人気のある女優さんがインタビューで言っていました

型にはまるの大嫌いなんです
言われたとおりにするのとか
無理
そういう星の下に産まれてるんで
子どもの頃からずっとです
そういう生き方してきたんで

奔放で、自由な感じで人気の女優さんです
SNSなどでも、自由に発言したり、私生活をあまり隠さなかったりして、
それも人気の秘密みたいで

なるほど~
だからキラキラしてるのねえ~と思う半面、
で、
子ども時代、どうだったんだろう
小中学生時代、どんな生活してたんだろう

学校にはまらなかった、
みんなと同じことできなかった
でも、
こんな大人になりました!
と、
いま、立派な大人に成長している有名な方々が言うと、
おお!そうなのか!と希望が持てるといえば、持てます
たとえば芸能人だったり、スポーツ選手だったり、
たしかに、
みんなと同じ、平均的な状態ではなかった子ども時代がある方が多いです
だから、
学校にはまらなくても、
みんなと同じことできなくても、
大丈夫

って、
思っていいかというと、それは違います

芸能人や、一流のスポーツ選手になった方の、
成功した確率を考えたら、
みんな、安心して大丈夫!とは絶対に言えません
その方々の、
たとえ、型にはまらなかったとしても、
学校へ通えなかったとしても、
それ以外の、それ以上の、能力や魅力は、
たぶん、類い希なるもので、
ほとんどの人が持ち合わせていないギフトなんです

じゃあ、
学校には行くべきで、
型にははまるべきで、
みんなと同じことをすべきか、っていうと、そういうことを言いたいんじゃないんです
いま、
なんでもあり、自由でいい、子どもにも尊厳と選択肢がある、という部分が誇張され、誤解されて広まっているせいで、
本来、なんてことないはずだった「学校」が、
なんだか変なことになっているのです
だから、
学校行きたくないな
学校楽しくないな
っていう子どもが増えているんです

学校のせいじゃない
学校のせいだけじゃない
学校になんか入るずっと前から、
子どもが学校生活をどう過ごせるかが決まってくるんです

小学校に入って最初に先生が教えることのひとつに、
ちゃんと座って前を向いて話を聞くこと、というのがあります
まずはこれを徹底させるのが至難の業だと聞いています
はい、そこで誇張された意味合いでの誤解が始まります
「子どもなんてじっと座っていられないよ、好きな時に立ち歩いてもそれは普通。好きなようにさせるべき。そもそも学校のスタイルが時代遅れ」

確かに、
6時間ずっと座る授業で、じっとしていなきゃならない、なんて小学生には(中学生にも)酷だし、おかしなことだと思います
子どものことわかってんの?って思います
遙か昔、昭和時代の小学生だった私だって、
45分の授業を長く感じて、授業中何度も、「次に時計を見たら、終わりのチャイムが鳴りますように…」とお祈りして思い切って顔を上げると、まだあと30分も残っていてがっくり、なんて気持ちもよく覚えています

でも、そんなこと以前に、
誇張された意味合いと誤解からそれぞれの家庭が子どもにどんなことを教えてきたかで、
いま、
学校の中も混乱しています

好きなように立ち歩いていい
好きな時に教室を出てもいいし、トイレだって好きな時に行けばいい
先生の話は聞きたかったら聞くし、聞きたくない場合は聞かない
子どもは自由だから

教室に、そういう感じの子が数人いたら、授業はなかなか成立しないでしょう
授業の質がどうこう、内容がどうこうよりずっと前に、
まず先生が授業研究とか教材研究とか、そういうことを充実させよう、と頑張る以前に、
どうやってまともな授業を成立させようか、と悩んでいるはずです

ここで課題は、自由に立ち歩いてしまう子ではありません
我慢してじっと座っている子達の方です
自由に立ち歩く子達を大人たちがどうにかしようとする様子だとか、
ただ待たされることだとか、
そういうのをまた、ただじっと待っていることしかできないわけです

自由に立ち歩いてしまって叱られ、自由にできない、と窮屈さ、不自由さに嫌気がさす子どもたちはそれを理由に「学校に行きたくない」と言うでしょう

でも、
自分はちゃんと座っているし、先生の話も聞こうとしている
待っていなさい、と言われればずっと待っている
そういう子達も、
我慢し続けるのに疲れて「学校に行きたくない」と言い始めるのです

自由に立ち歩く子や、学校の規則を守らない子がいるから、決まり事はどんどん増えて、自分で考えて行動できる子達もどんどん窮屈になってしまいます
さぞ、居心地は悪いことでしょう

決まりを作らないと収拾がつかない、大人たちはそう思ってどんどん厳しくするしかないと思っています

もっと子どもたちに考えさせてみたらいいのに、とある学校の教員と話したとき、

そんなきれい事は通用しない
もう、子どもたちはそのレベルじゃないんだ

と反論されました

それは、学校だけでなんとかしようとするからだよ、
もっと家庭にちゃんと伝えないと

というと、

それもきれい事
家庭に学校の問題を伝えたら、そっちの問題でしょう、と逆ギレされるんだから
いろんな家庭があるんだよ
話が通じる家庭ばっかじゃないんだ

話は堂堂巡りでした

でも最近、いえ、ずっと前から、
学校に上がる前の子どもたちや、
その周辺の大人たち、
子どもがいるとかいないとか関係なく、子どもの視野に入っている大人たち
全体を見ていると、
なんかおかしいよなあ…と気付いたわけです

狭い通路で、
進路を譲っても、御礼も言わないどころか、会釈もできない同世代の方

駐車場でカラのショッピングカートが私の方に風で転がってきたので、
他の車にぶつからないようにキャッチして、一生懸命トランクに荷物を詰めていた方のところへ持っていくと、無言で受けとって何も反応しないおじさま

病院の待合で、
ベビーカーに乗った赤ん坊に専用のタブレットを持たせ、
自分はスマホを出して、待ち時間を過ごす若いママ

飲食店で子どもが好き放題騒いでいても、
一切注意しないご両親
時々怖い声で怒鳴っているけど、効き目はなし
ひえ~怖い声濫用しすぎて効き目なくなってるんだ~もったいなー

孫を連れた近所の人に買い物中会ったけど、
孫を紹介もしなければ挨拶もさせない
孫は仏頂面で「誰このひと」って表情で私たちをじっと見てる
いま、教えどきなんだけどなあ、もったいな~

ドライブ中、退屈しないようにつけておくテレビ(動画)も、
いろいろな意味でもったいない

なにしろ、
「待ち時間」が子育て中のネックだとは知ってるけど、
それをコントロールできないようじゃ、
この先、子育ては悩みの連続になってしまいます

小学校低学年でじっと座っていられなくても、
段々と座れるようになるでしょう
段々と勉強に集中するようになるでしょう
そう思って油断しているのかもしれないけど、
そんなことは決してないんです

だからって幼少期から厳しく躾けて、
長時間じっと座っていられる訓練をすべし、なんてことじゃないんです
何度も書きますけど

子どもは、
…絵本を読み聞かせたことがある人は知っていると思うし、
なんなら興味のある動画なんかを子どもが見てる姿を見たことがある人は知ってると思うけど、
じっと動かずに、集中するんです
好きなこと、興味深いことを見聞きしたいときには

その、好奇心の集中力を、大切に守るだけで、
ちゃんと座っていなさい、なんて厳しく言わなくても、
自然と座っている子になります
そして、もっと大切なのは、
周囲への思いやりです

生まれた時から特性があって、それは不可能でした
というお子さんを預かったこともありますが、
その子はここでは座っていたので、
たぶん、座りたくないから座っていなかっただけで
座れるのに座っていなかっただけなんです
もちろん、
生まれ持った特性を本当に持っている子もいますが、
そういう場合は他の特徴も顕著なのでそれはそれで育て方、支え方があります

それでも、
やっぱりその場での行動の制限を、最低限は守れる人間になるということ
ある程度の集団行動ができるということ
それはなにも、個性を消すだとか、型にはまるだとか、そんな大げさなものではなく、
人生のいっとき、1日のうちの数時間を、
自分を律して過ごす、という練習をしているだけなんです

身体調和の町村先生のお話で、
座っていないんじゃなく、座っていられない
鉛筆や箸を、正しく持つ方法を知らないんじゃなくて、持つことができない
そういう、生まれた時からの筋力や、体の使い方の異変が最近の子には多く見られるというのがあり、30年以上小中学生を見続けている私にも納得するしかない理論でした

だから、
いろんな授業の形があり、いろんな働き方がある
世界は多様化していく
それはそれで、学校環境も、職場環境も、変わっていくんだと思います

でも、私が一番気になっているのは、
自由気ままに行動してしまう子達の心理です
自分が自由気ままに動き回るせいで、
ずっと我慢しているクラスメイトがいる
一生懸命先生の話を聞こうとしているクラスメイトもいるのに、
自分のことで先生が授業に集中できずにいることに、気づきもせず、
自分のしたいようにしてしまっている
周囲の気持ちを想像することができない、その心理です

それは、先に書いたような大人たちの行動
他人と生きている人間としてのごく普通の対応も、できなくなっている大人たちの行動や言動が、そのまま子どもに移っているのだと思います

自分さえよければいい
自分の好きに動けばいい
他人は関係ない

そういう人が増えたから、それを見て子どももそれが普通だと思って育っています
じっと座っているのがつらい、きつい、
それは仕方ない
身体的問題かもしれない、生活習慣のせいかもしれない
でも、自分だけの問題が、周囲全体に影響してしまっていることを、
気付かないまま大人になるのはまずいです
だからって周囲のために我慢するのが解決策でもありません
座っていられない子にはそれなりの事情があり、
それは、学校と家庭が協力して対処すべき問題です
どちらかに責任があるわけではありません
それは、話し合って、相談し合って、案を考えるべきことです

そして私はずっと見てきました
産まれて数年の幼児でも、周囲への思いやりがすでに育まれている子がいるのを
小さいからわからない、できない、なんてことはないんです


型にはまるのが嫌い、
言われたとおりにするの嫌い、
という人生で、見事、それを自分の魅力として輝かせることに成功している女優さんの話から、私は糸山先生の言葉を思い出しました
3日に1回くらい思い出す言葉ですけど

出る杭は出る

つまり、
特殊なことをして引き出さなくても、
突出した能力がある人は勝手に突出してしまう、ということです

英才教育を施さなくても、
もしかして天才児!?って思っても、
動じないで、まずは、周囲と生きていく術をしっかり手本を見せながら冷静に育てるべき
ということです

親の期待とか理想とか、
才能はそんなのの上を越えていきます
有名になるとか、誰にでもわかる成功を遂げるとか、そんなことばかりが才能の開花ではないんです

子どもが、いつか自分の人生を謳歌すること
それよりも高い理想はないはずです

学校に上がる前に、
上がってからも、
もっともっと、ごくごく基本的な事、
周囲への思いやりや、助け合い、
ささやかな礼儀や、思いを伝える方法、
ただ微笑むだけ
ただ手を少し伸ばすだけ
そんな姿を見せましょうよ
子どもに何かを強いたり、教え込んだりする前に、
まずは大人同士手本を見せましょうよ
親御さんも、先生達も、地域のみなさんも