中学生とは長いこと一緒に勉強をしてきて、
私自身も勉強しても勉強してもゴールのない「英語」という外国語の一つに関していつまでも達人にはなれなくて、生徒と一緒に迷ったり、考えたり、調べたりする日々なのですが、そんな中、卒業生のほとんどは高校生になっても大学生になっても英語で困ることはなく、むしろ、英語が得意になっている子が多いのは、どんぐりっこだからなのかもな~と思ったり、高度な知識を流暢に教えることができない未熟な私の元で一緒に試行錯誤して学んだ経験も役に立ってるのかな~なんて開き直ったりする昨今です
先日、新しく発売されるスマートフォンの機能のことを詳しく解説しているのをテレビでたまたま見ました
看板や、書面にレンズをかざすと、あっというまにテキスト化し、さらに、何語にも翻訳できる、という新機能がつくそうですが、Googleレンズでできることと何が違うのかわかりませんでした
もっとすごい機能なのかな
Googleレンズでは、言語にかざせばテキスト化も翻訳もしますし、数式にかざせば解法が表示されます
それらの機能について、子どもたちの悪用を心配する声や、「じゃあ、英語の勉強しなくてよくない?」という意見をよく聞きますが、私は全くそんなことを考えません
学校の先生も同じでしょうけれど、子どもが真剣に自分の頭を使って書いたかどうかなんて、一目瞭然です
翻訳ソフトで訳した英文にも大いに特徴があり、「ググったな」とすぐわかります
教室の生徒たちとそんなアプリについて話したことが何度もありますが、
みな、「そんなことをして何の意味があるん」「自分が損するだけじゃん、いつかひとりでしなきゃなんないのにさ」と一蹴していました
悪用したところでその先は見えてるよ、と言いたいようでした
こあたんも推奨する「和文和訳」というのを、私も常々生徒たちに話すのですが、
たとえば
「大船にのったつもりでいてください。」ということを英語で言いたいとき、
翻訳アプリにかけるとこう出ます
「Please act like you are on a big ship.」
本当に大きな船出てくるし…
これでも、比喩表現として伝わるのかもしれませんが、
でも、そんな難しい言い方をしたいんじゃなくて、日本語で「大船に…」って気軽に言いたいとき、伝えたいのはどういうことか、というと、
「何も心配しなくていいですよ。」ということですよね
だから、こあたんはこう訳しています
「Don’t worry about anything.」(こあたんTwitterより)
これで、最初に「大船に乗った気持ちで…」と相手に伝えたかった気持ちと、変わらない気持ちが伝えられますよね
大きな船を引き合いに出して、比喩表現をするまでもないし、
日本語の慣用句をそのまま訳しても、全てがうまいこと比喩表現として伝わることもありません
勘違いされたり、首を傾げられることも多いでしょう
いやー、そんなこなれた英語の言い方を覚えるのは難しいなあ…とっさに出てこないなあ…じゃなくて、
私が言いたいのは
「大船に乗ったつもりでいてください。」を「何も心配しなくていいですよ。」という風に変換できる日本語の力が大切である、ということなんです
日本語の言い換えが、とっさに出てくるかどうか、ということなんです
私がスキーを初心者に教える時、
たとえば大人であれば自分の両脚の筋肉を意識してもらうような言葉をかけます
「腿の内側の筋肉を寄せて、踵を開きだしてみてください」
「つま先は親指に体重を乗せて、踵をコンパスのように開き出します」
でも園児であれば目の前に背中を向けて立ち、自分のテール(スキーの板の後ろ側)を思い切り開きながらこう言います
「おしりが破けるぞ~!!」
園児さんは、きゃっきゃ言いながらそれを真似て、腿の内側の筋肉を寄せて踵をコンパスのように開き出します
そして、自分の力で雪の斜面でブレーキをかけることを体感できます
もちろんその前に、重心も体感させてあります
雪の斜面でただ立つだけでも、初心者には難しいことですから
「言い換え」は私たちは、相手が誰かによって自然にやってのけています
母国語が日本語の人であれば、日本語では自在にそんなことをしているはずです
ただ、いろいろな世代と交流し、会話する機会が減っている昨今、
子どもたちが浴びる言語の基礎知識も激減しています
大人達が子どもの前でいろいろな相手と話すことを見せる機会が減っていることに、多くの大人は気づいていません
今や、昔なら長電話していた友人とさえ、スマホの画面上のやりとりで済ませてしまっています
それは、大人の事情的にはちょうどよくても、「長電話」を生活の中で聞かされていた私たちの子ども時代と比較したら、圧倒的にリスニング量が減っているわけです
無駄な話ばかりしていた長電話や井戸端会議では、子ども的には「もういい加減にしてよ~」と思いながらもその「空白」を待つしかなかったり、その「空白」を自分なりに埋めようとしたりしながら育ったんです
でも、今の若者は15秒でつかめなければ好きになれない音楽、前奏や後奏はとばし、映画も倍速で、読書もダイジェストで十分楽しんでしまいます
無駄のない合理的な生活は、実は人間の心身を苦しめている可能性があることは、ストレスで心身を病む人が昔よりずっと増えていることからもわかります
私は外国語を学ぶ前提として母国語の豊かさが欠かせない、と確信しています
さらに、短い文章を視覚化して思考するどんぐり問題は、実は英語を学ぶための基礎にもなっている、とここ十数年の生徒たちを見ていて確信しています
だから、小学校の間はどんぐり問題だけで十分だ、とずっと思っていました
英語はいつから勉強すればいいですか?という問い合わせに、6年生までは日本語を豊かに使えるよう意識していれば大丈夫、と答えてきました
でも、
ここ数年、小学校英語が必修化され、必修化されたことによってテストまで行われていて、「英語は嫌い」と早くも言い出す小学生がどんどん増えているのと、中学生になった子たちが学校で「これは小学校で習っているはず」と深くゆっくり学ぶきっかけさえ奪われ、「ただ覚えるしかない」と思い込まされているのが本当に悔しいのです
※たとえば、10年前は中1の最初の定期テストの範囲にはアルファベットの問題が出題され、英文を書くとしても自己紹介の簡単な文を覚えて書く程度でしたが、今年の1年生の最初に定期テストの出題範囲に含まれていた英文法項目は「be動詞・一般動詞・助動詞can」で、アルファベットを書かせる問題など皆無の中学校もありました※
ここまでしっかりと必修化される前までは、ALTの先生と遊んだり、歌ったりするくらいで、覚えなければいけない、とか、テストとか、そんなのもなくて、子どもたちは安心して楽しめていたんだと思います
小学校の英語の教科書を取り寄せてみても、中学校の教科書の最近の傾向に近いですが、さらにざっくりとしていて、まさに「どこから手をつけたらいいのかわからない」と思うような内容です
きっと、「多聞多読」と、たくさんリスニングさせて、たくさん内容を読ませて、英語を自然と習得できるように、と斬新にプランニングされたカリキュラムなんでしょうけれど、実際、英語の授業時間数や、日常的に英語に触れる機会がほとんどない子どもたちがいくら授業中に多聞多読したところで、理想的な習得ができるようになるとは思えないし、実際、中学生になる前から英語に苦手意識を持っている子は以前よりずっと増えているのです
糸山先生がよく説明に出される「Good morning.」
は、「朝の挨拶です」ときっと教わっています
いろいろな場面のイラストを見て、どの場面にふさわしい文句か選ばせたりしています
でも、
goodにもmorningにも、それぞれ意味があり、
そもそも、「I wish you a good morning.」の省略である、という事実があるのです
それを「覚えさせる」のではなく、
それがいきさつです、と伝えることが、子どもたちの納得につながっていきます
そんなことは必要なく、ナチュラルに英語を習得した人に言わせれば、いちいちくどいなあ、そんなことどうでもいいからGood morning.をまるごとおぼえて、自然と口をついて出るようにすればいいだけじゃん、と思われるでしょうけれど、たくさんの日本人の子どもたちと、日本語しか使っていない日常の中で、日本語に囲まれて生きている間に、週に数時間だけ英語を勉強しながら習得していくという実際の現場を担っている私たちが選んでいる方法がそれなのです
Good morning.は元々、朝、出会った相手に相手の朝がよい朝であるように願った文句であり、goodは良い、素敵な、っていう意味があるし、morningには朝、っていう意味がある、とバラバラに、その構造を伝えているんです
そうなれば、good jobとかgood choiceとかgood singerとか、またはin the morningとか、いろいろ次に出て来る表現に出会った時に、goodとmorningの知識が蘇るはずです
母国語を習得したのと同じように自然と習得できればいいけれど、外国語を母国で学ぶ場合には、現地で学ぶのとも英語に囲まれたイマージョン学校で学ぶのともまた違った方法が必須なのです
前置きが長くなりましたが、そんな危惧から、どんぐり学舎でも小学部の英語コースを新設することになりました
当然ですが、小学校で必修化されたりテストがあって成績がつけられるからその対策として、ということでは全くありません
日本人が日本で英語を学んでいく上で、私が信じている最も適切な方法を、糸山先生直伝のDONGLISHを、中1からではなく、小学校5年生からしっかりと伝える時間を確保するためです
どんぐり問題の合間にちょっとするだけでは間に合わなくなってきたのです
どんぐりと算数の関係と同じで、
簡単に言えば、無理のある、変なことを教わる前に正しいことを伝えたい、という…そんな感覚です…
そう、算数であれば、意味も考えずに「は・じ・き」の円マークを描いて速さの計算をしてしまい、全然応用が利かなくなってしまう子が多いように、英語でそんなことがおこらないための、対策なんです
とはいえ、前述したように最も大切なのは日本語の豊かさです
御家庭や、どんぐりを通してそれは変わらず大切に育んでいくとして、
小学部英語コースでは、日本語の力を使って、英語を知る
そのためのカリキュラムをいま、一生懸命考えているところです
中学までの準備として、できるだけ、英字を使わずに、日本語だけで英語を勉強しようと思っています
2022年10月からスタートです
現在、空席はまだあります
通信講座まではまだ手が回りません
ぜひ、教室に来てください