治りかけの風邪
久々の咳で肺が苦しくて、
尺沢と中府のツボを朝から押していたら、いつの間にか咳が軽くなり、肺の痛みも消えてしまいました
ツボ最高
ビワとハーブとツボで薬要らずです
今年はそれにドクダミが加わります

さて
夕べは中1DK
最近ずっと考えている、小学生の間、どんぐりで自由に思考していた子の中学生からの思考力とホンモノの学力

ここ数年DK生は年長か小学校低学年からのどんぐりっこが続いています
それ以前は中学生からの子や、高学年でちょっとだけどんぐりをかじってきた、みたいな子達もいました
今は、
生粋のどんぐりっこで席が埋まっている状態です
それで、ほぼみんな、親御さんの環境設定の努力で、豊かな自然体験や思考力を身につけて中学生になっているわけですが、やはり、中学校の教科書を目の前にすると、タイプが分かれるなあ、と冷静に見ています

やはり、ネックとなるのは「文字(言葉)との関係」なのかな、と昨日は思いました
おしゃべり好き、お手紙好き、本好きの強さかなあ…と(導入期は、です)

たとえば気候区分の話をしながらみんなで問題を解いていたときでした
ある子は、「温暖湿潤気候って言いづらいよね」「漢字が難しい」「湿はこう書くんだよ、温度の温にちょっと似てる」などなど、雑談しながらも、うんうん、そんなおしゃべりしながら取り組んだら忘れづらいよね、いいねいいね、なんて私は思って聞いていたのですが、ある子はただただマルツケして、適当に答えを写して、「間違っても大丈夫。何度も何度も間違えながら、いつの間にか覚えちゃうまで繰り返すんだ」って私が言ったのを真に受けて、そのまま放置しています
…確かに、解き直すなら明日以降だよ、って言ったけどさああ……

そばに行って、「ステップ気候ってなんだ?」とか色々聞いてみると、書き写したものの、その言葉の発音をまるで初めて聞くような顔
そこで地図帳を持ってきて、気候区分の色分け地図を一緒に見ながら、雨温図も見てみました
学校の授業で習っているはずなのに、(しかも、小学校でも勉強したはずなのに)雨温図の意味を知りませんでした
「この赤い線と、青い棒、どっちかが気温で、どっちかが雨の量なんだけど、どっちだ?」
クイズみたいに言うと、にこにこしながら考えて、見事反対の答えを言うわけですが、そんなやりとりをしながら、「地中海性気候と温暖湿潤気候の違いはなんだ」って聞けば、雨温図から自分なりの言葉で説明できるまでになりました
でも、
つきっきりです
他の子は、私がその子に話しているのを耳にしながら、それをまた話題にして、自分たちで色々言い合って、発見し合って、楽しげに問題を解いています
ひとりが探せないでいると、他の子が補って、なるほど!なんて話しているのです
こりゃ、放っておいても勝手に賢くなる、典型的などんぐりっこだな、と
なんというか、目の前にあるのはただのミッションなんだけど、それを、楽しんでいるのか、やっつけているのか、その違いのように見えました

だから、
楽しんで取り組んでいる、というのはとても重要だと思うのと、さらに、興味がないことでも、その奥に、必ず楽しめる要素を見つけたがる、という性質もすごく重要だと感じました

それがどうやって育っていくものか、もちろん、中学生になってから身につけるものではないので
だから小学校までの12年間がとても重要なのです
その時期ぎゅっと大人が頑張ることで、中高生になって子どもに困ることは何もないのですから

机上の勉強やテキストには惹かれないどんぐりっこも、必ずその力を発揮する日は来ます
大事なのは、親や教師が、規定通りの成長を押しつけないこと
評価のための努力を求めないことだと思っています
どんなに覚えられなくても、正解が出せなくても、その子が中学生の間に、自分ってやつを知ることができて、そんな自分と生きていく、っていう覚悟ができて、そんな自分を楽しんで生きていける、っていうベースができればその後も絶対だいじょうぶ
だから、私たち大人は、評価しちゃいけないんです
どんな学校に進学するとか、どんな職業に就くとか、そんなことで子どもを判定してはいけないんです
そんなことばかり求めるから、子どもはどんどん苦しくなっているんです

つきっきりで気候区分を教えたその子も、来週には忘れていることでしょう
だってたぶん、復習も独学もしないから
それでも、
私は気になったら話しかけるし、質問されたらとことん解説し、一緒に考えます
いつか大人になって、私のしていることの意味がわかってくれたらそれでいいんです

…もちろん、復習や独学で「忘れないぞ!」って気合いを入れてくれたら嬉しいけど、望みません
望んだら苦しめてしまうから

無理強いする方法も知ってるし、そういう方法を主とする塾も多いけど、そんなことして点数だけ取らせても、あとに何が残るの?って思うから
後は野となれ山となれ、っていう大人は、そういうこと平気でするのかも

でも、そんなわけにいかないでしょう?
特に親御さんは、
我が子と、それこそ、文字通り一生の付き合いなんですから

それでもまだまだ、
幼い頃から我が子を評価の対象として見ている親御さんが多く、
むしろ、一部では増えているんじゃないか、と思われます
小中学校でも宿題やテストで子どもを評価し、できれば点数を上げる、評価に値する状態まで押し上げようと、なぜか目標が一致してしまっています
机上のテストなんて、たったひとつの試験方法でしかないのに、
まるで全てを計測できる魔法のテストだかなんだかと思っているのか、それで算出されたデータでのみ、子どもを評価しているように見えます
それが、小学校入学前の園児さんや、入園前の幼児さんから始まっている、という話も最近耳にして、ちょっと信じられない気分です

山道を歩いてみたら?
川の石がぼこぼこしてるとこを、歩いてみたら?
木登りしてみたら?
水たまりを飛び越えてみたら?
歌を歌ってみたら?
おばあちゃんちに電話させてみたら?
ご近所さんとばったり遭遇したら?
お友だちが来てるとき、大袋のお菓子をそのまま渡してみたら?
濡れた雑巾を渡してみたら?
絵の具と筆を手渡してみたら?
ボトルの飲み物を、人数分のコップに分けさせてみたら?
腕相撲をしたら?
部屋の中に虫がいたら?
雨と風が窓を打ちつける夜は?

子どもたちと暮らしていると、
1秒たりとも油断できないほど、
世界中からさまざまな刺激が降ってきます
楽しい刺激も、
怖い刺激も、
きれいなのも、きれいじゃないのもたくさん

それらひとつひとつを真剣に受けとめようとしてみたら、
机上のテストの勉強のために費やす時間などないのです
そして、そんなことよりずっと、
子どもは賢く豊かに成長するのです

そして、テレビがついてて、音楽が流れてたら、
大切な刺激もキャッチできないまま素通りしてしまいます

中学生になっても、
小さな楽しみをみつけてキャッキャと勉強しているどんぐりっこたち
やれって言われたからやるけど、それ以上はやらないぞ、というどんぐりっこ
それでも、
一緒に考えてみると、まだ目をキラキラさせて、考えるのって楽しいな、って顔をするんです
その目を維持できれば、きっとまだまだ伸びる
伸びたいな、って本人が思った瞬間伸びます
だから私はあきらめずに、
学ぶことって楽しいんだよ、ってことを、しつこく伝え続けます

だから、邪魔しないでほしいな…って思ってます
点数とれなきゃ意味ないだろ、
せめて◎◎高校より上に行ってくれ、
みたいなことを、子どものそばで言う人がいなきゃいいな、って思います