私がどんぐり学舎に出会ったのは、現在大学生の長女が小学4年生後半の時、息子が保育園の年長の時でした。
きっかけは、高学年になる長女の英会話教室や学習塾選びに、良い塾はないかと探しているなかの1つでした。どんぐり理論は衝撃的でした。なぜなら我が家は、テレビは見放題、ゲーム機もあり、考えない学習習慣を毎日させていたからです。
当時長女は、算数の応用問題になると、考えられないとよく言っていました。

どんぐり学舎のブログや12歳までに絶対学力を読み、これは我が家の生活環境を変えなければと思いました。それは親からのやらされた学習、過干渉からの卒業宣言でした。
変えるためにも、主人に見たいテレビは録画してもらい休みの日か、子供が寝てからみてもらうよう協力してもらうことから始めました。
ゲームは子供たちの脳を守る為、脳が壊れてしまうことを何度も説明しました。
ゲーム、テレビの時間をどう過ごすかが課題でした。保育園から帰ってきたら最初は一緒に遊び、そのあとお隣のお友達と毎日暗くなるまで遊んでいました。当時住んでいたところは田んぼと空地が隣にあり、車の心配もなく近所のおばさんにも見守られながらの環境でしたので安心して遊ばせられたのは、恵まれていました。

食後は、3人で夜の散歩に行ったりして今日あった出来事などを話したりしました。
息子は、教室には小3年から通いましたが、宿題制限については、小1からしていました。
学校には、我が家の環境設定のこと、学習面ではできるだけ家では勉強させず、学校で教わったことを引きたたせるため予習などもせず、中学になって自ら学びとる力をつけさせるため環境を整えてきたこと。
宿題とは、その日に先生に教えていただいた授業の内容を少し家で思いだす程度の内容であり、翌日の授業につながる最も意味のあるものとなると考えていること、先生から出された宿題は二者面談の時に相談させて頂くことを書き毎年新学期に提出していました。
息子が3年、4年で少し学年の先生で宿題制限を共有してもらえ、6年では校長室に呼ばれ校長先生からお子様を守りますと言ってもらえました。

環境設定をしていく中で息子の表情が柔らかくなったような気がします。なにより私自身が変わっていったのだと思います。点数、成績を気にせず、子供のリズム、子供の特性をそのまま受け入れて、親は見守るだけ、振り返ればそれは簡単なようで一番むずかしいものでした。
息子の小学校時代は、宿題をしないので自由な時間が沢山ありました。聡子先生が教室で、ナイフで色鉛筆を削るのをみて家にある鉛筆を器用に削っていました。添削の時先生がかわいいキャラクターを描いてくれるとそれを真似て描き、自分でもキャラクターを作っていました。コロナ禍で学校へ行けないとき、ゲームを持っていたらゲームばかりしていたと思います。ゲームのない生活でしたので、工作や、ミシンを使ってものを作ったり編み物をしたり、大好きなピアノを弾いて飽きることなく過ごしていました。
どんぐりに出会い、家にはカードゲーム、ボードゲームも沢山増えました。
うちに遊びにくるとゲームではなくカード、ボードゲームで遊ぶことも多くなりました。

中学に入り、運動部に入部したので生活は変わりました。平日は他の部より30分延長、土曜日も日曜日も部活があり慣れるまでいつも疲れていたように感じました。
定期テストも近いのになにもしていない息子をみては、大丈夫かな?と心配になることも。
親はおいしいご飯と、暖かい寝床を用意しているだけでいいんだよと分かっていても、ついつい、勉強大丈夫?と言ってしまったこともありました。
息子に聞くと授業できちんと聞いているから大丈夫。定期テスト一週間前になると集中して勉強していたように思います。
部活引退後もマイペースで受験勉強をし、大学生の課題をしている長女の隣で息子も勉強しお互い教えあいながら取り組んでいました。息子が数学を解いていて分からなく、長女も分からないとき「聡子先生に聞いてみたら?」長女が言うと「解説をみれば理解できるから大丈夫だよ」という会話。
その会話は私も長女も理解できないことでした。
一人ひとり個性があるように長女と息子では全くちがいました。長女は卒業まで沢山のQノートお宝でいっぱいでした。
子どもは中学で伸びる子もいれば、高校で伸びる子、大学で伸びる子もいます。
子供が努力の末に入った学校は、神様が選んでくれた学びの場だと思います。
まさしく長女は、そんな道をたどりDKで積み重ねてきた努力の結果、高校で伸びました。
Qノートを高校でも作成し、数学は学校の先生とのまるで交換日記のようでした。

できるできないで、判断しないどんぐり。子どもの脳を守ということは、子どもの本来の子どもらしさや賢さ、優しさ、強さを守るということ。誰かを心から信頼し、誰かに心から愛されて信頼されて日々過ごすことは子供を強く、優しくすると聡子先生の言葉は響いています。

そして、こうしてここまでこれたのもどんぐりの保護者の仲間がいたからです。不安な時悩んだとき、迷ったとき、子供たちがボールが見えなくなるまで遊ぶかたわら、いろいろ語り合いました。全てが良い思い出です。

聡子先生、保護者の方に感謝です。本当に長い間ありがとうございました。
自立したあともずっと心身ともに健康で幸福な人生を送れるよう支えていきたいです。
長女は、卒業した今も聡子先生と文通を続けています。今後ともよろしくお願いします。

サトより
お姉ちゃんの送迎のときに、いつもお母さんの後ろに隠れて、おびえたような表情をしていた彼が入室した頃が懐かしいです
最初は「解けなくていい、絵が描けていればいい」と伝えても、答えが出なくていい算数なんて解いたことがなかったからでしょう、なかなか納得できず、解けないことがストレスになり、悔しさや悲しさで涙目になっていたこともありました
来る前に泣いていたのかな?という表情の時もあり、心配しましたが、休まず通ってきて、諦めずに問題に向き合う姿を見て、「この子は伸びる」と実は確信していました
お母さんとも当時、よく話していました
きっと、悩んだこともあったでしょう
でも、目標ははっきりしていたようで、ブレることはありませんでした
ご夫婦協力での環境設定、そして、お母さんの導きが本当に上手だったんだとわかります

男女分け隔てなく接することができ、常に周囲を気遣い、私を気遣う、心優しい少年ながら紳士のような子ですが、いつの頃からか、凜とした立派な態度が見え隠れするようになりました
中学生になり、自分の課題を自分で見つけ、自分で解決する努力を惜しまない姿に、
どんぐりが解けなくて落ち込んでいた頃の面影はありませんでした
手記にもあるように、たいていの問題は解説を自分で読んで解決していました
これは私の娘達も同じです
よく、「塾の子だから勉強を教えているんでしょう」「お母さんに質問できていいね」などと本人も言われるし、私も言われてきましたが、そういうことはまずありませんでした
ただ、書いてあることが読み取れれば、問題集に付属している解説集を読み取り、ほぼ自力で解決できるのです
生徒たちからの質問は、「解説の解き方はわかるんだけど、もっと良い方法はないのか」とか「解説が省かれすぎていてわからないんだけど細かく説明してほしい」とか、まずは解説を自分で読み込んでからのものが多く、読み取って解決した場合は私のところまで質問が届かないことが多々あります
そんな勉強をしている子が、伸びないはずはありません
誰に命じられるでもなく、自分でどんどん解いて、自分で解説を読み解く努力をして、それが行き詰まると私に質問する
質問される内容や、質問の仕方で、私はその子の実力がわかりますから、かける言葉やアドバイスを考えるきっかけにもなりました
3年後半から受検していた県内模試でも好成績で、県内のどの高校も受験できるレベルにまで伸びていました
最終的には、自分が一番行きたい高校を相談の上、自分で選択し、受験して合格しました
たとえ最上位校に合格できる実力があったとしても、
そこがその子にとってふさわしい学校かどうかは私にも学校の先生にもご両親にも、本人にも、わかりません
行くことになる高校が最高にマッチした高校なんだ、と私はいつも言います

このお母さんのおっしゃる通りで、
親がそんなことを本気で理解できるようになるのがどんぐりライフです
子どもの脳を、思考力を守る、ということは、勉強のためだけなんかじゃない
勉強の成績はおまけで十分ついてくるけど、
それが目的になってしまうと育つはずの大切なものが育たない可能性もあるのです

親だって、迷い、苦しみ、落ち込むこともあります
そんなとき、仲間がいるって素敵なこと
一緒に悩める仲間、励まし合える仲間がいて本当によかったですね

こちらこそ、これからもよろしくお願いします
ありがとうございました