同級生からの年賀状には
「今年はいよいよ50だね」と書いてあるものが何通かありました
「わたし…まだ48なんだけどな」と確かに現在49の同級生の夫に笑いながら見せました
そんな些細な早生まれマウントでふざけつつ、
いずれにせよ、人生折り返し地点はとうに過ぎている
と、これまた、家の近所を駆け抜ける駅伝のテレビ中継かなんか見て思うのでした

昨年末
身近な人が亡くなりました
血縁的には身近ですが、日常的に関係が深かったわけではありません
ただ、私はこの広い世界で、血縁ってとっても大切な絆だな、って思っているところがあり、
時々「どうしてるかな」「大丈夫かな」と思い出す存在だったので、
あまりに突然のことで実はしばらく、かなりショックを受けた状態から立ち直れませんでした

年齢も、そう遠くなく、
まだまだ、人生は続くでしょ、って当たり前のように思っていたくらいの人です
だから、
命ってなんだろう
生きるってなんだろう
その家族は、どんな気持ちでその人の死を受け入れていくんだろう、と
何日も眠りにつくのに時間がかかり、
まだ、今でも、日が落ちると急に不安になり、なぜか涙が出てきたり、いい年をして夜が怖くて仕方ありません
夜中に目が覚めると、目に見えないいろいろな物に襲われている気がして、ぎゅっとまぶたに力を入れて「早く朝になりますように、早く朝になりますように…」と本当に声に出して唱えてしまいます

それでも、やっぱりちゃんとお天道様は昇り、私の世界を照らしてくれます
毎日やることは山盛りにあり、家事と仕事に追われる毎日はちゃんと揺るぎなく続いています
かわいい生徒さんたちに毎日会えて、我が子も自分の世界を生きている
ああ、みんなちゃんと生きている
みんなちゃんと幸せに笑っている
そんな当たり前のことに、いちいち感動する昨今でした
どうかこのまま、当たり前の日々が続きますように…
彼らの世界が、ずっとこのまま続きますように…
そう、心から願っている日々でした

そんな中、希望に満ちた様々な新しい計画を見ると、
最近、また違った感覚が湧き上がるようになりました

わたしにできることはなんだろう
私に残された人生で、私がすることは何なのだろう

人生の折り返し地点は過ぎた、なんて悠長なことを言っている場合じゃない
明日どうなるかだってわからないじゃないか
悲観ではなく、前向きにそう考えていた頃を少し思い出しました

私が「すべきこと」ではなく、
私に「できること」はなんなのだろう

新しい学校を作りたい、
学校を変えよう、改革をしよう、
いろんな教育があるってことをみんなで学ぼう、
年が変わって、新しく意欲的なプランがあちこちで立ち上がり、
私の目や耳に入ってきます
どれもみんな素敵
この動画を見てください、と連絡が来ると、夜中まで見ています
ああ、素敵ね
そんな学校があったなら
そんな大人に子どもたちが出会えたなら

でも、私の子どもは間もなく義務教育期間を終えようとしています
今春からは成人する大学生と高校生の母です
自分の子どもの世代と関係がないから関心はないわ、と言いたいのではありません
私の生徒たちは年長さんから中3まで、たくさんいるのです
私にとって「関係がない」「関心がない」なんてことはあり得ません
なんといっても、ただ長いだけではありますが、教育業界に居座って間もなく30周年を迎えようとしているのですから
30年続けたら、さすがに答えが見つかるのかなあ?とまだ期待してる自分もいます
見つかるわけないけどね、と悟っている自分もいます
見つからないから探すんじゃん
探し続けるから楽しいんじゃん
見つかっちゃったらゲームオーバーじゃん
ってね

新しくて素敵なプランを心から応援しています
知名度や経済力のある方、仲間を作り動ける方、人を動かす力のある方々が積極的に運動を起こすことも、心から応援しています

ただ、私は自分の子どもたちを人間に育てることを親のつとめとしてやってきました
社会や、地域や、学校がどうなろうと、
子どもが育つ上での全責任は親にある、と20代最後の年に親になった私は最初から思っていました
もちろん、
社会(政治)や、地域や、学校が子ども(私たちの生活全体)にどのような影響を及ぼしているのか、知ろうとしてきたし、関わろうとしてきたし、これからもそれは続けます
そして、正直、それらが自分たちにとって、子どもたちにとってとても良い状態である、とは冗談でも言えないくらい、ひどい状況であることもわかっています
なぜこんな風になってしまったの
なぜ今こんななの
それらの歴史を紐解けば紐解くほど、現状は惨憺たるもの
でも、同様に歴史からわかるのは、私たち人類はそういうことを繰り返して進化してきた、ということ

だから動いても無駄なのか?というとそういうことでもない
こんなんじゃいけない、なんとかしなければ、と運動を続ける一派がいたことで、きっと、私たちは滅亡せずに生き延びてきた種族

なんか違う、と思う人は、行動に移すことが大事だと本当に思うのです
私だって、できる範囲でちっぽけな力ですが、使うことは惜しみません

でも、私はここで、ひとりで、何をしていくのか
私は子どもたちを人間に育てていきます
親たちが「子どもを人間に育てる」ための手助けをこれからも変わらずやっていきます

勉強は楽しい、学ぶことは喜び、その原点を伝え続けます
そう感じる人間に育つために最も大事な時期は、生まれたその日から約10年間であることを、
これからも変わらず伝え続けます

就学前に生後6年間でその初期段階をクリアしていると、
既存の学校で体験するさまざまなことは全て栄養に変わります
一見すると「有害…?」と思う方がいるようなことでも、
子どもが自ら栄養に変えてしまう体質に育っていれば大丈夫なんです

小学校在学中の6年間でもまだまだ人間への成長過程は続きます
全責任は親が負います
学校や先生のせいにして逃げてはいけません
子どもがちゃんとそこまでの人間に育っていればまた、
どんなことでも栄養に変えてしまいます
従うことに慣れ、麻痺してしまっているのと、
栄養に変えてへっちゃらで過ごしているのとを、
混同してはいけません
麻痺している子どもを、見過ごしてはいけません

栄養に変えられないよ!助けてよ!っていうメッセージを、見逃してはいけません
そこまでで育ててあげられなかったなら、そこからやり直せばいい
そこまでに必要なことを、もう一度しなおせばいいのです

そして、全責任は親が負っているという自覚を、
必ずしっかりといつも胸のど真ん中からはずさず持っていてください

私はそんな方々の手伝いをしています

どんなに素敵な新しい学校ができても、
遠くて通えなかったり、費用が家計と合わなくて断念したり等、自由に選択するにはまだ環境が整っていません
公立学校と同じくらいの数、家の近所に選択肢のひとつとして新しい学校があったなら、
誰でも選択できる状況であったなら、話は別です

これから学校制度を変えましょう、今の状況ではおかしいですよ、と声を上げてくださっている本当に尊敬できる方々がどんどんメディアに出てきています
公立中学校で改革を実践した工藤勇一先生もそのひとりです
工藤先生の声は、きっといつか本当に、日本の全ての学校を変えていくかもしれません

でも、私の目の前には、工藤先生の学校とは何もかもが違っている学校に通っている生徒たちがいます
大量の宿題と頻繁なテストに追われ、自分のしたい勉強や趣味をする時間を作るのに苦労している子たち
意味がわからない校則に縛られ、主張すれば威圧されている子たち
今を生きている小中学生は、
いつか起こる改革を待っていることはできません

私は、
今を生きている子どもたちと生きています

あと何年、この仕事ができるんだろう
あと何年、私は家族と生きていられるんだろう

考え始めてしまうきっかけがあり、私はますます、
今を生きる子どもたちの「いま」を、
どうしても大切にしたい、と強く思うのです

私が中学生時代に使っていた参考書の写真を先頭に掲載しました
(新しいのも混じってます)
私は、生徒たちにはこの原点を伝えたい
そして、親御さんたちには、子どもたちの「いま」を一緒に背負う仲間として、
いま、私たちがすることはなんだろう、と問題提起を続けたいのです
全責任は親が負い、
親はそのために、勉強を続けるんだ、ってことを、仲間として伝えたいのです
ひとりひとりが賢く、強くなり、
一緒に学んだ仲間は一生の仲間となります
誰も孤独ではない
誰も孤独にはならないために、私は、伝え続けたい
それが、私の残りの人生ですることかな、ってふと思ったので、書きました

「反省はするけど後悔はしない」
私が中学生のころ、ひとりでノートに書いていた言葉です
意味がわかるような、わからないような…(笑)

でも、これらの参考書を使って、孤独に勉強していた私は、きっと、未来への希望に満ちていました
今も小さな火は種火のように残っていて、
きっと、その火が消えるときは人生が終わるときなんだろうけれど、
娘たちにちゃんと分火できたので、今度はその火が、どこまで大きく、美しく成長するのかが楽しみで仕方ありません

親としてのつとめを全うすることを目標にしつつ、
どんぐり学舎の私は、毎日、子どもたちの「いま」を見守り続けます
いつかの改革を待つ間、
親御さんたちにも「あきらめない」ことを、その方法を、伝え続けます
だからどうか、
私と一緒に、学び続けてください
探求し続けてください
ひとりでは難しいことも、一緒ならきっと成し遂げられます
私の助けが必要なら、呼んでください
会いに来てください
決して、あきらめないでください
あきらめて、止まったら、そこでゲームオーバーです

私は今年も、
この小さな粗末な小屋で、
それでも大切な小さなお城で、
子どもたちと一緒の時間を思い切り楽しみます

ちいさな子どもたちとはどんぐりを
大きな子どもたちとは高校入試をどう突破するかの作戦会議をしながら
どんなことも笑顔で鼻歌交じりに乗り越えられるような
そんな逞しい子どもたちと過ごしていきたいです

どうか今年もよろしくお願いします

2022年1月
どんぐり学舎&DKRoom 

いずみさとこ