7月最後の週末に、
川遊び合宿をしてきました
今年も、上野村のみなさんと、木森れ陽、そしてしおじの湯のみなさんにお世話になりました
今年は、スタートでいろいろ変更があり、
具体的な企画が始まったのが2ヶ月前、となってしまったのですが、
これまで私とDSSスタッフでしてきた準備や当日の分担を、
なんと、保護者さんたちが担ってくれる、ということで準備が始まったのです
結論から言うと、夢のような開催でした
去年より、私自身の気持ちにとても余裕があり、
なにより、大人全員が開催中の流れや段取りを把握してくれていて、
私が動かなくても誰かが動き出している、という、初めての経験をさせてもらえました
孤独な自営業者の悪い癖で、
いつも、自分の仕事のことは自分1人で決めています
仲間も先輩も上司も後輩も部下もいません
だから、よかったことを分かちあうのも、愚痴を聞いてもらうのも、新しい企画を思いついて、それを共有して一緒に考えてもらうことも、誰ともできません
夫が聞いてくれて、私が考えていることを想像して、助言してくれたり、
DSSの自然遊びイベントについては、いつでも、どこまでも下見につきあってくれたりするし、準備も片付けも率先してしてくれるし、弟夫婦は当日現地で必ず助けてくれるし、ほか親族や友人たちがサポートしてくれることもあります
でも結局、いちから考えるのは主催者である私の役目なので、いつも、これでいいのかなあ…もっとこうしたらいいのかなあ…ってくよくよするのもつきものでした
いろんな人と開催について話していると、「もっとこうしたらいいんじゃない?」「こういうこともすればいいのに」などと助言をもらうこともあるのですが、大人数でのイベントで、思いついたことをひょい、と実行するのは結構難しかったりするので、そんなこともできない自分が時に情けなくて、中心にいると見えないものがあるなあ…と落ち込んだりすることも多いのです
それでも、今回、初めての形で、保護者のみなさんが中心となって細かい打ち合わせをしてくださいました
段取りのこと、宿舎でのこと、子どもたちの動線、食事のこと…
下見から注文、買い物、道具の持ち寄りなど、
お母さん、お父さんたちでそれぞれ自分にできることを率先して分担してくださいました
無事に開催を終えてみると、
今までにない感動に包まれていました
本当にありがとうございました
実行委員として挙手をせずとも、当日参加の保護者さんも、とにかく、そもそもDSSのイベントは、当日大人が来たら自動的にスタッフ扱いなので(笑)みんな一緒に大きな親戚の家みたいに、わいわい楽しく過ごせたのではないかと思います
どんぐり学舎の近くにお住まいの方もいれば、県内でも遠くの町に住んでいる方、また、県外にお住まいで、会えるのは当日、という方もいました
そんな中、相談しながら当日を迎え、みんな無事に、楽しく2日間を過ごせたことは本当によかったです
私自身も、また改めて、DSSの活動の今後について考えるためのきっかけをつかみました
それくらい、余裕ができたんだと思います
さて、今回、保護者さんたちとの話の中で、この自然遊び活動をどのように有意義に続けていくか、この活動はどうあるべきか、みたいな話題にちょくちょくなりました
それは、「親子一緒である」ということの喜び、その反面の難しさでした
お子さんをお預かりして一緒に過ごす仕事を長年続けてきた私には、
子どもが、親の見えないところでぐんと成長する場面を何度も見てきて、その機会がとても貴重であること、そして、逆に考えると、いつも親の目や手の届くところでしか過ごさない子の成長しづらさみたいなものも見えています
昔は、子ども同士が勝手にコミュニティを作り、その全貌を大人が把握しきれないような子ども社会があったし、そこで勝手に大きい子や小さい子が関わって、それぞれが様々な経験を通して成長する場面がありました
今も、子どもがゲームなどでネットなどにつながってしまうと、その先は大人には見えません
昔の「把握しきれない」とは桁違いで、
昔は把握しきれないといっても、見ず知らずの人と関わっている可能性は低かったと思います
せいぜい近所の子で、大人同士も顔見知りだったりする場合が多かったはずです
それでも、
大人の知らないところで子どもは誰かと関わり、
大人の知らない遊びや、交流の中で、自然と成長していった部分がありました
そんな社会が戻ってくることはもはや夢のまた夢なので、
じゃあ、いま、子どもたちを町で、また自然の中で遊ばせながら、大人にできる見守りってなんだろう、という話題によく流れ込みました
大人は、目に見えると手や口を出してしまいます
理屈では「かわいい子には旅をさせよ」的なことを理解していても、
その物差しが人によって違うので、時に、あれ?っていうような手出し口出しをしている他者に気づくこともあります
でも、そういう自分も、他者から見たら、あれ?ってなことを言っている、している可能性もあるのです
難しいのは、そういう大人同士の物差しの一致は不可能であることで、
でも、子どもはまだそんな物差しがなくて、だから、自由に、奔放に、伸び伸びと交わり合えるわけです
多くの子は、いま、親の物差しに従って行動するしかありません
たとえば子ども同士のトラブル(そんなものは当たり前に頻繁におこるものです)があったとすると、
それぞれの子どもに関わる大人同士が、それぞれの物差しでそれを見るわけです
一方は、「そんなの子ども同士のことで、たいしたことはない」と思い、
他方は、「そんなことをして、相手を傷つけて平然としているのはおかしい」と思うわけです
どちらが正しいとか間違っているとかではなく、
そこを一致させるのは不可能で、
そこを一致させようとか、解決するために議論しようとしても、たぶん、両者が心から納得するのは不可能なんじゃないかと最近は思います
子どもは柔軟で、順応性が高く、そして、変化するものです
まさに自然そのものです
大人は段々とそのような状態から、型にはまって自分流に整っていきます
大人になっても自然そのもののような方はいますが、
多くの大人は社会で生きていくために、そんな自分を封印していることでしょう
それがいい悪いではなく、それぞれが自分の生きる環境に適応して生きているのだと思います
でも、子どもに、自分の型を押しつけるのは、どんな環境で生きる大人にも、その権利はなく、また、そのように押しつけられた子どもの未来が心配なのは事実です
事実、そんな風に親の価値観で縛られて育った子達をたくさん見てきましたが、
それはとても、その子自身の未来を狭め、苦しめています
(それでもその子は自分の人生を生きていく、それがその親子の宿命ではあるのですが)
大げさな話に飛んだようですが、
実際、子どもと関わりながら生きていく大人にとって、これはとても大事なポイントなのです
だからDSSでは、
どんな活動でも大人が来てくれた場合は、全員スタッフ目線で、
つまり、我が子だけに視線や世話を集中させず、全員の子を見守ってほしい、とお願いするのです
我が子を気にしてはいけない、という訳ではないんです
そんなことは不可能です
視野を広げて、いろんな子を我が子のように見てほしい、大人の方にはそれを伝えています
ただ、課題は子ども側にも多くあります
親が一緒に来ている子は、遊び相手に親を誘い、困ったことがあると親に泣きついて来る子、ちょっとしたお願いを親にしてくる子がとても多いです
お家でも甘えん坊でそうしがちな子もいるけど、みんなとわいわいしているからとわざと親を探す子もいるのです
不安の裏返しで、親のそばで安心したいのでしょう
そんな心理もわからなくもありません
でも、親は、そんな風に近寄って来る子をはねのけるのも大変です
DSS大人の約束、を思い出して、思い切って冷静に我が子をはねのけようと努力している親御さんを見て、微笑ましく思ってしまったりもしていました…(笑)
やっぱり親子一緒の活動は難しいですね
でも、難しいからこそ、考える意味があると私は思うのです
正解は私にもわからないし、
手本も正直、あまりないんです
子どもだけを集めたら実はもっと簡単です
私自身が経験してきた自然遊びや集団遊びのほとんどが、
親は企画会議などには出ても、現地には赴かないものばかりでした
家を出て、集合場所まで行ったら、そこから先は親はいないのです
開催中何があっても親は助けてくれないのです
そんな環境だからこそ、子ども同士、また、年上のスタッフと話し合って、工夫して乗り越えた苦難があり、そんな経験が今の私の基盤の多くを構築しています
でも、私たちは保護者さんたちの有志の力を借りて、
独自の活動を目指しているんだな、と今回改めて思いました
どう進んでいけばいいのか、
何を目標とすればいいのか、
一緒に探していけばいいんだな、と
みんなの知恵と力がなかったら、
もう、私だけでは開催を続けることは困難です
また来年も開催したい、という声が届いています
だから、
来年も開催しようと決意しました
来年は、少しまた形を変えて、新しい形で、同日程で開催予定です
7月最後の週末に、また