※新聞記事の無断転載は禁じられているので、画像は敢えて一部のみ紹介しています

朝刊でタイムリーな記事を見つけて
宮崎で子育ての中晩期を過ごした歌人の俵万智さんの寄稿
宮崎の市街地から北へ車で一時間ほど走ると、「木城えほんの郷」というのがあるそうです
自然豊かなコテージのあるキャンプ場のような場所で、子どもたちに人気の施設なのだそうです
そこで、夏と冬に行われる「10才のひとり旅」という企画に、俵さんの息子さんは小学校4年から6年まで参加し、高校生になるとボランティアスタッフとして参加し、ゆくゆくは青年スタッフを目指しているのだそうです

ちなみに、キャンプの様子というのは保護者にはまったく知らされない。小学生の時はそれが不安だった。が、帰ってきた子どもの顔を見れば、それこそ想像もつかない充実した時間を過ごしてきたのだなということは、わかる。
えほんの郷の「村長」黒木郁朝さんは言う。「ここでは、とにかく自由に遊ばせます。自由というのは自分で考え、自分で責任を持つということです。もちろん最低限の安全は確保しますが、基本、野放し。それから、親の知らない秘密を持つことも大事。10才というのは、そういう年齢です。」
かつて幾つかの自然体験に息子を参加させたことがあったが、事細かに様子を知らせてくれたり、記録を渡してくれたりした。写真だけでなく動画まであって、非常に安心したし、普段とは違う我が子の表情を見られるのが嬉しい。
いっぽうで、活動内容は、かなり管理されている印象も残った。その点えほんの郷は、5日間うんともすんとも言ってこない。電話も緊急時以外はするなと釘を刺される。親は放ったらかしなのだが、迎えに行くと、息子は木にしがみついて下りてこないくらい名残を惜しんでいた。
子どもの成長を願うなら、環境を整えてやるまでが親の務め。過程を覗いてみたい気持ちや、成果を確認したい気持ちは、結局は自分の欲でしかない…そういったことを、私自身は木城えほんの郷から学んだような気がする

前回の話、私の経験した子どもキャンプに近い雰囲気!
そして、大事な言葉のかずかず
まずは村長さんの「親の知らない秘密を持つことも大事」
そして俵さんの「子どもの成長を願うなら、環境を整えてやるまでが親の務め。過程を覗いてみたい気持ちや、成果を確認したい気持ちは、結局は自分の欲でしかない」

親との信頼関係や、揺るぎない絆が結ばれているからこそ、意味を持つ「自分だけの秘密」
昔、
全てが完璧で理想的な親を持つ子どものなんと不幸なことか、といったような文言を読んで驚いたことがありました
どこで読んだのか、ずっと探しているけど見つからなくて
自分が親になってみると、いかに自分が欠陥人間で、理想とはほど遠い親であるか思い知らされるわけですが、完璧で理想的な親でない方がいい、となんとなくその言葉を覚えていて自分を慰めながらここまできました(笑)要するに、私を例に挙げれば、娘達はとっくに私を超えていて、私の欠け落ちている部分を補って成長してくれて、それなのに、きっと、私や、家族を大切に思って生きてくれている
(そして娘たちもきっと、自分が親になると色々と気づかされるはずです)
親が信じられないから秘密を持ちたいのではなく、
親の付属品でもコピーでも作品でもない「自分」が確立していく過程で、「親の知らない秘密」は必然的にあるのだと思います
全て把握し、全て理解し、全てに微笑みかけ、許す親がいわゆる「完璧で理想的な親」なのだとしたらやっぱりちょっと気持ちが悪いわけです

そして「子どもの成長を願うなら…」という俵さんの言葉ですが、親なら誰でも自然とわきおこってしまう気持ち「過程を覗いてみたい」「成果を確認したい」
これが「自分の欲でしかない」ということに、気づいている親御さんはどれだけいらっしゃるでしょうか
いま、
少子化の影響で子どもに関するビジネスは多種多様
至れり尽くせりのサービスで溢れていて、特に、「親を安心させる」「親の負担を軽減する」といったようなコンセプトで行われていることが目につきます
何かと例に出して申し訳ないのですが、私は「おむつ」のCMを見る度に、そのことを感じざるを得ないのです
「何回してもサラサラ!」「●回分の吸収!」
絶対赤ちゃんのためじゃないですよね
1回ごとに取り替える親の手間を省くためですよね
大げさなようですが、私は、「親を安心させ、負担を軽減する」たぐいのイベントや、ビジネスを見ると「おむつのCM」とどうしても繋げて考えてしまうのです
そもそも、
「親を安心させる」前提として実は「親の不安を煽る」ことも必須で行われています
「いまから始めないと間に合いませんよ」「他の人もみんなやっていますよ」「これからはこういう学校がいいんですよ」等々、親自身の感性や家庭の方針などどこかへ置いてきてしまうほど、今の親たちはいろいろな不安材料に押しつぶされかけています
そして「親の負担を軽減」というのは、心理的軽減を装うのであって、金銭的負担を軽減するものとは違っています
「お金さえ払えば」自然体験も、理想的な教育も、手に入る、と思い込ませられています
それは、
日常生活でどんなに不摂生をして、自分本位な暮らしをしていても、「お金さえ払えば健康が手に入る」ということはあり得ないのと同じくらい、矛盾しているのです

でも、たくさんの親御さんと出会ってきて、話してきて、そんなビジネスに巻き込まれて苦しんでいるかもしれない方も多くて、だから、不安を煽られなくても、お金をかけなくても、子どもがそのまんま育てば健全に成長するんだよ、ってずっとずっと伝え続けてきて、何十年も伝え続けてきて、ああ、本当だ、って気づいてくれた方も多くて、そんな方々とは今はもう仲間だと思っていて、きっと一緒にみんなに伝え続けてくれている、って信じて、きっと、私は声がかれるまで、キーボードが打てなくなるまで、やっぱり伝え続けるんだけれども、まだまだ「不安だよ…」「負担だよ…」と嘆いている、苦しんでいる親御さんもたくさんいると思うから
そんな親御さんの元で、伸び伸びと育ちきれない子どもたちもたくさんいると思うから

やっぱり来年の夏に向かって、
そして今日も丁寧に教室で、
子どもたちと一緒に、親御さんたちとも一緒に、
前進していこう、って思った記事の感想文でした

前回の投稿以来、「私も仲間に入れて!」という連絡をたくさん頂いています
もちろん!
実際に現場に集まるかどうか、出席するかどうかはともかく、大人としてどう支えよう、子どもに本当の「自由」をどう体験させよう、そんな話し合いを一緒にできるだけでも、すごくすごくきっと意味のある、大切な経験になると思うんです
そして、それだけで私たちは仲間になれると思うんです

まだまだ企画のスタートラインに片足乗せているくらいの状況ですが、
少しずつ実現に近づけて進んでいこうと思ってます