アプリや教材で浴びせて満足している親たちが、本当の準備学習をほとんどさせないまま、子どもたちが学校に入っていくという時代が、数年前から当たり前に始まってしまい、学校の授業はますます困難を来しているのです

私は、「本当の準備学習」の大切さも手法も知っているので、ずっと、訴え続けてきたし、出会えて、話せて、相談された場合は丁寧にお伝えしてきました
実際、私の目の前には、文字や数字をできるだけ教えないで、電子機器に触れさせないで丁寧に幼少期を過ごし、小学校時代は学校からの宿題を制限して漢字練習や計算ドリルをさせないようにして中学生になって飛躍している子が何人もいます
飛躍…というか、揺るぎない思考力を手に入れた、という印象です
生まれてからたった10年間くらいの親御さんの努力と工夫で、本当にこんな風に成長するんだ、という実例がたくさんあるのですが、彼らのプライバシーの問題もあり公表できないのがもどかしいです

(高学年スタートの子   全てを視覚化するのがとても難しい  でも、一生懸命やっています それは、どんぐりタイムだから   この経験があるのとないのとでは、全然違っています)

弱みは弱みであり強みにはならない、と
林先生も森岡さんも言っていました
得意なことがないという相談を受けることもあり、困ってしまう、と林先生が嘆くと、森岡さんはその場合の得意なことの見つけ方も教えてくださっていました
なるほど、わかりやすい解説でした
そして、確かに30年近く定点観察している私から見ると、
子どもたちのバイタリティは激減していて、
数ある中から好きなことや得意なことを見つける、というよりは、
ほとんど候補がない中でやっと絞り出すしかない、というような
あれもこれもやってみたいけど何にしようかな、というようりは
やりたいことなど何もないし、できれば何もしたくないけど生きるためにしょうがないから選ぶしかないか…というような
成績に関係なく、そういう傾向がどんどん強くなっているのも事実です
つまり、「弱みも強みもなく、むしろ、強みなど出さない方が平和だと思っている」ような状態です

大人が、子どもたちをそうさせているんだと思っています

どんな手法を知っても、実行に移さなければそれは「ゼロ」のままです
いいのはわかってるんだけど、いまいち踏み出せないのよね~と思っているうちは「ゼロ」のままです
「実際にはあるのに、頭の中になければそれはないのと同じ」という話も出ていました

踏み出せない人にどうしたら伝えられるのか、そんなことばかり考えている私にはタイムリーな対談でした

林先生と森岡さんの対談は『日曜日の初耳学』
1週間は見逃し配信で見られると思います
ここには書き切れなかったその他の面白いお話も満載でした
見られる方は、ぜひ、ご覧になってみてください