これはムクドリではありません
カワセミです
【長女撮影】

数日前、地元の駅前の大きな木に集まるムクドリの「害」についての新聞記事がありました
1stどんぐりジャンボリーの集合場所になったあの駅前の大きな木です

鳥の声がうるさい
糞害がひどい
木を切り倒してくれ
追い払ってくれ

市に苦情が相次いでいるそうです
道を歩く人々へのインタビューもあり、
糞が落ちてきそうで木の下を歩けない。迷惑だ
どんどん増えている気がする。うるさいし、汚い
などとありました

駅前に住んでいる訳ではないので近くに住む方の苦労は知りません
毎日木の下を歩くこともないので、
本当に迷惑している、困っている人の気持ちもわかりません

ムクドリは、集団で生活する比較的弱い鳥で、
大きな鳥からの襲撃を避けるため、わりとひとけのある場所で過ごすのだそうです
夕方、駅に近づくと確かに賑やかなムクドリの声がするので、
私はわざわざ車の窓を開けて「今日も元気だねえ」などと声をかけていたくらいでした

駅前をお掃除する人にとっては大変な苦労だろうな
木の下で糞害を被った人も気の毒だな
この音が騒音になるほど近くに住んでいる人は大変かもしれないな
と、
できるだけ想像してはいます
でも、
相手は「鳥」
です
「自然」です

駅前の木を切り倒したら、今度はどこへ行くのでしょうか
我が家の近くの川辺にも白鷺のコロニーがありましたが、
護岸工事が入って翌日からいなくなりました
たくさんの白いハンカチが干してあるみたいでロマンチックな夕闇を保育園の帰りに眺めるのが日課でした
でも、今は一羽もいません
自分のエリアから不快なものがなくなれば、
あとはどうでもいいのでしょうか
そもそも、
木を植えるのはなんのためで、
木を植えたらその周辺になんらかの生物が住みつくのは想定できることでは

そんなの頼んでない!
と、個々の意見はありましょう

でも、
庭や教室内に忍び込む蜘蛛や小さな虫に絶叫する子どもが増えてきた昨今、
勝手に自然界に自分たちのエリアを陣取って暮らしている私たち人間が、
どれだけエライんじゃい?と問いかけたくなることが、本当に多くなったなあ、って感じるのです
それが、
巡り巡って、子育てを難しくしているような
子育てがわかんなくなるような
そんな負のスパイラルに巻き込まれるきっかけとなっているような気もするのです

以下、養老孟司さん著『ものがわかるということ』からの抜粋引用です

早く大人になれと言われる子どもたち
こういう世界で、子どもにまともに価値が置かれるはずはありません。子どもの先行きなど、誰もわからないからです。子どもにどれだけの元手をかけたらいいかなんて計算できません。さんざんお金をかけても、ドラ息子になるかもしれない。現代社会では、そういう先が読めないものには、利口な人は投資しません。だから、自然と同じように、子どももいなくなるのです。
いや、子どもはいるじゃないか。たしかに、子どもはいます。しかし、それは空き地の木があるのと同じです。いるにはいるけれど、子どもそれ自体には価値がない。現実ではないもの、つまり社会的・経済的価値がわからないものに、価値のつけようはないのです。
木を消すのと同じ感覚で、いまの子どもは、早く大人になれと言われています。都市は大人がつくる世界です。都市の中にさっさと入れ。そうすれば、子どもはいなくなりますから。
都会人にとっては、幼児期とは「やむを得ないもの」です。はっきり言えば、必要悪になっています。子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だろう。都会の親は、どこかでそう思っているふしがある。
ところが、田畑を耕して、種を蒔いている田舎の生活から考えたら、子どもがいるというのは、あまりにも当たり前のことです。人間の種を蒔いて、ちゃんと世話して育てる。育つまで「手入れ」をする。稲や胡瓜と同じで、それで当たり前です。そういう社会では、子育てと仕事との間に原理的な矛盾がないわけです。具体的にやることも同じです。「ああすれば、こうなる」ではなく、あくまで「手入れ」です。

私の住む町は田舎の地方都市ですが、駅の近くと、私の住む郊外とでは自然の存在感が全く違います
駅のそばで鶏を飼っていたら近所から苦情がすぐに来るかもしれませんから
駅のそばには高いビルやマンションがたくさん建っていて、道に土や泥は落ちていません
きれいなレンガやブロックでできた歩道に、鳥の糞がたくさん落ちてきたら、そりゃあ、汚いし、迷惑でしょう
我が家にはスズメを中心とした野鳥が大量に集まりますが、糞を掃除したことなどありません
庭は土と木々で埋まっているので、自然と土にかえっています
あまり意識したことはありませんが、朝と夕方には庭の大きな木々にスズメなどが集まって大騒ぎしている声はします
特に騒音に感じたことはないし、むしろ、生き物が集まっている安心感があります

感じ方は人それぞれで、どうしても鳥や虫が許せない人もいるのでしょう
でも、
私たちって自然界でそんなに偉くないよ、って子どもたちには伝えたいな

そういえば、同じ駅で数年前、
ミツバチの分蜂の騒動がありました
蜂がかたまっている場所に殺虫剤などをかけ…という記事に背筋が凍りました
なんて恐ろしい…
ナウシカがいたら激怒したでしょう

それから駅から続く住宅街の街路樹は、
落葉の前、紅葉の一番いい時にさしかかる前に、枝が全部切り落とされるので有名になりました

ミツバチも、落葉も、近所の方の苦情が市の対処につながりました

落ち葉をふせぐために枝を切り落とすのを毎年「あたりまえ」に見ている子どもたちは、
どんな感覚を持った大人になるだろう
私の家の近くには隣の市との市境があります
市境の向こうは枝を落とさないので、綺麗に紅葉し、落葉します

じゃあおまえが全部片づけるのか?と私が言われても、
困っている人を助けることなどできません

もう、「困りごと」の基準が違いすぎて、
なにもかも、
許されない

鳥が集まるのも、
葉が落ちるのも、
子どもが騒ぐのも、
何にも許されないなんて、
それらを許せない人を助けることが、最優先だなんて、
やっぱり私にはわからないんです

わたしたちってそんなに偉いんでしょうか
土にレンガやコンクリートをかぶせて人に快適にした結果、
落ち葉や糞は自然に土に還れなくなったのに

そうだ、だからみんなで山を歩こう
今ごろ落ち葉が積もって、雪みたいに深く足を取られるほどになった、
あの道を歩きに行こう