最近、私がお問い合わせメールに返信したメールの一部です↓↓


漢字ですが、
みなさん練習しないと漢字を書けるようにならないと思っているようですが、実際はそんなことはありません
私の子も、教室の子も、卒業生達も、ほぼ漢字練習を6年間していませんが、漢字が苦手な子はあまりいません
むしろ、中途半端に漢字練習をさせられてきた子の方が漢字が苦手な子が多いです
漢字練習をさせないことで、漢字を書くことが罰ゲームみたいに退屈で苦痛だ、という体験から逃れられます(実際、ペナルティとして漢字練習を課す教師もいます)
漢字練習や文章問題を解くことなどより、身の回りにある日本語を大切に扱うような習慣があれば自然と言語能力は高まります
まだ低学年でしたら絵本や児童書の読み聞かせは毎日欠かさず続けて、3年生、4年生くらいになったら読んでもらうのはもどかしいから自分で読みたいな、って欲求が自然と湧き出るような、文章(文学作品)との出会い方を画策してみてください
もちろん、日常的に文章で会話することも大切です
いまは、大人の発する言葉が短く、端的になりすぎてしまっていて、なんならスマホ画面で連絡を取り合ってしまうので親が他の誰かと話しているのを聞いたことがあまりない、という子どもが増えています
そのせいで語彙力が著しく少ないのに、いきなり漢字で書け、と言われても、そもそもその言葉を知らないし、使ったこともないのだよ、という現象もよくあります
小学校にボランティアで入った時、みんなで宿題の漢字練習をしているので、その中のひとつの熟語を指さして、「これ、どういう意味なの?」と知らないふりして聞いてみたら、誰も答えられませんでした
読み方を知らない子さえいました
そんな漢字練習、意味がないんです
それより生きた言葉を
誰かに何かを伝えたい、また、書いてあることを自分で読み取りたい、という言語能力向上への自然な欲求を、大切に育ててあげてほしいです

塗り漢字もまた、他の教材と同じで、1度書けば暗記できる、という魔法のツールではありません
ただただ、漢字を嫌いにならないために、楽しく漢字と出会ってもらいたくて作った単なる補助教材です
教室の生徒は、漢字練習をしない代わりに既習漢字を数枚塗って宿題として出しています
参考になさってください



文字認識や数字、数量の概念についてですが、
長年、多くの子どもたちの発達や進化を見てきて確信しているのは、
やはり、最初にテキストありき、で学び始めた子のそういった体験の脆さです
テキストより、机上の勉強より、知識より、体験が先の方がどの分野でもあと伸びします
スポーツの例も話しましたし、勉強はもちろんなのですが、芸術分野でもそうです
糸山先生達もよく話していますが、音楽も、絵画も、元は自然界の美しさや厳しさ、喜びや悲しみを表現するために生まれたものです
それなのに、自然の美しさや厳しさ、喜びや悲しみを味わったこともない人が表現できるはずはないので
同じように、
感情が動き、大好きな人(お母さんやお父さん)にこれを伝えたい、というところから始まる発語(まま、まんま、わんわんなど)から始まり、そのあとしばらくは、やっぱりテキストより暗記させる言葉なんかより、表現したい気持ちの方がずっと大事で、それが、あとあとまでつづく学びの原動力になるのです
数量も同じです
数えたい、比べたい、分けたい、同じに仲良く分けたい…そういう経験が豊富で初めて、数式が後付けされ、ああ、便利だ、ああ、これは早い、と実感するんです
先に数字(ただの記号でしかありません)や数式をいくら覚えさせたとしても、体験が乏しいと、必ず伸び悩みます
だから、
不安に思わず、御家庭での会話や、自然の中での体験、そして、ごく当たり前に生活の中に転がっている数量体験を大事になさってください
教えることより、覚えさせることより、ずっとずっと意味があります
子どもが自分で「なんでかなあ」って考え、ゆっくりと試行錯誤する体験を大切になさってください

発達学を学んでいるとき、
「大人は、子どもはまっさらな状態で生まれてきて、大人が教えてあげないと何も知らないし、何もできないと思い込んでいるが、それは間違いだ。」と講師の先生に言われました
でも、
最近の保護者さんたちを見ていると、
子どもには早くいろいろを教えないと、あとあとできない子になってしまう、という間違った固定観念を持っている人がとても多いようです
そして、親でも…つまり、教育や育児のプロ(として仕事をしている人)でなくても比較的「教え」やすいこと、たとえば、何かを覚えさせたり、反復練習をさせたり、市販のドリルをやらせたりすることが、人気のようです
きっと、答えが1つだけあって、それと合っているかどうか、迷路や色塗りだって、ルール通りできて、できるだけはみださないように塗っているかなど、評価しやすいからでしょう
そして、今や、0歳から習いごとの情報は押し寄せてくるようで、
…それは、少子化で、業界が必至なだけなんですけど、
見事に親たちを不安にさせ、いかにも「今から始めないと間に合わない!」的な心理に陥らせるためのそれこそプロの技で、多くの保護者さんたちをお教室に招いているように見えます

私は何十年も教育業界で働き続けていますが、
最初から上記のような言葉をお守りに、
子どもって、どうやって獲得していくんだろう…と興味津々だったので、
初めて出会った生徒たち(舞台は進学塾ではあったけれど)をよく観察していました
確かに、
教えないといつまでもできないことが、ちょっと教えただけでできるようになることもあります
問題はその後で、
「教わってできたのだから次は自力で頑張ってみよう」
と思う生徒と、
「教わればできるんだからまた教えてもらえばいいや」
といつまでも自分の頭を動かそうとしない生徒とまっぷたつに分かれていました
どちらの生徒が「伸びる」かは、説明しなくてもわかっていただけると思います
それが「学習」的なものが始まる小学校1年生から特徴として出てくるのですから、中学生、高校生になって差がついているのは当たり前です

私はさらにその先までいつも考えています
確かに、「また教えてもらえばいいや」と呑気に構え、自分からがむしゃらに学び取ろうとしない子は成績的には伸びないかもしれません
でも、
それがその子である、という事実があります
それがその子の特性であり、その子が一生背負っていく自分の特徴なんです
それのどこが悪い?と正直私は思ってたりします
いわゆる受験とか、学業に向けて積極的で貪欲で頑張り屋さんだったら全てにおいて優れていると言えるのか?と
そうじゃないところで積極的で貪欲で頑張り屋さんかもしれないじゃないですか
たったひとつの「机上」だけでその子の人間的な価値や能力は判断できないんです
大切なのは本人が自分の特徴を知りながら成長すること、それには、周囲、特に一番近い大人である親との共通認識が大切なんです
子ども自身は自分をわかろうとしている、そんな自分と生きていこうとしている、それなのに、「あなたはもっとできるはず」「頑張ればできるはず」「もっと頑張りなさい」と自分とは違う性質を求められている子どもたち…自分の身に置き換えて考えてみてください
職場や家庭で、自分にはない性質を求められた場合を

端から見たら(特に親や先生から見たら)問題大あり!直して!正して!って思うような学習態度でも、それが、その子自身、そのものなんです
何かのきっかけで自分から変わる可能性はあります
そのために、環境を注意深く整えるのはそばで生きる大人の役目かもしれません
でも、
そもそもそういう子にその段階までに育っているんです
生まれ持った性質もあるでしょう
でも、それだけではないんです
子どもが勝手にそうなった、と思うかもしれません
でも、何らかの影響を受け、人格は形成され、学習意欲や記憶力なども容量が決まってきます
幼い頃から教え込まれた子が学習意欲が高いとは言えません
記憶力なんて最たるものです
幼少期は神童か!?っていうほど何かと暗記していたとしても、「覚えたい」という原動力を失えば覚えなくなります
趣味のため、好きだから、受験のため、なんでもいいけど、自分から湧き起こる気持ちだけが原動力なんです
なんにも知的好奇心を刺激されず、豊かな言語環境もなく、いわゆる、放っておかれた子が高いとも言えません
それぞれの子の育った環境はちがいますし、きょうだいであっても環境や事情が同じわけはないので、本当にそれぞれ違うのですが、でも、それが、その子なんです
一緒に暮らしてきた大人の影響がまず一番大きいのに、
あとになって「やっぱり違う」って無理矢理矯正されることの理不尽さを想像してください
急に「やる気がない!」「やればできるのに!」ってぼやかれる理不尽さを

じゃあどうしたらいいの?
教育者でもない親に何ができる?

そのために私たちがいます
そのためにどんぐりがあります
糸山先生が作ったどんぐりは、子どものありのままを大切にしながら、親の努力次第でさまざまな特典がついてくる教材マニアの私が見つけてしまった世界で唯一無二の学習法なんです


もうイヤになっちゃうでしょ?

「親の努力次第で」
っていうのがね(笑)

だからどんぐりは流行しないんですよ、と言われたことがあります

そうですよね
親は何もしないで、ただお金を払って送迎してくださいね、親だって人間なんですから、自分の時間を大切に、好きに過ごしてくださいね
っていう習いごとなどの方がずっと流行しそうですよね

子どもには「考える力」をつけさせたい
子どもには「努力」させたい
子どもには、頑張らせたい、集中力を持ってほしい、学習意欲を持ってほしい!!

でも、
親が努力するのは……

少し立ち止まって考えてみれば、
なにかそこの部分がおかしいことに、かしこい人なら気づくはず

子どもはずっと、見ています
教えなくても勝手に学んでしまう
確かにまっさらで、何も知らずに生まれてくるかもしれない
でも、置かれた環境で、生まれた瞬間から学び始めます

漢字だって数量だって、教える前から見ています、感じています、味わっています
無理したくない、考えたくない、できれば楽したい、お金払って人に任せたい
そんな大人の様子もちゃんと見て学習しています
学校でも、
ああ、自分の思い通りにさせたいときは先生みたいに大きな声と汚い言葉で罵ればいいんだな、と学ぶし、
上から命じられたことはたとえ自分が間違っていると思っても黙って従うべきなんだな、と学んでしまうでしょう

大げさな話になっちゃったけど、
漢字も数量感覚も、教えたり覚えさせたりする必要などないという話でした
ただただ、子どもの目の前で当たり前に活用していれば、
勝手に興味を持ち、勝手に覚えたがるってことです
テレビやネットに、興味を持つのも同じです
どっちも、同じです
子どもの前で本も読まないのに、
子どもに本を読ませようって思っても難しいです
子どもがなぜかデジタル画面に興味があって困る、という相談を紐解くと、お父さんが帰宅するなり家族の顔よりスマホやテレビに向き合っている家庭だったりします(苦笑)

世界は学びたいことで溢れてる
そんな姿を、そんな喜びを、
子どもに見せていますか?