新緑のどんぐり学舎へのアプローチ
今年の5月の連休はいよいよ「くら2」に着手します!!(←宣言しないと腰が上がらない!やるぞぉぉぉぉ!)

New Crown 2

This month’s books: Peter Rabbit

Peter Rabbit is the main character of this book.
He lives with his mother and three sisters, Flopsy, Mopsy, and Cotton-tail.

Peter is a naughty rabbit.
He often gets into trouble.

The author of Peter Rabbit is Beatrix Potter.
She wrote a story in a letter to a sick boy.
This letter is the origin of the popular Peter Rabbit book series.
All the stories in the series have many animal characters.


これは、高崎地区の中学校2年生の英語の教科書の最初のレッスンの文章です
D→K Roomは塾ではないので、授業形式のレッスンはしませんが、各自、自分のペースで進める学習の導きや、きっかけづくり、そして全科目の質問受けと解説、それから、DONGLISHという英語学習方法を伝授しています
どんぐり問題が、一生物の思考力を養成するのと同様、DONGLISHも一生物の英語理解に繋がる学習法です
以前、高校生になった卒業生が大学入試のための勉強の英語でどうしても点数がとれない、と転がり込んできたので、入試の過去問の英語長文をひたすらDONGLISH訳をする、というだけの指導を1年間続けたところ、受験した大学の全てに合格した、ということがありました
長文読解だけでかなり点数を取れるので、合格点に達したのだと思います
模試の答案分析をすると、文法や単語の知識が必要な部分では失点しているのですが、リスニングと長文読解は高得点をとれるようになっていきました
もし英語力を今後使うとすれば、英単語が書けるとか文法の穴うめ問題ができるとかいうことより、長文が読めるってことの方が役に立ちそうですよね
他、中学生でDONGLISHを習得した子たちも、日本語の文章を読むスピードで英文が読めるようになっているのと同時に、リスニングも自然に聞き取れるようになっています
リスニングは数値以外ほとんどメモをせず、脳内でアニメーションかドラマ化しながら聴く、とDKRではアドバイスしています

そんなDONGLISHですが、オリエンテーションで今年度の進め方、新しく選んだ専用ノートの使い方等レクチャーした次の授業までに各自、進めてきた中で、ある生徒が目をキラキラさせてこう言ったのです
「さとちゃん、最初ね、ここの文の意味がわからなかったの。物語を病気の子に書いた?その手紙がorigin?って…でもね、意味がわかったとき、わあ!って思ったよ。すごく素敵な話だよね」
幼少期から『ピーターラビットのおはなし』が大好きで、お年玉で箱入りの全巻セットを買った私です
その話しちゃう~!?って嬉しくなって、舞台である湖水地方の話、ポターさんが本の売り上げのお金で農場をたくさん買い上げて国に寄付して、開発されない話など、いろいろ話しました
新しい知識を得た彼女は目を輝かせて「わあ~」と私の話を聞いてくれました

こんな純粋でまっすぐな中学生が身近にたくさんいる私の環境は、天国みたいに美しい世界だなあ…と感じたひとときでした

子どもたちに、何ができるようになってほしいとか、何を覚えてほしいとか、何かができなくて困るとか、遅れてはまずいとか、そんなことを考えるより前に、豊かな感性が育っているかどうかを真っ先にいつも確認してほしい、と思います

【感性】
外界の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性
【感受性】
外界の印象を受け入れる能力。物を感じとる力
*広辞苑より

2/6の朝日新聞天声人語に、児童文学者の故松岡享子さんの言葉がありました
▶語りの際は、部屋を暗くし、ろうそくに灯をともす。何が始まるのかと小さな瞳が輝く。(東京こども図書館で松岡さんが行っていた子どもへのストーリーテリングの活動)
だが、もうずいぶん前から「子どもの反応が弱くなった」と案じていた。原因は、大人が発する言葉の軽さにあるのではないかと▶実のある言葉を選び、心を込めて子どもに語れと訴え続けた。パディントンも、日本で良き語り手を得て幸せだっただろう。
パディントンについては、この天声人語の最初に紹介されているのです
ロンドンの駅で首に札をつけてもらい手を待っているくまのパディントン
その札には原書の挿画では
「PLEASE LOOK AFTER THIS BEAR THANK YOU」
(直訳:このくまの世話をしてください ありがとう)
と書かれているのですが、それを、松岡さんが日本語版の翻訳を手がけたときには
「どうぞこのくまのめんどうをみてやってください。おたのみします」
になっています

それについてインタビューされると
「私の翻訳に特色があるとしたら、子どもたちにお話を語ってきた経験があること」と話しています

「どうぞこのくまの…おたのみします」
なんて愉快な、そして、優しげな表現なんでしょう

でも、そんな素敵な翻訳も手がけた松岡さんが86歳でなくなる晩年、最近の子どもたちについて心配していた、というのです
「子どもの反応が弱くなった」
「大人の発する言葉の軽さ」
という、松岡さんの言葉を、私はずっと考えています

感じたことをありのままに言葉にする、ということはとても高度で、
前述した中学生のように自分の感動を伝える言葉にすることは、小学生には難しいかもしれません
でも、小学生だって、園児さんだって、幼児さんだって赤ちゃんだって、外界のいろんな刺激を受けて、いろんなことを「感じて」います
それを、全身で表現したり、顔の表情に表したり、それぞれ、その感受性を豊かに表現しているはずなんです

同じ夕日を見ても、
同じ花を見ても、
同じ空や雲や落ちてくる花びらを見ても、
それぞれが違うことを感じるのは当たり前です
子どもが、一瞬、時が止まったかのようにそれらを感じているとき、
私たちはどうしていたらいいでしょうか

ベビーカーに娘を乗せて近所を散歩しているとき、
コスモスがたくさん咲いているところに入りました
もしかして、娘の目線ではすごいことになっているのでは…と思い、
私は立ち止まってベビーカーに座っている娘の目の高さまでしゃがんで見ました
すると、一面がピンク色のゆらゆらしたコスモスの花で、
見ると、娘は小さな手足をバタバタさせて、全身でその光景を楽しんでいるのがわかりました
子どもと暮らしていると、
忙しい大人の時間とは違う時間の流れを感じます
そんなとき、
どっちに合わせたらいいのか、
いつも考えてほしいのです
いいや、子どものペースに合わせていたら生活が成り立たない!という主張もあるかもしれません
でも、子どもを育てていく上で大切な期間はかなり短いです
私は、この感受性が育つ時期は、就園前までじゃないかな、と思っています
具体的には、5歳くらいまでかな、って
産まれてから5年間です
親になる覚悟として、ひとまず第一段階はそこまでです

いろんな園児さんにも出会ってきましたが、
頭の中はテレビのアニメ一色、みたいな子が今は珍しくありません
ゆらゆら揺れるコスモス畑や、川原の石ころなんかで心は動かないでしょう
動いたとしても一瞬で飽きるのでしょう
ある園児さんは口を開けばアニメの話、ゲームの話で、私にはちんぷんかんぷんなのですが、話す顔がかわいいのでじっと聴いていてあげたのですが、でも、聞いているうちに、その子の脳内が見えてきて、それは、テレビの画面がちゃっちゃか切り替わるかのように、ものすごい速さで変化する光景でした
ああ、こんな年齢でこんなに忙しい光景を見ているこの子は、
いったいどこで「じっくり味わう」経験をすることができるのだろう
いったいいつ、豊かな「感性」が育つのだろう
このまま小学校に入ってしまったら、どうなるんだろう
胸が苦しくなりました
気になるのは、アニメやゲームの話を私が聞いている間は機嫌がいいのに、ふと顔をそらすと激怒するようなところ、キレやすいところなどで、親御さんに聞くと、それに関してかなり困っている様子でした
それでも、
子どもが置かれている環境について、見直すことはないんだろうか、と不思議でした
立場上、私が相談されているわけでも、意見を求められているわけでもないので、アドバイスしたり、他に気になる点を聞いたりすることもなかったのですが…
誰にでもわかるだろうに、と思いきや、その親御さんにも、他にも、そういうことがわかっていない方は案外多いのかもしれない、とふと思いました

感性は、周囲の人のことを思い遣る気持ちにも繋がっていきます
自分さえよければいい、という大人が激増している昨今、
大人自体がいつの間にか感性を見失っている可能性があります
それが、松岡さんのおっしゃる「大人の発する言葉の軽さ」ということにも繋がっている気がします
外で一緒に遊んでいて、小さな虫や面白い植物を見つけても「きも!」「うざ!」で感想を済ませていく子どもたち
どこでそんな言葉を覚え、誰が発しているのか
子どもの言葉遣いが小学校に入って変わってしまった、以前はそんなことなかったのに、と嘆いている親御さんも多いですが、本物の感性が育っていなければ、言葉に命が宿ることも知らず、いつでも、誰に対してでも、辛らつな言葉や乱暴な言葉を平然と使う子になってしまいます
松岡さんの実践なさっていた「ストーリーテリング」では、絵本もなければもちろん動画も画像もないわけで
そんなものに反応しない子が増えているのも、私が身近な子どもたちを見ていて感じるおかしな感じと共通していることなんだと思います

あーあ、大事な時期はどうやら過ぎちゃったよ、と悔やむこと勿れ
子どもはいつだって待っています
子どもはいつだって戻れます
些細なことで心が揺れるような、そんな日々を大切に
その邪魔になりそうなものとは、一時的に距離を離してみて
ただそれだけで、子どもは、あっという間に、穏やかで、優しくて、素直な本来の子どもに戻ります

まずは大人の感性磨きから、かもしれませんけどね

私も世界が灰色にしか見えなかった時代を経て、やっとこの美しい世界に戻ってきたので、きっとみなさんも大丈夫
戻りたい気持ちがあれば、戻れるはず

そう、最後に感性と学力との関係ですが、
中学生に(DKR以外でも)勉強を教える時に感じてきたのですが、
感受性の豊かな子は脳内の容積が広いというか、余裕を感じます
小学校までの思考力養成期はもちろん、
中学生以降、いざ、知識を詰め込む、ということが重要になったときも
その容積の広さはものをいいます
感受性の乏しい子は、なんとか知識を定着させるためにかなりの努力を要します
その努力の量によっては、学力差は前者とそうないかもしれません
でも、前者の場合、その余裕から「やらされてる感」が少ないため、勉強することに対して前向きに切り替えることができる子が多いように思います
そのため、ストレスも少ないように見えます
だって、
教科書の英文を自力で訳してみた段階で
え、これってどういうこと!?作者がこの物語を作ったきっかけは、病気の子に手紙を書いた中にお話を書いたことだっていうの!?それってなんか、素敵!って心が動いているわけです

こればっかりは、
はい、この文章を読んで、心を動かしなさい、なんて言っても無理だし、
はい、この起源はなんて素敵なんでしょうね、みなさんもそう思うようにしてください、なんて押しつけるものでもないですよね

そんな風に心を動かしながら英文を訳している子と、
ただただ、訳さなきゃいけないから訳して、そのまま素通りする子、
または、塾や学校で教わって、教科書ガイドなんかを見て、ただ書き写すだけの子、
どちらが将来、知識の幅や、思考力の広がりにつながっていくか、少し考えたらわかりますよね

何ができるかできないか、何をさせたらいいか、
なんて考えている場合じゃないんです
あとで育て直すことができない大切なことを、大切な時期を逃さずに、大切に育てること、守ることが、親にしかできない子育ての最初の大切なミッションなんです