年度初め
DKR新聞タワーの優勝作品


【どんぐり倶楽部 糸山泰造先生のことば】
脳は楽をしようとします。
進化とは<生命維持>と<種の保存>の工夫の連続です。
エネルギーは限界があります。
その中での工夫とは、エネルギーを少なく利用して同等以上の効果を得られるようにすることです。
ところが、一見面倒なことでも、やってくれるようにすることが出来る方法があるんです。
脳は楽をしようとします。
そうなんです…楽ができれば、つまり、楽しければ、どんなに面倒なことや複雑なことでも、または、高度で難解なものでも、サボりマンの脳なのに、続けてくれるんです。
ストレスを感じることなく、やってくれるのは、楽しい場合だけなんです。
ということは…、唯一、考えること自体を楽しめる状態にしてあげなければ、勉強は自学できないし、進化もしないということです。
つまり、脳を楽しませる方法で勉強を関連付ける学習方法以外に、自動進化する自学自習ができるようにはならないということです。
0-5歳の<どんぐり問題>を使えるようになる前には、「させない幼児教育」がいかに重要であるかは、この自動進化学習にスムーズに移行できる条件が揃っている状態を何の苦労もしないで作り出せるからです。
乳幼児の時期を、何もすることがなくて時間が余っていると思って、何か出来るようになることをさせる人がいます。
貴重なお金と時間を浪費して、子供が進化準備をしているのを台無しにする人がいます。
5〜6歳の1年間をGolden_Ageと呼んでいます。
文字を意識的に絵図化するための特別な1年間です。
言葉の意識化・文字の意識化だけに1年も使えるんです。
こんな時期は一生に一度しかありません。
年長さんのこの1年しかありません。
この1年が、最もスムーズな学習を導くことができる最良の年なのです。
その時に「就学前の〜」というキャッチコピーにシッカリとキャッチされてしまって、最悪の学習習慣を付けている人がいます。
一生抜けられなくなる「負のループ=コピー学習」の始まりですね。これだけは避けてください。カラスでももっと賢い思考を身につけるんです。コピーすることを「学習・勉強」だなんて決して思わせないでください。修正しようのない「幼稚な完璧主義」が出来上がってしまいます。

糸山先生のこのFacebook投稿を、毎日読んで噛みしめていました
何度も読んでみてください

きっと、理解できるはずです
私も、何年も、何十年も子どもたちを見てきました
我が子も育ててきました

目の前の我が子をただ、懸命に育てている最中の親御さんたちには、
そんなに広く遠い視野を持つことが難しいことはわかっています

でも、多くの親御さんが、「安易に」子どもの環境を選びすぎている、と
感じてしまうのが事実です

「安易に」習い事をさせる
「安易に」学習系ドリルをやらせる
「安易に」デジタル機器を買い与える

(半面「安易に」どんぐりは選ばない(笑)面倒くさいことを、大人の方も選ばないわけです)

いいえ、私たちは熟考した上で、その利点や弊害も想定した上で、それらを選んでいるのです、と堂々と言える方はこの先を読む必要はありません

子どもがやりたいと言うから
ママ友がいいよ、って薦めてくれたから
職場の先輩の子どもがやっていていいって聞いたから
誰もがみんな持っているようだから

ただそれだけの理由で、「このくらいいいだろう」と安易に始めたのでなければ、大丈夫だと思います
熟考した上で、我が子への利点や弊害も想定した上で、選んできたのであれば
そういう方々は、その上で子どもがどう成長しようと、それらも寛容に受けとめていらっしゃるはずです
自分たちがこしらえた環境で子どもは育っていく、なんていう基本的な事は百も承知の上でしょうから

何が大丈夫かわかりませんが、
結構な年齢になって大丈夫じゃない状態になってしまって、相談にいらっしゃる方が後を絶たないのは、なんでなのでしょうか
それを防ぐためには、やはり、一番大事な時期に、してはいけないことをせず、すべきことをする、ということを知る親が多くなることしか、ないんだと思っています

小学校の学習内容や生活面に関して「面倒くさい」「疲れる」などと言って毎日荒れている子がいます
少し前から保護者の方の相談を受けていますが、なかなか改善はされないようです
中学生たちとその話題になり、ある子は言いました
「小学校の生活で面倒くさいなんて言っていたら、中学生になったらどうなっちゃうんだろう」とびっくりしていました
「小学校時代がなんて楽だったか」
苦笑しながら言うのです

私は高校入試を専門としていて、中学生の授業は産休も育休もほぼせず、ずっと続けてきました
中学生で勉強する全ての科目が好きで、面白いので、その楽しさを伝えたい、という思いが強いですが、でも、勉強は「楽しくて気楽」なものなんかじゃ全然ありません
勉強が楽しくて気楽なものだったら、遊ぶ時間も惜しんで勉強する子が増えることでしょう
保護者の方の中には「勉強することは遊ぶことより楽しかった!」という方がいるかもしれません
そういう方は、上に引用した糸山先生の言葉が、ご自身に当てはまるかもしれません
でも、多くの保護者さんたちは「勉強はきらいだった」「受験勉強は大変だった」という思い出があるんじゃないかと思います
「大変だったけど頑張った」か「大変だったから諦めた」かは個人差があるとは思いますが

中学生まで勉強することが嫌いではなかったし、中学生までの勉強を教えるために考えることが楽しくて仕方がない私から見ても、勉強は、面倒くさいことばかりです
たくさん読んで、たくさん書いて、たくさん考えなければなりません
楽しく勉強しましょう、なんて幼児教材みたいな学参教材が書店にたくさん並んでいるけど、そういった教材をさらっと使っただけで本物の学力が身についてあっという間に思うとおりの「成績」が取れるようになるのなら、学校に行かず、机にも向かわずにその教材だけを笑いながらしていればいいはずです
楽しくてわかりやすい動画授業も人気なようですが、そういうのを見て思う通りの「成績」が取れるようになるなら、それだけを見ていればいいはずです

でも、私の身近にいる「本物の学力」を身につけている中学生たちは、誰1人、「楽をしている」子なんていません
人一倍努力して、人一倍時間をうまく使っています
人一倍の時間をかけて勉強しているかというと、そうでもないのも特徴的ですが、
自分で考えて、時間が足りない、と思えば時間を作り出す天才のような子たちが多いです

同じ学校に通い、同じ授業を受けて同じ宿題を出されても、「とても期限までに終わらない」と嘆いて、ため息ばかりついている子もいるのに、隙間時間で命じられた課題を終わらせて、メインの時間は自分で考えた勉強法を進めている子もいます
すべきことを自分で探し、悔いのないよう勉強しているのですが、苦しそうには見えません
インタビューすると「できれば遊んでいたいけど」と苦笑するくらいです

考えることを楽しんで成長した子の特徴だと思えます
面倒くさくても、面倒くさいことをちゃっちゃか片付ける回路ができているからなんだと思います

前に進もう、よっし、と覚悟を決めても、その道のりがあまりにも険しすぎたら、足は止まってしまいます
同じように、前に進もう、と思った時に、考えることを楽しんで成長してきた子と、考えることの経験が不足している子とでは、その先の地図が全く違ったものになっていることが、私のような立場だと手に取るようにわかるのです

一生抜けられなくなる「負のループ=コピー学習」の始まりですね。これだけは避けてください

複雑な問題を目の前にすると、目が泳ぎだし、私が説明しているそばから「もうそういうのいいから答えを教えてよ」と自分で質問しておきながら解説を聞くのも考えるのも面倒くさい、という態度を見せる子にたくさん出会ってきました
そういう子には、アニメや楽しい先生の動画解説が合っているのかもしれません
でも、動画を見て「わかった~」と思ってから、やはり、面倒くさいことをしなければ、記憶は定着しないし、解法は理解できません
その時できてもあとでできなくなってしまう、の繰り返しです
手取足取り教えてくれる個別指導塾も合っているかもしれません
でも、家に帰ってやはり面倒くさいことを自分でもしなければ、同じことです
その場で誰かに手伝ってもらえばできることが、家に帰って1人でもできなければ、試験会場で1人でできるようになるわけはないのに、どうするというのでしょう

一生抜けられなくなる負のループ
進学塾勤務時代
そしてボランティアで小中学生の補習をしていた時代
たくさんのそういう子たちに出会ってきました
なんとかその負のループから脱出させよう、と試みましたが、
誰よりも、まず、本人が、
その負のループの中でなんなら心地よく適当に過ごしている
それでいいんだ、と満足してしまっている
糸山先生のおっしゃる30%の力でも「ただ生きる」ことはできる、という状態です
「ただ生きる」でも、「生きている」のだから大丈夫、でも、
人生を楽しむことができるのか?人生を楽しめているのか?と問われたら、
どうなんだろう、
あの子たちは今、どうしているんだろう
とふと胸の奥が冷たくなるような思い出に残っている子たちもいます

いつも勉強せずイラストばかり描いていた子がいました
でも、あまりにもそのイラストが上手なので、気づくと近寄って話しかけてイラストについて聞いたり感心したりしていました
私が近づくといつもノートに覆い被さって隠していたその子も、怒られない、とわかって数ヶ月後には積極的に見せてくれるようになりました
近くにいた子は勉強もせず絵を描いていることをバカにしたような目をしていましたが、おしゃべりに巻き込んだり、感心したりしていると、自分の得意なこともそれぞれ私に披露するようになりました
それぞれの得意なことを見せてもらい、感心していると、気づくと、お互いがお互いの特技に感心し合う関係になっていきました
勉強は残りの時間に取り組むようになりましたが、そのうち、わからないところを教え合ったりする姿が見られました
彼らの人生、そのまま進んでほしい…と少し離れて私は彼らを見つめていました

勉強ができないことで周囲から軽蔑されたり、
学歴で差別されたり、
バカにされたり、
親にまで呆れられたり、
それでも、人生を楽しんで、自分の人生を生き抜いていればいいな、って思います
そんな条件で、強く生き抜くのは大変だと思います

たった数年間の「勉強」「点数」「成績」のことで、人間的価値をそこで決められるなんて、冗談じゃない、と思っています
だから私は「点数」をとれればいい、って授業をしたことはありません
「点数」の取り方は生徒それぞれで、生徒同士を比較することもありません
取りたい、と言う子には取り方のヒントをあげます
取りたい、と特に思っていない子にヒントをあげても、意味はありません
親が「取らせたい」と思っていても、本人が思っていなければ、効果はありません

点数を取りたいか取りたくないか、についてはまた後で書くとして、
でも、
考えることを放棄するような子に育てることは、その子の将来を狭めることは間違いない、と確信しています
何をするのも面倒くさがって、雑になってしまう
深くじっくりゆっくり考えることを楽しめない
脳が楽な方へ、楽な方へ行ってしまうのをみすみす許している
大人になれば普通のことでも、
成長期の子どもにそれがどんなにもったいないことか、どんなに将来に影響することか、
安易に子どもの環境を選択する前に、1度、考えていただけたら、と思います

修正しようのない「幼稚な完璧主義」が出来上がってしまいます