少し前にこの件に関する新聞記事を読んで、
みんなにも読んでもらって一緒に考えたいな、って思ったんだけど、
デジタル版では読めなくなってしまったので、
思い出して同じことが取材された記事と、別の似たインタビューの記事を見つけて、
いつか、いつか紹介できたら、と思いながら、時間が過ぎてしまいました

●東京大学 異才発掘プロジェクトROCKETの記事
●NPO法人がギフテッド教育を「失敗」したという記事

読んでみてください
できれば途中のニュース(インタビュー)動画も

東大ROCKETは、2014年の創設当初から気になって情報を追っていました
テレビでドキュメンタリーも見ました
当初から私が感じていた「違和感」、そして、実際に行ってみた人から聞いた感想、その後の状態などから、たぶん…長くは続かないだろうな、と思っていたのですが、やはり、2021年にはLEARNと名前を変えて、新たなプログラムに移行していました
上のリンクの記事を読んでもらうとわかるのですが、
ROCKETを推進してきた中邑先生は、
当初は、学校に行かなくても学べるのでは、という、学びの多様性の保証のために始め、思った通り突き抜けた考え方の子など、面白い子どもたちがたくさん集まってきたのだそうです
でも「続けるうちに当初の目的とずれるような状況が生じて」きて、中邑先生が「楽しくなくなって」きた、と
当初から想像していたことですが、ずば抜けた東大ブランドのせいなんだと思います
学校には行ってない、でも、東大の研究室に通ってる
いつしか、ROCKETに入ることが目的になっている家庭が増えてきたのだそう
そして、大学に入れるよう推薦書を書いてください、なんていう家庭もね
…どうしてそうなっちゃうんでしょうね
それで、新しいプロジェクトLEARN(自然体験重視)に移行していったわけですが…
その内容については別件になるのでまたいつか

それから、NPO法人の学校で3年間ギフテッド教育を実践して「失敗だった」と堂々と語ってくれている記事がとても興味深かったです

▶学業や芸術など、特定分野に特異な才能のある児童生徒を指す「ギフテッド」
発達障がいなどを併せ持ち「生きづらさ」を感じている人もいることから、
国も2023年度から支援を始めている“ギフテッド教育”について「自分はやり方を間違えた」と振り返る実践者がその難しさを指摘する◀

最初にわたしが読んだ新聞記事で特に目についたのは、
小学校低学年くらいまでは特別なギフテッド教育が功を奏して天才児のように思えたり、ああ、才能を発揮している、できないことは多いけど、こんなに秀でた部分もある、と親も本人も誇らしく思うことも多いそうですが、高学年になってくると周囲が追いついてきたり、努力を続ける子に追い抜かれたりすることもある、そんなとき、メンタルがわりと簡単にやられてしまう、という話
それから、様々な分野の専門家に来てもらうと、
「このレベルではなかなか天才とは言えないよ」と言われる、いくら独自の発想や熱中できる分野があっても、基礎知識や理論体系が積み上げられていないので、研究レベルでは通用しない、と言われる、という話
そして、
そういった様々な分野の専門家が自分たちの企業や研究室に「ほしいかどうか」と問われると、「雇えない」「雇いたくない」と言うことが多い、という話

これは、NPOの先生もインタビューで言ってるけど、
「他者と協調して力を合わせる、などといういわゆる非認知能力をきちんと育てて」いないから、ということに関係しているのだと思います

すごい才能がある
でも、協調性がない
それでは、普通、人間関係を構築するのも、協力してひとつの研究や仕事を成し遂げるのも、難しくなってしまいます
一匹狼で、他者に気を遣えない、遣う気もない、空気も読めなければ地雷も踏んでばかり、なんていう特殊な性質の主人公が活躍するのは、
ドラマや映画の中だけです
だから、
子どものころ、特別な子だ、とギフテッド教育を施そうとしたところで、
肝心の「人間として成長する」という部分が欠けていたら、
大人になってさらに生きづらくなってしまうわけです
大人になれば、
もう、その生きづらさを助ける親もずっとそばにいて守ってあげることはできないし、
大人になれば、
自分で自分とつきあっていく、生きていく術を、
見つけていないと明日が見えないんです
何も、超社交的で陽キャを育てるべし、なんて言ってないし、思っていません
ただただ、普通に、人と関われる人になっていればいいのに、って思うのです
自分勝手すぎず、独走しすぎず、周囲から嫌われすぎないような人に、普通に、思いやりがあって優しい人にって
そう、それは、「孤立」しないため

この記事を読んで、
「特別な教育」ってなんだろう
ってずっと考えていました
子どもはただただ毎日を一生懸命生きているのに、
周囲の大人がなんとなくよかれと思ってレールを敷くことが、
子どもにとって本当に幸せなんだろうか、って考えてほしいのです

これは、ギフテッドに限らず、
いわゆる定型発達の子だって同じです
英才教育、早期教育、エリート教育、
勉強でもスポーツでも芸術でも、
いろんな教育が、大人によって子どもに注がれます
よかれと思ってそんな環境を作る大人たちは、
果たして、そういう何かができるとか秀でるとか以前に、
人間としてちゃんと育っているか、っていうことを

どれくらい重要視してるのでしょうか

私はなんとも思わないんです
それは長年、ギフテッドみたいな子も混在する教室で、
どんぐり、っていうひとつのものをやってきたからかもしれません
特に昇段もなければ目標値もない
ただただ、子どもの発達の邪魔さえしなければ、
その子にとって必要な「本物の学力」が身につくどんぐり
教えたり、ヒントをあげたり、解けないと叱ったり、悲しんだりしなければ、
優劣なんかつけず、ただただ驚き、楽しんでいれば、
子どもが勝手にどんどん深く学んでいき、大人なんかついていけないくらい飛躍するどんぐり

どんなギフテッド教育よりずっとどの子も伸びる方法だし、
ただ覚えるだけで100点が取れたり、
ただ脳内を計算機みたいにしちゃえば100点が取れたりするよりずっと、
ずっとずっと賢い子が育つどんぐりを、
ずっと子どもたちとしているからかもしれません
本当の頭の良さは、
暗記力とか、計算力とか、情報処理能力だけじゃないんだ、って
毎日見えているから

ただ、東大ROCKETやNPO学校のギフテッド教育と同じで、
どんぐりの世界でも、いつの間にか優劣をつけてしまう
どんぐりは、ただの方法のひとつなのに、
いつの間にかどんぐりを解くことが目的になってしまう

思うように進まない、
思うように子どもが解けない、
と悩む親御さんからの相談が多いけれど、そう悩む親がそばにいる、ってだけで、
子どもは自由に思考できなくなっているのかもしれません
解けると親が喜ぶ、
解けないと悲しむ
どんぐり問題を前に、子どもがそんな風に思っているかもしれないのです

学校のテストで100点を取ると褒める親や、
シュートを決めると褒める親
1位になると喜ぶ親は、
「そうじゃないとき」どうしているのだろう

親も日々鍛錬です
親が鍛錬です

子どもがどこまでも伸びる進化を遂げるのを目撃したかったら、
大人が目論んだなんちゃら教育なんかしなければいいだけです
子どもがどんな風に伸びていくのか、
日々、観察するだけでいいんです
親にとって一番大事なのは、人間を育てること
親が人間として当たり前の生き様を見せていれば、教えごとでもないんです