先日の清川先生の講演でのお話から記録更新されました
地元紙にも同じ記事があり、
子どもの視力「過去最悪」のデータはほぼ全国共通のようです

この新聞には「スマホ利用影響か」「日光は禁止抑制に役立つ」と小見出しがありますが、
大人が、
子どもにスマホを買い与え、
外遊びを制限し、遊び場を奪い、
なんなら、学校では全員にタブレットやパソコンを配布しているいま、
子どもたちにどうしろというのでしょう

子どもたちのそばで生きる私たちに、
何ができるでしょう

視力が低下したら矯正すればいい
メガネやコンタクトレンズでね
でも、
強度近視の場合、失明の恐れがあります
この記事の「日光は…」という部分に見解を述べていらっしゃる眼科医の先生も、
失明の危険性を指摘しています

ただ「目が悪い」じゃ済まない可能性がある、これからの近視なんです

だって、
何歳からデジタル画面を見てますか?
何歳から日光を浴びずに遊んでいますか?
少なくとも20年前の子どもたちは赤ん坊時代からデジタル画面を見つめる時間などほとんどありませんでした
明るいうちは外に出て遊ぶよう言われていました
(室内で日光を浴びるのでは意味がないようです)

でも、
いま、
夕方、まだ明るい時間に公園や広場などで子どもたちが群れて遊んでいるのを見ることは
少なくなりました
なんだかんだ「忙しい」と大人も子どもも言っている
ただただ日光を浴びながらぼーっと過ごしたり、思い切り遊んだり
いつ、しているのでしょう

清川先生は言いました
出生率は下がっている
若年層の死因の一位は自殺
生き残っても、若いうちに失明する恐れがあるほど、近視が増えている

せっかく生まれた希少な「こども」を、
失明や、自殺の恐れがある状態で育てているこの国

将来、
この国の労働力はどうなる?

誰も本気で議論しないのは、
「さきのことはわからない」という楽観的視点からなのか
「後のことは後の人に任せて」という無責任さからなのか

学校は何も考えず電子端末を配布してしまった
子どもがゲームやネットに夢中になる経済の仕組みもできあがっている
大人の大半もネット依存気味で、「何がいけないの?」って正直思ってる
失明や、自殺の恐れがあるのに?
心の問題とか、脳の問題とか、目に見えない計測しづらい問題は置いておいても、
明らかに、視力と脚力(身体能力)は低下している
それは、絶対、電子端末の影響なのに
だって、電子画面を見ながら他の景色を見て日光を浴びて駆け回ることはできないのですから
「どっちか」になってしまうんですから
「どっち」をやってるのか、我が子の1日を見てみてください
健康に成長するために「足りているのか」確認してみてください

清川先生の講演の感想文に対し、ご自身の体験談をおくって頂いたので以下に紹介します
みなさんもぜひ、体験談やご意見を送ってください
ここで紹介して、みんなで一緒に考えて、いい方法を見つけられたら、と思っています

 

まだどんぐりに出会う前でしたが、タブレットを持ち帰る同意書にサインをするのが納得できませんでした。仕方なく同意しましたが、教育委員会に電話をすると持ち帰りは強制ではないといわれ、担任に申し出ました。
500人の児童の中でこんなこと言うのはうちだけらしく、先生も困っていましたが、お願いして職員室に置いて帰ることになりました。
2年が経ち、年度初めの同意書にも、持ち帰らないという欄ができ、今では20人くらいがおいて帰っているようです。専用の棚もできました!
リコーダーの録音は、休み時間に直接きいてもらう。委員会の反省を提出など、どうしてものときは本人が判断して持ち帰っています
一時期、計算ドリルが廃止されタブレットになりましたが、それも拒否しプリントでお願いしました。

○○(お子さんのお名前)が4年の夏にどんぐりを知り、宿題交渉もドキドキでしたが(漢字大丈夫かなと心配もあったので)快く認めてもらい、今では自主勉ノート2ページなんて絶対無理だよね~と話しています。

●●(お子さんのお名前)の中学校の状況がかなり深刻です。公立にしては評判のよい学校だったのに、クラスの男子ほとんどがタブレットでゲームをしているみたいです。
休み時間もゲーム。先生によっては注意もしないみたいで、タブレットがない数年前はこんなことおきなかったのにと思ってしまいます。学校でしかできないことしてほしいのに。

うちの子はしてないんだから気にしなければいいんですが、来年は○○も入学するので…

懇談のときに少し先生にはなしてみようかと思っています。

この保護者さんの勇気
伝わりますか?
500人の児童の家庭の中でこの御家庭だけが、タブレットの持ち帰りを拒否したこと
しかも、事前に教育委員会に質問なさっています
先生は困っているようだった、とありますが、
2年がたち、今では「持ち帰るかどうか」の確認を学校側がするようになり、
置いていく児童のための専用の棚までできたというのですから、
この保護者さんの最初の「勇気」が少しずつ形になっている、ということがわかります
でも、困ったのは上のお子さんが在籍している中学校の状態です
休み時間にゲーム
この状態はどうなんだ、と
「うちの子はしていないんだから気にしなければいいんですが」と書いていらっしゃいますが、この保護者さんの勇気(最初の1人だった、という勇気)が学校の先生方や他の保護者さんに考えるきっかけを与え、「そんなの命じられているんだから当たり前」ということを立ち止まらせた実績を考えると、きっと、これからも先生方や学校に「どうなんでしょうか」と問題提起してくださると思います

けんか腰ではなく、批判でもない
これでいいんでしょうか?なぜなんですか?と、問いかけるだけで、
ああ、そういえばそうかもしれない…と立ち止まって考えてくれる人が他にも出てくるかもしれません

どうか諦めず、
我が子と、我が子の過ごす環境のため、
みなさんも勇気を出してください
そして、子どもがいるとかいないとか、子どもが小中学生だとかそうじゃないとか関係なく、どうかこの状況に本気で関心を持ってください
いま、目の前に子どもがいる人は真剣にどうしたら守れるかを
目の前に子どもがいない人は、この国の将来を真剣に
考えるだけでいいので、まずは

最後に、
映画 The Book of Henry(2017アメリカ)
からドキッとする親子の会話をご紹介します

(外出先で、男性に虐待されている女性を見かけたその夜)
ヘンリー:ママ、スーパーで、女性を助けようとしなかったね
ママ:私たちには関係ないって言ったのよ
ヘンリー:誰かが誰かを傷つけてる時、関係ないじゃ済まされないと思うんだ
ママ:言いたいことは分かるけど、仕方ないの
ヘンリー:だけど、ママ、みんなが仕方ないと思ったら、自制できないああいう連中に誰も注意しなくなるよ
ママ:じゃあ、どうすべきだったの? 暴力沙汰は嫌いなの
ヘンリー:暴力は、最悪のものじゃない
ママ:何が最悪なの?
ヘンリー:無関心だよ