僕はどんぐりそしてDKRoomに十年間通ったどんぐりっこです。週に一回だけですが、気軽に楽しく通わせてもらえました。ここで身に付けた力は一生役立つものだと強く思います。

どんぐりでは、年長の九月から0MXの問題を解きました。絵で描きながら問題を解くというやり方は、当時の僕にとっては、問題文通りにお絵かきしてたらいつの間にか答えが出たみたいな感じだったと思います。

小学校時代からゲームをしないというルールは、ゲームが家になくそもそも興味がなかったので全く困りませんでした。計算・音読をしないというルールは、宿題さぼりだと思われたりすることもありましたが、自分から友達にどんぐりのルールを打ち明けたりしたので、少し変わった塾に通っている子として認識されていただけで、いじめや悪口といった行為には至りませんでした。計算ドリルは小学生の時の僕でさえ、やる意味ないなと思っていたし、どんぐりの算数の文章問題の方がよっぽど楽しかった記憶があります。計算ドリルはまったくやらず白紙のままだったり、親にやってもらったりしていましたが、学校のみんなと比べて算数・数学はまったく遅れてませんでした。むしろどんぐり生の方が、数学の読解問題が得意だったし、問題をいくつもの視点から考えることができたと思います。よって似たような計算を繰り返しやることにはまったく意味がないと断言できます。小学校時代はDONGLISHや塗漢字、カード・ボードゲームなどを毎週楽しくしていました。ゲームをやらない代わりに僕は友達と外で遊んだり、読書に没頭したりしました。そして僕はどんぐり問題を全部やりきることができました。学年が上がるにつれて、筆算でも解ける問題もありましたが、脳内整理のために絵を描くという手段を最後まで大切にしていました。学校のテストでもわからない問題があれば絵にかいたりしていました。

中学生になるとDKRoomに名前が変わりました。普段は、入試頻出漢字や語彙力、英語のプリントを毎週しつつ、残った時間は自主学習や英語のリスニングなどしていました。でも塾に行っているという感覚ではあまりなかったです。数学の難問をみんなで議論しながら解くのがぼくがいちばん楽しかったことです。中学生になってから本格的にQノートに取り組まないといけなくなり、印刷・貼り付けなどの手間がかかるため負担に感じることもありました。でも、自分のできない問題を後で解きなおせて、苦手をなくせるので、大変でも自分にとって必ず役に立つ大切なことなんだと言い聞かせ、忙しい時期でもずっと続けました。あとからやっといてよかったと思う系です。
下の写真は、僕の数学のQノートのうちの一ページです。僕は写真のように後から見直してもわかるように丁寧に解説を書いていました。


間違えた問題に対して、なぜ間違えたかを自分なりに分析して添え書きすることもあります。そうすることで間違いの再発防止にもなります。





中学生にもなると、周りのみんなは自分のスマホを持つようになりましたが、僕はアンデシュ・ハンセンさんの「スマホ脳」という本を読んでスマホの危険性を知っていたし、勉強と部活で忙しかったので、特に欲しいとは思いませんでした。

また中学では次のような出来事がありました。次の問題をご覧ください。

〈5MX23〉今日はカタツムリのムーリー君の誕生日です。今年は大好きな紫陽花の葉2枚と、輝く雨の滴6滴が買える516円の商品券3枚と、同じ紫陽花の葉4枚と輝く雨の滴5滴が買える717円の商品券2枚をもらいました。この商品券の金額から紫陽花の葉1枚と輝く雨の滴の値段を考えてみましょう。

この問題は僕が五年生ごろに解いたどんぐりの良質問題です。当時の僕は絵をかいて正しい答えを導きました。一方中学二年で習う連立方程式の考えで行くと、紫陽花の葉をX円、輝く雨の滴をY円とすると 2x+6y=516、4x+5=717 という連立方程式ができ、解くと紫陽花の葉は123円、輝く雨の滴は45円となります。当時の僕は数学用語でいうと「項の係数を揃えて一つの文字を消し、一次方程式を解いて解を導く」という作業を絵を描いて行っていました。このことから、どんぐり問題をやることで考える力がつき、難しい問題も解けることと、中学の数学の問題も絵を描いて解けるということが分かります。この経験をして、小学生の間、計算ドリルをやらずにどんぐり問題だけを解いていたのは正解だったと感じました。

そしてDKの教材の中で僕が愛用していたのは社会分野の一問一答です。実力テストや定期テストの前に該当する範囲をやったり、自主勉強で復習を兼ねてやったりしました。わからない問題と遭遇したら、すぐに答えを見て印をつけておき、時間を空けてもう一回やるというやりかたでやっていました。そこからさらに発展させて、社会の難問や理科、実技教科の一問一答をWordで自作して、テスト前や好きな時にやったりしていました。

おすすめの勉強方法① 
定期テストでは教科書の言葉が問題に出るため、下の写真のように、教科書本文をWordに打ち込んで重要語句は赤字にして印刷した後、赤シートで隠しながら単語テストをして、間違えた単語は二回目、三回目と覚えるまで単語テストを繰り返すという方法で僕は行いました。この勉強方法は二年生頃に思いつき、最初は自主勉強ノートに手書きでやっていましたが、途中からWordでやるようになりました。
(三年家庭科)

DKRoomに通い、特に身についた「独学の力」です。聡子先生が勧めてくれたいくつもの勉強方法の中から自分に合うものを探し出して、その勉強方法を行い、自分に合わせて試行錯誤していくことで、自分にとって一番ベストな方法で勉強をすることができました。中学生になってから、僕は勉強と運動の両立で悩むことがありました。三年生になってから引退するまでが特に忙しく、DKを休むこともありました。でも二年間で積み上げてきた独学の力を使って少ない時間の中で効率的に学習することで成績も三年間維持・向上できました。受験勉強も自分に合った勉強の方法で苦手を少しでもなくすために勉強に励みました。その成果が出て志望校に合格することができました。塾から押し付けられた勉強方法をずっとやっていても身に付きにくいし、思考力が低下してしまうと僕は思います。やる気になれば人は一生勉強する生き物なのでこれからもDKで培った独学の力を使っていきたいと思っています。

著者略歴(いずみ文責)
・保育園年長で「どんぐり学舎」へ
・年長~小学6年 「どんぐり学舎」在籍
・中学1年~3年 「D→K Room」在籍
・どんぐり倶楽部良質の算数文章問題は700問解き終えました
  ※糸山先生のFBでスライドショーが紹介されています
・園児、小学生時代…3月生まれなので、年長時代のほとんどが5歳です
著者も書いていますが、ただのお絵かき遊びとしてスタートしています
新しいことを知ること、することに興味津々で、なんでも試してみたい、どんぐりも、答えが正しい、ということを求めるのが早かった気がします
だから、答えが出ないとき、複雑に読み取らなければならない問題のとき、「何を言っているのかわからないよ…」と助けを求めて悲しい顔をして落ち込むこともよくありました(年長~低学年時代)
「わからない」と言ったらどんぐり終了ですし、説明してあげることもできない(どんぐりのルールです)ので、他のことで気を紛らして諦めさせるのですが、解けないことは相当悔しかったようで、幼い頃は気持ちを晴らしてあげるのが難しかった思い出があります(外で遊べばいっぺんに機嫌が戻りました笑)
アナログゲームで負けるのも全力で悔しがりました
直近の、穏やかで落ち着いた、賢者のような著者の姿からは思い出すのも難しいほどですが、負けるのが悔しくて、解けないのも悔しくて、感情をぐらつかせることはよくありました
でも、今思えば、その「こだわり」が後々の著者の原動力となっていったんだとわかります
おそらく、アナログゲームで著者の両親は手加減や忖度をしなかったでしょうし、わからない、できない、と泣きつかれても冷静に対処したんだと思います
その対処の仕方によっては、ただのわがまま放題に育つか、賢者に育つか、変わってくるんじゃないかな、と彼を見て思います
そして、高学年になると、ほぼ、現在の著者と同じような雰囲気の、「考えることを楽しむ」少年ができあがってきました
どんぐり問題を解いていても、しっかり絵を描いてじっくり考えた後で、「今日はここまでにしておく」と、一旦お宝に収納することや、「わからない」とは一切言わず「難しい!!」と言うようになったりしたことや、周囲がどんなに騒がしくてもぎゅっと自分の思考の世界に入ると全く聞こえない様子で、集中して気の済むまで解いている姿が思い出されます
従姉が700問全問制覇した、と6年生の途中で耳にして、「ぼくも!」と目を輝かせていましたが、従姉と同じように、中1の1学期までについに700問全問を絵で解き終えました
両親は糸山先生に報告をし、先生は皆に彼の全作品を紹介してくださいました
・中学生時代…数学オリンピックボーイ同様、中1の初めからのコロナ休校中に、目を輝かせて受けとったDKの中学生教材をどんどん進めてしまったようで、やはりストップをかけました
小学生時代に問題集を解かせていない、考えることを楽しむ習慣が身についている、受け身の遊びや刺激が少なく、いつも楽しいことを自分で探して作っているような子の特徴なんだと思います
1年の最初の定期テストでは中学校のテストの洗礼を受け、全てのことに戸惑っている様子が見えました
どんぐりではスピード学習も反復パターン学習も推奨していないので、中学校の授業のスピードや、課題の量、テストの問題数と制限時間に、最初は戸惑う子も多いです
でも、思考力のある子はここで「なるほど」と立ち止まります
著者の場合は2回目の定期テストではすっかり実力を発揮できるように進化していました
小学校時代に「計算は遅くていい」「大量に解かなくていい」というどんぐりの方針で育ててしまうと、中学でついていけないのではないか、という質問をよく受けますが、小学生時代に丁寧さや正確さ、深く思考するゆとりある時間を尊重せずスピードや効率や結果だけを重視していたら、中学生になって自ら進化を遂げることも難しいのではないかと思います
ベースには、丁寧さや慎重さ、そして、深く考える習慣が根付いている、だから、中学生になってからの「鍛錬」が容易なんだと思います
著者は、見事に自分を鍛錬し、そのまま3年生まで校内最上位ランクを維持し続けました

教室でも、メールでも、自力で解決できなかった問題や、説明が必要な用語などを聞いてくることがありました
私が解説をすると、お礼に(?笑)よくクイズを出してくれました
私はクイズを解くのは大好きですが、自分で作ることはできません
著者の作るクイズはレベルもクオリティも高く、見事なものでした

そして、作るのに苦労した、と著者も書いているQノート(わからん帳)ですが、著者のQノートは間違えた問題を貼り、間違えた解答を書き(これは書かなくていい、と1年生の頃言ったのですが、彼の信念があったんだと思います、最後まで書いてありました)、その下に模範解答を並べて書き、博士のようなキャラクターに自分のミスを分析させ、発言させているような内容でした
「こういう勘違いをしたね」「これはこうじゃなくてこうだよね」などとキャラが言っているのです
こりゃあ、1ページ作るのに相当な労力を費やすね、と感じられるものでしたが、これが彼の学力の支えになったのは言うまでもありません
糸山先生のおっしゃるように、家宝になると思います

運動部に所属し、部活動以外でもそのスポーツを鍛錬する場に通っていたので、教室に来られない時期もよくありました
でも、そのことで自分のすべき学びを止めることはなく、休んだ日の教材もひとつも逃さず仕上げていました
スポーツに没頭することで勉強を疎かにする、ということが、彼にとっては自分の中で許せないことだったんだと思います
とはいえ、中学生ですから、限界があり、睡眠不足や体力の消耗を感じる姿も時々見えました
部活動引退後も回数を減らして練習に通い続けましたが、入試までは体力も精神力も、目標とする第1志望校にしっかりと向けようとしているのがわかりました
県内模試でも最上位ランクを維持し、第2志望、第3志望の私立高校も上位合格、そして、第1志望校に難関である前期選抜で合格し、進学を決めました

糸山先生、
3年前にcompleteしたあの少年が、今日から高校生です
これからも見守ってください

【2022年度 どんぐりDK卒業文集③ 賢者のクイズボーイ編】完