思考力が備わっている子があまり言わない言葉、
「習ってません」
「覚えていません」
「やりかた忘れちゃったのでできません」

たとえば計算問題でも、ちょっとした応用問題ならなおさら、
この言葉が出てくると、「あちゃあ…」と思うキーワードです
(もちろん、いつでも、どんなときでもという訳ではありません。
的確にこの言葉を使う場面もあるのですが)

だからって、
その場でその事を指摘したり、注意したり、なんでなのっ!?って追求しても無駄
だって、なぜそんなことを言うか、っていうと、その子は、
「勉強って習うもの」
だと考えているからです

そしてなぜ、その子は「勉強って習うもの」って思い込んでいるのか、っていうと、
「勉強」が始まってすぐから、「教え込まれて」来たからなんです

この問題はこう解きなさい、
これはこう覚えなさい、
幼児教室やなんかから始まって、小学校に入る前にこれだけは覚えさせておかないと、なんて、一生懸命「習わせた」ことが、その子の勉強ライフにいつまでも影響しているのです
学校の先生が教えたこと、教科書やドリルの書式、全て、「考え方」の道筋がだいたい書いてあって、その通りに書き込めば○がもらえる仕組み
(まっしろなクロッキー帳とは正反対!)
そういった教材を埋めて、テストなら100点とかとっちゃって、そうなると家庭でも、その子が本当に理解しているのかどうか、わからないまま時が過ぎていきます
それで、時々さすがに学校の先生も、流行中の「思考力」問題を試すため、ちょっとした応用問題を配ってみます
そんなとき、教室内に冒頭の言葉がこだますることでしょう
「習ってません!」「解き方教わってません!」

小学校のテストはなんとかごまかせても、
中学以降はそうはいきません
本当に理解できていないと教科書の基本問題さえ解けないかもしれません

冒頭の写真のうち1枚は中学1年生の数学の参考書の付録で見つけた「まとめ」ページです
そういえば私も中学1年生の時は、こんなことを考えたことがあります
同符号だと○○で、異符号だと△△なんだなあ…と
でも、こう覚えなさい、と言われた記憶はないし、言われたのかもしれないけれど、元々人に命じられた方法を鵜呑みにして納得できる性格ではなかったので、自分なりに検証し、自分が理解できる方法を見つけていました
たとえば、
正負の数の「マイナス」の持つ意味合いは、DKではしつこいほど、
この人は「あまのじゃく」なんだよ、と話します
同符号だとどうのこうの、なんて教えることはありません
また、私から解説することもほとんどありません
質問が出ると喜んで解説するのですが、質問が出なければ私からはしません
だから、質問力を鍛える練習も必要なんです
たとえば「体重が-3kg増えた。」という文をみんなで考えるわけです
出たな、あまのじゃく!!
そう、-の世界は小学生の頃には見せてもらえなかった世界
マイナスがつくと、世界は反対向きになります
あまのじゃくの仕業です
体重が3㎏増えた
と、マイナスの後ろに書いてあることが、反転するのです
だから、「体重が-3㎏増えた。」=「体重が3㎏減った。」
となるのです
普通、マイナスをつけたまんまで言わないでしょ、
天気予報の(前日比)-5度っていうのを見て、
「ああ、今日は昨日の-5度だ」ってあまり言わないでしょ「5度低くなるんだ」って言うでしょ、って話をするんです
教科書にも実際に出てくるこの言葉の問題で、さんざっぱら「あまのじゃく」の仕業について考えるのです
なにをやらかしてくれるんだ!!とね
それから、数字に入っていきます

まあ、どの分野も、そんな風に生徒たちが納得するまで解説します

2枚目の写真、圧力や浮力の問題も同じです
先生、公式ってこれこれこうですよね?って聞かれても、「む?」って戸惑うことがあります
公式ありきで解いていないので、そんな文言だっけ?って一瞬思い出せないことも
公式ファーストでこの手の問題を「覚えて」いる子は、確かに公式通りに解けば答えが出る基本問題は楽勝ですが、少しひねられるとお手上げです
公式にどの数値をあてはめればよいか、「わからない」「習ってない」となるからです
でも、
圧力っていうのは押されている場所を1m×1mの面積に換算して、その部分をどんだけの力で押してるか、っていう理屈がわかっていれば、どんな尋ねられ方をしても「習ってない」なんて思いもしません
このようにひとつひとつをしっかりと理解していけばいいのです

いくらこんな話をしても、学校で公式ファーストだったり、実はその原理をしっかり教えるような授業を少しはしていたとしても生徒たち自身の頭で思い切り考えさせるようなじっくりとした時間を過ごさせていないと、結局、思考はそっちにもっていかれることが多いです
コロナ休校中の小学校の生徒たちに渡された課題一覧を見せてもらっていたとき、「原理を理解することも大切ですが、今は、解法通りに解けることを優先して練習をまずしてください」みたいな言葉が書いてある小学校がありました
原理より先に解法をパターン学習させる
そのようなことをして、また子供たちの頭脳が原理に戻って考えることができるのかどうか
いったい、学校は子供たちの頭脳を、思考力の発達についてを、どこまで理解しているのでしょうか
何度も書きますが、
何度も同じような計算練習の宿題や、漢字練習や、つかえないように音読することを強制している時点で「わかってない」と思わざるを得ませんが

小学生にはどんぐりがあり、学校で習うより先に数体験が豊富になるので、救われる部分が多いです
学校で何を教わろうと混乱しないどんぐりっこは中学生になっても心配はありません

中学生になっても「習ってません」と自分で考える工夫をしない場合、
どうにかして取り戻させる努力はしますが、強い「思い癖」がある場合は本当に難しいです
そして、12才で刈り込まれてしまう、複雑な思考回路がどのような形になっているか…
それ以降、いくら構築しようとしても、不可能なのですから
*シナプス刈り込み(脳科学辞典から引用)

「習えばできるのに」などと言い出せば、親御さんは「じゃあ、教えてくれる塾がいいんじゃないか」と思うことでしょう
「これこれこうしてこう解けばいいのよ」って教えてくれる塾なら、もっといい点数を取れるんじゃないか
自分の頭で汗をかくほど工夫して勉強する前に、習ってない、と悲観的になる前に、積極的に思考してみる努力をする前に「教えてもらいたい」と思うなら試してみればいいと思います
安易な体験を増やしてしまったらどうなるか、分かった上で覚悟の上でなら
*注*
教えますよ、私だって!教えるのが仕事です、教えるの、大好きです、解説大好きです、でも、自分の頭で考えない子には教えません
それは、いくら教えても習得しないからです
自分の頭で汗をかいて一生懸命考えた子には、解説が染み渡りますが、そういうことをせずに安易に答えだけをコピーしたい子にはいくら解説しても無駄なのです

ある時、原理の話をしていました
翌日、学校でその部分を習い、公式を教わってきてからまたDKに来ると、一人の生徒は喜んで報告してきました
「先生、この間先生が話してくれたこと、学校の先生はこう教えてくれましたよ!ああいうアプローチもあるんですね、すんなり納得できました。公式の意味もわかりました。」
後から来た別の生徒が言いました
「先生、この間先生はこれこれこういう風に教えたけど、学校の先生は全然違うことを言っていて、訳が分からなくなりました。もう一回説明してください…」
この両者の「思考回路」が目に見えるでしょう
同じ話を聞いても、同じ授業を受けても、
片方はそれが脳内で接続され、もう片方は接続端子がないため、それぞれがバラバラに作用して意味がわからなくなっているのです
片方にはそれぞれの意味がつながってより深い理解となり、
片方には「全然違うこと」に聞こえてしまうのです


有名な「みはじ」「くもわ」も公式ファーストでは危険がいっぱいです
意味がわかって使っているなら構いませんが、
とにかくまずこれを書いて!と始まる授業は危険です
とにかくまずこれを書いて解いている子も、先が心配です
ある進学校では、授業中にこの図を書いた生徒が注意されるそうです
こんなの書くんじゃない!と
あらら、今や塾でも公式ファーストですから、教わって使ってきたのに

どんぐり問題には「速さ」の問題が1mxからたくさん出てきますが、
2mx93がこの問題
マッコウクジラのマッコー君とザトウクジラのザットー君が、片道50000㎞の太平洋往復競争をしました。マッコー君は1時間に100㎞、ザットー君は1時間に80㎞泳げるとすると、ゴールに辿り着く時間の差はどれくらいになりますか。
どんぐり問題では2mxですから、基本的には、小学校2年生の問題です
0mxからコツコツと積み上げてきた子は平然と2年生でこの問題を解いてしまいます
もちろん、絵を描いて
ところが中学生に「時速ってなに?」って質問すると、「えっ?時速…速だから、速さ!」
「だから、速さってなに?時速60㎞ってどういう意味よ」「えっ60㎞の速さでしょ」
と、「1時間に60㎞進む」というごく基本的な意味を言葉で説明できない子もいます
この2mx問題は、「時速」なんて言葉を習うずっと前に取り組む問題です
平然とこの問題を解く子にとって、「50000㎞」なんて見たこともない数字に出会っても、「習ってない」とは言わないのです
習ってない方がむしろ楽しくなってしまう子もいるのです

公式の呪縛は、何も、勉強面だけの恐れではないのです
勉強面で公式に縛られて、自由思考力が低下しているなあ…と感じる子の場合、生活面での思考力も育まれていない場合があります
生活するとき、遊ぶとき、全てにおいて、自分の頭で自由に思考する自由思考力が伸び伸びと育まれてきたかどうかにも関わってきます
あれこれ手取り足取り教えすぎやしなかったか
あれもだめ、これもだめと制限しすぎなかったか
受動的な遊びで満たしてはいなかったか

子どもの思い癖は、やはり、子ども自身の特徴とは言い切れません
子どもに考えさせるチャンスは十分に与えられていたか?
失敗しても試させる余裕を持つことができていたか?
学校に言われるがまま、右へ倣えを最優先にしてこなかったか?

ひとむかし前と違い、放っておいたら「考えない」で生きていける現代
意識せずに過ごしていると、考えないのが普通、って子がどんどん育ちます

だから、「考えない」でも遊べる道具がたくさんあるし、「考えない」でも点数がとれるよ、ってうたい文句の塾がたくさんあります
そのまま一生「考えない」でいいのだろうか
大人も、子どもも
アプリの開発はできなくても、アプリを使えば何でもできます
それって公式ファーストだよね

それでいいのかなあ
それで、何かあったとき、立ち向かえるのかなあ、乗り越えられるのかなあ
それで人生を楽しめるかなあ
それだけは、もう一度、考えてもらいたいな、って思います