先日、親戚の家に生まれた赤ちゃんを見に行ってきました
こんなご時世、抱っこさせてもらうことはもちろん、お家に上がることも控え、玄関先でそっと、生まれたての赤ちゃんの姿を見せてもらうに留めましたが、やはり、赤ちゃんというのはいつ見ても可愛くて、素晴らしい存在でした
特に、目が黒目でいっぱいで、ウルウルしていて、とても綺麗でした
生後2週間ほどでは、ほとんど見えていない、とは言われていますが、実際には、授乳する親の顔くらいはぼんやりと見えている、という説があります
子どもマニアの私は、自分が出産した直後といえば、生後数ヶ月までしかしないモロー反射をひたすら楽しんで実験していた記憶があります
赤ちゃんが生まれ、育つのは、神秘です
さて、そんな生まれたての綺麗な目を見てきたら、いろいろな言葉が頭に浮かんできました
成長するにつれ、子どもたちの目の中には白目の部分が増え、人間らしくなっていきます
(ほとんどの動物には白目がありません。犬にはあるので、犬は人間の視線を追える希な動物と言われています。黒目だけだと、目からのメッセージや視線の方向がわかりづらいですよね)
ここ最近、立て続いて漢字学習についての問い合わせがあったので、私の考えをまとめてここで述べようと思います
私の教室では、私の自作教材を多く使用していますが、小学生には「塗り漢字」というものを配布しています
塾生には、欲しい御家庭にだけ配布している漢字を塗って1度だけ書くための教材です
教室以外の生徒さんにも、1学年分500円でお譲りしています
その他の自作教材は、現時点では販売していません
通信講座を受講している中学生に送っている教材もその中の一部ですが、いずれ、もっと多くの種類の自作教材をお譲りできる形にしていこうとは考えています
さて、塗り漢字教材は、どんぐり倶楽部の糸山先生が考案した「IF法」という漢字記憶法を実施するための補助教材です
漢字を学習することは、思考力養成とは繋がりませんので、絶対にしなければならないものではないのですが、小学校生活をしているとどうしても「漢字」や「算数」の出来不出来が気になる、ということで、漢字学習の教材として使いたい、と連絡をくださる方がいらっしゃるのだと思います
「漢字」や「算数」の出来不出来が気になるのは、
「漢字」や「算数」の出来不出来を計測するのが容易で、指導者がそれを指摘しやすいからです
漢字や算数なら、テストの評価も一目瞭然です
漢字が正しく書けているかどうか、計算が正しく行われ、正解が出ているかどうかは、白黒はっきりする簡単な採点方法で、点数をつけるのも容易だからです
要するに、そういうことを学校から指摘され、紙面で見せられ、その課題を課されるので、御家庭でも「それができるかどうか」がとても重要なことなのだ、と思い込んでしまいます
そうなると、漢字が書けないのは「できない」、計算が速く正確にできないのは「できが悪い」と、親子して、思い込んでしまう傾向があります
結果、学校から返却されるテストを見るだけでもドキッとしてしまうのに、ご親切にも「テストの結果がこれこれこうでしたから、御家庭でしっかり復習をさせてください」とまで連絡くださる先生もいて、親御さんはさらに子どもを何とかしなければ、と思ってしまいます
その結果、子どもは漢字を学ぶことも、計算をすることも「させられる」こととして認識してしまい、そのことそのものが、というより、「させられる」ことの苦痛や、窮屈な感じだけが残り、結局、「勉強が嫌いだ」と繋がっていきます
正直、小学校の時点で「勉強が嫌いだ」という言葉や、意識を身近に感じてしまうと、それを払拭するのは大変なことで、そもそも、学校のテストや成績、先生からの評価を上げるために頑張らせようと思ったはずが、皮肉にもまるきり逆効果で、ますます評価に値する好成績からは遠ざかる結果になってしまうのです
いくら何でも、背を向けていたらいつまでも好きになることも得意になることも不可能です
じゃあ、どうしたらいいの…?
先生が「お家で復習を」とおっしゃるから頑張らせようとしただけなのに…
ここでは、個別対応は書けないので、極論を書きますが、
家庭では、ありのまま放っておけばいいんです
つまり、嫌いにならせないようにするにはそれが一番だということです
学校に行って授業を受けているとして、そこで漢字や計算についてテストをされたり、教えられたりしてきても、家に帰ってきたら同じことをする必要はないんです
宿題も含め、嫌いにさせるくらいなら一切させないことです
そう先生に連絡しておけばいいんです
この話になると、別件の宿題交渉の方向になってしまうのでこれはまた別の話として
私は娘たちが小学生の時、担任の先生に初めましてのご挨拶をする時に必ず伝えていました
「学校の授業で先生の話を聞き、先生の教えてくださることをしっかりと受けとめてほしい。だから、家では復習をさせたり、練習をさせたり極力したくないんです。勉強を嫌いにさせないために、学校で集中するために、家庭では一切宿題もさせませんがよろしくおねがいします」と
ほとんどの先生は快諾してくださいました
家庭でそれだけの方針が定まっているなら、そうしてください、と
そんなわけで、
塗り漢字教材を塗ってIF法を実践したからといって、
それが、漢字学習の特効薬になる、などと糸山先生も私も言っていません
嫌いにならなければ、漢字学習に支障はありません
私の見る限り、書くのが嫌いな子は漢字が苦手な子が多いです
何事においても、「書く」ということが嫌いな子
それは、漢字以外の科目にも大いに影響してしまうのですが、
いくらタブレット端末が配布され、ノートに書かない学習方法が学校で行われたとしても、
人間の記憶や、手の動き、脳科学、様々な現時点での研究の中で、書くか書かないかは、
学習の習熟度に大きな違いがあります
これは、現場で見ていればわかること
書くのが嫌いなのに、文字を正しく書くことや、計算を正しくすること、最近はやりの記述問題を正確に書くことができる子はいないのです
じゃあ、小さい頃からたくさん書かせたら、書くのが好きになるのか?
もちろん、そんなことはありません
書いて伝える文字というものがなぜ生まれたのか、なぜ人類は文字という道具を発明したのかを考えれば、文字を学びたくなる動機は想像できるはずです
伝えたいことがあるから言葉が生まれた
離れた人に、時間差でも伝えたい言葉があるから、文字が生まれたんです
そのための道具としての文字は、私たちの周辺にごろごろ転がっていて、わざわざ練習しなければ身につかないものではなかったはずです
先日、塗り漢字を使ってくださっている御家庭から連絡がありました
まずは最初に掲載した写真です
何色で塗るといいですか?
左から右へ引く線を、逆から塗らない方がいいですか?など質問がありました
色の種類は何色でも大丈夫です
その時の気分で子どもが選ぶでしょう
線の引き方は、厳しく取り締まる必要はないけれど、習字の筆を入れるのと同じように、左から右、上から下、というルールで塗った方が自然です
それから、以下のようなメールもいただきました
漢字学習ですが、先生の教材をやり始めたところ、漢字には色
学校で月(つき)ってならったけど、月(げつ)ようびって読むん
一年生ではまだ音読み訓読みはやらずに、教科書で出てきた読み方
私のほうも、なるほど漢字が使えるようになるとはこういうことな
一字一字、楽しくやらせていただいています。
ありがとうございました。
こちらこそ、嬉しいご報告をいただき、ありがとうございました
このメールの中にある重要なヒントは、
「漢字を正しく書かせなくてはと気負う気持ちがなくなりました」という言葉です
この御家庭がそうだったという訳ではありませんが、少し、想像してみてください
子どもに、何かを「させなくては」と気負う親がいます
自分が子どもだとしたらどうですか?
「漢字を正しく書かせなくては」「算数をできるようにさせなくては」と、親御さんが「気負って」いるのです
ちょっと想像したら…
ひえ~~って逃げ出したくなりませんか
もしかして、ご自身がそういう親になってしまっていませんか
なんでちゃんとやらないんだろう、
なんでそんなに嫌うんだろう、って思ったら、
お子さんに注目するのではなく、ご自身に着目し、もしかしたら気負っていやしないか、子どもをどうにかしようと頑張ろうとしすぎていないか、考えてみてください
そういう面に気づいたら、お子さんではなく、ご自身の考え方や接し方、態度を改めてみてください
それだけで、子どもが変わります
子どもを変えようとせず、まずは、自分自身を見つめ直してみてください
そのためのお手伝いもしています
それには、大人にだって仲間が必要だからです
自分で自分を調整し、統制するのは、結構大変だったりします
誰でもいいから腹を割って相談できる人が必要です
話を聞いてくれて、一緒に考えてくれる仲間が必要なんです
ひとりで頑張らず、我慢せず、親御さん自身が仲間を作ることで、
お子さんは精神的に自由になり、伸び伸びと伸びていきます
子育てで最も重要なことは、
子どもが何かできるとか、できないとか、
優れているとか、劣っているとか、
だから、どうにかすることとか、しないこととか、
そういうことでは全くなくて、ただ、ただただ、
子どもが親を信頼し、
親が子どもをまるごと大切に思う、ということだけなんです
子どもが小学生の間に、その思いを伝え切れたら、
きっと大丈夫なんです
子どもの顔を見る度に、「漢字が書けない」「あれができない、これもできない…」「できるようにさせなくちゃ…」なんて思い出す必要はありません
それよりも、嫌いにさせない
そのためには、親が気にしない
それが一番なのです
生まれて間もない赤ちゃんは、しばらくの間、生まれて初めて見るものを毎日見続けます
生まれて初めて鮮明に聞こえる親の声も、新鮮に感じ取っているはずです
子どもが、子どもの感性で感じ取る前に、大人が大人の言葉で決めつけてしまわないよう、
子どもの可能性を狭めてしまわぬよう、大人の「気負い」で子どもに重石を載せないよう、
子どもの前で使う言葉、子どもにかける言葉に少しの間だけ注意を払う必要があります
そして、子どもの綺麗な目に何が映っているのか想像し、
本当は、子どもは全てのことを好奇心を持って見つめているのだ、見たもの全てを吸収しようとしているのだ、ということを忘れないように、そしてその能力を奪わないようにしてください
モロー反射のように、自然と消失するものではなく、本来ならどこまでも続くものだということも