早期教育や
ゲーム・動画視聴などを、疑いなく幼児期のお子さんに与えてしまい、
その後、どんぐりを知って頭を抱えている何人かの親御さんから相談が寄せられています
そのうちの一件に私がさきほど返答したメールの一部を以下に抜粋します


※1度、どんぐり学舎でどんぐり問題を体験してとても楽しそうに無邪気に絵を描いて解けました

どんぐりを始めてすぐには出ないかもしれませんが、しばらくすると、壁にぶつかることもあると思います
 
糸山先生は5歳から9歳がゴールデンエイジで、9歳の壁を突破するときの状態に大きく影響する、と言っています(園児~小学校低学年)

どんぐりの初歩の問題はとくに悩まずに、困らずに楽しく解けても、難しくなってくると進化が止まる子がいます
深く、長く、じっくりと考えることができない脳の仕組みになってしまっている子です
それでも、どんぐりを根気よく続けることで変わってくるのですが、たいてい、もう嫌だ、解きたくない、という子どもの態度や様子に親御さんが我慢できなくなり、子どもを叱ってしまったり、どんぐりをやめてしまったりする例も少なくありません
 
その時にはすでに、ゴールデンエイジに親が子どもに何をさせていたのか、何を与えてたのかなど、自分ではすっかり忘れてしまっている人が多いのです
 
それを忘れずに、そのことをどう補っていくかを積極的に意識し続ければ、子どもは変わります
放っておけば、ずっと子どもの状態はいっぱいいっぱいですし、親子関係も不安定になってしまうこともあります
特に、思春期に顕著に出てきますし、そこで出せない子はさらに成長したあとで出してくることもあります
「出す」とは、自分のせいでできなくなったわけではない、という鬱憤のようなもの…そんな言葉では片付けられませんが、まあ、そういうようなものです
子どもが困難に対して積極的になれないこと、自分の力で試行錯誤して乗り越えようとしないことなど、成長しても見られる態度が、幼少期に起因することを、ずっと一緒に過ごしてきた親は忘れてはならないのです
 
でも、頑張ろうとしても頑張りきれない、考えようとしても集中が続かない、困難から一目散に逃げ出したくなってしまう、という子でも、じゃあ、その子がどうやって親から自立した後も人間らしく、自分の人生を楽しめる人に成長できるか
そのことをやはり考えてあげるのも親です
 
子どもだって好きでそうなったわけではない、でも、その特徴も含めてその子自身
だったら、この先どうしよう
徹底的に矯正して生まれ変わらせよう、徹底的にいうことを聞かせて無理矢理にでもできるようにしてやろう、なんて、間違った方法だということは誰にでもわかりますよね
 
子どももいち人格で、生まれ持った気質や性質があります
産まれてすぐから一緒に暮らす大人の影響を受けて環境によって育つものももちろん多いです
そのことをどんぐりでは丁寧に説明を続けています
昔だったら、親が何も考えなくても、子どもは勝手に遊んで冒険して探検して失敗していろんな人と関わって、学んで、覚えて、成長できました
それができなくなった今、「子どもが自然に賢く優しく育つために」必要な方法なんです
「自然に」がカギです
「人工的に」ではないんです
なかったものを引き出す方法でもないんです
子どもが元々もっているものを、壊さずに引き出す、しかも、お互いに、笑顔で
それがカギなんです
(メール引用ここまで)

ゴールデンエイジにどう過ごしていたか
子どもは忘れていても、親は覚えているはずです
いいえ、忘れてはいけません
どんぐりに出会う前、ゲーム三昧だったこと、テレビ漬けだったこと、習い事づくめだったこと
子どもが自分で買ってきたわけでも、契約してきたわけでもありません
すべて大人がしたことです
子どもが欲しい、と言ったから
子どもがやりたい、と言ったから
と説明する方もいますが、それなら、そうやって子どもの願いを全て聞き入れる方針だったのか?と自問自答すれば、そうではなかったことにも気づくはず

だから有罪です!と大人を裁きたいわけではありません
わかってほしいだけなんです
子どもが悪いのではない、ということを

そういう視点で子どもを見続けている私には、どんな状態の子どもでも、
必ずその子が伸び伸びと生き生きと生きていける道があると信じられるし、信じたい
でも、
邪魔してくるのは必ずと言っていいほど「身近な大人」だって事実も、
こうして、苦しいけれど伝えなくちゃならない…

私と同じ側から子どもを見ようとしてくれたら、
きっとこの思いは届くはず
子どものせいにしてしまう人は、実は、自分自身をも責めていること、自分自身も苦しんでいること、わかります
でも、自分を許し、子どもの「いま」を受け入れなければ、一緒に幸せになることは、できないと思うんです

そして「人工的」に子どもを伸ばす方法についてですが…
これまたびっくりすることに、それを頼り、それを利用する人は一定数いるのです
ちゃんとビジネスが成立するほどにね…
しかも、家庭で礎を積んでいない状態で外注に出すから結果は凄まじいです
その辺りは、業界目線でないと見えない部分でもあり、
そんな業界から私も…恐れ多くも糸山先生も、飛び出してどんぐりにたどり着いたわけです
周囲にいませんか?
いわゆる「頭はいいけど人間的にどうかと思う人」
ちなみにこの国を動かしているえらい人たちの多くはとても「頭がいい」人たちです
「頭がいい」学校を出ないと、えらい人になれないからです
でも、人間的にどうなんだろう
国や、国民や、教育…子どもたちに関することだけ見ても、どうなんだろう
と、本当に頭がいいんだろうか?…っていうか…頭がいいってなに?って首をかしげてしまうのは、
私の頭がよくないからなんでしょうか

「人工的」なことを特に子どもに施すことの危険性は、ご想像の通りです
多くはここでは書きませんが、いま、子どもや、私たちを取り巻くこの状況からも、
そのことに気づき、手を打っておかないと危険です
私たちは自然に抗って生きることなどできません
いくつもの自然現象が、それを教えてくれているのに、
まさか目の前の子どもに、気づかず適用してしまうなんて…
あまりにも、気づいていない人が多すぎて、
あまりにも、子どものせいにしてしまう人が多すぎて、
あまりにも……


以下、8年前の糸山先生のブログから抜粋します
 
●最も重要な時期は、05才+06才〜09才である。

●能力と体力から考えると、09〜12才の方が、相関関係も簡単に捉えられるので、ある程度までの進みは速いが、絶対的な<時間>が足りない。
 急いで〜する、ということができない対象だからだ。
「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」でなければ、作成できないものがあるということだ。
 脳は生き物なのだから、成長する速度は(多少の個人差があるにしろ)決まっているわけで、急いでいるから、時間がないからと回りがどんなに騒いでも、映画の高速再生のようにはできない仕組み(成長過程)があるからだ。

泉コメント:9歳から12歳で得られる分量のことだけど、高速再生のように行うわけにはいかない内容だから、9歳までの時期に適切な「遅さ」で丁寧に取り組まなければならないのです

 また、多くの場合、リセットをするための環境設定に時間を要したり、覚悟が出来なくて中途半端な時間を過ごすことが多い。最も多い危険な勘違いが、今まで長い間、思ってきたこと、時間的にも経済的にも投資してきたことがマイナスだったことを直視する覚悟ができないことが原因のようです。深部では、自分の目を信じ切ることができない、見ないようにする習慣で生きてきたので修正できない。不安がある。ということですが、気づいても確認しようとはしない人が多いですね。

泉コメント:ここが、ほとんどの親御さんにとっての最初の難関
今までお金と時間をかけて「よかれ」と思ってやってきたことを全て断ち切ってリセットしなければならない、と気づいた時の衝撃です
実際、ゆっくり深くまで話を聞いてみると、親御さん自身もそうされてきて、いま、これを否定すると、自分の育った過程も否定することになる、という深い悲しみが伴う場合も多いです
私たちだって受験戦争に参加することを余儀なくされてきたんだもんね
それでも、今は、未来の子どものことを想像するとき
勇気を出して!

 つまり、スタートラインに立たせるための時間だけでも、相当必要になる。
 そうなると、最も重要な時期は、就学手前の05才と就学直後の3年間である。

 つまり、05〜09才の4年間が一生を決める<Golden Age>と言える。
 思考のゴールデンエイジである。

 この時期に、どんぐり倶楽部に出会えた方は幸せです。

 ただし、このチャンスを活かせない人が多いのも事実です。

 どんぐりの方法は、
「教育はそれぞれだから、自分なりにアレンジして」
 なんていうレベルの話ではないほど、基本的な学習方法なのですから、
 選択の余地など無いのです。両足があるのですから、自力で歩くことが基本。

 子育てを丁寧にしていれば、ゴールデンエイジは分かります。
 ですが、その大事な期間に、真逆の「やってはいけないこと」
 をさせようとするのですから、勘違い教育になってしまうんです。

泉コメント:19年前に母初心者&どんぐり初心者を同時スタートさせた私は、長女を抱え、小さな失敗を重ねながらも少しずつ前に進んできました
「子育てを丁寧に」は超超超重要なキーワードです
私は長女を授かった瞬間から、そして、お腹から出てきた長女に出会った瞬間から、その言葉が脳裏を離れません
今も、ずっとです
だから、大規模なリセットを必要としたことはありません
小さなリセットは経験があります
すぐに気づいて、自分ごととしてリセットをすれば修正できるのです

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*一例ですが<****の法則>という考えがあります。最終的には、何の根拠もなく、適当な説明で、早ければ早いほうがいいと思わせて、早期教育に引きこむ理論に見える、貧弱な理論的に破綻している<お誘い文句>です。
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以下、赤字は糸山先生が訂正、加筆を必要とする、と思われた様々な文書からの抜粋かと思われます
赤字の下の部分が糸山先生の解説です

<引用>乳幼児にも適切な教育が必要
●「適切な」の勘違い
→人為的な「貧弱教育」ではなく、自然のありとあらゆる刺激を含んだ「豊かな教育」
→知的系統的教育は大変危険。

<引用>0歳~6歳に親が手をかけずに遊ばせておくと、素質を失ってしまう
●手のかけ方の勘違い:遊びが大事で、その遊びの種類が重要なのです。
→自然の中に連れ出して十分に複雑で全体を体感でとらえられるように豊かな刺激を与えないといけない。人工的なものは、単純で情報量が貧弱です。自然物を相手にすると、複雑で莫大な情報を無い瞬間受け取ることが出来ます。ただし、「ゆっくり、ジックリ、丁寧に」でなければ、半減します。(それでも、半減してもプラスです)
→素質の定義もないお粗末さです

<引用>小学校に入ってから勉強を始めた子どもは、なかなか文字が覚えられない
●小学校に入ってから勉強を始めた子の方が文字に興味を持っているので直ぐに覚えますし、興味をもつように準備することが大事で、入学前に覚えさせてはいけません。
→学校だけでキチンと覚えられるようにしてあげないと、学校を使えるようにはなりません。
→就学前の、丁寧な受け答えが大事なのです。

<引用>6歳の子どもより、3歳の子どものほうが、楽に文字を覚えることができる
●全くの勘違い。その時期の記憶力の優位性は、文字を覚えるための力ではなく思考力養成のための力ですので、思考力養成に使わないと思考回路に致命的な欠損をもたらします。
さらに、IF法を知っていれば、練習次第で高学年が速いこともよくあります。視覚イメージ操作が安定しているからです。
→学習に拒否反応を示している場合にのみ当てはまる特異な事例の場合です

<引用>脳の回路は、6歳くらいまでに出来上がる
●ですから、複雑で繊細で多種多様な回路を育てる思考回路の原形を作るのです。人工的で硬直的な机上のプリントや暗記などをしている時間は微塵もありません。
また、出来上がるというのは、形の上だけ・外見上の物(ハード)としてというだけで、肝心の思考回路には無関係です。中が見えないのに、ワインの瓶が出来たからといって「ワインが出来上がった」とは、言わないでしょ。出来たのはワインの入れ物である瓶。
→脳の外的な見かけ(大きさ重量)だけのことで機能的なこととは全くの別物。

<引用>子どもの能力は無限
●その無限の能力を最低の「読み・書き・暗記」に使ってはいけません。
→スーパーコンピューターを録音機や電卓にしてしまうのが今の幼児教育です。
→また、能力は無限でも、人間として使っていい力やコントロールしなければいけない力があるのです。
→完全記憶能力者が、最終的には、記憶を鍛えたがために、思考できなくなった一例でも、幼児・児童期の<高速計算・大量暗記・徹底反復>が<厳禁学習>だと分かります。
●安定した環境に人為的な教育はそぐわない。

<引用>胎児期から意識がしっかり働いていることがわかっている
●意識ではなく、反射です。原初回路が反応しているだけです。勘違いですね。

<引用>教育は胎児期から行う必要がある
●大きな間違いです。静かにしておくべき時期に騒ぎ立てているだけです。
→蛹(さなぎ)を触りまくって殺してしまうことと同じです。静かに自然な成長をしている時に、外野が騒いではいけません。耐性があれば、悪影響を回避できますが、でなければ、当然ながら、悪影響をお世押します。
→そもそも「教育」の勘違いである

<引用>胎児期の刺激が、脳の回路を発達させます
●外界に適応するための準備であって、外界に出てからの刺激で環境適応するのでなければ意味が無いのに、外界を感じていない時期に刺激すると異常適応を起こす。
制限し、コントロールしながら適応させるのが環境適応です。
開発してはいけないことを刺激してしまうと異常な器官(反射回路・反応経路)が作られます。
肺呼吸ではなく皮膚呼吸で生活する子供を望んでいるのだろうか。
→刺激、脳、回路の全てがいい加減な使われかたをしている

<引用>教育を早く始めるほど、高い才能が育つ
●貧弱な教育は早ければ早いだけ、強力に悪影響をもたらす。
→高い才能とは思考力以外にない。計算や暗記とは真逆のものである。
これらの力は、発達部位が異なるので順番に沿った適切な時期に適切な刺激を与えなければ意味が無い。
生まれたばかりで羽が濡れている鳥に飛ぶ練習をさせるようなもので、落ちて死んでしまうか、無駄で役に立たない動きをコピーし、最終的にはエネルギーを浪費するだけ。
(中略)
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<注意:基本的な考え方>
「自然ほど複雑で高度な情報を与えてくれるものはない」
→当然反応としての処理も複雑になっている
 単純でないので「〜できる・できない」という極端に「簡単なこと」では、高度な能力(人間の力)の判定対象にはならない。当然、その先には思考力があります。思考力が育てられるのです。十分にね。それなのに、文字がかけるとか、何かが覚えられるとか、計算できるとか。そんな、単純で貧弱な(最低のコピー回路しか使わない)手順暗記で評価するってのは致命的な真逆の勘違いである。
つまり、6歳の時点で計り知れない思考力の差が生まれているということです。
「相手の心情を思って、傷つけない言葉を選んで声をかける」vs「周りにお構いなしに暗記や計算の羅列をする」
完全に、思考力養成の差が出ている。完全に手遅れであり、残念ながら、この格差は永遠に埋められない。
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また、反対に、お勉強系はさせていない人でも、習い事を「体験学習」と勘違いして、たくさんさせて感性を育てているという人もいる。これも、勘違いです。通常の習い事は表現の一種類ですので、何の感性育成にもなりません。

*音楽なら、自然の音を味わうこと、が感性を育てる唯一の方法です。→静かな山の中で、匂いや景色と共に音を感じあ味わう。
*それを、楽器の訓練をさせて「感性を〜」という。音楽会に行って「感性を〜」という。???である。それらは、味わった原泉を豊かに持っている状態で、表現言形式の一つとして、自分の感覚再現を味わうためにすることだ。
「表現養成で感性は育つことはあり得ない」のだ。無いものを表現させられようとするから、猿真似をするしかなくなる。表現するものそのものを育ててもらっていない(持っていない)のだからね。完全な負のループです。

*芸術とは高度な娯楽です。それは、感情・感覚の再現を楽しむことです。感動すること。だから感動のもととなる再現される豊かな感情・感覚を味わうこと以外に、すべきことはないし、してはいけないし、している余計な時間(暇)はない。だって、人間の最高進化形態は、楽しく自在に考えることができることですからね。思考力養成を最優先させないといけません。ただし、感味力を失わないように。
 
 
さあ、いままさに、ゴールデンエイジ!って子育て中の方は参考に
過ぎてしまっている方も、いろいろ思い出してほしいです
 
「思考力養成の差が出ている。完全に手遅れであり、残念ながら、この格差は永遠に埋められない。」と一見、怖い断言をしている糸山先生

でも、糸山先生の中学生向けの講座を受けると、「手遅れではない」という強いメッセージを感じます
どの子にも伸ばせる力がある、とずっと信じて導こうとする先生の姿に
 
ただ、そこから先は、親ではなく、本人がどこまでやれるかにかかっているんです

中学生になった我が子に、親ができることはほとんどありません
いつも言いますが、美味しい食事と、清潔な寝床を用意しておくくらいしか

思考力が育っていないかも……と残念に思っても、諦めないでください
そして、一番大事なことは、決して子どものせいにしないことです

なんで勉強しないの!
なんでもっと頑張れないの?
なんできちんとできないの?
なんでしっかり考えようとしないの?

…それは、そのための力を持っていないから
その力を補うための気力も今は持っていないから
ゴールデンエイジにすべきことをせず、すべきでないことをしてしまったから
だったらどうする?
いま、まだ、一緒に暮らし、一緒にご飯を食べる仲
手を伸ばせば届く関係

中学生以上になって、「埋められないその差」を埋めるのは、思考力に負けない精神力、根気です
もちろん、思考力も根気強い精神力も備えた子には敵わないかもしれません
でも、思考力もないし、気力も根気もなーい、なんて状態で社会に出たら…
学校どころの騒ぎではありません

一緒にいる間に、親に何がしてあげられるだろう

子どもが自律するために、親がすべきこと、すべきでないことはなんでしょう
一生懸命考えて、試行錯誤する親の姿もまた、
子どもにとっては教科書なんです