中学生は期末テストが返却されて、
いろんな顔をしています
長年中学生を見ている私が知っているのは、
やっぱり日頃の学校の授業進行を意識しながら、
淀みなく(つまり、わからないことやできないことがないように気をつけながら)
進めている子、
淀んだ時点でそのことに気づき、なんとか淀みを解消しようと努力や工夫をした子は、
テスト前でも整理学習をするだけなので、そんなにあたふたしないし、
日頃の学校の授業進行を素通りしているような子は、
テスト前に急にバタバタし始めて、詰め込んだりもするんだけど、
間に合わなかったり、詰めが甘かったりして満足いく結果を得られていないわけで
もし、
いい点数が取りたいならいくらでも方法はあるけど、
でも、テスト前に急に…っていうのは、
やっぱり無理があるので
そりゃ、筋トレもランニングも基礎練習もしていないのに、
試合に出て成果を出そうとするようなもので
試合の数日前にばたばたと準備して臨むようなもので
いつも、スポーツや芸術の話をすると、
みんな納得はするのだけれど、
また、テストが終わって「日頃の授業進行」に戻っていくと、
すっかり忘れてしまい、
また素通りする日々が始まるんだよね
だって部活があって忙しいし
暑くて疲れやすいし
なんとなく、授業でわかったから、ダイジョブかな、って
自分を許し、正当化し、また、テスト前に蓋を開けてみたら…
ありゃりゃのりゃ
どんぐりの子は、
小学生時代に学習習慣がないので、中学生になっても勉強しない
ってうわさを聞きますが、
私の教室にそんな子はいません
だからって勉強ばっかしてるガリ勉もいないけど
学習習慣の有無は、どんぐりライフとは関係がありません
だって、小学生にとっての学習は、
机上のいわゆる、ドリルやら漢字練習やらではないのですから
小学生にとっての学習は、
好奇心、向学心、自由に考える思考力
それが豊かに育っていると、
急に口調が変わる中学の教材を手にした時、
どうやらワクワクするらしいです
お!挑んでる?挑戦していいの?
ってね
忘れもしない、現在高2の子達がコロナで中学入学後も6月まで休講だったとき、
卒業式もやっと実施され、小学校を卒業したものの、
中学校の授業は始まらない
さあ、どうしよう
私はいつも通りのタイミングで、
数学の教科書全解きノートのコピーと、
DKで今も使用している数学の塾専用教材を手渡し、
DONGLISHもゆっくりと開始しました
3月4月はステイホームだったので、さすがにオンラインでしたが
つまり私は何にも授業はしないし、(そりゃいつもそうだけど)
中学校の授業進行もないわけですが、
彼らはDKの問題集を開いて、思ったのです
お!挑んでる?
って
だから、
「どんどん進めてもいいの?」と聞いてきました
小学校の間、6年間、宿題をほぼやっていません
そんな彼らが、初めて、自分だけの問題集を手にしました
親の手出しができない、中学生のための教材です
それからの彼らの快進撃は言うまでもありません
小学校の間に、
「堰き止める」ということについて、
座談会でも話題になったことがありました
いろいろな人の話を聞いていて、私は、
小学校の間、
親子の信頼関係が絶大である方がうまくいく、と感じました
親が、子どものペースに合わせてあげている家庭、
親が、子どもにすごく気遣っている家庭では、
中学校からの自律があまりうまくいかないかもしれない、と
同じどんぐりライフをしていても、
宿題やメディアに関して、
たとえばご両親や他の身近な親族との間で、大人同士、心から話し合えていないとか、納得していないとか、
子どもの訴えを吟味せずに真に受けて、許す範囲が広くなったりとか、
結局、
親が根負けして子どもの言いなりになっているケース(そうなっているなあ、と私から見えても、当人さんたちは全く自覚がないケースがとても多いのですが)も、
中高生になってからとても難しそうに見えます
堰き止められていた子達の特徴は、
親たちの自律、親たちの覚悟が確固たるものであること
子どもは、
親の設定した環境で暮らし、小学生の間は行動範囲も親の知る範囲です
メディア制限や宿題制限が極端で、子どもの自由意志を尊重していない、と
言う方もいるようですが、
メディア漬けや宿題、習いごと漬けは子どもの自由意志を尊重していると言えるのでしょうか
いいえ、子どもの育つ日々の環境を作るのは、やっぱり親で、
その親の方針が、大きいのは当たり前なんです
だから、
どんな環境を作るのか、選ぶのか、という責任が親にはあります
それが「子どもの自由意志を尊重していない」というのなら、
子どもにはなんの手本も、指針も、分別を教える指導者も要らない、ということになり、
そんなことになれば子どもはどうしたらいいのか、わからないまま成長してしまいます
動物だって、その種、その地域ごとに、明日を生き抜くための方法を親が子に教えるところから子育てを始めています
教えないとできない
見せないとできないのは当たり前です
あー、このくらいの宿題ならできるのに~やりたいよ~
って思ってた
と、どんぐり卒業生が話していました
でも、
宿題をしない、という家庭の方針を守った、と
そこが、親子の絶大な信頼関係の証拠です
そうやって「実はドリルとかやりたい」っていう気持ちを、
堰き止めて、解放する
そこから中学校生活の始まりです
子どもたちはわかっていないと思いますが、
ドリルをやらずにどんぐりをしていたせいで(おかげで)
思考力が備わっているので、
中学の教材は自分で読み進めれば難しくないことはわかっています
だから、
授業も受けていないのに、3単元くらい、自力で進めてしまい、
私が気づいて制止するまでどんどん解いてしまっていたのです
今となっては思い出話、笑い話のひとつですが、
結局、
教科書にも、資料集にも、問題集の解説書にも、
全部書いてある
書いてあるのに、自分で読み取ろうとしない
だから、
わからないまま
わからないけど、どうしたらいいかわからない
それは、
誰かが助けてくれる
誰かが指示してくれる
誰かがひっぱってくれる
と、
どこかで無意識に思っているからなのではないかと
だから、
言われるまで動かないし、
言われたって動き出せるのは最初にされた後押しの分だけ
そのあとは自力で前進しなきゃなのに、
いつまでも、また、後押ししてもらえるのを待ってる
そして、そういう子ほど言うのです
「先生の教え方がわからない」
「授業で習ってない」
でも、同じ学校で同じ先生の授業を受けていても、
そんなことは言わず、微塵も思わず、どんどん自力で進める子もいます
あるどんぐりっこは言いました
「小学校でも中学校でも、学校の授業で勉強がわかった、と思った経験はない」
と
どういう意味かというと、
学校の授業はきっかけ、進行の目安に過ぎず、
わかるようになる、できるようになるのは自分次第
ということなんだと思います
私は、
そういう、勉強するのが自分ごと、と当たり前に独学を始める中高生になってくれるのが、
滑らかな親子関係を持続するためにも一番でしょう、と思って、
小学生以下の保護者さんたちに色々伝えてきました
結局、
今はのんびり構えていても、
成績なんて別に~
進路なんて特に~
とかいって、子どもの自由で、自主性で~って言ってても、思っていても、
中学生になって成績表が出て、
我が子が学年で学業成績何位か、ってのがわかった瞬間、
あれ?って思うものです
なんでもっとちゃんと勉強しないの
もっと上を目指して努力しないの
私はこうだった、オレはこうだったのに、って
急に思い始めるわけです
私から見ると、
それもひっくるめて、
それが子育ての成果で、
別に、たかが学業成績だけで我が子を判定する必要なんか全然なくて、
むしろ、親だけは、
たとえ最下位であっても、
その子の特性はなんだろう、どうやって生きていくのが幸せなんだろう、って声に出さずに考えながら、見守る
そして、子どもが、困った時に、本当に困った時に、「困ったな、助けてよ」って頼ってくれるような親子関係を維持すること
それが何より大事なのに、って思うんです
それを、
たかが学業成績のことで親が叱責したりすれば、
子どもはどんどん、親には本音を言えない、親には弱音を吐けない、と閉ざしていきます
テストはトランプやオセロと同じ
これも、私が中学生によく話すことです
強くなりたいなら努力しなきゃ
戦略を練って、練習を重ねて、何度も挑んで、失敗を分析して、次に備えなきゃ
でも、
ただの遊びなら、勝っても負けても楽しいじゃん
トランプやオセロ
強くなりたい!一番になりたい!って人もいれば、
楽しければいいよ!って人もいるんだよね
それに、
なんだか生まれ持ったようなセンスを感じる人もいたりするよね
なんでオセロあんなに強いんだろ、って人
でも、運もあったりする
勉強も似てて
いや、勉強の方が実はトランプやオセロと違って運要素がない分、
簡単に成果は出せるんだけど、でも、
勝ちたいか、負けても平気か、強くなりたいか、別にどっちでもいいか、ってのは、
個人差があるんだよね
全員が1位になりたいって思うわけじゃない
でも、オセロやトランプはそれでも許されても、
勉強のテストってなんで、上に行けばいくほどいい、上ほど褒められるのかな
そして親御さんには問いかけたいのです
オセロやトランプで負けたとき、
親御さんにすごく叱られたり、悲しい顔をされたりしたら、
たぶん、もう、やらないですよね
オセロもトランプも、やりたくないって思いますよね
それから、
別に、練習してまで、本を読んでまで強くなりたいとまでは思わない、って思っている子に、オセロの攻略法の本を買い与えて、読んでおきなさい!って命じても、
やっぱり、オセロを嫌いになる子は多いでしょう
もしかしたらちょっとのってくる子はいるかもしれないけど、
長続きする子は少ないでしょう
そのくらい、
親の差し金っていうのは注意が必要です
中学生からは、です
小学生の間は、いかに、親が環境をこしらえて、手本を見せて、
子どもを伸び伸びさせているように見えるけど実はしっかりと信頼関係ができていて、
子どもの身勝手だけで暮らしはしません
信頼関係ができているから、本当にいけないことをビシッと注意しても、
子どもは傷つかないのです
叱られたのは自分という人格ではなく、その行為なのだ、と理解できるからです
たとえば私は、こんな時代ですから、
子どもが身勝手になんでも自由にできる、という場所や時間を確保することに必死でした
だから、
なんの制約もない自然の中で過ごすことが多かったです
たとえば市民プールでは飛び込みも潜水も禁止されていますが、
川や海ならそんなの自由です
でも、
美術館や、よそのお宅にお邪魔するときには、しっかりとマナーを教えました
そのために、そういう場所や時間も意識して用意しました
大きな声を出して身勝手に振る舞ってはいけない場所もあること
よそのお宅にお邪魔するときには清潔な靴下や衣服であることが大切であること
美術館の中では走ったり、なんでも触ったりしてはいけないこと
自分で歩いたり走ったり自由にできるようになる2歳くらいから私はずっと、
そういうことを意識して育ててきました
もちろん、2歳や3歳を連れていくべきではない場所も教えました
大きくなったらね、と未来に希望を持たせつつ
子どもを自由にする
子どもの自主性を重んじることと、
子どもにそんな風に制限をかけることが、
なんだか対極のように語られることもあるようですが、
私は違うと思います
子どもは、小さい頃は親の振りを見て真似て、
わからないことがあったら尋ねて、
その後、自分で考えて行動するようになります
長年見ていると、
子どもの自主性を重んじています、と表面では言っていても、
実際にそう育てられた子を見れば、
なんというか、指針のない、よりどころのない自由というか、
本当はどうすべきかわからないまま、本当にただの身勝手な人間に育ってしまっているというか、
そういう結末を見ることもあります
他者との調和も難しく、
わがままが通る年齢を過ぎると、社会から孤立していくのも特徴のひとつです
そんな時、親はもうそばにいてあげられないのです
独学する中高生達が、
全員、学業成績トップレベルかっていうと、そんなこともないし、
トップレベルじゃないと意味がないかっていうと、そんなこともありません
トップレベルじゃなきゃ意味ないじゃん、って思う方がまだいるかもしれないけど、
私はずっとずっと、ここ数年で頭から離れないテーマを忘れていません
それは、
子どもが孤立する大人にならない、ということ
それは、
誰かに指示されたことをしているだけで適当な成績を取れるのでは気づけないから
独学で、自分でもがくことに意味があるから
わからないことがあるとき、どうしたらいいのか、自分で行動を起こす、という経験をしてほしいから
なんでも誰かのせいにして、
学校の授業がわかんないとか、
塾に行ってないからわかんないとか、
そうやって誰かのせいにして自分では動こうとしない、という子になってほしくないから、
それが、
将来、孤立しない大人になるための練習だから
だから、
成績がいいとか悪いとか、そういうのはあまり関係がないわけで
むしろ、成績がいいと褒められて、悪いと褒められないとか、叱られるとか、悲しい顔をされるとか、そういう経験で植えつけられるまやかしの優越感やひどい劣等感の方が、ずっとずっと、子どもたちを追い込んで、苦しめることになります
できないことを知る
得意なことや苦手なことを知る
それを乗り越える方法を見つける
そんな方法はなかった、と気づく
いい方法を見つける
どれもこれも、中学生の間に自力で経験してほしいことです
そんなことをしながら、親には、遠慮なく、状況を話せる関係であってほしい
口を開けば「だって成績が…」「テストの点数が…」って言うような心理状態を、
1日も早く手放して、
我が子が、どれだけ自分を知りながら、どれだけ、救いを求める方法を上達させながら、うまいこと他者と生きていけるように成長するか、愛される人間でいられるか、
そのことに、集中して見守っていてほしい、
心からそう思っています