夕べ、DK3年生(入試まであと20日)と理科の天体の問題に頭をひねっていました
問題文の通りに北を向き、夜空を想像して体を動かしてなんとか納得しようとしました

問題は、「北向きに夜空を見ている時、天頂を見ると星はどのような日周運動をするか」というようなものでした

(こんな感じ この図が正解)

問題の写真を撮っておけばよかったのですが…彼らが帰宅して、母屋に戻り、書斎の椅子に座って考えていたら、もしかしたら提示されている図にひっかけがあったかも、と思いだし、それで気づいた解き方をメールで知らせました
(メールを見てもらえるよう保護者さんにメッセージを送りました)

そうしたら、質問してきた子も、家に帰ってすぐ、卵に星の日周運動の軌跡を描いて納得が済んだところでした
「わかったよ!さとちゃん!」ってメールが来ました

卵かっ!!

あっぱれです

卵に描かれた天球では、確かに、天頂の部分が図と同じようになっています

まっすぐ東から西へ線が続く問題は見たことがあったのですが、
少し湾曲している問題はあまり見たことがありませんでした
でも、確かに、日本から北の空を見る、という条件であれば、北の空の北極星を中心に星の日周運動として軌跡を残せば、北を中心にする、つまり、

こんな風になっていて、その北の空から目を真上に上げて、天頂を見ている、という状態を想像すれば、このように真ん中下がりで湾曲するのには納得できました

この図だけを見ていたときは気づかなかったのですが、自分はこの図の下に潜り込まなくちゃならないわけです
北の空のぐるぐるを見ながら上を見上げている自分は、この図の向こう側にいるわけです
卵に描けば、
卵の中に地面があり、自分はそこから空を見ているのですが、それが想像できれば、確かに真ん中下がりで湾曲して日周運動が見えるはずです

なんというか、入試問題や問題集を解いていると、セオリーというか、
なんでこうなるか、ってことよりも、そういうもんだから覚えてしまえばいい、っていうものもたくさんあり、私は比較的そういうのに納得がいかず、とことん納得できるまで考え続けるタイプではあるのですが、生徒たちには敵いません

この前日も、DK2年生が電磁誘導の質問をしてきたのですが、電磁誘導の出題なんて、問題文の最初に「S極を近づけたら検流計の針が右に振れました」とか但し書きがあってから始まるから、深く考えなくてもセオリーで解けちゃいます

(ネットから拝借)
でも、生徒くんが気になったのはそんなことじゃなかったんです
解説した後、彼の顔を見て気づきました
違う、もっと深いところに疑問を持っているんだな!!
そんな顔してる子に「覚えておけばいいんだよ」なんてとても言えません
来週彼に会うまでに、彼が納得してくれるような理解の仕方への提案を考えておこうと思っています

こんな風に、中学生になっても、不思議がり、自分の頭でしっかり納得できるまでこだわり続ける子は、どう押さえつけたってどんどん伸びてしまいます
考える習慣のない子との差はどんどん開いていきます

深く考えるのが当たり前になっている子に、「考えるのをやめなさい」と言い続けたら、考えなくなるかもしれません
「覚えておけばいいんだよ」と言われ続けたら、その方が楽かも、って

でも、考える習慣のない子に「もっと深く考えなさい」「納得できるまでこだわりなさい」といくら言い続けても、なかなか考える習慣をあとから身につけることはできないはずです

いずれにせよ、
脳は怠け者で、できれば楽をしたいんだ、と脳科学者の先生が言っていましたから、
脳を勇気づけるもの、脳をやる気にさせるもの、つまり、考えることが快楽にならないと続かないのです
彼らは気づいていないかもしれない
でも、深く考えることが脳にとって快楽になっているから、自然と深く考える方に進んでいくのでしょう

中学生になってからほいほい、ってそんな子にさせましょう、なんてとても無理です
きっと、どんぐりライフの他にも、原始的な遊びや、手作りや、想像や、会話や、たくさんの豊かな経験を重ねた子ども時代を経たのでしょう

ちなみに、
私も「なんでですか」と納得できるまで質問しては先生を困らせ、「覚えればいい」と何度も言われていた小中学生時代でした
家に帰って父に質問したりもしましたが、ほとんどは自分で調べました
インターネットはなかったので、辞書と百科事典が友達でした
脳が楽できることを選ばなかったのは、生活そのものが脳に楽をさせる刺激から遠かったからかもしれません
テレビは見る時間が決まっていたし、物語の本は買ってもらえたけどファミコンは買ってもらえなかったし、夜は早く寝なくちゃならなかったし、休みの日はディズニーランドやエキスポ(みんな行ってた)には連れていってもらえず、川とか野原とかお芝居とかばかりだったから
6年生のとき、卒業アルバムに「天文学者になりたい」と書いたけど、本物の天体の写真が載っている図鑑は買ってもらえなかったので、図書館で読んでいました
家には、『星座を見つけよう』という絵本が1冊あっただけ

ひとまねこざる(おさるのジョージ)のレイさんです

これは以前にも書きましたが、恐らくそんなに深い意味などなく、
ただただ、科学的な知識よりも絵本を味わい、ファンタジーを楽しむことを優先しようとしたらしい親の方針が功を奏して、どれだけ天体に興味があってどれだけ宇宙や星に憧れを持っていても、写真の図鑑は買ってもらえず、この可愛らしい絵本だけで小学生時代の天体への憧れを膨らませ続けた私は、卒業アルバムにそう書いたのです
※「学研の科学」だけは親の意に反して、付き合いで購読していました
届くと、穴が空くほど繰り返し読んでいたのは言うまでもありません

そして、
いよいよ中学生の理科の授業が始まると、
それまでファンタジーにつつまれていたたくさんのことに理由や、メカニズムがあることを知り、どんどんのめりこんでいきました

中学3年間の理科は、特にテスト勉強も受験勉強もしなかったけれど、成績でもたつくことはありませんでした
テストは楽しくて、特に記述問題が好きでしたが、先生にはよく「書きすぎる」と注意されていました
思えば、注意する大人ばかりでした
よほど面倒くさい生徒だったのでしょう
高校に入ると、先生達はますます語気を強めました
「受験に関係あるかないか判断せよ」
神童はグレました(笑)※もっとメンタルが強かったら負けなかったのに!

そんな自分の中学生時代を思い出すと、周囲のみんなが塾で必死に授業を受けて、学校で習ったことをさらに塾で習ったり練習したりして、とっても大変そうだったり、勉強はきらいだ、と言っていたりしたのが、不思議でしかたなかったのでした

いまの子どもたちの多くは「不思議がることを我慢する」ことが難しいようです
養老孟司先生も、「わからない、ということを脳に残しておけない」と最近の人の傾向を分析していましたが、まさにその通りだと思います
それは、
近くにいる大人がなんでも簡単にスマホで調べてしまうのを見せているから、というのがとても大きな要因のひとつだとは思うけど、スマホ自体が悪いというより、使い方の問題で、それは、子どもに不思議がる大切さや、不思議がることの楽しさ、わからないまままずは放っておく事の重要さを、本当にわかっていない大人が多いんだな、ってことが一番の要因だと思います

それは、親御さんもそうだけど、学校の先生達も同じです
親御さんが望むから学校の先生がそうなっちゃったのか、
学校の先生が望むから親御さんがそうなっちゃったのか、
どっちが先かなんてわからないし興味もないけど、
本当に大切なことを知っている人は、
親御さんにしろ、先生にしろ、
子どもたちがしっかり不思議がり、しっかりわかんながる(?)ことを大切にして、
待つことができているはずです
本当に大切なことをわかっていないから、
逆行するようなことができちゃうし、強要もしちゃうんでしょう

性格的にそういうの、当たり前にできちゃう人もいて、
深く考える習慣を持つ生徒さんの親御さんを考えると、
確かに、子どもにとって大切なことを、悩みながら、迷いながらも優先して頑張ってきた人もいれば、自分もいろいろなことに興味があって、考えることが好きで、家族でよく話している、というようなごく自然なケースもあります

自然にはできないのですー!どうしたらいいの~!?みたいな親御さんたちももちろんたくさんいるので、だから、私は保護者さん同士の交流をとても大切に思っているのです
せっかくどんぐりを選んだのだから、
お互いにいい影響をし合える仲間にきっとなれる、って
子どもの、子ども時代だけでも、一緒に乗り越える仲間が必要だ、って

興味を持ったから、と簡単に高価で精巧なアイテムを手渡しすぎていませんか
勇気を出して飢えさせることも、実は大切です
図鑑や真実との出会いも、
やっぱり、そんなに早くなくていいんです
もし与えるならそれは、
ほんものの体験の補足として
両方を体験して初めて、両輪が動き出すのですから
片輪だけじゃ曲がってしまうでしょう
どんぐり理論のはじめの一歩にある言葉ですよね


今週の「巻き物族」
300人の行列を全部描いてありました
これをじこじこ描く子もすごいけど、
じこじこ描いているのを待っている親御さんも立派です

そのうち、「全部描くっていう方法以外に何かないかなあ」と自分で工夫を始めます
だって、そのうち72000人とか10億円とか出てきますからね

自然遊びをしていると、
決まった遊び方や正解がないので、工夫と失敗の連続です
もっと他にないかな、って遊びがどんどんアップデートされていきます

デジタルゲームでも深く考えるし、思考力も育つ、という考えもあるようですが、しょせんヒトが作ったプログラムです
私は、自然相手に試行錯誤している子どもより賢く育つとは思っていません
テストの点数ではいっとき、差がつくこともあるかもしれません
長続きする例を私はあまり見たことはないけれど…
でも、ヒトの作ったプログラムを器用に高度に使いこなせることと、
コントロールできない自然を相手に試行錯誤してトライエラーを繰り返して知恵をつけることと、比べると、どちらが社会で生きていく上で柔軟性や強かさ、幸せに生きるために模索する力が身につくだろう、って考えると、すごく簡単に答えが出ると思うのですがいかがでしょうか
自然相手で逞しい思考力を手に入れた子が、ある程度の年齢になってデジタルを使いこなせるようになれば、それが最強ではないでしょうか

先取りせず、いま、大切なことを忘れないでください
いましか味わわせることができない大切なことを
あとでも大丈夫なものはあとでいいんです
科学的事実を早くに全て知ったような気持ちになってしまった子の行く末を想像してください
中学生になっても、学ぶ意欲が持続しているかどうか、想像してみてください
そして、
深く考える子たちがみんな、とっても優しくて思いやりがある子ばかりなのは、
偶然でしょうか
ただ私が周囲の子どもたちに恵まれているということだけでしょうか

それも、何かのヒントではないかな、って思うんです