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ハム太郎がチュー助の家に行きます
40分かかるんだけど、1時10分に着きたい
何時に出ればいい?
ふーむ
時間の進め方、戻し方も人それぞれ
子どもそれぞれ
自分で考えた方法が一番しっくりくるよね
どうして自分で考えられるかっていうと、
時間が進んでいくものだっていう体感があるから


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しっぽに紙の球が入ってる鉄砲をつけた謎のサル
3歩あるくと1発の球を撃つよ
15発の球を全部撃つまでに何歩進む?

こんな風に要約するとすっと理解できる
だから要約しちゃダメなんです
この問題はちゃんと読むとややこしい
そのややこしさが大切なんです
ややこしさを絵にする
見事に絵にしています
コッペパンみたいなのはサルの足跡なんだって
15はつ、撃つまでに45ほ、歩いているのが見てわかります


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ウンコロ、フンコロのふんあつめ
別解がいろいろあるので、正解じゃなくても文脈に沿った絵が描けているか添削者は見てあげてください
たぶん、それぞれの子どもなりに解釈しているはずで、
そのことにいちいち気づかされ、感動するのです
なんだか公園にもチーム名にも漢字を当てて楽しんでいる様子
会話もしてます
鳥瞰図みたいに描いているのもいいし、駐車場があるのもリアル(群馬の公園には必須かも)


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座席に座っているザリガニと、立っているザリガニの数を比べる問題
立っている方が「5匹少ない」という描写を見てください
点線で絵を描いて、「5ひきすくない」とメモ付きです
伝えよう、伝えよう、という気持ちが絵に出ています
5匹少ないんだからいないんだけれど、
その、「いない」ってことを絵にするんです
小学校1年生で自分の頭をひねって一生懸命伝えようとして描いているのがわかります
どうやって描けばいいの…としょんぼりしていたのが数ヶ月前
何を描いても喜んで添削していたら、
よりわかりやすく、より伝え方を工夫して描いてくれるようになってきました
いちいち感動してしまうし、答えなんか違っていても、私が笑って添削するのが嬉しいらしく、一生懸命描いてくれるのです
そのうちに、こんな工夫をするようになってきました
心が震えます



中3の最後の授業でこんな配置にして
そのままにしておいたら「ゲームしやすいじゃん」とご満悦の小学生たち
しょっちゅう配置を変えるので、慣れているのですが、さすがに顔を上げたらお互いが見えてしまうこの配置はどうかな?って思って様子を見ていると、
喜んでぎゃーぎゃーゲームを楽しんだ後はいつもと変わらない静寂、いつもと変わらない集中力
またまた心が震えて、泣きそうになるのです
子どもって素敵


塗り漢字を毎週見せてくれる子もいます
どかっとまとめて見せてくれる子もいます
学校に宿題に出している子もいます
用例文が面白くて泣き笑いしながらスタンプを押します


時にはこんな哲学的なことを書いてきます
これには「ほーーー」としみじみうなってしまいました

不幸が来ると、
幸福が来る。
不幸は幸福のもと。

自分で考えたんだろうか
何かに書いてあったのだろうか
親御さんに言われたことがあるのだろうか

いい言葉だね


子どもを信じて、待つ、って簡単に言葉にできるけど、
本当にそうできている親御さんはどれだけいるかな
って時々考えます

教室でもおうちでも、どんぐりに取り組んでいる子どもたちで、ぐんぐん伸びる子の特徴は、
親御さんが、お子さんとどんぐりを心から信じてくださっているということです

流行してない
有名でもない
でも、
それが実は、
本物の教育理論だということを証明しているんです

子どもの成長に流行は関係ありません
そして、
子どもが育つために大切な環境がどんどん失われ、変えられている今、
子どものそばにいる大人は少しの間だけ、頑張らないとなりません
そういう意味で、大人は「楽じゃない」と思われているどんぐり、
だから、みんなが気軽に採用するものではなく、だから、有名にもなりません

親が楽して子育てしようとすると、
絶対に歪みが生じます
これは、
小学生になってからの学習など以前の問題です

歪みは、あとで修正のきくものと、取り返しのつかないものとあります
それをわかっているのかわかっていないのか、
大人本意の「子育て論」的なのを目にすると、本当にゾッとするんです

じゃあ、子育ては楽じゃなくて、子育ては苦労ばかりなのか
全然そんなことはありません
ごく当たり前の、親としてのつとめを、子どもが小さいうちにぎゅっと実践するだけです
たったそれだけのことで、
どんぐりの場合だったら、具体的に言うと、
中学生になってから(12歳を過ぎてから)親がすべきことはほとんどなくなります
高校生になっても特にできることはないし、することもない
なにかしようとさえ思いません
だって、
子ども自身が自分の頭で考え、行動している
日々、自分の人生を自分で選択し、楽しんでいるから
そして家族の絆もちゃんと、大切にしてくれるから
それは、
親子の信頼関係が歪んでいないから
負の蓄積が少ないからだと思います

こんなに楽で楽しくて幸せな方法はないのになあ、とずっと思っていて、
自らも実践していて、
こうして伝えているけれど、やっぱり、ひとりひとりが、ストン、と自分の中に落とすまでしっかりと学び続けることが信じるための基盤だと思うんです

上手くいっている家庭の表面だけ真似ても、
いいとこどりをしようと思っても、
そんなの、どんぐり教育法でなくてもうまくいくはずがありません

ぐっと入り込めない、
不信感がどこかにある

そんな自分を否定する必要もありません
そんなときは「なんで入り込めないのか」「なんで信じ切れないのか」という、自分の中にある要素を探るんです
それだけでも、見えてくるものが変わってきます

不信感は信じるためのはじめの一歩
まずは自分を肯定するところから、
始めませんか

不幸は幸せのもと。
子どもたちが毎日、私に見せてくれる世界を、
みなさんと共有したいです